第53話 再会

 

「……え」


 僕の隣から微かに出た黒木さんの声。

 横を見れば目を見開いて驚いた顔を黒木さんは浮かべていた。


「……どう、して」

「久しぶりね……みさき


 僕たちの方へやって来たのは美沙子さん。黒木さんのお母さんだ。


 先程の見回りの最中、学校へ着いたとの連絡があった。

 僕はつい先程由花にメッセージを送るのと同時に、僕たちがいる場所を美沙子さんへも送ったのである。


「お母……さん?」

「ええ、こうして会うのは六年ぶりかしらね」


 寂しげに笑う美沙子さんに対して、何が起きているのかとわからない表情をする黒木さんは僕の方を見る。


「ごめん、黒木さん。僕が呼んだんだ」


 その言葉に美沙子さんは頷く。


「どう……して、要……くん。私、お母さんには」

「勝手な事して、ごめん」


 今にも泣いてしまいそうな黒木さんに僕は頭を下げる。


 もう二度とそんな顔はさせない。そう決めたのに、またこんな表情をさせてしまう。

 それは分かっていた事だったけど、直面してみると心が痛む。

 文化祭が終わっても、今の関係を続ける。さっきそう言ったばかりだけど、もしかしたら僕は黒木さんに嫌われてしまうかもしれない。

 それでも、このままではいけないと黒木さんから話しを聞いてから、ずっと考えていた。


「……っ!」

「黒木さん!」


 僕はこの場を離れようとした黒木さんの手をすぐさま掴む。


 ここで手を払われてしまえば、もう二度とこの二人は本当に会わないかもしれない。

 本当は互いに会いたいのに、お互いの気持ちを決めつけて。

 その気になれば、会える距離にいるのに……。

 そんなのは駄目だ。

 生きているのに、大切な時間を作れるのに、それを拒むのは……本当に悲しい事だ。


「黒木さん、僕はちゃんとお母さんと話すべきだと思う」

「でも……、私」

「黒木さんが本当に思っている事。しっかりと伝えるべきだよ」


 黒木さんは僕の声を聞いて、こちらへと向き直る。


「……でも、」

「要くん」


 僕と黒木さんの様子を見ていた美沙子さんが口を開く。


「ここからは私が話すわ。お母さんとして、聞いて欲しい事があるの。もちろん要くんにも」


 僕は黒木さんの手を取ったまま、美沙子さんへと頷き返す。


「黒木さん、僕も一緒にいるから。お母さんの話し聞いてみない?」

「……うん」

「ありがとう」


 首を縦に振ってくれた黒木さんに僕は精一杯の笑顔で応える。


「……岬。まず、ごめんなさい」

「!」


 最初の一言で美沙子さんは黒木さんへ謝罪を述べた。

 それには僕も黒木さんも驚く。


「お母さん、あの時岬に酷いことを言ってしまった。母親としてやってはいけない事をしてしまったわ。ずっと考えていたの。大切な娘に言ってしまったことを、だから臆病になっていたの。岬が会わないって言うことを理由にね。……あなたに会うのが怖かった」


 美沙子さんから告げられた黒木さんへの謝罪。

 美沙子さんもまた、黒木さん同様の事を抱えていたようだった。


「でも、玲ちゃんから岬の担任になったと話しを聞くようになって。岬が成長している事を聞いて嬉しかった。でも、玲ちゃんはいつも岬の友達の話しをしなかったわ。……たぶん、私のせいね」


 隣で小さく首を振る黒木さん。


 彼女は当時の事が原因で、周りとの接触を断つようになった。それは自分が望んだことだから、お母さんのせいじゃない。

 そう言いたかったのだろう。


「でも、あんな事がなかったら岬は今も笑顔で学校生活を楽しんでいてくれたんじゃないかってずっと後悔していたの」


 僕は子供の頃の黒木さんを知らない。

 それでも、今の言葉から黒木さんの事をずっと母親として想い続けていた事が十分に伝わった。


「だからね。玲ちゃんから要くんの、友達の話しを聞けた時はすごく嬉しかった」


 美沙子さんの視線が僕に向いられる。


「しかも、その相手が男の子。岬の為を想って行動してくれているのが話だけで伝わったわ。要くん、本当にありがとう」

「そんな、僕の方はなにも」


 そう直接言われると、なんだか照れる。

 隣にいる黒木さんも頬を赤くしながら小さく笑った。


「だから、岬が前に進めたんだとそう思ってた。けど要くんから話しを聞いた時。実際は変わってない。環境が変わっても岬自身が完全に変われていない事を知ったの」


 文化祭へ来る事を美沙子さんに説得した時のことを思い出す。


「もう取り返しのつかない事だってわかってる。でも、私があなたの事を愛しているのは本当よ。岬は私の娘だもの」

「……お母、さん」


 黒木さんの声が震える。

 目元から少しずつ涙が溢れ出した。


「私……も。ごめん、なさい」

「! 岬が謝る事じゃないのよ。全部私が」


 それに対して激しく黒木さんは首を振る。


「私……、お母さんに嫌われたと、思って。ずっと、会いたかったけど、傷つけたくないって、だからっ」


 空いた方の手で、必死に涙を拭いながら伝えたい事を口にする黒木さん。

 すぐにでも慰めたいけど、今は黙って見ていることしかできない。


 僕は、ゆっくりと手を離した。


「要くん……」


 そして優しく背中を押す。


「頑張って伝えよう。お母さんに言いたかった事」

「……うん!」


 そして、黒木さんは僕の元を離れてお母さんへ駆け寄り抱きついた。


「私、お母さんが好き。大好き! もう一緒には暮らせないけど……お母さんとこれからも会いたい。会いたいよ」

「岬……っ。ごめんね、本当にごめんね。辛い思いばかりさせて」


 そんな二人を見て、僕は静かにゆっくりとこの場を後にした。

 もう、僕がいなくても大丈夫だ。

 言葉足らずであっても通じ合う、それが親子なのだから。

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