35「気付くこと、気付かせること、それが“仕掛け”」

 エリートは悩んでいた。


 全系を除いて高設定が散らされている状況。やや台番号の若い方が強い印象だが、それが並びという訳でもなく、機種や列ごとに当たりが1台という風にも見えない。


 台番号の末尾では奇数が強いように見えるが、1番台は見るに堪えない下降線をたどり、一方の2番台はゴリゴリの6挙動で否定しようが無い。


 そもそも奇数が全て当たりだったら機械割的にも風景としてもとんでもない状況になる。奇数が全設定456というのも否定はできないが、ハズレと思われる奇数の台にいいところが見えない。


 それに「はい奇数でした」というような短絡的な仕掛けを、あの副店長がしてくるとも思えない。信頼しすぎかもしれないが、昨日の瀬戸口のメッセージもあって今日だけは強い根拠に置きたい。


 そんな満遍なく高設定が散らされたように見える状況でバラエティコーナーに当たりが見えない一帯があり、そこでエリートは台番末尾が奇数の台を一つ一つ、データや履歴を確認していた。


 まだそれ程回されていないノーマル機、履歴からまだ見限ることはできないART機やAT機など候補はある。


 しかし『何となくありそう』というだけで打つにはあまりにも根拠が薄く、耕すにしても対象があやふやで多過ぎる。


 そして実質的に単品を探すというのも自殺行為で、少なくとも今までのエリートたちの選択肢ではあり得ない。


(それでも、今日ばかりは耕していくべきか?)


 エリートが覚悟を決めて候補のうちの1台に座ろうとして椅子に手をかけた時、その腕をヲタにつかまれた。


「待て、見て欲しいものがある」


 先程までとは違うヲタの上気した口調を聞いた瞬間、エリートは彼が何かをつかんだということを確信した。


 


「これを見てくれ」


 2人は一旦パチスロの島から離れ、壁際の休憩スペースで互いにスマホをいじっていた。


 ヲタが見せてきた画面には台番号の数字が羅列されている。


 エリートはそれを見てうなずくとホールの公開データを確認していく。


「どうだ?」


「──間違いない、と思う。念のためキャバにも聞こう」


 エリートはラインでメッセージを送り、キャバの返事を待つ。


 少しの間を置いてキャバはURLのリンク付きメッセージを返してきた。


 そのリンク先は、ホールが朝にアップしていたツイッター。


 


『本日はグランドリニューアル2日目! 昨日はたくさんのお客様の笑顔をいただき、当店も大満足です。昨日のスーパーな景色に負けないよう、今日はパワーアップしたプライムな姿をお見せできればと従業員一同お待ちしております!』


 


 そして、メッセージにはこう書かれていた。


 


  キャバ『ヲタくん大正解じゃない? プライムは英語で"prime"、"prime number"って訳したら“素数”だよ♪』


 


 それを見た瞬間、エリートとヲタは顔を見合わせて互いの拳を突き合わせた。


 


 2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97, 101, 103, 107, 109, 113, 127, 131, 137, 139, 149, 151, 157, 163, 167, 173, 179, 181, 191, 193, 197, 199, 211, 223, 227, 229, 233, 239, 241, 251, 257, 263, 269, 271, 277, 281, 283, 293.


 


 300台のパチスロの中で、62台。


 およそ5分の1を占める素数番号の台の機械割が仮に全て115%、残りが98%だとして、ならすと100%を少し超えるくらいで収まる。


 それに全系の分やジャグ系など少しは甘くしてあるだろう分を加えると、おそらく交換ギャップを加味した分岐営業のラインになるだろう。


 感覚的に若い台番号が強く見えたのも、不規則に見えた中に規則性があったのも、これなら納得がいく。


 そして、もう一つ。


 あの真面目で緻密な計算が得意そうな副店長が、瀬戸口に代わって何かを仕掛けるとしていかにもやりそうなことだった。


 


 エリートとヲタは立ち上がると二手に分かれ、はやる気持ちを抑えて歩きながら空台の台番号を確認していく。


 エリートが押さえたのはバラエティコーナーで運よく空いていたオリ平の猪木。


 そしてヲタは──


「番長3に空きがあったんだけど、こっち打っていいか?」


 エリートを呼んで指さした台は、ハナハナ鳳凰だった。深いハマりを喰らって誰にも打たれずに放置されている。


 ヲタの言いたいことは分かった。割の高さより好きな台を選んで打っていいか、という意味だ。それは尋ね方でも分かるし、いつにない目を輝かせた表情からもすぐに読み取ることができた。


「もちろん、それくらいは今日は許されるさ。それに突破口を開いたのはヲタ、君だ」


「ありがとう。それともう一つ頼みがある」


 ヲタはエリートに何かを耳打ちする。エリートはそれを聞いて驚いたが、拒絶することは無かった。


「いいだろう。僕たちはしょせんビジターだしな」


 エリートはヲタの背中を強く叩く。


「その代わり、勝てよ」


「当然だ」


 エリートの激励にヲタは力強く答えた。


 


 副店長は、監視カメラのモニター越しにその異変に気付いた。


 ヲタが通路を歩きながら何人かの打ち手に声をかけている。


 それはホール側も承知している地元系の専業であったり、仕事帰りや週末にだけ見かける常連であったり、なぜかパチスロ島に迷い込んでしまった老人だったり。


 彼らの誰もが、まだ空き台だった高設定の台を埋めていく。


 そして、結果的にキャバ、エリート、ヲタの3人とも正解にたどり着いているのだった。


 副店長は事務室の電話の受話器を取ると、瀬戸口の携帯に電話をかける。


 警察に出頭しているので出ないかもと思っていたが、数回の呼び出し音で瀬戸口は応答した。


「お疲れ様です。いま大丈夫ですか?」


「ちょっとタバコを吸わせてほしいって抜け出してきたよ。どうだ、そっちの方は?」


「さすがですね、彼らは。おそらく客の中で最初に気付きましたよ」


「ほお、それはそれは。素数なんて分かりにくいの誰も分からずに不発で終わって、お前がヘコむのを楽しみにしてたんだけどな」


「本当に貴方はひどい上司だ。これだけの数があれば不発には終わりませんよ。ただ、この調子だと予定よりは赤が出そうなことはご報告しておきます」


「1日単位の赤なんて、そんなのいちいち伝えないでいい」


「しかし、この店は瀬戸口マネージャーの管轄下ですよ」


「明日からお前が店長だよ。副店長でも店長代理でもなく、これからはお前がトップとして店を回すんだ」


「──!」


「今日の仕掛けから、もうお前と客とのストーリーは始まってるんだ。せいぜい背負うものの苦しみって奴を味わうがいい」


「それは正式な辞令と受け取っていいのですか?」


「もうとっくに上と人事には話を通してあるから、来月頭には辞令が出る。就任していきなり大赤字とか出すなよ?」


「それはありえません、貴方のようなことはしませんから」


「あっはっは、結構結構! じゃあ夕方には店に戻ると思う」


「分かりました、お疲れ様です」


 副店長は通話を終えると静かに受話器を下ろした。


 周囲を見渡して、事務室の外にも人の気配が無いのを確かめる。


 そして


「っし!」


 と声を漏らし、副店長は腰のあたりで拳を握り小さくガッツポーズをした。


 


『ということでfebbrileの人間は素数の台番は打たないこと。むしろその隣で打って適度にお布施しながら、周りで確定画面が出たらSNSに上げまくること。アガリは16時以降、MAX17時。ファン対応を18時まで行って業務終了、夕食は正司で餃子三昧、そのあとは湯元の宿までドライブ。夜のいろは坂をユーロビート全開で楽しむように、以上!』


 ビス子は社内限定のグループラインで業務連絡のメッセージを送り終えると、色打掛の重さで疲れの溜まった肩を自らの手で何度も揉みしだく。


(私もそろそろ演者引退よね。いっそのこと社長も引退して主婦に戻ろうかな。そろそろ反抗期に入りそうな息子の蓮くんとイチャイチャしておきたいし、旦那も主夫はもう飽きてるだろうから攻守交替って感じで)


 ビス子は誰に語ることもないプライベートに思いを巡らせつつ、自分もそろそろ何かを打とうと台を物色し始めた。


 すでに情報が出回り始め、目ぼしい台は埋まり始めている。


 今日はもう高設定を探して打つ必要もなく、その台を幸運なお客様に譲って差し上げる“マムシお呼ばれ”をすることもない。


 たまには趣味打ちで散在するのも悪くないと思い始めると、見慣れた景色も魅力的になってくる。


 そう思いつつ通路を歩いていると、ヲタが誰かと立ち話をしている。


 相手は何度も頭を下げて両手でヲタの右手を握りしめると、涙目でその場を去っていく。


 気のせいかヲタが表情豊かに話しているように見えて、ビス子は興味深く思いヲタに声をかけた。


「なんで泣かしてるんどすか?」


 ヲタはビス子に気付くと律儀に会釈をしてから答える。


「泣かせたわけではないです。感謝されたというか」


 敬語ではあるがスイッチの入った状態のヲタであることにビス子は気付いた。


 テンションが上がるとこうなるのか。普段はハイライトの無い黒目でじっとしんえんを覗いているような落ち着いている目が、光がさしてキラキラと輝いているように変わって見える。


「そらどないな意味で?」


「それは」


 そう尋ねるとヲタが耳を寄せるように手招きする。ビス子は女性にしては元々身長が高く、逆にヲタは低い。さらに高下駄を履いてヲタ見下ろす状態だったので、ビス子は腰を折ってヲタの口元に耳を近づけた。


「…………そんなんどしたか。そらまあ、ええことしたのちゃいますか」


 昨日まで城之内の下で働いていた男に今日の答えを教えてあげた、というヲタの包み隠さぬ話にビス子は感心した。


 彼の中で何かが変わったのだろう。ビス子はふと、自分の息子のことを思い返した。


 青年は大人や親が気付かぬうちに変化し、瞬く間に成長していく。


「すみません、俺もう打ちたいんで」


 ヲタは再び会釈をすると小走りで離れていく。その行き先を見届けると、ハナハナ鳳凰の1台を押さえているようだった。


「ほんまにハナ好きなんどすなあ」


 ビス子はこのままヲタの隣に座ってやろうかとも考えたが、そうすると機嫌を損ねる者もいるかもしれないと気付き、含み笑いをしながら他の台を探し始めた。


 


 


「なるほどね。また若者がまた一歩、階段上っちゃった感じか──っ痛たたた」


「なお君、すこしはじっとしてられないの? あなた、昨日車にかれた人なんですよ」


 浅野はベッドで横になりながらスマホを眺めるのに夢中になって姿勢が崩れ、ろっこつのあたりを押さえた。真由美はあきれた顔でその背中を支える。


 浅野夫妻は大部屋の病室で、周りに気を遣いながら小声で話していた。


 宇都宮市内の病院に急患で運ばれたが、治療や精密検査を経て幸運にも手術の必要もなく今は浅野もベッドに収まっている。


「良かったよなあ。何も考えずに突っ込んだけど、思えば真由美さんを未亡人にするところだったんだよな」


「なお君とキャバちゃんだと赤の他人ならキャバちゃん一択ですけど、私の旦那さんという点でちょっとだけなお君が大事です」


「ちょっとだけかあ」


「2人とも助かって本当に良かったですけどね。ところで、階段を上ったって?」


「彼らに能力があるのは、もう十分に分かってたんだよ。事件じみたものに巻き込んでしまったのは予想外だし、申し訳ないとも思ってるけど」


「そういうのを経験して成長したということなのね」


「大きな人生観という意味ではそうかもしれないし、それが契機だったかもしれないけど、俺が言ってるのは単に立ち回りのことだよ」


「立ち回り?」


「そう、あくまで打ち手としての話さ。3人という必要最低限のグループで立ち向かっていたけど、彼らはあまりにも自分たちだけの力で戦っていた。有能がゆえにそれでどうにかなっていたんだけどね」


 浅野はスマホをサイドテーブルに置いて仰向きになり、天井を眺めながら話し続ける。


「結局は情報戦で数がモノをいう世界だ。どれだけの量の勝ちを求めるかで所帯の大きさは変わってくるが、ネットワークは広ければ広いほどいい。これが単純な相手との金の奪い合いなら彼らのやり方が正解だけど、パチンコ・パチスロはホールという胴元がいて、そこから限られたおこぼれをいただくのが基本構造だからね」


「おこぼれ、ね。なお君がイキってた若い頃はそんな感じじゃなかったけど」


「俺も大人になったんですよ。しょせんはホールとそこで打つ他の客によって生かされてるってね……話を戻すと、ようは魚のいる池、釣れるポイントで竿を垂れないと競い合いにもならない。そういう情報って短期的には独り占めした方が得なんだけど、それを取っ掛かりに人の輪を広げていった方が長期的にはメリットが大きいんだよね。自分だけでは知り得ない情報の仕入れ、ネタの貸し借りってのは、多くの人とつながりを持って信頼されることで可能になってくる。ようは、“持ちつ持たれつ”ってことかな」


「なお君もたまにはいいこというのね。それとも頭打っておかしくなりました? 目の前にいるのはあなたの妻ですよ、覚えてます?」


「今日の真由美さんきっついなあ」


「それはそうです、私を一番大切な人を失った未亡人にするところだったんですから」


「そうだ──俺も彼らを見ていたせいなのか、死にかけたせいなのか分からないんだけど」


 そう言いながら浅野はベッドの脇に置かれた真由美の手の甲に、自分の掌を合わせる。


「子供を作らないか?」


 真由美は思わず浅野を見つめて、それまでの余裕が消えて顔を赤くして黙り込む。


 しかし、その驚きは決して今目の前にいる愛する夫の申し出を拒むものではなかった。


 真由美は添えられた浅野の両手を握り返す。


「嬉しい。ずっと待ってたんですよ」


 その頬には、一筋の涙が伝っていた。

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