20「被害者の会、では済まさない。」

 数日後。


 ヲタはその日の稼働を終えて帰宅すると、空いた時間でビス子の動画を見ていた。


 今までこういうものに興味は無かったが、本人に出会ってから見てみると面白みが分かってくる。


 京都弁で見ている方を小馬鹿にしつつ、ツッコミどころを残してお高く止まった憎めない女を演じている。


 打っている間も実際はさいな上ブレや下ブレにすぎない出来事を言い回しやリアクションでネタにしつつ、字幕にツッコミやフォローをさせて笑いを誘う。


 道化になって視聴者のりゅういんを下げさせているのが分かり、本人を知っているだけにそういうキャラクターを演じているということが深く伝わってきた。


 動画が終盤に差しかかってホールの出玉風景を紹介するコーナーに差しかかった頃、洗濯機の脱水を終えた呼び出し音が鳴った。


 ヲタは脱衣場に向かい洗濯物を取り出してくると、室内の物干しラックに干していく。そして洗濯ネットからキャバの下着を取り出すと、他の洗濯物より丁寧に一つ一つ釣り下げていった。


 キャバから、これだけは気を遣うように言われているのだ。下着を手にすること自体は気にしないらしく、ヲタはただ言われるがままにするだけだ。


 ヲタが慎重に洗濯ばさみに挟もうとしていると、玄関の鍵が回る音が聞こえてきた。


 ヲタはショーツを手にしたまますぐに玄関に向かった。陽の落ちようとしているこの時刻にキャバが帰ってくることは珍しい。


 すると、そこにはキャバが今にも泣きそうな顔をして靴も脱がないまま立ちつくしている。髪を盛ることもなく落ち着いた紺のタイトスカートとジャケットをまとい、足下はかかとの低いパンプス。普段は見ないその姿は、都心のオフィスに通うOLのような姿だった。


「キャバ……足洗って堅気の仕事に就くのか?」


「違うわよ! アタシのパンツ握りしめながらダメ女呼ばわりしないでよ……」


 キャバは思わず反射的に言い返したが、すぐにその勢いは失われていく。


「そんなことより──────わあああん!」


 キャバは泣きながら手を広げ、全身でヲタに抱きついてきた。


 


「これが……いいのか?」


「うん、このまま。もう少しやさしく」


「……分かった」


 ヲタは眼下に横たわるキャバの頭をくり返しでていた。


 少しブラウンに染められた艶のある髪にそって、ゆっくりと指をはわせていく。


 それに合わせてときおりキャバは身をよじらせながら、気持ちよさそうに喉を鳴らす。


 真下から顔を見上げる姿勢にキャバが向きを変えると、ヲタは苦しそうな声を漏らした。


「あ──しびれた?」


「少し……でも気にしなくていい……」


「ヲタくんのひざ枕、癒されるわ~。これだったら毎日ひざ枕マシーンとして採用すればよかった~」


「それは……家賃の代わりか……?」


「そう、やっぱり体で支払ってもらわないとね」


 そう言いながらキャバが足の裏をつつくと、ヲタはビクっと体を跳ね上がらせる。


 ヲタはひざ枕マシーンの反抗として、太ももに置かれたキャバの頭を軽く小突いた。


「痛った!」


「マシーンにも心はある……で……文句を言いに行って返り討ちに遭った……って? 分かるように説明して欲しい」


「うん。ヲタくんとエリちゃんには黙ってたけど、もういいかな。嫌われちゃうかもしれないけど」


 キャバはひざ枕の誘惑に別れを告げて身を起こすと、ヲタに向き合う形で正座をした。


 


「……ノリと勢いで打ち散らかすだけの……能天気だけが取りの女じゃなかったんだな……」


「よーし戦争だ、歯を食いしばれヲタ」


「ごめん……冗談だ」


 ホールのメダル補給や回収のシステム、周辺機器を販売している里中技研の社長令嬢。


 キャバは己の出自をヲタに明かした。


「俺とは違うんだな……」


「あたりがきっついな~。家を出てから生活費は全部自分で稼いでるし、パチスロも真剣に打ってるよ?」


「いや……そういうのは気にしてない……それより……文句を言いに行ったというのは?」


「あの日に壊されたのがウチの機械だったの。知ってる社員の人も前日には来てたのよ。なのに、あの日は全然修理に来てなかったじゃない?」


「そう言われれば……」


「おかしいって支店に電話したら、何か他の店に呼ばれてるとか言ってて。親父ってそういうの許さないし、社員も分かってるはずなのよね。だからどうなってるんだ、って親父の会社に直接言いに行ったのよ。今日は休みだったし」


「それで今日は……早かったのか」


「そうしたらね、『家を出るのは勝手だが、娘だからってだけで親の仕事に口出しするな。俺はここでは家族ではなく全社員の生活を預かってるんだ』って。何よもう、ド正論じゃない!」


「ああ……そこで理不尽な反抗はしなかったのか……」


「親父は堅物だけど筋は通すタイプだから、それには反論できないかな。好きにさせてもらってるし、そういうとこは尊敬もしてるし」


「…………」


 ヲタは正座を解いてあぐらを組むと、やや目を伏せて口を真一文字にさせた。


「どしたん、ヲタくん」


 キャバは正座をしたままヲタの顔を下から覗き込む。


「…………うらやましい……かな」


 ヲタは言葉を選んだかのように間を置いて口を開いた。


「金とか育ちとか……そういうのは不公平なのが当たり前だってのは分かる……分かってきたつもりだ。ただ……親を尊敬できる……というのはうらやましい」


「そっかー、それは何かゴメン」


「キャバが謝ることじゃない……俺が勝手に思ってるだけだ」


「でもさ、アタシも何かできることないかって思ったの。エリちゃんが損得抜きであそこまで言い出すなんてさ」


 ふと、キャバのスマホが鳴り出す。


 画面に映された呼び出し相手を見て表情を変えると、すぐにキャバは通話ボタンを押した。


「じっちゃん、どうしたの?」


 話し始めるキャバを、ヲタはただ黙って見つめている。


「うん、うん──なるほど。やっぱ変だったよね──その支店長怪しくない? ああ、もう親父が動いてるんだ」


 キャバが場所を変えずに通話を始めるということは、隠す必要がないということだろう。


 目の前で先ほどまでの話し相手が電話をしているというのは、どこかこそばゆい感覚になる。


「うん、うん──そんないいのよ、じっちゃんが悪いんじゃないんだし──もちろん、晒したりしないよ──分かった、親父にはそれとなく──ありがとう、そうしておく」


 話していくうちにキャバの表情が明るくなり、その興奮が高まっていくのが分かる。


「この前きついこと言ってごめんね──うん、まだまだ現役でがんばって──じゃあ、またね」


 親父の奴。あんなこと言っといて、すぐに確認して手回してる。


 しかも、じっちゃん経由でアタシにも連絡させてるし。


 キャバは通話を切ると、思わず苦笑いを浮かべていた。


「キャバ……何の話だったんだ?」


「まだ詳しいことは分からないけど、あの日を狙ったかのように他の系列店から大規模なメンテナンス依頼が急に入ったんだって。支店長の強引な指示で、本当はあの壊されたホールにも社員が行くはずだったんだけどキャンセルされたらしいの」


「偶然……じゃない。これがエリートの言っていた悪意……敵意か」


 キャバはそれに答えようと何かを言いかけたが、スマホにラインの通知が入っていることに気付いた。


 それはいつもの3人のグループメッセージで、エリートからの連絡を読むとヲタにも見るようにうながす。


 言われるがまま自分のスマホを確認すると、ヲタは口をきつく閉じて深くうなずいた。


 


 


 


 時は遡り、マーベラス宇都宮店グランドオープン3日目の夕方。


 移動先の店でも打つ台は無く、エリートたちは浅野夫妻に宇都宮駅まで送ってもらった。


 帰京する新幹線の時刻までやや時間があり、3人は駅中の喫茶店にいた。


「あのオッサンもさ、ホテル代と交通費は出してもいいって謝ってたから素直にもらっちゃえば良かったのに。結局、初日のジャグ以外まともに打てなかったし、あれはあれで苦行だったわ」


「さすがにそれは。あの環境でも高設定はあったわけだし、情報提供を受けて判断したのは僕たちだ」


「それはそうだけど……あの金髪野郎はやっぱり許せない……キャバは顔大丈夫か」


「大丈夫よ、意外に腰が入ってなかったから、あのビンタ。それよりこのアタシの美乳を汚らわしい手で揉んだのが許せないわ。形崩れたらどうしてくれるのよ、金取るわよ金」


 このキャバの反応にだけはコメントしづらく、ヲタは口を閉じた。


「あれは大変だったな。見て見ぬふりをしても良かったのだろうけど、僕は2人とビス子さんを支持するよ。ただ、災難と言うには──悪意に満ちていた」


 エリートの最後の言葉には、いつになく気持ちが込められている。


「悪意って言うか、悪そのものじゃない! ああもう、その点はヲタくんと同じよ。正義の鉄拳喰らわしてやりたいわ」


「いや、そういう意味での悪意じゃないんだ。その気持ちは分かるけど、正義とか悪とかの話じゃない」


「何それ?」


「それは……気になる」


 2人の疑問に対し、エリートは答えた。


「ホールで見かける小ずるい悪事なんてものは、結局自分が得をしたいからだろう。店員に見つかって出禁になったり、ましてや警察騒ぎになったりするのを望んでる奴なんかはいない」


「でも、後先考えないバカもいたりするじゃない?」


「それはそうだけれども今回は違う。一時の感情に任せて、という感じではない。自分の利益より相手を傷付けようという悪意──いや、敵意というべきか。今振り返れば2日目の朝も同じだろう。あれは自分たちが得をしたいというのより、相手に損をさせたいという行為にしか思えない」


「相手……それは俺たちじゃなくて……店か」


「そう。僕たちは巻き込まれたのだと思う。それに対し僕らはあまりに無力だった」


 エリートの語りが終わると、3人の会話が止まった。


 それは、前日を含めてこの4日間で起こった出来事を思い起こし、各々がそれに対する感情を整理しているようだった。


 エリートは残りわずかだった手元のホットコーヒーを飲み干す。


 キャバはレモンティーのグラスに差されたストローをくわえて口をとがらせている。


 ヲタは自分の太ももに乗せた両こぶしを握りながらテーブルに目を伏せている。


 3人の間の沈黙を最初に破ったのはキャバだった。


「アタシ、泣き寝入りなんかイヤよ。どうすればいいかとか、何の得があるのかとか、そういうの抜きにしてこのまんまじゃ収まらない」


 キャバはストローを指でつまむと、笑みを浮かべながらそれをエリートに向けた。


「そう言うと思ってたでしょ? お望み通りだろうけど、ウソつかないよアタシは」


「つけない……だと思う。キャバは……仕事で嘘をつくのに疲れているし……」


「ちょ、ちょっと、それどこルートの情報よ?」


 キャバは思わぬ方向からのツッコミにうろたえながら、エリートに向けていたストローの矛先をヲタに変えた。しかし、ヲタはひるまずに証言を続けた。


「キャバは覚えてないだろうけど……酔って帰ってきた時は……そんなことばかり言ってる」


「ゴメンナサイ、それ以上は言わないで」


 キャバは両手を上げて白旗のようにストローを振って見せた。


 2人のやり取りに少しだけ笑みをこぼしつつ、エリートは尋ねた。


「ヲタはどう思ってる?」


「……俺もキャバと同じ気持ちだ。このまま東京に戻ってただ稼働を続けるのは……気持ち悪い」


 ヲタの隣でキャバも頭を縦に振っている。


「何かしら借りを返したい……稼げるわけではないからエリートは反対だろうけど」


「なるほど、ヲタとキャバの意見は一致してるんだな」


 一つ大きく息を吐いたエリートの次の言葉には、力が込められていた。


「勘違いしているようだが、僕も全く同じだ。このままじゃ終われないし前に進めない。納得いくまで調べて、もう一度あの店でリベンジしよう」


 キャバとヲタの目が輝き、エリートはうなずいた。


「僕たちは──無力じゃない」


 


 


 


 時は戻り、宇都宮のあの日から2週間後。


 通い慣れたアメ横をはずれ上野広小路へ。


 指定されたビルの3階に上がるエレベーター内で、3人のうちヲタだけが極度に緊張していた。


「高いんだろう……それにスーツとか着ないで大丈夫……なのか?」


「ヲタ、なぜ僕の服をつかむ?」


「そうよ、エリちゃんじゃなくてアタシの腕ならいつでもウェルカムよ」


 仕事より派手さを抑えたパンツルックで化粧も薄めにしていたキャバは、そう言いながらヲタを自分の懐に引き寄せた。


「……キャバ、今日は臭いが少ない」


 体が密着したことよりも先に口にするには刺激的な言葉に、キャバは思わずヲタを突き飛ばした。


「臭いじゃなくて香水! 会席だから控えめにしてきたの!」


「エレベーターで暴れるな。もう着くぞ」


 すっかり慣れた感のある2人のじゃれ合いをいさめつつ、エリートは開かれたエレベーターの扉を進んでいった。


 


 ビルの1フロアであることを忘れそうな広い入口を上がると、和装に身を包んだ店員に導かれる。


 料亭を模した枯山水の庭が中央に広がり、それを囲むように仕立てられた木目がニスでうっすらと輝く廊下を進む。


 店員の手で障子の戸が開かれた中は、8席ほど設けられた明るい和室だった。床柱が無く書院造がアレンジされたような床の間の前席には、3人の男性と1人の女性が座っていた。


 そのうちの一組の男女が浅野夫妻。


 もう1人の男性は、あのマーベラス宇都宮店グランドオープン前日の縁日でトラブルになった際に会った瀬戸口というマネージャー。


 そしてもう1人の若く見える男性はどこかで見たような気もするが、少なくとも面識や話したりした覚えはない。


「よっ、最近来てないじゃん君たち」


 その男は立ち上がり3人を室内に案内すると、そのまま自分の荷物をまとめ始める。


「じゃあオレ、店に戻りますんで」


「おう、お疲れさん」


 瀬戸口が手を上げて挨拶すると、男は障子を開けて和室を出て行った。


「あ……上野の店の……?」


 その様子を見て思い出したようにヲタがつぶやいた。


「ほお、よく知ってるじゃないか。あれは上野店の店長で袴田っていう奴だよ」


 瀬戸口にそこまで言われて、エリートとキャバはわずかに見覚えがあったことに合点がいった。


「よく来てくれた、気にせず座ってくれ」


 浅野が空席を指して、立ったままの3人をうながす。


「でも、ここ上座じゃ……」


 キャバは素直に座ろうとするヲタの腕をあわてて引っ張り、気を遣って見せる。


 ヲタが少し顔を赤らめて身を引くと、浅野の隣に座る真由美が優しく声をかけた。


「今日はあなた達がお客様だから、気にしないで座って。そうですよね、なお君、瀬戸さん?」


 真由美がそう言いながら顔を向けると、2人の中年男性は苦笑しながら黙ってうなずいた。

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