15「真の仕込みはGO2日目に」

「なお君、あとどれくらい?」


「……たぶん、あと5分もしないかと」


「大変だったね。でも巻き込まれなくてよかったわ」


「高速抜けたらすぐなのに、まさか事故渋滞とはな……」


 北関東自動車道を降りてバイパス経由で入った国道4号線。


 その緩やかに進む車列、浅野夫妻は都心から2時間近くを車中で過ごしている。


 ドライバーの浅野はぐったりとハンドルに両手を乗せて顎を突いている。


 一方、助手席に座る真由美は、夫との小旅行を楽しんでいるようで疲れを少しも感じさせない。こういう時に助手席の者は眠ったりせず、ドライバーの話し相手になるのが務めであることをしっかり心得ているようでもある。


「でも、なお君と連れ打ちなんて何年ぶりかしら?」


「結婚してからすっかりだね。近場で遊び打ちとかはあったけど」


「遠出して旅打ちとか、新婚旅行以来かも」


「ああ……旅行先の条件が国内、温泉、打てる店のある地域だったもんなあ」


「スロカス丸出しだったよね、なお君」


「真由美さんだって乗り気だったでしょ、旅行代稼ぐって。あれはもう、スロカス夫婦だった」


「なお君の専業引退試合だったでしょ? だったら妻としてはその花道は見届けてあげないと」


「試合って……まあ、とんでもない引退試合だったよ」


「だって、なお君ったら何打ってもダメでボコボコにされてたじゃない?」


「スロ人生の集大成と言えるほどの下ブレだったな。俺はもう機械割10%の特級養分だった。真由美さんがいなかったらどうなってたか……」


「だって浅野家の家計の危機ですよ? 旦那様がズブズブと沈んでいくのを黙って見てられるわけないじゃない」


「結婚3日目にして妻の万枚見せられたら、もう夫婦の上下関係が決まったね、パチスロ格付けチェック完了」


「きっとそういうのって、うまく出来てると思うの。片方ダメでも片方がんばるみたいな」


「まあ、確率というかノリ打ちはそういうものではあるけど。でも、あれで2人ともボロ負けだったら気まずかったなあ、成田離婚的な?」


「そんなことありませんよ。もうあの時、なお君は宅建の勉強始めてたし私のために専業は辞めるって決めてくれてたから。むしろ2人とも負けてスッキリさせた方が良かったかも」


「そんなスッキリって……真由美さんだって嫌いじゃないでしょ、パチスロ」


「それはもちろん、なお君と出会えたきっかけですし。そうでなかったら今日だって────あ、あの看板かしら?」


「おお、やっと着いた……」


 


 


 夜22時近く。


 キャバは衆目を気にせず両足を大きく広げて伸ばしきり、ソファでぐったりとしたまま何もない宙を焦点の定まらない目で見上げていた。


「ペカ……ペカ……ガコッ……ペカ……キュインキュインキュイン……カカカカカモーン」


 つぶやき続ける表情には生気がない。じゅの後半には別の音まで混じっていたが、それは口にする本人の願望らしき何かが無意識のうちに紛れ込んだようだった。


「待たせたな。出目チェックは数台だけにした、今日の朝イチは7揃えだったし少なくともグランド期間中は同じだろう」


「……大丈夫か、キャバ」


 閉店を迎えようとしている店内の様子をチェックしてきたエリートとヲタが、キャバの待つ休憩スペースに戻ってきた。


「もうイヤ。一生分のジャグ打った、もう二度と打たない。あれはダメ、メンタルやられる」


「よく頑張ったよ、結果的に僕らの稼ぎ頭はキャバだ」


 エリートにしては珍しく、ストレートにねぎらいの言葉をかけた。


 結局、3人ともジャグ島で夜まで打つこととなった。予想よりも早くジャグに空台が出始めたのだ。


 専業だと思っていた人間が意外にあっけなく下ブレに耐えられずにやめたり、極度にREGに偏って不服そうに席を立つ老人などが出たりしたのだ。


 パーソナルゆえに出玉からのお祭り感が薄く、良い意味でヲタの予想が外れたのも大きかった。


 ヲタに続いてエリートが空いたハマリ台に座り、2人の観察で空きそうな台を前もってキャバに連絡して他の打ち手が押さえる隙を与えなかった。キャバは不機嫌で憂鬱そうで強制労働に赴く奴隷のような顔をしていたが。


 実のところ、番長3は3分の1くらいで設定56が散らされているような気配はあった。そして、キャバが打っていた台も1回だけ絶頂に入っていたのだ。


 この台を打ち続けるかどうか、ライン上では3人の議論がかなり白熱した。


 設定狙いをしながら116%の可能性がある台を捨てるのか、公約がない状況で深追いをするのか、ホール自体に期待値がある状況ならば攻めるべきではないか、など。


 決め手となったのは、交換ギャップがあるこの店で明日以降も打つのならば現金投資のリスクよりも貯玉を作りにいくべき、というエリートの意見。


 その意見にはヲタも賛同し、わずかの正論と盛りだくさんのワガママで抵抗していたキャバも、それには異を唱えることができなかった。


「……明日のジャグは薄くなるから……安心していい」


「全くよ、もう。2人がいなかったら絶対に打ってなかったもん。番長3がやばかったら止めてウチ帰ってるもん。あ、ホテルか」


「たしかに3人という縛りの中で、さらに遠征となると何かしら打たざるを得ないような脅迫感は生まれかねないな。普段と同じように、本当に詰んで人数分の台が押さえられなかったら、無理せず宿に戻るように徹底しよう」


「お願いだからそうしてね。あとは交換──あ、今日はしなくていいのね」


「……帰ろう。今日はキャバ、頑張った」


「そういうのちょうだい、もっとちょうだい!」


「あ……そうだな……キャバはノーマル向いてる……センスがある」


「何よそれ? センスとかそういうのじゃないから!」


 キャバが少し元気を取り戻し、ヲタといつものじゃれあうような会話を交わし始める。


「タクシーを呼んでもらうから待っていてくれ」


 エリートはそう言い残して2人の下を離れて景品カウンターに向かう。


 そこにいたのは、会員証を作り明日の抽選参加券を入手しようとしていた浅野夫妻だった。


 


 


 宇都宮駅の西口から徒歩20分ほど、レジャーホテルの地下で営業されている高級クラブ。


 地元ではキャストの質が高いと評判の店で、深夜でも多くのテーブルが埋まりにぎわいを見せている。


 その客席スペースの一角、重ねられたレースのカーテンの奥にあるVIPルームへと、スーツを着た小太りの男が黒服に案内されていた。通常の入口とは異なる通路で、他の客と顔を合わせることは無い。


「こちらでございます」


 黒服が重厚な扉を開けると、キングサイズのソファに3人のキャストと金髪の男、そしてVゾーンにベストを覗かせたブラウンのスーツをまとい、優雅に足を組みながら隣のキャストの肩に手を掛けた男性が腰かけていた。


「漆原さん、お、お待たせしました……」


 VIPルームに入った小太りの男性が額から滴る汗をハンカチで拭きながら所在なさげに立ったままでいると、漆原と呼ばれたブラウンのスーツの男が声をかけた。


「さあ、神内さん、遠慮なくこちらへ」


 漆原がそう言うとキャスト達が自然と横にずれて席を空ける。


 頭を何度も下げながら、神内はソファに身を置く。


 キャストに目の前に置かれたボトルの水割りを頼み、両隣に座る漆原と金髪の様子を恐縮しながらうかがっていた。


「何なのアレ。イベントの屋台にガチの筋モン呼ぶなんて聞いてねえよ」


 金髪はそう言うと勢いよく足を上げ、音を立てて目の前のテーブルに乗せた。


「そ、それは、私の担当じゃないので……」


「店長ってその程度なの? 給料いくらもらってんだか」


「神内さんは高尚な趣味をお持ちだから、あの店の月給くらいじゃ足りないんだよ。この店に来られたことは?」


 荒ぶる金髪を抑えるかのように漆原は会話に割って入る。その開いた口の前歯は煙草のヤニで黄ばみ、右の八重歯は金色に光っていた。


「何度か来てますが……この部屋は初めてです」


「紹介が必要ですからね、今度から使うといいですよ。では、そろそろ打ち合わせを始めましょうか」


 そう言って漆原がキャストに視線を向けてうなずくと、彼女たちは席を立ち部屋を出て行った。


「さて──どうでしたか、今日のグランドオープンは?」


「おかげさまで……稼働率は80%近く行ったかと」


「それくらいはウチの頭取りで分かってますよ。アウトはどれくらい伸びましたか?」


「そ、そこら辺は部下に任せてるので……私は割数を見てますから」


「……今日はお忙しかったでしょうし、仕方ありませんね」


 漆原は歯切れの悪い神内に対して優しく返したが、その視線は侮蔑と失望に満ちていた。


「里中技研の方は?」


「問題ありません。明日は来なくていいと伝えてあります」


「それは結構。夜にはうちにメンテナンスに来るよう言ってあるので大丈夫でしょう」


「開店時のオペレーションに変更は出てませんか?」


「はい、店員から何人かの不正確保を指摘したという報告がありましたが、大したことではありません」


「そうですか。まあ、グランドオープンとなれば多少のやからは湧いてくるものです。くれぐれも変更は無いようにお願いしますよ」


 そう言いながら漆原は金髪へと視線を変えた。


「じゃあ城之内、明日は予定通りに」


「ヘイヘイ。ちゃんと人足分の金出してくださいよ」


「これだけあれば足りるだろ、持っていけ」


 テーブルの上に投げ出された金髪の足下に、分厚い封筒が置かれる。


「毎度あり~。やっぱ地域ナンバーワンのパチ屋やってる方は違うわ」


 金髪は足を下ろし、舌なめずりをしながら封筒の中身を覗いている。


 そのやり取りを目の前にしていた神内は、やたら腕時計を気にしてそわそわしていた。


「どうしました、神内さん?」


「あ、あの、1時には店に戻ることになってまして……」


「さすがにお忙しいですよね。あまりお引き止めしても申し訳ないか」


 漆原はテーブルの片隅にセットされた呼び鈴を鳴らす。


 すると間もなく先ほどまでいたキャスト達と黒服がVIPルームに入室してきた。


「こちらの方がお帰りだ、ご案内を」


「かしこまりました」


 黒服は神内の前に立つと、が頭を下げて出口へと手を差し出した。


 神内は席を立つ前に、下から覗き込むように懇願の眼差しで漆原に申し出た。


「今回の件、うまくいった時には……」


「大丈夫ですよ。あなたの借金は面倒を見ます」


「退職後の話も……」


「近くではさすがに無理ですが、ほとぼりが冷めたら県外の店にポジションを用意しておきますよ」


 そこまで聞くと神内は胸をでおろし、何度も頭を下げながらVIPルームを出ていった。


 黒服がテーブル上の飲みかけのグラスをかたし、キャスト達がボトルを手にして酒を作り直す。


 神内の足音が聞こえなくなると、金髪が封筒を胸ポケットにしまいながら口を開いた。


「あのオッサン、いくら抱えてるんすか」


「500はいってるな。役職だけはあるからプラチナを何枚か持ってて、この前ここの店の系列でカードを切れなかったらしい」


「あらあら、とんだ太い客もいたもんだ。あんな奴の面倒見るんすか?」


「金はともかく、仕事は無理だな。無駄に歳喰って計数管理もろくにできない奴に用意できるポジションは、せいぜい景品交換所だな」


 漆原はそう言い捨てて、作られたばかりの水割りを口にした。


 


 


「へー、アナタがエリちゃんをきつけたんですか!」


 きっちり定員5人が詰め込まれたコンパクトカーの車内、その後部座席の真ん中に座るキャバの言葉は数秒間の沈黙を生むには十分のインパクトだった。


「いやあ、まあ、ド直球なお嬢さんだな」


「あなた、そんなことしたんですか?」


「そんな真由美さんまで……」


 助手席に座る真由美が目を丸くすると、ばつが悪そうにドライバーの浅野は頭をかいた。


 エリートはホールの景品カウンターで浅野夫妻が出会うと、ホテルまで車で送ろうという申し出を素直に受け入れた。


 情報交換やキャバとヲタへの顔合わせも兼ねてと思ってのことだったが、ストライクゾーンぎりぎりの無難な紹介をしようとしたところにキャバの火の玉ストレートが炸裂さくれつしたところだった。


「そういうわけじゃなくて……今回の遠征は2人も納得してくれただろう?」


 エリートはさすがに気まずいとフォローしたが、キャバは意に介さない様子だった。


「それはそうだけど、やっぱどうしてって思うじゃない?」


「……俺も……気になる」


 ヲタも初対面の人間を前に緊張しつつ、小声でキャバに同調した。


「そうだなあ、話した通りなんだけどなあ」


 浅野は思慮を巡らしているようで言葉を選びながら答えた。


「どの時代にもエグいやり方するやからや専業はいたんだよ。ホールもコンプライアンスとか言い出さなかったし、その筋の人間が絡むのも当たり前。199X年、ホールは数と暴力に包まれた。玉は枯れ、客は負け、全ての打ち手が死滅したかのように見えた……だが、専業は死滅していなかった」


「────」


「?」


「…………」


 後方座席から反応は無く、気まずい静けさが車内にただよう。


「うわー真由美さん、通じないよお! 今でも台出てるのに」


「なお君、見事な自爆ね」


「スロ仲間じゃ鉄板でドッカンドッカンくるのに……」


 浅野は口をとがらせながら豪快に滑った自分をなぐさめる。


「──北斗、ですか?」


 エリートがようやく話題に追いつけるも、自らのネタを解説する気力は無かった。


「もういい、俺が悪かったよ。まあそんな中でさ、軍団に属するのは御免だが負けるのもしゃくだし、かと言って法を犯す気も無い。そんな心意気で軍団や店と駆け引きをしながら喰ってた奴らもいたんだよ」


「なるほど~そんな自分をアタシたちに見て懐かしくなっちゃったオジサンがちょっかい出したくなったんだ」


 キャバがあっけらかんとした表情で間髪入れずに答えた。


「うわー真由美さん、こいつら昔のこと知らないのに勘だけは鋭いよ~」


「あら? 勘のいいガキは嫌いじゃない、っていつも言ってなかった?」


「…………ふふっ」


 周りで繰り広げられている会話を黙って聞いていたヲタだったが、浅野夫妻のやり取りが刺さったらしくわずかな笑いをこぼした。


「俺は……この人たち、嫌いじゃない」


「そうね、アタシも同感」


 エリートも口にはしなかったが、同じ思いだった。


 うさん臭さを感じさせながらもどこか憎めず、今日初めて出会った妻の真由美も含めて他人をカモにするような人種には思えなかった。


「なお君、合格らしいですよ」


「ああ……若い奴らに気に入られるのディスクのビタより難しいわ」


「それってそんな大変?」


 真由美はそう言ってニッコリと笑って見せた。

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