もう帰れない
標本がたくさんある部屋まで戻ると、なにやら言い争っているような声に気づく。
「この声、先生たちだよね。行こう」
りっかはそう言うと、俺を急かす。
「支えてないと歩けないくせに、急がせるな!」
「悪いと思ってるけどさー」
とはいえ、ここから早く出たいのはたしかだ。
りっかを支えながら、声がした方へと向かう。
現場はすぐそこのロビーで、さきほど一番うろたえていた教師が、メイドたちに怒鳴り散らかしていた。
「返せ! 俺の携帯だ!」
「ですから、外部と連絡を取るのはおやめください」
「いい加減にしろ! 泊めてもらった恩はあるが、帰らせてもらう!」
「お嬢様の食事を見た以上、このまま帰すわけにはいきません」
よく見ると3人のメイドが、携帯を1つずつ手にしていた。
おそらく、教師と生徒の携帯だろう。
俺はさりげなく、自分の携帯を隠すようにズボンのポケットにしまった。
「み……見てなどいない。なにも見ていないから、帰してくれ。他言もしない」
見ていないのなら、なにを他言しないというのだろう。
教師が嘘をついていることは明白で、当然、メイドがそれを聞き入れることはなかった。
「……決めるのはお嬢様」
冷静なメイドたちに対し、取り乱す教師と、どうすればいいのかわからない様子の女生徒。
男子生徒は、やはり頼りない教師に対し、少し呆れているようにも見えた。
そこへ、整理を終えたのか、レイカがやってくる。
「ひぃっ!」
いち早くレイカに気づいた教師は、その場で腰を抜かしていた。
俺はというと、自分より怖がっている人がいるおかげか、少し冷静だったけど、理解が追い付いていないだけかもしれない。
あれは、なにか見間違いだったんじゃないだろうか。
隣にいるりっかに、変わった様子はない。
とりあえず、逃げられる状況ではなさそうだ。
だったら、下手に刺激しない方がいい。
「く、くるなぁ!」
そんな俺の考えとは対照的に、教師は大声をあげ、尻もちをついたまま、後ずさりする。
「……おいしくなさそう」
教師を見下ろしながら、レイカが呟く。
教師は少し安心したのか、後ずさりをやめ、レイカを見あげていた。
「でも、パパが言ってたの。おいしくないものだって、ときには食べるべきだし、おいしいものは、後に取っておいた方がいいって」
「どういう……」
「おいしくないものから、食べた方がいいってこと」
教師の顔から、さぁっと血の気が引いていく。
はたから見てわかるもんなんだと、なぜか冷静にそんなことを思った。
「僕、おいしくないものだったんだ……」
少し残念そうにりっかが呟くと、レイカは教師から視線を逸らし、りっかを見た。
隣にいる俺の方でもあるわけで、これまで傍観者だと思っていたのに、俺も当事者の1人なんだと思わされる。
「あなたは、パパが選んだの。別に、おいしそうだとか、おいしくなさそうだとか、とくに考えてなかった」
「ふぅん。パパのいいなりだね」
「ええ。そうね」
「いま、自分がちょっとバカにされてるって、気づいてない?」
りっかが、レイカを煽るように言葉を続ける。
俺は隣で聞いていて、内心ハラハラしていたけれど、レイカが腹を立てる様子はなかった。
「バカにされていたのね。それは気づかなかったわ。パパのいいなりであることは、ただの事実だし、いいなりはいけないこと?」
「自分の意思がないってことだよ」
りっかのその言葉は、なにか的を得ていたようだ。
一瞬、レイカが言葉を失う。
「……そうね」
少し間をおいて、納得したのか、同意するように呟いた。
「でも、それはしかたないこと。なにかを1人で決められるほど強い意思は持っていないの。少し……好みはあるけれど」
そう言ったかと思うと、レイカの視線が、俺に向けられる。
目が合った瞬間、妙な胸騒ぎを覚えたけれど、結局、なにかを発することも、動くことも出来ないでいた。
「パパのいいなりがダメだというのなら、あなたたちの意見を参考にするのはどうかしら?」
「……僕たちの意見?」
「そう。パパの意見と、私の好みで食事の順番を考えるつもりでいたけれど、あなたたちの意見も取り入れる」
「それこそ、思考の放棄だと思うけど……。正直、その方が都合いいかもね」
りっかは、ここに集まる人たちを確認するように、辺り見回す。
「なにか、考えでもあるのか?」
俺はたまらず、そうりっかに声をかけた。
「まだ考え中。でも、なにも口出せないよりは、僕たちみんなで決めた方が、マシじゃない? あくまで最終的な決定権は、お嬢様にあるんだろうけど、今日は誰がお嬢様の食事になるのか……ね」
それを聞いて、腰を抜かしていた教師は突然立ち上がると、りっかの胸ぐらを掴んだ。
「ふざけるな! なにを言ってる?」
りっかを支えていた俺まで、よろめきかける。
「ほら、ゲームでもよくあるじゃん。今日は誰を吊りますかーって、投票するやつ。それだよ」
「そもそもなんで、俺たちが食べられなきゃならない!?」
「まあ、それは僕も聞きたいけど。っていうか、僕じゃなく、お嬢様本人に聞きなよ」
教師は、弱そうな者にだけ強いタイプなのだろう。
レイカとは少し距離を取ったまま、恐る恐るといった様子で、目を向けていた。
教師だけじゃない。
りっかや他の人たちも、みんながレイカの言葉を待った。
「……あなたたちだって、昨日、食事をしたじゃない。食材として集めたのだから、食べるのよ」
さも当然のように言ってのけるレイカを見て、俺はレイカの考えを理解するのを諦めた。
とにかく『そういう存在』なのだろう。
レイカは、俺たちを食べようとしている。
俺たちのことを、食材として集めたらしい。
そこから逃れる方法は、いまのところわからない。
ただ、時間稼ぎはおそらく出来る。
そのための犠牲は必要になってくるけど、自分の順番を遅らせて、その間に解決策を考えるしかない。
「ねぇ、服が伸びちゃうんだけど、放してくれる?」
りっかは、自身の胸ぐらを掴んだままの教師に、少しだけ語気を強めて告げる。
「そういうことしてると、食事の第一候補にあがるよ」
教師は、りっかの胸ぐらからパッと手を離すと、慌てた様子で周りを見回した。
教師を庇う者は誰もいない。
誰だって、こんなわけのわからない状況で選ばれたくはないし、自分以外の誰かが選ばれて欲しいと思っているだろう。
少なくとも、俺はそう思ってしまっていた。
「み、みんなで協力して、逃げ出せばいい!」
もちろん、それは誰もが一度は考えただろう。
だとしても、レイカやメイドがいる場で言うべきことじゃない。
こんなお粗末な教師が仲間にいたんじゃ、うまくいくこともうまくいかないような気がしてしまう。
「……ひとまず、落ち着きましょう」
女生徒が、教師に声をかける。
教え子がいるということを自覚したのか、教師はハッとした様子で、口を閉ざした。
「……それで、お嬢様は、いつ食事をするの?」
りっかが尋ねる。
なるべく情報収集するつもりか。
「ちゃんとした時間は決まってないけど、だいたい朝、昼、夜……あなたたちが食事をした後かしら。3時のおやつも欲しいわね」
「そう。それじゃあ12時くらいまでには、誰か1人決めないといけないわけだ?」
「決まらないのなら、パパのオススメか、私の好みで決める」
「僕たちを、帰らせる気はない?」
「いまとなっては、帰すわけにはいかないの。変な噂をたてられたくないから。みんな、私が食事するとこ、見たでしょう」
「正直、僕はあまり見えてなかったけど」
そういえば、りっかは布をかけられていた。
針を刺されたみたいだったけど、その後の行為や、レイカの手がどうなっていたかについては、わかっていなそうだ。
とはいえ、レイカは『見られた』と思っているのかもしれない。
あいかわらず微笑んでいる少年も、制服の少女も、俺も、レイカの食事を目の当たりにした。
教師と女子生徒、男子生徒も、あのときあの場にいただろう。
見たからといって、理解できるものでもないけれど、他に客はいないみたいだし、ここにきた7人全員が、帰れない状況に陥る。
ひとまず聞き入れるフリをした方がいいかもしれない。
「そ、そんなのはすぐに忘れる。そもそも、誰が信じる? 人が人を食っていたなんて」
そうわめく教師を止めたのは、意外にも、制服の少女だった。
「そろそろ静かにしてくれない? あなたのせいで話が進まない」
「なっ……!」
「これ以上、騒いで暴れるようなら、いっそ麻酔を打ったらどうかしら」
制服の少女は、冷めた視線を教師に送った後、判断を委ねるかのように、レイカの方を見た。
「……そうね。そうしましょう」
レイカが制服の少女の案を取り入れたとわかると、3人のメイドが教師を囲んだ。
「な、なにをする! 離せ!」
メイドが、左腕と右腕をそれぞれ抱き込む。
教師が足をバタつかせた瞬間、正面にいたメイドが蹴り上げられてしまった。
フラフラとよろめいたメイドの体を、男子生徒が支える。
「こ、これは正当防衛だ」
教師の言う通りではあるけど、人柄や雰囲気のせいで、どちらが善であるか、見失いかけていた。
「すごく元気ってことね。抑えるのが大変だわ」
背後に回ったレイカの手が、教師のうなじに触れる。
「なっ……!」
教師は一瞬、体をビクつかせたあと、ゆっくり振り返ろうとして、それも出来ずにガクリとうなだれた。
「なにを……」
「あまりにも騒ぐから、麻酔を打ったの。おやすみなさい」
こんな方法があるのなら、正面から太刀打ちするのは不可能だろう。
教師が意識を手離すまで、それほど時間はかからなかった。
メイドたちは、教師の体を抱え、近くのソファに座らせる。
「今日の昼ご飯は、この人かしら。パパに伝えておいて」
レイカが、メイドに声をかける。
「はい、伝えておきます」
「それと、私の食事は、みんなの意見も参考にしたらどうかって話になったんだけど。それについても、パパの意見を聞いてきて」
「わかりました」
本当に、パパのいいなりのようだ。
「みんなに言っておかないとね。私の食事を見てしまった以上、このまま帰すわけにはいかないの。これはパパが作ったルール。でも、私たちは、あなたたちの敵じゃない」
「そんなこと言って、食べるんでしょ」
女子生徒が、震えた声でレイカに尋ねる。
「食べるわ。でも換えパーツをつけるから大丈夫。そうパパが言ってた」
いったいなんの話をしているのか、混乱しそうだ。
ただ、りっかの左手は、たしかに綺麗で、元はよく知らないけど、レイカいわく指は曲がっていたらしい。
「りっか。その手、動かせるのか?」
「……最初は全然、感覚なかったんだけど、いまはしびれてる感じ。もうすぐ、ちゃんと動かせそうだよ」
理解できそうにない話が続く中、制服の少女が口を開いた。
「昼の食事は決まったみたいだし、部屋で休んできてもいいかしら」
この状況で、こんなにも冷静で落ち着いていられるのも不気味だが、逃げられないのなら、せめて一旦、レイカと距離を取っておきたい。
「俺も、ちょっと休みたいです」
ひとまずそう告げると、男子生徒も俺に同意するように、軽く手をあげた。
「帰れないってことは、昨日泊った部屋、使っていいんですか?」
「ええ。私も休むわ」
真顔でそう答えるレイカに、男子生徒は軽くお辞儀をして、部屋のある方へと向かう。
「ちょ、ちょっと……!」
女子生徒の方は、男子生徒についていくべきか、教師がいるこの場にとどまるべきか、迷っているようだ。
迷った末、身動きできずにいた。
そうしてる間に、制服姿の少女も部屋の方へと歩いて行く。
隣のりっかに目を向けると、りっかもこちらを見ていた。
「僕たちも、休もうか」
そう声をかけられ、俺はレイカに軽くお辞儀をした後、りっかと一緒に、割り当てられた部屋へと向かった。
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