第14話 第14章

 美沙がこの世にいないとすれば、その気持ちが分かる気がしたのは、敏夫と別れさせられたことよりも、子供と引き裂かれたことがショックだったに違いない。子供の父親は間違いなく敏夫だったと思いたい。しかし、美沙には自分が団地に住んでいたことを思い出していた。

 団地は、同じ棟の建物がいくつも並んでいて、特に当時としてはマンモス団地だったこの場所では、昼間でも迷ってしまうことだろう。

 美沙は、中学の頃に住んでいた団地で、うっかり間違えて他の人の部屋に入ってしまったことを思い出した。

 その時に入った部屋には一人の男性が住んでいて、酒浸りだったのだが、ちょうどその男は奥さんに逃げられて、一人すさんだ生活をしていた。

 美沙はその男がジロリと睨んだ顔が恐ろしく、何も言わずに踵を返して部屋から飛び出したのだが、その時の動悸は、美沙のトラウマになっていた。

 美沙が敏夫と知り合う前、それまで誰とも付き合ったことがなかったと言っていたが、それはどうでもいいと思いながら、何かトラウマのようなものは感じていた。それが何であるか分からなかったが、今では分かるような気がした。

 そういえば、敏夫には、誰にも言えない過去があった。女房に出て行かれ、一人で妻と住んでいたマンションにいた時のことである。離婚が完全に成立していなかったので、マンションを出るわけにもいかず、そのまま女房の面影のあるマンションで住むのは、少し違和感があった。

 そんな時、一人の女の子が飛び込んできた。

 彼女は、ただ部屋を間違えただけのようだったが、敏夫を見て、足が竦んでしまったのか、そこから動けなくなってしまった。

 女の子は、何とか愛想笑いを浮かべようとしていたようだが、引きつってしまい、実に歪な表情でしかなかった。

 まだ、高校生くらいだっただろうか? 救いを求めようという表情は、明らかに敏夫に恐怖心を抱いているのだが、それ以上に歪ではあったが、浮かべていた笑顔には、まるで懐かしい人に出会った時のような表情があった。

 それを敏夫は勘違いしたのだ。

 本当なら、懐かしい人に出会ったという表情をしていたのであれば、絶対に必要な表情が、彼女からは見られなかった。それは「安心感」を含んだ表情である。

 安心感はホッとした表情を含んでいる。ホッとした表情がなければ、安心感には繋がらないだろう。引きつった表情の中にであっても、ホッとした表情があれば、安心感を感じることができるし、ホッとした表情がなければ安心感などありえないのだ。

 敏夫は彼女にホッとした表情を感じることができなかった。それなのに、懐かしそうな表情だけで、安心感を抱いてくれていると思い込んでしまった。それが大きな間違いであった。

 彼女が訴えなかったことで、敏夫は罪に問われることはなかったが、相手は十八歳未満、事なきを得たということだろうか。

 彼女は寂しそうな表情をしていた。それが勘違いに拍車を掛けた。寂しそうな表情をしている女の子をいとおしいと思ったのは、自分が寂しいということを自覚していたからだ。自分の寂しさと人の寂しさを照らし合わせて、寂しそうにしている人を放っておけないという気持ちになったのも今から思えば無理のないことだったのかも知れない。ただの言い訳ではあるが、それが、誰にも言えない大きな汚点を作ってしまった。

 女の子は涙を流していたが、決して抵抗していたわけではない。涙の理由が敏夫には分からなかった。その時初めて会った相手の涙の理由など、分かるわけはない。

 ただ、敏夫はもらい泣きをしてしまった。

「どうして泣くの?」

 彼女は敏夫に聞いてきた。敏夫はハッとして、彼女を見つめる。

「今、あなたにここで泣かれたら、私の涙の意味が無になってしまうということが分からないの?」

 と、かなり叱責した言い方だった。

「すまない」

 と、敏夫は謝るしかなかったが、それは何に対しての謝罪なのか分からなかった。彼女の言葉に対して素直に謝っただけだが、理屈が分かっているわけではない。彼女はしばらく敏夫を見つめていたが、表情は次第に和らいでいく。

――この時の顔――

 真美を見て、初めて見る表情ではないような気がしていたが、この時の女の子の顔が真美に似ていた。もちろん、真美でないことは分かっている。もし、真美であるなら、今から十数年も前の話である。十歳ほど年齢に違いがあるからだ。

――十歳……。

 敏夫は、この時、十歳の違いを意識したことを後になって思い返していた。その思いは、節目となる歳月を敏夫に初めて植え付けた時のことで、それからしばらくは忘れていた。そのことを今思い出すのは本当に忘れていた証拠だろう。こんなインパクトの強いことを忘れてしまうなど、やはり、罪の呵責があったのか、それとも、歳月の違いに関係があることだったのだろうか。

 突然思い出したのは、真美が敏夫と身体を重ねた時である。

――もしかして、自分の娘だったら――

 という罪の意識が良心の呵責をくすぐったのだ。

 その時に、過去に犯してしまった過ちを思い出したとしても、それは無理のないことだ。いくら強引ではなかったとはいえ、まだ高校生の女の子を抱いたのである。しかも、いくら違うと自分に言い聞かせても、妻と別れるかも知れないという状況で、正常な精神状態だったのかということを、ハッキリと断言できない自分がいる。そんな敏夫は、自分がまたしても、自分の娘かも知れないという女性を抱いてしまったことに、罪悪感がないわけではない。

――どうして罪悪感が残ると分かっていることをしてしまうんだ?

 衝動的な行動ではないことは自分が一番よく分かっている。むしろ衝動的な行動であった方が、抑えが利いたかも知れない。それが利かなかったということは、何か目に見えない力が働いて、当時の高校生や、娘かも知れないと思う真美を抱いてしまったとしか思えないではないか。

 そこに共通しているのは、時間という観念だ。十年という違いの感覚が敏夫の中にあり、もし、自分で答えを見つけることができるとすれば、そこに何かがあるのではないかと思えるのだった。

 敏夫は、真美としばらくの間、会わなかった。避けていたわけではないのだが、ひょっとすると、真美の方で避けていたのかも知れない。それも身体を重ねてからすぐにことだったので、敏夫とすれば、不安が募っていた。

 真美がどのように考えているかが不安だった。

 気持ちの高ぶりから身体を重ねたのであれば、衝動的な行動になるのだろうが、我に返ってしまうと、自分がしでかしたことがどういうことか考えると、敏夫を遠ざけるのも分からなくもない。

 真美は処女だった。誰も真美を相手にしようとしなかったのか、真美が頑なに他の男性を避けてきたのか、敏夫は、後者だったような気がする。真美の身体は固く、開くにはかなりの緊張をほぐす必要があった。それは男性に対しての頑なさではなく、敏夫という相手に対して頑なだった。今までに処女を相手にしたこともあったが、同じように身体を固くしていたが、敏感な部分をほぐしてから開いてあげると、心も一緒に開いてくれた。しかし、真美に限っては、敏感な部分をほぐしても、頑なさは変わらなかった。身体だけではなく、精神もほぐす必要があるのだ。どのようにほぐしたのか、敏夫はその時のことを覚えていない。まるで吸い寄せられるような時間が過ぎていき、共通の暖かな時間が二人を包んだ時、真美は初めて敏夫に心を開いた。それは男性としてであり、今までの真美とは、完全に態度が違っていた。

 真美が敏夫に会いたいと言ってきた時、

「敏夫さんを、本当のお父さんじゃないかなって思ってたんだけど、私の思い過ごしだったみたい」

「どうしてなんだい?」

「私には分かるの。敏夫さんが、私を父親として見ているわけではないということが。そして私も敏夫さんを父親だと思って見ると、その先に見えてくるはずのお母さんを感じないの」

「じゃあ、いつだったら、お母さんを感じるんだい?」

「お母さんは、いつも一人だった。本当のお母さんは、今のお母さんとは違う人だって分かっているつもりなんだけど、敏夫さんに抱かれた時に、その先に見えたのが、今のお母さんだったの。その時のお母さんの顔、とても寂しそうだった」

「寂しそうというのは?」

「まるで私が、遠くに行ってしまうのを見透かされた気がしたの」

「遠くに行くのかい?」

「いいえ、私が敏夫さんに抱かれた時、お母さんは悲しそうな顔をしたの。まるで私と永遠の別れを感じているような……。それでいて、私に対して、遠くを見るような、まるで他人を見るような冷たい目をしたの。あれは、嫉妬の目だって、すぐに分かったわ」

 その時、敏夫は真美がいう「生みの親」というのが、朝子ではないかと気が付いた。分かっていたような気がしたが、確証があったわけではない。だが、嫉妬という言葉を聞いた時、朝子という女性は嫉妬深い女性であることを思い出したのだ。

 その点では、美沙は従順で、嫉妬深さは雰囲気からは感じられなかった。それだけに、好きになった人を殺したくなるという感覚が分からなかった。相手が何か自分に対して嫉妬させるようなことをしたのであればまだ分かるが、何もないのに、ただ漠然と殺したくなるという心境は合点がいかない。

――嫉妬深い人間になりたくないという気持ちが強すぎるのだろうか?

 気持ちの反動を感じる。反動という意味では、美沙も真美も、そして朝子にも、それぞれに反動のようなものがあったような気がする。

――俺の関わる女性は、何か反動を強く持った人ばかりなのだろうか?

 敏夫自身、反動をいくつも抱えている気がしていた。しかし、抱えている反動を意識しないようにしているのも事実で、学生の頃は、一つ一つ真剣に考えて、解決していこうと考えていたが、いつの間にか、感覚がマヒしてしまって、なるべく反動を感じないようにしようと思うようになった。

 それなのに、いつも気持ちの中で何かに反発している気持ちになっている。正義感を持っているつもりでいるが、実際は自分に都合のいい正義感であり、自分に反発しようとする人は、皆自分の敵である。

 敏夫の反発は、反動ではない。反動は自分の意識に関わらず起こるもので、なるべくならまわりに知られたくないと思って隠そうとするものだ。しかし、反発は何か気に入らないことがあって、それに対しての反発なので、表に出そうという意識が強い。今まで敏夫に寄ってきた人たちは、それを自分が考えている反動と同じようなものだと考えていたのかも知れない。だが実際に違うことに気付き、敏夫から去っていく。

 敏夫が自分のまわりから去っていく人の気持ちを分かりかねるのは、反発を受け入れられないと思っているからで、敏夫は反発していることを、自分の中で正当化しようとする。正当化は認められるものだと思っていない。認められないから反発するのだ。反発心は自分の力だという気持ちを持つことで敏夫は正当化しょうとしているのだ。

 反動が自然の力なら、反発も同じく自然の力だ。反動もまったく意識していないわけではない場合がある。それは、相手の反発に対して反動を起こす場合である。

 敏夫には、反発があるからと言って反動がないわけではない。他の人と同じように反動がある。必要以上に壁を感じると、そこに反発があることを意識させられるというのも無理のないことだ。

 反動同士が共鳴し合うことはない。反動とは、それぞれの起こした現象に対しての反動であって、感情の籠ったものではない。しかし、反発は内に籠めたるものであっても、外に出て行こうとすう「意志」が働いているものだ。その人に意志があるのだから、相手にもそれが分かる。したがって、反発同士がぶつかり合えば、当然、共鳴もありうるというものである。

 共鳴し合うと、相手の気持ちも分かってくる。相手の気持ちが分かってくると、お互いに刺激し合い、一足す一が、二ではなく、三にも四にもなるというものだ。誤解されないように言いたいことは、これはあくまで集団意識の成せる業ではなく、個人と個人の気持ちのぶつかり合いが、大きなエネルギーを生むことになるのである、

 敏夫は朝子に会ってみたいと思った。今さら朝子に会ったからと言って、真美を取り巻く現状が分かるというだけで、分かったことが自分のためにどれだけのことになるというのだろう。

 マイナス面が大きいかも知れない。現状を知ることで、実際に取り巻いている環境が自分に与えるショックが想像以上になるかも知れない。

――立ち直れないほどのショック――

 思い浮かべるといくらでも想像できそうだ。

 その中にこそ真実はある。だが、真実の中に、事実があるとは限らない。

 それは自分が考えている理屈が、そのまま結果として現れるわけではないということだ。

――真実は、人それぞれにあってもいい――

 というのが、敏夫の考え方だった。

 この考え方は、朝子は分かってくれていたが、美沙には分からなかったようだ。

 だからと言って、美沙が現実的な人間で、事実だけを見ている女というわけではなかったのだ。

 美沙は逆に理想を追いかけるような女だった。

 その理想は、敏夫の中にある考え方をはるかに超越しているところがあった。夢と現実が交錯する中、迷わず夢を追いかけている。

 ただ、その中で道を踏み外すようなことはしない。

――道とは何か?

 それは、一般的に言われるような、

「人の道に外れるようなこと」

 といった漠然としたものではない。

「少なくとも人に迷惑を掛けなければ、道を踏み外したことにならない」

 という人もいれば、もっと現実的に、

「法を犯したり、倫理に反したりしなければいい」

 という人もいるだろう。

 だが、美沙の場合は、そんな漠然としたものではなく、

「自分の考えた理想から、外れなければいい」

 ということを、敏夫は考えていた。その一番の理由は、

――美沙が自分の考えた理想から外れるところを想像することができないからだ――

 という気持ちが強いからだ。

 想像だけの世界で、「道を説く」というのは、危険な発想なのかも知れないが、敏夫と美沙の間ではそれでよかったのだ。

 そのまま二人は愛し合った。美沙のそんな姿を見て、敏夫は美沙に対して目がくらんだのかも知れない。

 美沙を知るまでは、本当は朝子を愛していたはずだった。美沙を目の前にして、美沙を知り、美沙を愛してしまった敏夫には、もう朝子を見る心の余裕などなかったのである。

――心の余裕など、いらない――

 美沙を愛している時の敏夫の気持ちには、「遊びの部分」などまったくなかった。大げさな言い方をすれば、

――全身全霊を傾けて、美沙を愛していた――

 ということができるだろう。

 だが、その時、朝子はどうだったのだろう?

 妹に愛する男を取られて、黙って見ていたのだろうか?

 朝子にも、

――好きになった人を殺したくなる――

 という気持ちがあったはずだ。

 それよりも愛してしまった美沙から、

――好きになった人を殺したくなる――

 という言葉を聞かされて、驚いてしまった。

 まるで金縛りに遭ったかのように身動きが取れなくなり、

――こんな女を愛してしまったんだ――

 と感じたが、後の祭りだった。

 だが、裏を返せば、それだけ自分を愛してくれているということ、その時の敏夫は、それ以上のことを考えないようにしようと思った。

 その時の敏夫には、裏表がなかった。いつもは裏表を持っていて、何かあれば、裏の自分が表に出てきて、危険なことからは逃れることができた。そして、

――これが俺の生き方なんだ――

 と思うようになっていた。

 自分の生き方に裏表があるということを知ったのは、美沙と付き合っていて、

――恐ろしい女だ――

 と思ったこの時だった。

 この時は、逃れることのできない自分の運命というものを初めて恐ろしいと感じた。逃げようとしても逃げ道が見えなかったからだ。いつもは、先の先くらいまでは見えていると思っていた目の前の道が、急に見えなくなったのだ。

――分岐点も見えていたような気がする――

 分岐点のどちらに行けばいいかというのも、すぐに分かった。キチンと矢印がついていたからだ。もし、今目の前が開けたその瞬間、分岐点が見えたとしても、そこには矢印などついていないに違いない。もしついていたとしても、矢印通りに進むだけの度胸は、その時の敏夫にはなかったのだ。

――どうして、美沙のことがこんなに恐ろしいのだろう?

 と、考えるようになった。

 その答えがある程度見えてきた時、美沙は自分の前から消えていた。

 美沙の恐ろしさは、真実が美沙の中になかったからだ。

――あるのに、見えないだけなのかも知れない――

 と思うようになって、少し美沙に対しての恐ろしさが溶けてきたように思えた。

――真実のない人間なんて、いやしないんだ――

 と、敏夫は思っている。

 美沙の中にある真実には、事実が含まれていないような気がしてならない。だから、敏夫には美沙の中にある真実が見つからなかったのだ。

 真実を見つけることのできない人間と一緒にいることほど恐ろしいことはない。しかも美沙自身も自分の真実に気付いていなかったのだ。

 それは当然かも知れない。

――美沙自身が真実――

 この思いを敏夫は、今ならハッキリと知ることができる。

 朝子も美沙ほどハッキリとしていないが、美沙のようなところがあった。

 敏夫が最初に朝子に惹かれたのはそこだったはずだ。朝子にも自分の真実を分かりかねているところがあった。美沙と違って、現実的なところのある朝子は、自分の真実という考えを持っていながら、先にどうしても事実から真実を見てしまおうとする性格であった。そのことから、朝子の横にいる美沙が眩しすぎて、自分を見失ってしまうほどになったとしても無理もないことだったのかも知れない。

「私、男性とまともに付き合ったこと、なかった気がするわ」

 と、知り合ってすぐの頃、美沙が言っていた。付き合い始めだったので、まさか、自分の想像をはるかに超えるほどの真実を持った女性だとは思いもしなかったことで、最初は信じられなかったが、付き合ってみるとよく分かった。

――俺もよく、自分の真実を取り戻せたものだ――

 美沙と一緒にいると、自分の真実を見失うだけならいいが、どこかに置き忘れてしまいかねない。それがなかっただけでもよかったのだろう。最後はたぶん悲惨な結末だったはずだ。

「美沙はこの世にもういない」

 と言われたとしても、ショックはあるが、信じられないとは思わない。

 むしろ、自分の前から消えてしまった美沙は、すでに自分の中では、

――この世の人ではない――

 と思えてならないくらいだった。

 美沙がこの世の人ではないと感じた時、敏夫には、真美の本当の父親も、すでにこの世にいないのではないかと思えてきた。

――美沙に殺された?

 真美が一人ぼっちでどうしていいか分からないと思っている時、直感だったのだが、

――この娘は本当に孤独なんだな――

 と感じた。

 それは父親も母親も知らずに育ったという過去を聞いた時、なるほどと感じたことで、すぐに、孤独の理由が分かったような気がして、それ以上深く考えることはなかったのだった。

 だが、真美を抱いているうちに、真美の中にどうしても入り込めないところがあるのを感じ、真美を愛してしまったことを、後悔したくらいだった。それは恐怖と不安を感じたことで、真美と出会ってしまったことさえ公開に値すると思ったからだ。

 ただ、美沙が本当に真美の父親を殺したのかどうか、疑問も残っていた。そこに朝子が介入していないかどうか、それが気になったからだ。

 朝子が真美の「生みの親」として、真美を育てていることが、敏夫にはどうしても合点がいかないことだった。確かに美沙が死んだのだとすれば、朝子が真美を引き取ったとしても、そこに疑問は感じられない。

 それを、真美に対して、

――どうして、真美に対して自分が生みの親にならなければいけないんだ?

 と考えると、真美に対してなのか、美沙に対してなのか、あるいは、真美の父親に対してなのか、誰かに対して、一生掛かっても償いきれないと思えるほどの何かが、そこに存在しているのではないかと、敏夫には思えた。

 美沙と、朝子と、真美の父親の間に、他の人の知らない一つの共有した真実があるのではないだろうか。その真実は当事者、あるいは、何も知らないであろう真美に対して絶対的な事実であり、覆すことのできないものであり、そこまで分かってくると、自分の今の心境を顧みるに至った……。

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