第3話 悪い癖

「……大丈夫ですか?」


 人間にあるはずのない尻尾を見て戸惑いつつも、木の陰で泣いていた女の子の様子に耐え切れず声をかける。


「……大丈夫なように見えますか?」


 女の子は涙を拭いながら言い放つ。その声は風の音よりも小さく、そのまま風に乗って消えていきそうなほどだった。


 女の子の言う通り大丈夫とは到底言えないほど、激しく涙を流していた。前髪は荒れ、横から流れている髪は涙で濡れたのか頬に張り付いている。着ているブラウスのそでもシワだらけで、事の重大さを思い知らされる。


 かけるはどうしたらいいかわからず、一旦これまでの出来事を振り返り自身の落ち着きを取り戻そうとする。


 たまたまいつもと違う家路をたどり――

 たまたま神社を見つけ――

 たまたま見つけた脇道の先で女の子が泣いていた。


 当然すべての出来事がどれも唐突すぎて落ち着くことは出来ない。これは本当に偶然が重なり合って起こった出来事なのだろうか。また柄にもないことを考えてしまい、無意識に首を横に振って現実に戻ろうとした。


「……何しているんですか?」


 後ろから怪しいものを見た、まるで軽蔑しているかのような眼差しの女の子が声をかけてきた。


 駈はその声に驚き、素っ頓狂な声を出してしまった。このままでは変な人だと思われかねない。


「い、いやこの町って意外と広かったんだなって思って……」


「何言っているんですか」


 咄嗟に思い付いた台詞はまたしても小学生が考えたようなもので、駈は呆れていた。


 このままだと本当に変人扱いされてしまう。妙な焦燥感に駆られ、意味もなく振り返ってしまう。しまったと思いつつも現状を打破しようとする反射的な行動を止められるわけもない。


 身を任せるしかない、もうこの際どうにでもなれ、ここに来ることもないんだろうから……。


 しかし、どういう訳か女の子は笑っていた。


 その顔は無邪気で子供っぽさがあり、瞳は嫌なことを包み込んでくれる優しさを感じる。それは相手を卑下するものではなく、心の奥底から出てくる笑顔だと思う。さっきまでの泣き顔が嘘のようだった。


 その顔に、駈はいつの間にか見惚れていた。


「あはは。……って、何見ているんですか。変態なんですか?」


「い、いや違くて! なんで笑っていたのかなーって!」


 また女の子は笑う。別におかしいことは何一つ言っていない。強いて言うなら無言で首を横に振っていたことだろうか。駈は何が何だかわからず、無邪気な笑顔に対して眉を細めながら見つめていた。


「それはもちろん、変な人だと思ったからですよ」


 やはりそうだったか、と一度消えかけていた疑念が確信に変わり、勝手に精神的打撃を受けた。駈が落胆していると、女の子は何か思い出したかのように問いを投げかける。


「そういえば、どうしてここに来たんですか?」


「あー……。たまたま?」


「たまたまって、そういうことを聞きたいんじゃないですよ」


 またしても女の子は笑う。本当によく笑う子だ、と思いながら笑顔から元気をもらったのか駈の表情も柔らかくなっていった。




 その後駈はここに来た理由を話した。女の子は真剣で純粋な眼差しで、何の疑問も持たず、時折相槌を挟みながら聞いていた。


「――それで参拝し終わった後に、急に強い風が吹き始めて、その方向を見たら小道を見つけてここにたどり着いた、という訳です」


「そうだったんですね。なんか、運命的なものを感じますね」


「運命って大げさな……」


 話していくうちに女の子の人柄が分かってきた気がする。薄い狐色をした髪は肩まであり、豊かな表情を引き立たせる。


 瞳は純粋無垢で話し手の駈が引き込まれそうなほどに澄んでいる。泣いていた時はしゃがんでいたからわからなかったが、思っていたよりも小柄で小動物のような印象を受ける。


 感情が表に出やすいのか話をしている最中の相槌一つ一つに心がこもっており、会話をほとんどしてこなかった駈が話しやすいと思ったほど聞き上手な人だ。まるで、好奇心旺盛な子供と会話しているようだった。



 ◇◇◇



 空はすっかり朱色に染まり、ねぐらに帰るのだろう鳥たちが散見した。


「あ、もうそろそろ家に帰らないとな……」


 駈は鞄の中から取り出したスマホで時間を確認して呟く。


 自分でも驚くほど楽しい時間を過ごしていたのだと思う。あまり人と会話してこなかった駈が悦びを覚えるほどに。


 しかし、まだ終わらせたくない気持ちがどこかにあった。けれど、もうここには来ることもないし何もなかったことにしよう。


 そう思いながら駈は近くにあった自分の荷物をまとめ立ち上がった。


「待ってください。あの、名前聞いてもいいですか?」


 この場限りの関係だと思い込んでいた駈は女の子の問いに思わず固まっってしまった。声を出さず、ただ女の子を見ておどおどしている。


 女の子はその様子を見て首を傾げていた。


「名前、ダメですか?」


「いや、いいですけど……。三橋です」


「三橋さんですね! これからよろしくお願いします! それと、多分私より先輩ですよね? 物腰が低いというか、礼儀正しいので色々先輩な気がします!」


「先輩かどうかわからないけど、一応高二……」


「やっぱり! 私は高一なので敬語じゃなくていいですよ」


 全くこの子には驚かされる。人のことを良く見ていて、それでいて気配りもできる。駈に持っていないものをたくさん持っている。まるで、別の世界に住んでいる人のように思うほど。


「……あと、次会える日っていつですか。まだ話したいんです、色々」


 女の子は少し頬を赤らめて、それをごまかすかのように笑顔を作った。この場限りの関係で終わりだと思っていた駈は、予想もしなかった一言に目を丸くして驚いたが、すぐ表情を柔らかくさせた。


「……また来週同じ時間に、ここに来るよ」


「わかりました! また、来週ですね」


 駈の言葉を聞いた女の子はとびっきりの笑顔を作った。


 その笑顔は今日見てきた笑顔の中で一番生き生きとして、喜びに満ちていて、見ているこっちまで笑顔になってしまうほど魅力的だった。

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