魔王が倒されたら勇者はもう用済みですか?

月雪奏汰

プロローグ 勇者の憂鬱なある日

 その日、多くの生きとし生けるものに対して宣戦布告を行い、類稀な統率力とそれが霞んで見える程の圧倒的な個としての強さを合わせ持つ存在が倒された。

 その存在とは、俗に言う魔王だ。

 種族を問わず多くの者達が戦いを挑み、死という名の余りにも重く、理不尽な罰が課せられるか、再起不能にさせられながら命だけは繋いで戻ってくるか。

 そんな耳を塞いでしまいたくなるような結末だけが積み重なっていく日々が長い間続いていた。

 しかし、悠久の時を経て遂に魔王が倒された。

 いくら魔王と言えど五百年は復活する事さえ出来ないとされ、力が戻りきるのはそこから更に先。

 魔王が倒されても生活を脅かそうとしてくる者たちは居る。それでも世界に平和が訪れるための、言葉では言い表せない程の大きな一歩だった。

 魔王討伐に一番尽力したと言われているのがある人間族の青年だ。

 この青年は勇者と称えられ、名声をものにした。

 当然人間族の王はこの青年に莫大な報酬、これ以上上はない生活、地位。与えられるものは全て与えた。

 種族の壁を飛び越えて瞬く間に広まったお話はここで終わっていた。



 ※※※※※※※※※※


 四年後

 人間族の王とも呼ばれる人物が治めるグロッサ王国にて、寝室であることを差し引いたとしても殺風景と言う他ない部屋の中央に置かれたベットの上には、この部屋の、付け加えればこの家の主である男が寝ていた。

 三人は確実に寝れるであろうベットを余すことなく一人で使い切りながら、ひたすらに何もない天井を見つめ続ける。

「フレイ様、フレイ様! どうされましたか?」

 ドアがノックされながら繰り返し呼ばれている事には微塵も意識を向けなかった。

 やがてドアの外の人物が諦めたのか、物音が聞こえてくる事は無くなり部屋が静寂に包まれる。

 フレイはどこからどう見ても二十歳になったかどうかといった感じで、表情はともかく、体の様子がその若さを証明していた。

 ところで寝室に巨大なベットを置けるということから察せられる通り、この家は類を見ない程の豪邸である。

 この規模の大きさの屋敷を持つことは普通では敵わない。

 言うまでもなく、フレイの年齢では尚更だ。

 可能性があるとすれば、一流貴族か大商人辺りの息子くらいだろうか。

 しかし、この場合は彼らが凄いのではなく、彼らの親にあたる人物が凄いと言うだけ。

 では、フレイはどうなのかと言えば、親の力などではなく正真正銘自分自身の力で手に入れていた。

 なぜこんな事が可能になったのかと言えば、世間一般で言うところの勇者とはフレイの事だからだ。

 よって、あちこちで広まったらしい話の通り、一人で住むには余りにも広すぎる家を与えられた。

 フレイの希望を聞くことも特になく、押し付けられたに近いが、広さ以外に特に不満に思うところはない。

 広すぎるが故なのか、はたまた国王をやるような上流階級の常識なのか、お手伝いさんがついていた。

 そのため掃除の手が回らないなんて事はなく、むしろたまに家事をする程度だ。

 先程繰り返し呼びかけてきていたのは、主にこの屋敷を担当してくれている熟練と噂されるお手伝いさんだ。

 恐らくは家事が一通り終わった事の報告と、もう帰るという事を伝えに来たのだろう。

 それはこの屋敷に初めて仕事に来てくれた時から一度も欠かされる事の無い事だった。

 仕事とは言えど律儀な人だなと思うし、何より心から有難いと思う。

 けれど、こんなに自分に良くしてくれる人とすら今日は顔を合わせたく無いと思った。

 天井はずっと目に入っているけれど、全く見てはいない。

 思考をする事に意識が集中し過ぎるとこんな状態に人はなってしまう事を初めて知った。

 自分は何者なのか。 何がしたいのか。

 どこまでも続く荒野のように漠然としていて、どこか寂しさを感じてしまうような問いの答えを探し続けていた。

 見つかるはずが無いことは悟っていたけれど、それでも。

 ここ最近、答えを探す事は時々あった。けれど、今日ほど探してしまった日は決して無いと言い切れる。

 魔王を倒した後、二人の仲間と共に休息と称した寄り道を繰り返しながら、最短なら半年で帰れる距離を一年近くかけて帰った。

 魔王討伐に向かう時には出来なかった遠回りを繰り返し、少しでも興味を持った事は何でもやった。

 どんなに言葉を尽くしても表現する事は叶わず、至高の日々と言うしかない。

 王都に戻ると、自分たちの帰りを待ちわびていた国王を始めとする人々から強烈な歓迎を受けた。

 魔王が倒された事を祝う祭典は一週間続き、王国で長い歴史を持つ年に一度のお祭りよりも盛り上がった。

 そこでようやく自分たちが成し遂げた事の大きさをきちんと認識した気がする。

 それから一年は、魔王に特に忠実だった幹部が率いた軍を撃退したり、しっかりとした休息に当てた。

 魔王を倒した時とは違って、こちら側にも軍があったため非常に楽で、三人の出番がない時すらあり拍子抜けした事は懐かしい。

 王都に戻ってから一年経つ頃には襲撃が落ち着き、二人と一緒に各々小隊を引き連れて遠征をするようになった。

 魔王関連のみならず、困難と言われ続けた洞窟の調査や重要な鉱山に住み着いた龍の討伐などだ。

 魔王が倒されたからこそ、放置され続けていた問題の解決を図ろうとする考えが広まったらしい。

 洞窟の調査は、スリルを楽しむことこそ出来たが、はっきり言ってあまり旨みがあるものではなかった。

 洞窟は大抵の物が自然に出来た物だ。

 しかし、稀に何を思ったのか洞窟に手を加えたり、自らの手で洞窟を掘るということをする人種が居る。

 自然生成された物ならば深さはたかが知れているが、恣意的に作り出された物はそうはいかない。

 恣意的という悪意を持った表現から伺える通り、例外なく、深さ、広さ、複雑さ、仕掛けといった点で異常だと言わざるを得ない物に仕上がっている。

 フレイ達が潜った洞窟も例外ではなく、事前情報だけで製作者の異常性が垣間見える物だった。

 具体的には、探索魔法のエキスパートという活躍が極めて限定的に思われる人物の力を持ってしても洞窟の全貌が見えず、最深部への到達に長い時間を要した。

 もちろん、道中や最深部には宝や製作者が書き記した魔術についての記述がされた本などがあるのが通例ではある。

 洞窟を造るというのは、財産や知識などが有り余った者の道楽でしか行われるわけが無いからだ。

 しかし、王都で尋ねるべき人を尋ねれば手に入れる事は可能といった程度の宝やフレイには何も理解することが出来ない古代語で書かれているらしい本くらいしか主な収穫は無かった。

 魔法使いのエレナが本に飛びついていたため、もしかすると価値がとんでもなく高いのかもしれない。

 しかし、フレイの中では労力に見合う程の成果は出ていないと感じた。

 その点、龍の討伐は思いがけない収穫があったと言える。

 元は王国から遠く離れた山に住んでいたらしく、山の周りは大森林で覆わえ、誰も近づく事は無かった。

 龍は、個体差が顕著に現れる生き物だ。

 小国であれば襲いに行くほど攻撃的な場合もあれば、攻撃を受けない限り襲いに行くことはない龍も居る。

 また、龍全体の傾向として非常に賢い事があげられる。

 龍同士の意思疎通は方法こそ明らかになっていないが、人間族を含む文明が発展している生物と同程度だと推測されている。

 中には、人間族の言葉や人間族以外でも広く使われている公用語を操る龍まで存在するほどだ。

 これらは良いとして、龍にはもう一つ特徴がある。

 それは自分の住処に宝を貯めておくという事である。

 ここで言う宝とは、正確には龍に挑んだ人々の装備であったり持ち物の事だ。

 しかし、龍に挑むような者が古今東西鍛え抜かれた力を持っているのは当たり前であり、そんな人々が持っていた物は宝と言って差し支えない品々だ。

 鉱山に住み着いた龍は、危険な大森林に囲まれた山の頂上に元々は住んでいたらしかった。

 空を飛べない者は山に辿りつこうと考えてはいけない。空を飛べる者も山に降り立ってはいけない。まして、龍に挑む事など有り得ない。

 昔、誰かに何度かそう聞かされた事があった気がした。

 しかし、数年前の大雨で山が大胆に崩れたらしく、龍が次の住処に選んだのが鉱山だったということらしい。

 無駄に命を奪うことはしたくなかったけれど、数年間住処を変えようともしなければ、近づいた人間に危害を与えてしまう龍だったので仕方がないとも思ってしまった。

 選び抜かれた小隊メンバーが完全な足手まといになってしまう程度の強さはもちろんあったが、結局三人の敵では無かった。

 洞窟の探索の方が、日の光を浴びれず気が狂いそうだったという理由で厄介だったと言える。

 龍なりの上手な運び出し方があるのか、自然すら、思わず見上げてしまう巨体の前では脅威ではなく普通に運び出したのか。

 とにかく、龍が貯め込むと噂だった宝は十分な量が龍の亡骸の後ろに存在していた。

 製法が殆ど伝わっていない名刀、類稀な硬度を持つとされる希少な金属の中でも最高級だと王国一の鍛冶屋を唸らせたオノ、これらをはじめとして多くの物を手に入れた。

 時には、三人のうちの誰かの個人的な興味関心による調査も行った。

 個人的な物なので、当然三人だけで気ままに、昔に戻ったように調査の日々を楽しんだ。

 一番記憶に残っているのは、エレナの提案で調査に出た時だ。

 洞窟で見つけた本はエレナ曰く古代魔法についての本だったらしい。

 その本は細かく分けられ、何ヶ所かだけ隠し場所と思われる場所も記述してあったようだ。

 有名な遺跡の隠し扉の先や大聖堂の本棚の片隅など一冊見つけるだけでも一苦労だった。

 公私共に遠征を繰り返しているうちに一年が過ぎた頃、エレナが旅に出ることが決まった。

 古代魔法についての興味が収まらず、王国から遠征として行くのにも限界が見えたみたいな事を言っていた気がする。

 正直、旅に出てしまうという事実を知った瞬間話が全然入ってこなくなった。

 恐らく、エレナについて行くと自分が言っても断られることは無かったし、むしろ自分という前衛が居ることを心強いと喜んでくれただろうとも思う。

 けれど、古語を意味が分からないと投げ捨てて居た自分が、古代魔法を求める旅なんかに出ても仕方がないとも同時に思った。

 結果として、エレナが一人だけで旅立つことになった。

 更にその四ヶ月後、戦士のオスカーも旅立つ事を決めた。

 オスカーは一言で言えば、強さに取り憑かれている奴で、呆れるくらい戦闘を好んでいた。

 誰彼構わず戦いを挑む訳ではないが、実力があると思われる者が敵対の姿勢を取った時、彼の最高に良い笑顔が見れる。

 そんな彼にとって、エレナが旅立った事で遠征が格段に減り、危険な任務も減ってしまった日々は退屈であったらしい。

 エレナという優秀な後衛が居なくなったのだから、危険な戦いのリスクが引き上がる事は分かりきった事だが、だからといって退屈を許せるわけではないのだ。

 フレイはオスカーについて行くということもしなかった。

 これ以上強さが欲しいかと考えた時に、よく分からないと思ったからだ。

 また、自分にもそのうち旅立つ理由が出来るだろうと考えたというのもある。

 とにかく、これで仲間はバラバラになってしまった。

 けれど、同じ国に住む師匠に恩返しをする機会が回ってきたのだと思うことにした。

 フレイが師匠と呼ぶ人物は世界のどこを探し回ったとしてもただ一人だ。

 師匠であり、両親に代わって面倒を見てくれた人物であり、付け加えるならば国の元騎士団長という経歴を持つ老人の名はグランツ。

 騎士団長の立場を退いてからは、国王から懇願されたために宰相さいしょうとして国に関わり続けていた。

 更には、騎士団の最高戦力を集めた少数精鋭部隊が、騎士団長を退いても尚グランツ隊と呼ばれ続けている事からも彼の人望の厚さと功績が伺える。

 そんな尊敬に値する師匠もオスカーの旅立ちからわずか二ヶ月後、つまり今から半年前に亡くなった。

 今度こそ、フレイは一人ぼっちになった。

 死因は、過去の傷のせいでも病気でもなくただの老衰だった。

 命という物にしがみついて生きていく限り絶対に避けて通る事は出来ないもの。

 傷を負ったり、病気を患わずともいつか人生は終わるという当たり前の事実がとてつもなく恐ろしく感じた。

 結局、三ヶ月以上家に籠って、お手伝いさんを除いて人と会うことなく過ごし、前の生活を形だけでも戻すのに更に一ヶ月かかった。

 そこからも現在に至るまでずっと心に靄がかかっている。目に入ってくる景色は不自然に色褪せ、フレイの気持ちを落ち込ませた。

 騎士団での武術指南の時間。訓練場からの帰り道に聞こえてくる声。国王の思惑。

 指南している兵士達のフレイを若造と馬鹿にする内心、それゆえのやる気の無さ。

 道を歩くと聞こえてくるフレイを役立たずと罵り、税金泥棒と揶揄する会話。

 自国の有事の際の切り札としてしかフレイの事を考えていない国王、フレイを繋ぎ止める為だけに用意された騎士団長の立場。

 周りの全てに対して憎しみが湧き、自分の力を振り絞ってでもこの国を地図から消してしまおうかとも思った。

 けれど、大半の人間はフレイが勇者であり、グランツの弟子であるという事しか見ていなかっただけだと気がついた。

 魔王を倒したのは四年も前、師匠も既に亡くなった。だからフレイにかかっていた魔法が綺麗さっぱり解けてしまった。

 ただこれだけで、これ以上でもこれ以下でも無い。

 国を地図から消したって、ただの八つ当たりに他ならなかった。

 いつの間にか始まっていた何度目かの回想を終えて、身を起こしてベットの上に座る。

 まだ回想が中途半端だったらしく、そこで師匠にかけてもらった最後の言葉を思い出した。

「自由に生きろ。もういい加減それが許されるはずだ」

 自由って何だろうと思った。中途半端な自由は却って虚しさに繋がることも多々ある。

 でも同時に、この国に居続けるのも違う気がした。

 この国にはもちろん、世界のどこにも帰るべき家はなければ、帰りを待ってくれている人も居ない。

 あるのは広い空間に所狭しと寂しさが充満しているこの家だけ。

 帰れる場所ではあるが、帰るべきでも帰りたい場所でも無かった。

 ならば、帰るべき場所がなくても、帰りを待ってくれている人が居なくても始められて、それでいてとびっきり自由な事。

 旅に出ようと思った。

 その瞬間、視界が晴れ、意識が研ぎ澄まされた。

 今行動に移さなければ、何も変わらないまま老いて死んでいくことになる気がした。

 遠征でも毎回使い、旅に必要な物は全て入った少し埃を被ってしまった鞄、使い道が無かったありったけの高価な宝石。

 そして大切な愛刀二本を腰に下げる。

 用意が完了するや否や、玄関の外に広がった人気のない暗闇に足を踏み出すのだった。

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