姫様の初恋【後編・上】
これはまた別の晩の事。
「ねぇ。あなたもみんなと同じで、わたくしの名前を呼んではくださらないの? 誰もわたくしの名前を呼んでくれないから、自分の名前を忘れてしまいそうなのですけれど」
姫様は甘えを含んだ声でアンドロイドに尋ねます。
「名前、ですか……。しかし、この国には貴女様の他に姫と呼ばれる立場の方はいらっしゃいません。つまり、私が『姫』とお呼びすれば、そのときは必ず貴女様の事を指しているという事になるはずです。わざわざ高貴な身分である貴女様のお名前を日常的に口にする
彼は彼女の
それはヒトとアンドロイドの差異といった対比構造ではなく、彼がアッシュゴートの民によって生み出された物であるからこそ生まれたすれ違いでした。
「……そうですね。聞くまでもない事をわたくしは聞いてしまったみたいです……。あなたが不要だと判断してそうしているのだと、たったいま理解しました。今後も無理強いするつもりはありません。あなただけ特別だなんて、おかしいですものね……」
姫様は切なさに蓋をしようと自分なりにアンドロイドに共通の口調を意識してみましたが、かえって虚しさが増すだけでした。
一般的なアッシュゴート国民と同タイプの思考パターンを備えた彼らとの隔たりは、努力で埋められるものではありません。
「それよりもいま考えるべきは、あなたのお名前よ」
それでも彼女は
「私の名前ですか?」
彼の無機質な問いかけにも姫様は臆しません。
「ええ。どうせお喋りのときには二人きりだもの。不便でも必要でもないけれど、わたくしの『あなた』という呼びかけは『あなただけ』を指しているわけじゃないから」
……とは言うものの、それも建前です。本音の部分は実に単純な、そして恐らくは幼稚なものでもありました。
姫様は『自身の抱く特別な感情を示すために、彼に人間に交じっても違和感のない名前を付け、その名前で彼を呼びたい』といつからか願うようになっていたのです。
子どもに贈る人生最初のギフトのように。親しい間柄を明確に示すように。あるいは、ペットやお気に入りの人形への愛着を高めるために。
ヒトはたびたび、特別な相手に名前を付けたいと願うもの。
正式なものからくだけたものまで、その種類は多岐にわたりますが、そこにはきっと、少しの所有欲が含まれているものではないでしょうか。
恋仲にはなれなかったとしても、彼女は彼の特別な存在になることを望んでいたのです。
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