第42話 大切な人たち

 これは本当にただごとではない。まだ死人は出ていないからと少し楽観的に考えていた節があったが、今回の疫病は国を蝕む恐ろしいものだとカルロの叔父や、町の人たちの様子を見て重々実感できた。


「今までにも何人ものギルド職員、Sランクギルドの冒険者が来た。けれど、どいつも自分の手には負えないと言って逃げ帰るか、町の連中よろしく疫病にかかって倒れてしまった。おまえたちも疫病にかかる前に逃げた方がいい」

「そう、ですか。それは大変ですね。ならさっさとこの問題を解決しなきゃいけません」

「ああ、そうだ。この町、いやこの国はどこも危険だ。まだ疫病が流行っていない国外へ逃げ……今なんて言った?」


 シエラの言葉に、叔父さんは眉を顰めて聞き返した。


「この問題をはやく解決しますって言いました」


 叔父さんの意味がわからないという表情を、まっすぐに見つめ返してシエラはもう一度答える。


 たしかに疫病は怖いものだ。感染経路もわからなければ、原因もわからない。なにもわからないから有効な治療法も確立できていない。もし自分が疫病に罹ったらろくな治療をできずに死んでしまうかもしれない。けれど。


「だからってこの現状を放っておくなんて、そっちの方が私にとっては無理難題です」


 この国にはシエラが世話になった人がたくさんいる。

 シエラを育ててくれた施設の職員。短剣を打ってくれたシクの腕のいい鍛冶屋の親父さん。そしてその息子の少しひねくれた、けれど優しい性格のシーク。

 他にもたくさん、今までの冒険でお世話になった人たちがこの国に住んでいるのだ。今はまだシクやハビスカにまで被害が及んでいなくても、叔父さんやギルド組合の予想だとこの疫病が王都まで広がるのは時間の問題だ。

 そうしたらシエラがお世話になった人――大切な人たちが、死んでしまうかもしれない。


 そんなこと簡単に予想できるのに、逃げ出すなんてとんでもない。たとえ自分にできることがなにひとつなくても、なにもせずに一人のうのうと逃げ出すなんてそんなことはカルロや叔父さんたちが許しても、シエラ自身が許せなかった。


「私に任せてください。解決できるかじゃない。絶対にこの疫病問題を解決してみせます」


 やれるからやる、ではない。やらなければならないと思ったから、全力でやろうと決めた。

 シエラはただまっすぐに、呆然とする叔父さんを見つめてそう宣言した。


「そう、じゃあ頑張らないとね。叔父さん、悪いけどシエラは……いや、オレたちは意外と諦めが悪くてね。自分でも驚いているけど、結構頑固なところがあるみたいなんだ。だからこの国を飛び出るときは逃げ出すんじゃなくて、旅するために出て行くよ。すべてを解決してから、ね」


 シエラを肯定するようにカルロが肩にそっと手を添えた。視線をずらし、カルロと見つめ合って頷き合う。


「なんとかしてみせます。私たちで!」

「ああ!」


 シエラの言葉にカルロは力強く頷いた。

 カルロは同じギルドのメンバーで、一緒に旅をするかけがえのない仲間で、とても力強い味方だ。


 シエラひとりではなにもできなくても、カルロと――それにルルがいる。仲間がいるなら絶対に問題を解決できる。いや、しなくてはならない。


「まずは町の集会所や病院に行ってみましょう。医学に自信はありませんが、直接患者さんを見ないとなんの情報も集まりません」

「そうだね。細心の注意を払って接しようか」


 女神像の横を通り過ぎ、呆然と立ち尽くす叔父さんとすれ違って患者のいる場所に移動しようとした。しかし背後から大声で止められる。


「ちょっと待て! 本気か⁉︎」

「本気だよ。オレはそんな弱くないから大丈夫だ。もちろん、シエラだって」


 拳をぐっと握り込み、真剣な剣幕でこちらに問いかける叔父さんにカルロは笑い返した。


「違う! おまえが強いのはじゅうぶん知っている。けど、違うんだ。疫病に強さなんて……冒険者ランクなんて関係ない。あれの前ではオレたちはみんな無力な赤子に等しい……なにも、できるはずがない」


 徐々に叔父さんの覇気がなくなっていく。語尾は尻すぼみになり、最後には両手で顔を覆って蹲った。


「頼む、行かないでくれ。これ以上オレは家族の苦しむ姿は見たくないんだ……」


 叔父さんの声は震えていた。

 きっと家族みんなが疫病に罹ってしまい、一人で看病しているのだろう。目の前で大切な人が苦しんでいるのに、自分にはなにもできない歯痒さ、悔しさは体験した本人にしかわからない苦しみだ。


「任せとけって」


 自身の無力さに手を震わせる叔父さんに、カルロは今まで以上に無邪気な笑顔を見せて歩を進めた。


「……カルロさん」

「なに?」


 叔父さんを置いて、カルロの案内で町の集会所に近づいていく。

 なんでもない、なんともない、そんな顔をしているカルロに思わずシエラは声をかけた。

 叔父さんは言っていた。町のにあたる人間が疫病で床に伏したと。そしてこれ以上の苦しむ姿を見たくない、と。


「たぶん、ですけど。カルロさんのご両親も……」

「わかってるよ」 


 シエラが言葉を続けるよりも先に、カルロは頷いた。

 おそらくだが、カルロの両親も疫病に罹っている。

 叔父さんの弱った姿と台詞からそれくらいやすやすと想像できた。


「行かなくていいんですか?」

「いいよ。様子なんて見に行ったら、二人とも絶対叔父さんみたいにオレのこと止めようとするだろうから」


 なんでもない、なんともない。まったくオレは気にしていない。そんな表情をしていたカルロが、少し下唇を噛むのが見えた。握った拳が微かに震えている。


 本当は今すぐにでも両親の様子を見に行きたいのだろう。親が原因不明の病に罹って、心配しないはずがない。

 けれど、それでも、疫病問題を解決するためにカルロは両親の元へ向かわないという選択を選んだ。行ったら、止められるから。

 子供が親を心配するように、親だって子供を心配する。危険なことはしないでと、きっとそう言うのだろう。


 シエラにそう言ってくれる親はいない。けれどシエラを本当の子供のように愛情を注いで育ててくれた施設の職員たちが今ここにいれば、きっと本当の親のように心配してくれるだろう。

 シエラがみんなのことを心配に思うように、みんなもシエラのことを心配してくれる。

 シエラは孤児でありながらも、なんて幸せな環境で育つことができたのだろう。シエラが誰かに優しくできるのは、周囲から優しさを与えられて生きてきたから。誰かを慈しむことができるのは、慈しまれて育ってきたから。


「……行きましょう。絶対に、この疫病を止めてみせます」


 大切な人が多すぎるこの国を救うためなら、危険な道だとわかっていても進まないわけにはいかない。

 シエラの愛した、シエラを愛してくれたみんなのために。絶対に疫病を止めてみせる。

 シエラは覚悟の決まった顔で力強く一歩を踏み出した。

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