第30話 牧野しおり
翌日。俺は朝4時に起きて朝食前のトレーニング始めた。ニュースをテレビで流し聞きしながら、木馬に跨ること一時間。トレーニングを終えると三島先生と下妻先生に挨拶をして松沢厩舎に顔を出す。松沢先生と朝のミーティングを終えると、ちょうどそのころ牧野しおりが顔を出した。
「松沢先生、アキト君、おはようございます」
「おはよう」
「おはよう。どうした?」
昨日の一件でジョッキーを辞めるつもりじゃなかろうな?
「いや、アキト君が普段どうしてるのかなって」
「俺を参考に? 冗談だろ? ゴローちゃんを参考にしなよ」
「そういうとこだぞ、アキト」
松沢先生が俺を茶化す。
「今日一日、ここの仕事手伝っていいですか? 松沢先生」
「僕は構わないけど、及川先生は知ってるの?」
「ちゃんと言ってありますから」
「なら僕は構わないよ」
松沢先生がそういうなら仕方がない。
「なら調教の時間まで、先週のレースチェック」
俺は俺が毎日やってることを言った。
「厩舎の手伝いとかは?」
「手が空けばやるよ。厩務員も人間だからね。でも俺らの仕事は基本馬に乗ることだ」
「調教助手の飯塚さんが厩舎にいるから挨拶しておいで」
「わかりました」
松沢先生にそう言われると、しおりは頭を下げて厩舎に向かう。
「まあ待てって。俺も行くから」
俺は厩舎にしおりを連れて行って、飯塚昭三調教助手を紹介した。
「昭三さん、こいつ牧野しおり。今日はウチを見学したいって」
「わかった」
「おはようございます。初めまして、牧野しおりです」
「ああ」
「昭三さん、馬を見せて回っていいか?」
「ああ」
しおりが小声で言う。
「なんかちょっと怖い」
「ぶっきらぼうなだけだよ」
「ひょっとして嫌われてる?」
「松沢先生に対してもああだから」
俺はそう言って、松沢厩舎の馬を見せて回る。
「四白流星だぁー」
しおりはシークレットエデンの馬体を見て目を輝かせた。
「しぃちゃんはニンジン嫌いなんだ」
俺はそう言った。
「しぃちゃん?」
「おはよう、しぃちゃん」
そう呼ばれるとシークレットエデンは鼻を鳴らして寄ってくる。おれはその鼻すじを撫でてやった。
「おとなしいね」
「まあ、牝馬だしな」
「アキト……あんまりエデンばっかりかわいがるな」
昭三さんがそう言う。
「はい。そろそろ事務所に戻ろうか。お前今日の調教は?」
「調教に乗せてもらったことないから……」
一年目ならともかく、しおりくらいのキャリアがあれば調教も乗せてもらえそうなものだが。
「なら俺の調教見て回るか? 下妻先生のところで二頭、三島先生のところで三頭、そのあとここに戻ってしぃちゃんとテキーラの調教」
「うん」
「じゃあ行ってきます。昭三さん」
「ああ」
俺は厩舎を出て下妻先生の厩舎に向かう。
「おはようございます」
「ああ。牧野くんもようこそ。どういうわけだい?」
「おはようございます。下妻先生。今日からアキト君に弟子入りするんです」
「はっはっは。そいつはやめたほうがいい。こいつは女たらしだから」
「そうなの?」
違うよ?
「ウインライブリーとナサルディアの準備は?」
「もうウインライブリーは良い頃合いだ」
馬の調教はまず歩かせることから始まる。人間でいう準備運動だ。小一時間かけて歩かせ、脚の筋肉を目覚めさせる。これを怠ると馬は故障しやすくなる。調教はコースに出すか、プールで歩かせるかだが、ジョッキーがやるのは無論コースに出すほうだ。俺は下妻先生に挨拶して、ウインライブリーのところに向かう。厩務員の虎山さんと一緒にコースに出す。ウインライブリーも無論俺のお手馬だか、まだ仕上がり切っていないので強めの単走でウッドチップを走らせる。
調教コースは、芝、ダート、ウッドチップ、坂道と四種類。それとプールを合わせての五種類。調教は併せ馬と単走の二種類と、15-15、馬なり、強め、一杯とだんだん調教の強さが変わる。
俺は調教を終え、虎山さんにウインライブリーの手綱を渡す。調教後もゆっくりと歩かせクールダウンする。この一連の作業が調教だ。
そうして今日一日の調教を終える。
「なんか参考になったか?」
「あれだけ乗ってたら上手くもなるよな、って思った」
「及川先生に頼み込んで調教を任せてもらえとしか言えない。だからコースで会ったことないのか」
「あはは。頼んでみる」
「それでだめならまた相談に乗る」
「ありがとう、アキト君。先生がたによろしくね。牧野しおりがいますよ? って」
「わかったよ」
俺はあの悲壮な壮行会でもしおりが奮起してくれたことがうれしかった。
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