第2話 学校へ

 綾人は幼い時から執事として仕込まれていた。身につけた能力は多岐にわたり、紅茶のいれ方から護身術まで様々だ。


 ――七時過ぎ。


 綾人はそんな執事の仕事を一旦終えた。この後は高校生の九条綾人として日中を過ごす。


「綾人さん、お疲れ様です!」


「あぁ、お疲れナターシャも頑張って」


 彼女は雪乃ナターリア。ロシア人と日本人のハーフだ。プラチナブロンドの髪に青色の目と日本人離れした顔立ちの女子である。

 年齢的には綾人とおなじ高校一年生だが通信制高校に通っており、有栖川家のメイドとして働く事を優先にしているらしい。

 ちなみに、本名はナターリアでありナターシャはあだ名だ。本人の意向でそう呼んでいた。


「綾人さん! 高校、楽しいですか?」


「まぁ、悪くないよ。でも俺は高校に行っている目的がみんなと違うから楽しいとかは特にないかな……」


 実は、綾人は勉学のために高校に通っている訳では無い。ナターシャのように通信制高校にして執事の仕事を優先にしないのは、旦那様からの要望が関係していた。


「毎日、お嬢様の身になにも起きないかヒヤヒヤだよ」


 その要望とは、お嬢様と同じ高校に通い危険を排除してくれという内容だ。

 学校内には直接使用人を入れる事が出来ない。そのため綾人が高校に入学して、お嬢様を守るという手段が取られた。

 そのミッションをこなすため、中学からお嬢様と同じ学校に通っている。中高大一貫の私立高校であるが、幸い勉強は苦手ではなかったので中学の入学試験を突破できた。 


「綾人さん真面目ですね……」


「まぁ、お嬢様の執事として働くことは楽しいからな……そういう意味では高校でもお嬢様の執事としていられて楽しいっちゃ楽しいよ」


「あれ? でも高校だとお嬢様と綾人さんは他人のフリしてるって聞いたんですけど……それでも楽しいんですか?」


「もちろん、直接では無くても嬢様を守るっていう、立派な執事の仕事だしな」


「なるほど! ……ところで、なんで他人のフリなんかしているんですか?」


「あー……お嬢様には充実した学校生活をして欲しいんだよ。常に執事が隣にいたら近付きがたいし浮くだろ」


 お嬢様には学校生活を楽しんでほしい。恐らくお嬢様は大人になったら社長令嬢という肩書きのせいで、今よりも大変な思いをするのだろう。なら僅かな十代と二十代前半だけでも楽しんで欲しいものだ。放課後に友達と遊んだり、少し複雑ではあるが恋人とかが出来ても良いだろう。それが専属執事としての希望だった


「それに、俺が目立つの嫌いだし。お嬢様の執事とかいやでも注目浴びるだろ」


「まぁ、そうなんですけど……」


 ナターシャがこちらを一瞥して唸り声をあげた。


「うーん……。だからってそんな冴えない見た目で学校行く必要ありますか?」


 高校での綾人は、The普通の男子高校生という感じだった。一回見ただけではとてもでは無いが覚えられないような。

 執事として御屋敷で働いている時は、お嬢様の隣に立つので身だしなみもキッチリとする。前髪を上げているし、姿勢もしっかりとする。

 しかし、高校にいる間は前髪を下ろしている。それに、普段はしない伊達メガネもして影を薄くしている。


「冴えない見た目にすればするほど、お嬢様と関わりがないと思われるだろ」


 執事は何があろうとミスをしては行けない。

 なぜなら、それがどんなミスであれ、ミスである以上、お嬢様の完璧な生活の障壁となるからだ。

 そのため極限まで突き詰める必要がある。ミスした時のリカバリーではなく、ミスをしない工夫に全力を注がなければならない。

 その結果が今の綾人の見た目である。


「――じゃあ、そろそろ行ってくるわ」


「はい、行ってらっしゃいませ!」


 綾人は門に向かい歩いていく。


 それを見送るナターシャは納得できなそうな顔を浮かべた。


「はぁ……執事の時の綾人さん、めちゃくちゃかっこいいのになぁ……。もったいないなぁ」


 ナターシャの漏らした嘆息と声は誰の耳にも届かないまま空気の中に消える。


 ――七時十分、綾人は御屋敷を出た。


 ***

 

 ――八時、教室。


 四〇人クラスだがまだ教室には半分もいない。それもそのはずで、八時半までに登校していれば良いところ、現在八時だ。わざわざ三十分前に来る生徒は少ない。


「おっ!おはよう綾人」


「おはよう涼介……」


「ったく、今日もシケたツラしてんなぁ」


 そう声をかけてきた人物は指原涼介だった。ちょうど今教室に着いたらしい。

 涼介とは中学からの付き合いで、親友と呼べる人物でもある。行動がアホではあるものの、一応進学校に通っている生徒だ。勉強は普通以上にできる。


「――おい! 綾人廊下見ろ!」


 突然、涼介が小声で耳打ちをしてきた。そして廊下に指を向ける。

 その指の先では、お嬢様が廊下を華麗に歩いている様子があった。今登校してきたのだろう。


「……」


 思わず息を飲んだ。

 ただ廊下を歩いているだけの日常的な行動。にもかかわらず、あまりの美しさに、見ていると心が揺れ動いた。

 ゆったりと腰まで流れた黒い髪、薄紫色の瞳、全てが妖艶な乙女だった。この人のためなら人生を捧げて良いと思えるカリスマ性を持っている。

 

「有栖川さんって……俺らとは生物としての格が違うよな」

 

「そうだな……」


 お嬢様の執事である事は親友の涼介にさえ教えていない。絶対に卒業まで隠し通さなければ行けない秘密である。


「あぁーあ! 俺も有栖川さんと同じクラスが良かったなぁ」


 すごく残念だという様子で嘆いた。実際、同じクラスになったところでろくに喋れないであろうが。


「有栖川さんって、可愛いとか美しいとかじゃ言い表せない凄みがあるよな」


「あぁー、なんかわかるかもな」


「それに比べてお前はそんな見た目しやがって……! もうちょいシャキッとしろ!」


「……だまっとけ」


「だまっとけって、ひどくない?」


 酷いのはどう考えても涼介だ。しかしあえて口には出さなかった。涼介と会話する時は自分が大人になると話が円滑に進む。これは中学校三年間で学んだことの一つだ。

 

 ――八時、三十五分。SHRを告げるチャイムが校内になり響いた。

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