02「立ち回り」
少し戻り、入店して間もなくの頃。
キャバは無事に絆の島中あたりの台を確保し、仲間たちにグループ通話で状況も報告し終えると、何やら騒がしい背後に目を向けた。
すると、すぐに物騒な声が通路に響いてきた。
「邪魔なんだよジジイ、ぶっ殺すぞ!」
「あ、あの、私が先に座ったのですが……」
「俺が先に台確保券をココに差したわけ。だから、この台は俺の台。分かる?」
「いえ、だから私がそれを差そうとしたのをあなたが邪魔して……」
「は~? 言いがかり付けてんじゃねえぞジジイ!」
「言いがかりはあなたの方が……」
「うぜえんだよ、どけよオラァ!」
怒声と共に、パチスロよりはパチンコのフロアにいるのが似つかわしいような老人がど突かれて島中から通路に弾き出された。
老人は眼鏡を飛ばされて転倒し、床に尻もちをついたまま身体を震わせていた。
その横を邪魔そうに他の入場客が素通りしていく。誰も気遣うことはなく、店員すら客同士の細かいトラブルに進んで関与しようとせず無視を決め込んでいる。
老人を無理やり退かせた20代前半ほどの小汚いジャージを着た男は、近くにいた仲間と共に老人を指さして笑い転げていた。
(あの人、前に並んでた引き子のオジサンじゃない……)
キャバは座ったまま事の
常連客ならこんな目立つ悪行はしないし、日頃このホールで見かける顔でもない。
晒されたSNSの情報で店を回り、数で埋めて刈り取ることしか考えてない
(勝手なことしてくれちゃってんじゃない……あー腹立つ!)
キャバは会員カードで下皿にメダルを流すと、すぐにカードを財布にしまって席を立った。
目の前では老人を突き飛ばした
キャバは拳を握り締めてその男を背後から見下ろすと……その視線を切り通路に向かって歩みを進めた。
床に落ちた眼鏡を拾うと、立てないでいる老人の手を取りそのまま自分の肩に回してゆっくりと起き上がらせる。そのまま休憩スペースのソファまで連れて行き座らせた。
「あ……ありがとう……」
老人は何とかそう声を絞り出してキャバから眼鏡を受け取るが、手が震えてうまくかけることができない。
キャバはソファに座る老人の前に対面する形でしゃがみ、両手を添えてそっと眼鏡をかけさせてあげた。
「ごめんね、お爺ちゃん。あいつら本当にガラ悪くて」
「い、いや、あなたが謝ることでは……」
キャバは気付いていた。服装こそかろうじて一般人らしい
「どうせ俺が文句を言っても誰も聞いてくれないし……警察呼ばれても困る……」
「お爺ちゃん引き子で台取るまで頼まれたんだよね? もうお金もらってる?」
老人は目を見開きおびえた表情でキャバを見返した。
「そ、それをなぜ……」
「そんなの分かるよ、お爺ちゃん慣れてなさそうだったもん」
「ドヤ街でボスに紹介してもらった仕事だったんだけど……怒られる……給料も出ないしもう紹介してもらえなくなる……」
「だよね~。きっと親がドヤ街にコネあって仕事発注してるんでしょ」
キャバは考えた。おそらくこの老人が今日の仕事でもらえる金は、この場で何のためらいも無く自分の財布から出せる金額に違いない。
だけど、それは違う。
キャバは普段の仕事でも見せないとびっきりの笑顔で老人に話しかけた。
「ねっ、アタシ気分代わって今の台やめるんだけど打つ?」
朝イチのAタイプ島は、他のAT・ART島とは空気が違う。
簡単に言えば、ガチ勢が多い。満台になることはまずないが、ジャグ系でもアクロスやハナハナ系でも、Aタイプに座る人間は眼光が違う。
冷めた目でやる気なさそうに小役カウンターを台に置いて
(今日はあまり見ない奴らもいるから信用できないが)
ヲタはマイ3を回しながら、注意のほとんどを自分の台以外に向けていた。
本気を出せば視界に入る2台と背後から聞こえる1台くらいまでなら、自分以外の台でもブドウをカウントできる。もっとも、それをするのは開店後1時間くらいまで。この店はウェブでデータ公開をしているので、回転数・ボーナス回数からINとOUT枚数を出せばおのずとブドウ確率も計算できるし、それ専用のアプリもある。
(角2がREG走ってる。でも特日にはあそこは入らない。島向こうのサンダーVリボルトのBGMが変わった。あれはダメだ、たしか常連が打っていたからもう空かない)
ヲタは右リールを停止後に、中リールを止めようとした手を抑えた。右リール上段にピエロ図柄が止まっている。一拍置いて残りリールを止め、10枚の払い出しを得た。
(危ない、200円捨てるとか死ぬ)
そう思いつつ、ヲタは何事も無かったかのように台を回し続けると間もなく当選ランプが点灯する。1BETボタンを押しギリギリでフルウェイトが切れないくらいの速さでボーナス図柄を揃えた。
(とりあえず続けてもいいくらいか。オーダーを変わるのはまだ無理か)
ボーナスを消化するとヲタは席を立った。
ジャグ島はまだそれほど埋まっていない。午後になってからあぶれた客がREG回数の先行する台を触り始め、朝イチ以来2回目の客による耕作作業が始まる。
Aタイプの向かい側、アクロス系へ。やはりサンダーVリボルトは常連が打っている。そして小役カウンターをすでにしまっている。設定5でも今日は打ち切るつもりなのだろう。
AT・ART系の島へ。朝から突っ走り出玉を重ねている台、クソハマリを喰らってすでに空いてる台。そんなものには興味はない。常に挙動を見守っていて示唆系も確認していない限り、今の段階で全系や機種1を見抜けるはずも無い。
気にするのは打っている人間。そして経験則だが島から
(まど2はあるかも。出玉は弱いけど打ち手が濃いし迷わず投資を続けている。Re:ゼロはもう機種1が見えて残りすべて空台。ただ、この店はRe:ゼロに中間も混ぜる。もう少し絞れたらキャバになら打ってもらってもいいかも)
絆の島に着くと、たしかにキャバの姿は無い。その代わりにエリートが打ち続けている。目立たないようにしながら周囲の観察には余念がない。
ヲタは無言でエリートの背後を通り過ぎながらデータカウンターを見た。
(BC7スルーか、これはしばらくやめられないな)
引きが弱いことに文句を言うつもりはもちろんないが、エリートの運の無さは間違いない。
しかし、それを上回る観察力や分析力、そして自分たちを導く力がある。
ヲタはフロアを一通り見て回るとトイレに向かう。
すると通路の向こう側からキャバが歩いてきた。
もちろん目も合わさず会話も交わさないで
ドスッ。
「うっ!」
思わずヲタは
ヲタが思わず振り向くとキャバは後ろ姿のまま、尻の上でハンドサインを出してくる。手を軽く振って上から下に手を押し下げるように動かす。おそらく『後で行くから待ってて』くらいの意味だろうが、いつも仕草と内容が変わるのでフィーリングで理解するしかない。
キャバは自分たちのムードメーカーだ。
そして引きが強い、いや太いと言うべきか。ここぞというタイミングで通すべきフラグを叩ける、そんな印象だ。
自分たちは、自分は、彼女に救われている。
エリートはハマっていた。
絆の朝イチBC2スルーの台に座り、7スルーまでハマっていた。
はたから見れば、絆を打ちたいだけのキッズが捨てられた台を拾ってガッツリやられているだけに見える。
(テーブルNならありがたい、くらいか)
ハマリで感情が揺れて立ち回りに影響が出ることは、エリートにはない。
むしろ感情が揺れること自体がない。完全確率に対する下ブレの結果に過ぎないと分かっている以上、揺れようがない。
キャバは露骨に大騒ぎして喜んだり愚痴ったりする。
ヲタの場合は余剰や欠損に対して感情を越えた必死さが伝わってくる。
ただ、それで立ち回りを変えることは無いと口をそろえる。
その段階はもう卒業した、と。
自分はその段階をスキップしてしまったようだ、とエリートは自覚している。
エリートはそれよりも周囲の台の挙動にほとんどの意識を割いていた。
(本来は僕が見て回ってオーダーをすべきだが)
さすがに気になりエリートはラインを開いた。
エリート『この台はもう少しかかりそうだ』
ヲタ『見た。代わりに島を周ってるが、まど2が何かやってる』
エリート『割的にもローテーション的にもおかしくないな』
キャバ『アタシも気付いた~。1人だけ状況分かってなくて心が折れそうな子がいたけどね。張り付きはいないけど、
ヲタ『ガン張りするか?』
エリート『やめておこう。今日はうさん臭い
ヲタ『2~3時間なら問題ないが』
エリート『信用していないわけじゃない』
キャバ『ヲタくんのガン張りはガチだからね』
エリート『それより僕が動けるようになるまで代わりにオーダーをしてほしい』
ヲタ『そうだな。まど2は展開の悪さに耐えきれずに空ける奴もいる』
キャバ『アタシまど2大好きだけどね。まど2簡単だし!』
エリート『だからそれは君だけの話だと……』
ヲタ『待て、1台空くかもしれない。最後の千円を貸し出して周りを見渡してる』
キャバ『オーライ、アタシ空いてる』
エリート『僕も向かう。釣り役をやろう』
ヲタ『俺は片端を』
エリート『よし、行こう』
エリートが席を立つと、すぐに両脇の打ち手がデータ表示機を見上げた。そして下皿にメダルがあるのを確認すると、すぐにスマホを手にしてラインを開けて報告し始める。
エリートは彼らの動きに気を止めることもなく、絆の島を抜け出した。
「アクロス&ハナハナでベース高目、海皇覚醒、そしてまど2かね。来店イベやらずに旧イベ日だけで客集めてしっかり見せるとは、上野も少しはまともになってきてんだね」
黒のスーツに襟をはだけたグレーのシャツ、セカンドバッグを手にした壮年の男は、パチスロフロアを眺めて独り言を漏らした。
(Aタイプはまず空かない。海皇覚醒は無くは無いけど荒すぎるし、やっぱまど2になるよな……打つとしたら)
まど2の島に歩みを進める。
5台で現状は満台。
4人が小役カウンターを使い、そのうちの1人は使ってはいないがスマホで動画を見ながら無表情で打ち続けているのでおそらく打ち子。
その打ち子を含めて香ばしい奴らが4人。残り1人だけ、専業やスロニートには見えないパチスロ好きの学生に見える。
(ああ、あれ止めるな。ハマってるわ、イライラしてるわ、貯玉でなく現金投資してるわ……誰も張ってないのか、やっぱり都心はぬるいね)
壮年の男はしばらく島の様子を眺めていた。
眼光の鋭い若者が島をわずかに見やったが、すぐにRe:ゼロへと
(これは好都合)
まど2を打つ学生の台の横にあるサンドの現金表示が0になり、10Gほど回したところで歩みを進め、まど2の島に足を踏み入れようとした。
と、その時。
ガシャン。
島の入り口で持ち歩くドル箱から少量のメダルをこぼしてあたふたする青年に進路をふさがれた。
「おう、大丈夫かいあんちゃん」
壮年の男は床にばらまかれたメダルを拾って、青年に声をかけた。
「すみません……」
「気にすんなって、大事な持ち玉じゃねえか」
そう言いつつまど2の島に目を向けると、注視していた学生が席を立とうとしている。
そして通路の反対側からキョロキョロとデータ表示機を見ながら歩いてくる女性がいた。
「あ……ありがとうございます」
青年は全てのメダルを拾い終えると小声で礼を述べた。
「気を付けな、じゃあ」
壮年の男はメダルをこぼした青年の肩をポンと叩くと、改めてまど2の島に足を踏み入れる。先ほどまでまど2を打っていた学生とすれ違った。
(あちゃあ、出遅れたか……ん?)
空いたはずの台に目を向けると、その前には反対側から歩いてきた女性が立ち、その隣に座る男と話していた。
(ほお、これはこれは)
壮年の男は少し離れてその様子を見守った。
「あの~、この台いま空いてたんですけど、そのライター下皿に置かれましたよね?」
女性が不思議そうな顔をして尋ねる。
「ん、だから何だよ?」
隣の台の男は、威嚇するかのようにドスの利いた声で言い返す。
明らかに相手が女だからと脅して、通らぬ筋を通すつもりだ。
(ここは一丁、おじさんが正義の味方に……)
壮年の男は2人の間に入ろうとした。しかし、2人の会話は終わらなかった。
「えーっと、アタシこのライターを置くアンタのことしっかり見てたんですけど。このお店、掛け持ちはダメでしたよね?」
女性は男に対して欠片も
「それとも台移動するんですか? だったら、そのアンタのART中の台をアタシが打ちたいな~」
「て、てめえ! チャラい女のくせに」
そう言って男が立ち上がろうとすると、周囲に男のそれよりも殺意のこもった低い女性の声が響いた。
「こすいヤリ口で女にイキってんじゃねえぞ、三下が。とっととその小汚えライター引っ込めねえと、そのぶら下がってるタマ握りつぶすぞ」
女性は肌の美しいすらっと伸びた手を伸ばすと男の股間をつかみ、鬼の形相で
「ひっ」
気勢をそがれた男は、股間をつかまれたまま自分の席に腰を落とした。
(おお、やるう! っていうか痛そう……)
見守っていた壮年の男は気付かぬうちに内股になっていた。
「ほら、早くしろってんだよ」
「うぎゃっ! わ、分かったって!」
女性が股間をつかむ手に力を込めると、隣の台を打ち仲間のために台確保をしようとした男は下皿に置かれたライターを引っ込めた。
「はい、よろしい。店員をはさむのも面倒だし、お互いうまくやっていきましょ」
女性はようやく股間から手を離すと、空台に腰を下ろした。
「今日は一日よろしくね、お隣さん♪」
女性からは先ほどまでの怒気がすっと抜け、陽気な声で男の背中をバンバンと叩いた。
「大したもんだ。こりゃあウチのかみさんとタメ張るな……ん?」
壮年の男は気付いた。
近くにいた者だけが気付いていたこの騒ぎを、先ほどメダルをこぼした青年と、Re:ゼロを監視していたはずの若者が見つめている。
そして、玉つかみの女性がそれに気付くと申し訳なさそうな顔をして無言で応えていた。
「ほー、なるほどね。なるほどなるほど」
「なお君、迎えに来ましたよ」
壮年の男の背後から、落ち着いた女性の声。
「何がタメを張るんですか?」
「いや、それは、その……」
「ちょっとだけホールを覗きたいって言うから待ってたのに、全然戻ってこないんですから」
そこには陽が落ちても帰ってこない子供を迎えに来たような柔らかい表情で、壮年の男の妻が立っていた。
「この後は約束の時間まで、私の買い物に付き合ってもらいますからね」
「はい……真由美さんの仰せの通りに」
「ところで何を感心していたんですか?」
「あんな面子とプライド丸出しで立ち回る奴らが、今どきの若いのにもいるんだなーって」
「なお君が若い子を褒めるなんて珍しい。それに、悪い顔してるし」
「あ、分かっちゃった?」
最愛の妻になお君と呼ばれた壮年の男は、いたずらを思い付いた子供のような顔をしていた。
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