鬼の足音

kou

第1話 消し忘れたタバコ

 空は淡い青色に包まれ、そこには雲一つない晴天が広がっていた。

 早春の柔らかな風によって、花々の香りが漂って来る。

 その地の一角には桜の木があり、満開の花が風に揺れている。桜の花びらが舞い落ち、地面を彩る様子はまるで花雨が降り注いでいるかのよう。

 また、近くには小さな池があり、その水面には透き通った水が揺れていた。

 水面に映る青空や桜の花々は、まるで二重の美しさを持っているかのように思えた。

 素敵な景色は、この場にいる全ての者の心を癒すように感じられた。

 そう。

 そこが、石が連なる場所――墓所だと知らなければ。

 墓地は緑豊かな木々に囲まれ、穏やかな雰囲気が漂っていた。

 墓地の細道を一人の青年が歩いていた。

 20代半ば。

 背は高く細身で、髪の色は黒色をしている。

 黒いスラックスに黒いインナーに黒いジャケットを羽織っている。

 顔立ちは非常に整っており、美男子と言って差し支えないだろう。

 だが、どこか暗い影を感じさせる表情をしていた。

 名前を、九条くじょう真也しんやといった。

 墓地の静けさと美しさは、真也の心から何かを奪っていくような気がした。

 真也にとってこの場所に来ることは、何度目だろうか。

 四十九日法要後に納骨を済ませて以来、月命日ごとに墓参りに来ているはずだ。

 しかし、その回数も既に両手では数えきれないほどになっていた。

 それは、その人が亡くなって1年以上が過ぎたことを意味していた。

 真也は墓の前に立つと、花束を供えて手を合わせる。

(佳奈……)

 霊標に彫られている名前は、間宮まみや佳奈かな

 真也の恋人であり、結婚を考えていた女性だ。

 真也は目を瞑りながら、思い返す。

 1年前のあの日のことを。

 二人は連休を利用しての小旅行に出かけた。

 出かける前に佳奈の実家に立ち寄って、佳奈が両親に、お土産を買ってくることを約束すると、彼女の両親は嬉しそうな笑顔を見せた。

 両親に認められた公認の交際で、佳奈の両親に真也は好印象を持たれており、今回の小旅行にも快く送り出してくれたのだ。

 そして、2人は楽しい時間を過ごした。

 観光地を巡り、美味しい料理を食べ、夜景を見て……。

 2人の思い出となるものは沢山あった。

 幸せな時間がずっと続くものだと思っていた。

 ……そう思っていた。

 就寝中に旅館の火災に気づかず、彼女を助けられなかった。

 原因は、他の宿泊客の消し忘れたタバコだったらしい。

 後悔が真也を襲う。

 佳奈が亡くなった後、真也は自分の無力さを呪った。

 自分の弱さが彼女を死に追いやったのではないかと。

 自分が強ければ、彼女は助かったのではないかと。

 自分のせいで彼女が死んだのではないかと。

 なぜ、どうして?

 という佳奈の両親の問いと叱責に真也は弁解しななかった。

 何も言わずにただひたすら謝ることしかできなかった。

 それから、真也は自分を責め続けた。

 だが、こうして月命日は真也が、墓参りに来ていることを知った佳奈の両親は、感情をなだめて真也に声をかけてくれるようになった。

 真也が火傷を負って佳奈を連れ出してくれたことに、感謝を伝えてきた時は本当に申し訳なく思った。

 真也は、目の前の墓に話しかけるように語りかけた。

「佳奈……。会いたいよ」

 その言葉は風に乗り、どこかへと消えていく。

 真也は立ち上がり、来た道を引き返そうとする。

 すると、細道の先に中年の男女が居た。

 佳奈の両親だった。


 ◆


 真也は佳奈の実家に迎えられていた。

 地方の田舎にある小さな一軒家。

 周囲には田園風景が広がり、遠くには山が見える。

 佳奈の母親は、お茶を出してくれる。

 佳奈の父親は真也に声をかける。

「足を崩して楽にしてくれ」

 彼は、真也に勧める。

 しかし、真也は首を横に振ったまま正座を崩さなかった。

 その様子を見て佳奈の父親は、納得するようにうなずくと口を開いた。

「遠くから来てくれて、佳奈も喜んでいるだろう」

 彼の声音は優しかった。

 だが、真也はうつむいたままだった。

 そんな真也に対して、佳奈の父親が優しく問いかける。それは、真也にとって救いの言葉のように感じられた。

「君は、まだ……?」

 彼が何を言おうとしているのか、真也は理解できた。

 真也は黙っていた。

 すると、真也の態度を見た佳奈の母親が言葉を紡ぐ。

「真也君。佳奈のことを想ってくれて、ありがとう。でもね、もういいのよ。二人は結婚していた訳じゃないんだし。あなたも若いんだから」

 佳奈の母親の声は、どこか寂しげで、諦めのような感情が込められていた。

 真也は、その声を聞いて顔を上げる。

 佳奈の両親は、優しい表情をしていた。

 それはまるで、真也を励ますかのようだった。

 しかし、真也はその優しさに甘えることはできなかった。

「僕は……。佳奈さんを守れなかった罪を一生背負っていきます」

 真也は、佳奈の両親に向かって言い放つ。

 その目は決意に満ちた瞳をしており、強い意志を感じさせるものだった。

 真也は、自分の意思を変えるつもりはなかった。

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