22「打ち子組織への潜入」

「そっちはどうだ?」


「……キャバはもう店を見つけて……働き始めてる」


「さすがだな、ヲタの方は?」


「うまく行ってる……と思う……こっちの専業の顔はほとんど覚えた」


「収支は気にするな、情報収集メインで」


「……分かってる」


 東京に残っているエリートは、宇都宮にウィークリーマンションを借りたヲタとラインの通話で話していた。キャバも同じ部屋に滞在している。


「それで……エリートの方は?」


「今リンクを送った。ここから申し込んでみてくれるか」


「……了解」


 メッセージを確認すると、そこにはツイッターのリンクが貼られている。


「くれぐれも慎重に。空振りや身の危険を感じたら、すぐにアカウントを消してSIMも変えてくれ」


「大丈夫だ……東京に出てきてからこういうのは慣れてる」


「済まない、面倒な役割を」


 エリートの気遣いに対し、ヲタは何もいとうことがないといった口ぶりで答えた。


「……俺がやると言った」


 


 


 2人が宇都宮に出発する数日前、都内の喫茶店の個室。


 以前に打ち子をしたこともあり、新たに仕事を頼みたいと言われエリートに呼び出されたショータは、血の気を失った顔で身を震わせていた。


「お、俺、捕まっちゃうんですか……」


「ホールに何もかも見られてるし、顔も割れてる。身元を知っている僕が動けばすぐだろうし、そうでなくても警察次第だろう」


 個室にはエリートとショータの2人。チャージのかかる広めの貸会議室のような空間で、テーブルをはさみ対面していた。


「椿さん、俺のことチクるんですか。あんなに打ち子がんばったのに、勘弁してくださいよ……」


「そうだったら、こうしてわざわざ呼び出したりはしない」


 ショータの懇願にエリートは無表情で答える。


「何もかも話せ。なぜあそこにいたか、誰に何を指示されたのか。そうすれば僕は通報する気はない」


「でもそうしたら俺、もう喰ってけないし、あいつらに何されるか分からないです」


「じゃあ前科持ちになるか。それこそ人生終わるぞ?」


「そ、そんな、俺どうしたら……」


「今が境目だ。日の当たる世界に戻れるか、二度と浮き上がれない闇に落ちるか」


 エリートの詰めに耐えられず、ショータはうつむいたまま息を引きつらせて涙をテーブルにこぼす。


「だって、俺、俺……」


「悪いようにはしない。こっちに戻ってこい、ショータ」


 エリートのわずかに見せた優しさ、それは地獄の亡者の目前にベストなタイミングで垂らされた1本の蜘蛛くもの糸だった。


 


 それはツイッターでよく見かける打ち子募集だった。


 だが他と違ったのは、日当が他と比べて倍近かったこと、目押しなどの条件が無かったことだった。


 そして自分が指示されたのは、早番の抽選券を引き子から回してもらい、どこで手に入れたか分からない大量の台確保券を割の高いメイン機種にばらまいて逃げてくること。


 日当はワゴン車に運ばれ駅で降りるときに渡され、他言した時には住居まで押しかけて殺すと脅された。


 打ち子の場合、免許証のコピーなどを求められることがほとんどで躊躇ためらうことなく提出したが、この時だけは本当に後悔した。ワゴン車に同乗した親らしい男は当たり前のようにサバイバルナイフを懐に差し、車内には金属バットやスタンガンが転がっていた。


 


「あいつら、たぶんヤクザか半グレですよ。バレたら本当に殺される」


 ショータは自白を終えると、泣きじゃくりながら上着の袖で鼻水を何回も拭いていた。


「なぜそんなことを? 打ち子じゃなくてゴトだと途中で分かったろう」


「それは……もうどうにもならなかったんです。最近は打ち子の仕事も減って、エナれる機種も少ないし、一か八かピンでイベント狙ったらスカって生活費溶かしちゃって……家賃も払えないしカードローンも審査通らないし。また近いうちに次の仕事があるって話だったけど、今回もらった金ももう底がついてきたから、椿さんから連絡来た時は嬉しくって俺……」


 堕ちていく人間とはこういうものか。


 能力の無さゆえに貧し、行き場がなく鈍し、口を開けた悪魔の餌食になる。


 だが、金さえ借りることができない状態で闇金や反社に手を出す前に踏みとどまれた今が、ショータにとって最後の救いであろう。


「君や他の打ち子をつるし上げるのが僕の目的ではない。これで当面しのいで関東を出ろ。実家があるなら戻った方がいい」


 そういうとエリートは銀行の封筒をテーブルに置いた。


 ショータは顔色を変えてそれに飛びつくと、封筒の中を覗いてすぐにジーパンの尻ポケットに突っ込んだ。その姿はあまりに浅ましく見るに堪えないものだったが、エリートがそれをとがめることは無かった。


「連絡だけは取れるようにしてくれ。こちらからまだ聞くこともあるし、もし君に身の危険が及ぶことがあれば力になる」


 ショータは涙目のまま何度も首を縦に振る。エリートが話の終わりを告げると周囲をキョロキョロと気にしながら脱兎だっとのごとく喫茶店を出て行った。


 個室に残されたエリートは、テーブルに終始置かれたままだったスマホに顔を近づけた。


「もういいぞ、来てくれ」


 すると、喫茶店内にバラバラで座り、スピーカー状態だったエリートのスマホから全てを聞いていたキャバとヲタが個室に入ってきた。


 エリートがショータを呼び出して話を聞きだすに際し、3人で囲んで極度にプレッシャーをかけるのを避けつつ、トラブルに備えて残り2人が待機することにしていたのだ。


「エリちゃん凄かったわ~刑事とか向いてるんじゃない?」


「……敵に回したくない」


 キャバとヲタは口々に感想を述べながら、席に余裕のある個室の椅子に腰を下ろした。


 エリートは少しきまずそうにしつつスマホの通話ボタンをオフにした。


「人を追い詰めるのは別に好きではない──とにかく、これで一つ突破口が開けた。みどりには、瀬戸口さんと連携するように連絡してある。あと情報どおり、あの店長の素行はすでにある程度つかんでるから、キャバも現地では動きやすいと思う」


「オッケー、きっと派手に遊んでるだろうからすぐに尻尾つかむわ」


「あとはヲタだが──現地で打ちながら情報収集をしてくれれば」


「それだけでいいのか……?」


 エリートのどこかためらい気味な言葉をヲタは聞き逃さなかった。


「俺が思い付くくらいだ……エリートも考えてるだろう」


「いや、それは──」


「俺がその打ち子募集に……潜り込む」


 


 


「俺が……やりたいんだ……もちろんヤバかったら逃げる」


「分かった。では、キャバにもよろしく伝えてくれ」


 ヲタはエリートとの通話を終えると、すぐに送られたメッセージにあるURLのリンクをタップした。ツイッターのアプリが開き、プロフィールに打ち子募集がほのめかされたアカウントが表示される。


 エリートの情報どおりならば、ここにリプを入れると別のSNSに誘導されて話が進んでいくという。あとは行けるところまで中に入り込み、組織や親のことを探ればいい。


 エリートからの連絡が来るまでは、いくつかのホールに通い地元の打ち手たちを見て周っていた。


 しかし、どこに行っても怪しい様子はなく、あの日に不正確保や台を潰した人間は見当たらない。


 専業らしき者が空き台を押さえるような風景は見られたが、マーベラス宇都宮店のグランドオープンの初日に見られたような悪質なものではなかった。


 むしろ、あの時見たのはいわゆる新装プロの類で、平日にも見かけるような地元の専業は押し引きを心得た優秀な打ち手に見えた。


 地元の専業ネットワーク以外で子を雇っているのは、前回のゴトで見かけた打ち手を都内で多く目撃したことで納得がいく。


 東京に出てきて情報弱者をはめる数々の張り巡らされた罠に驚きつつも、それを避けてここまで生きてきた。だからこそ分かる、これが純度百パーセント、真っ黒な世界の入口だと。


 今の自分には仲間がいる、罠だと分かっている、それでもなお高まるどうを感じながら、ヲタはスマホの画面に映るリンクボタンをタップした。


 


 


「ヒマリちゃん、もうすっかり馴染なじんじゃったよね。さすが東京のお店で働いてただけあるわ」


「そんなことないですよ~アタシなんて色んなお店フラフラしてるだけなんで、みなさんのお邪魔をしないようにするだけです」


「でも業界のこと何も知らなかったり、そのくせ勉強する気もなかったりするバイト感覚の女子大生とかより、ヒマリちゃんのような子の方が全然助かるわ。気を遣わないで、ヘルプ以外は指名狙ったり営業掛けたりしていいんだからね」


「ありがとうございます、ほどほどにガンバりま~す」


 宇都宮駅近くのレジャーホテル地下にある高級キャバクラ、そのバックヤードでキャバは新人キャストとして先輩たちと談笑していた。


 都内の繁華街の店と違い、キャストやスタッフはおっとりとしていてギラギラした感じがしない。それは働いてとても過ごしやすく、危うくこのまま腰を据えてもいいと思えるほどだった。


 だが、目的を取り違えるわけにはいかない。裏は取れているので、あとは辛抱強くチャンスを待つだけ。それまでは店の人間に好かれるよう努めるだけだった。


 キャバは会話の合間にスマホを確認した。するとSNSのプッシュ通知があり、画面を開いた。


『そっち行ったと思うよ。たぶん2~30分で着くんじゃないかな』


 何事も無かったかのようにスマホをしまうと、バックヤードで花開く先輩たちの四方山話に加わった。


(さ~て、上手いことやったりますか!)


 キャバは胸の奥でここが勝負所と気を引き締めた。


 


 キャバとヲタが宇都宮に来て間もなく、今から2週間ほど前。


 駅周辺のファミレスでキャバとヲタ、そしてみどりが打ち合わせをしていた。


「寝泊まりは大丈夫? ウィークリーマンションとか決まるまでは、わたしの部屋泊まってもいいよ。あ、狭くて汚いからそれは伊吹イブにはナイショね」


伊吹イブ……慣れない」


「でもエリちゃんがキラキラネームって案外ハマってるかも」


「昔から気にしてるから、本人の前では触れないであげて」


「気にしちゃってるのか、エリちゃんもカワイイな~」


 常にぜんとした言動をするエリートが赤面する姿を想像して、キャバは思わずニヤけ顔になった。


「で、本題なのだけど」


 みどりは自分のスマホをテーブルの上に置き、2人に画面を見せた。


 そこには、小太りでよれたスーツを着た男の写真が映し出されていた。


「これがあのお店の店長で、名前は神内。そっちで話が通ってると思うけど、今回の件で限りなく黒な奴ね。ちなみに、わたしが清掃の仕事で店に出入りした時に話とかしたけど、残念な奴だったかな。小物と言うか、俗物と言うか、とにかく残念系」


「残念……」


「わかるわ~何で今の地位にいて金も持ってるのか分からない、残念系オヤジね」


「瀬戸口さんとか副店長とかお店のスタッフに聞いたんだけど、この店長って金遣いが荒いらしくてね。特に夜の街で見栄を張って豪遊する性癖があるらしいの。借金もあるとかないとか」


 それを聞いて、キャバは目をぱっと見開いた。


「ほ~、香ばしくなってきた!」


「喰い付くと思った。それで、伊吹イブにも頼まれてたし瀬戸口さんや副店長も便宜を図ってくれたから、店長が退勤した後を何回か尾行してみたの。原付で車の後を追うとか、探偵みたいで興奮しちゃったわ。その結果、残念店長が最近ご執心のお店がココ」


 そう言うとみどりはスマホの画面をブラウザに切り替えて、キャバクラのホームページを開いて見せた。


「軽く調べたけど、この辺じゃ一番高い店かも。わたしはくわしくないんだけど」


「高いって言ってもキャバクラですから。クラブとかだったらアタシじゃ手を出せないし、ちょうどいいかな」


「手を出すって……キャバ?」


 ヲタの心配そうな顔をよそに、すでにキャバは目を爛々らんらんと輝かせていた。


「だって、そのつもりでみどりさんもここまで調べてくれたんでしょ? アタシの女子力をまさに発揮するときじゃない!」


「……でも、顔バレとか身バレが」


「大丈夫だって! 夜の女をめたらアカンよ青少年。でも、心配してくれてアリガト」


「無理はしないでね。伊吹イブの友達だし、キャバちゃんやヲタ君はもう妹や弟みたいなものだから」


 みどりはそう言うと、テーブルに置かれた2人の手を握った。


 


(そろそろかな。う~ん、人減らした方がいいな)


 キャバはバックヤードに控えるキャスト達を眺めて頭を巡らす。


 これから来る神内がフリーか、それともすでに本指名するキャストがいるかまで分からないが、フロアに出られる人数を減らしたい。


 巡らして、巡らして、良案は……浮かばない。


 悩んでも仕方ないと椅子から立ち上がると、わずかに足がテーブルに触れた。


「っと、と、と……」


 その時、キャバは瞬間的にひらめくと身を傾けてわざとよろめいた。


 するとテーブルの上のグラスが倒れ、


「あっ!」


「キャッ!」


 2人のキャストのひざ元に飲み物がかかり、ちょっとした騒ぎになった。


「ごめんなさい、大丈夫ですか? あ、ドレスが……」


 キャバは申し訳なさそうにハンドバッグからハンカチを取り出す。


 すると、バックヤードに黒服が入ってきた。


「神内様、フリーでご来店です──どうしました?」


「アタシがグラス倒しちゃって、澪さんと茜さんのドレスが……」


「気にしないでいいわ。これなら跡そんなに残らないだろうし」


「そうよ、それよりお客様来てるんでしょ? フリーだしヒマリちゃん行ってきなよ」


 ドレスを濡らされたキャスト2人は、何のためらいもなくキャバに接客に出るよう勧める。


「とりあえず出られる人に出てもらえれば構いません。ドレスは無理そうでしたらサイズが合いそうな店の予備を使ってください」


 黒服も異論はなさそうで事態の収拾に務める。


「そんな……それじゃ悪いですよ……」


「何言ってるの、お客様を待たせる方がまずいって」


「ごめんなさい、そうしたら次はお譲りしますので。本当にごめんなさい」


 キャバはそう言い残すと、鏡で自分の身なりと化粧を確かめる。


「2番テーブルです。よろしくお願いします」


 黒服に導かれると静かにうなずき、客席のあるフロアへと向かった。


(本当に良い人ばっかり。本腰入れてここで働きたくなってきたわ~)


 キャバは内心、両手を合わせて感謝していた。

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