17/ムメイの守護

 わたしの言葉に頷くと、メルリヌスさんはすっと立ち上がる。


「よし。そうと決まれば、まずは一つ目の封印を解こう」

「封印を解くって、どうやって」


 まだわたしが救世主さまであると決まったわけでもないのに。

 メルリヌスさんはすたすたと礼拝堂の奥に歩いていく。

 礼拝堂奥に置かれていた外の世界の神様を象った石像は、無惨にも砕かれ、ただの石ころとなって床に散らばっていた。石像は所詮石像で、神様そのものではない。けれどもそれを雑に扱うことは失礼なことのような、酷いことのような気がした。

 メルリヌスさんは足元の残骸には目も暮れず、奥の壁際や床を調べている。


「ふむ。見たところ、礼拝堂内に仕掛けはなさそうだね。あると思ったらここだったんだけど。と、なると」


 礼拝堂の奥を調べ終わったメルリヌスさんは、石像が置かれていた場所の隣に設置されている懺悔室の扉に手をかけた。そのままガチャリと扉を開けて中へと入っていく。

 後を追いかけて中を覗くと、メルリヌスさんは懺悔室の椅子を動かしていた。


「うん。ここか」


 椅子があった場所には、ぽっかりと穴が空いていた。よく覗いてみれば、側面には梯子らしきものが付けられているのが見える。


「さて、行こうか」


 そう言うと、メルリヌスさんはするりと穴の中へ落ちて行った。


「…………」


 黙ってテイルと顔を見合わせる。

 ぼんやりと見ていても仕方がないか。

 テイルを肩に乗せる。そろそろと梯子に足をかけて、慎重に下へと降りていく。穴の中の空気は思っていたよりも悪くない。むしろ、下に行くにつれて空気が綺麗になっているような気さえした。

 二階建ての建物と同じくらいの高さを降りると、メルリヌスさんは手持ちランプを片手にわたしを待っていた。


「なんだ、飛び降りなかったのかい」

「この高さを飛び降りるのは、ちょっと」


 いくら怪我をしても早く治るとはいえ、痛いのは勘弁してほしい。仮に足を強化していたとしても、それなりの痛みを受けることになるだろうし。


「ああ、そっか。痛みはあるんだった。ごめん、忘れてたよ。それじゃあ、先に進もう」


 メルリヌスさんは奥へと続く道を歩いていく。道の先は暗く、何があるのかよく見えない。

 しばらく歩いていると、やがて少し広い空間にたどり着いた。

 メルリヌスさんがパチリと指を鳴らすと、部屋全体が明るくなる。周囲を見てみると、壁に取り付けられた松明に火がつけられていた。

 部屋はそれほど広くなく、生活棟のわたしの部屋と同じくらいの大きさだろうか。床の中央には白い円が幾重にも重なった図形が描かれている。おそらく何かしらの魔力行使のための魔法陣なのだろう。魔法陣からはほのかに魔力を感じられる。魔法陣内に魔力が貯められている、ということだろうか。

 何かの儀式のために貯められているのか。はたまた何かを封じるために魔力が外に出られないでいるのか。どちらにしても、今感じられている魔力はそこから漏れ出ているごくわずかなもので、実際に魔法陣内に存在する魔力量は膨大なものであるように思える。

 あくまで、パッと見た感想だけれど。


「ここは」


 魔力行使のための部屋。メルリヌスさんの言動と合わせれば、ここが例の、星の心臓を守る封印が施された場所ということになる。


「封印の場さ」


 くるりと振り返りながら、予想通りの言葉をメルリヌスさんは口にした。


「ここは外の世界と繋がりやすい場所でね。脆くて壊れやすい、世界の急所でもある」

「外の、世界?」


 ああ、とメルリヌスさんはわずかに目を見開く。


「言ってなかったっけ。主教に伝わる話は本当だよ。ステラの外には、別の世界が広がっているんだ。ここは、そこと繋がりやすい場所なのさ」


 そうは言われても、自分で実際に目にしない限り、その言葉を信じるのは難しい。ただ、今はその言葉を素直にそうなのだと受け止めるしかないだろう。それが、本当かどうかは置いておいて。


「キミもなんとなく気がついているだろうけど、ここには星の心臓を守るための封印が施されている。そして、その封印を解くことができるのは本物の救世主さまだけ。と、いうことで。早速やってみようか」


 どこか楽しげな雰囲気を纏い、メルリヌスさんはどうぞ、とわたしに部屋の中央へと行くように促す。

 アステールを倒すのは、烏兎とやらがすることだとメルリヌスさんは言った。それでも、この封印を解けばわたしはアステールを倒すという選択をしたことになる。

 みんなのために、アステールを倒すとは言った。その覚悟が、ないわけではない。でもそれはぐらぐらで、頼りないもの。

 第一アステールを倒した後はどうするのだ。倒した後のことも考えずに封印を解いて、それでアステールを倒すなんて、そんなの無責任じゃないのか。


「その、アステールを倒した後のこの世界って、どうなるんですか?」

「うん? そうだね……キミが王様になるのが一番自然ではあるけど」


 なんとなく分かってはいたが、やっぱりそうなるのか。

 これまでの様子を見るに、メルリヌスさんにこの世界を統治する気がないことは分かっていた。カノジョの目的はあくまでアステールを倒すこと。この世界やヒトビトを救うことには、本当はそれほど興味がないのだろう。

 みんなの求める救世主なら、メロンの信じた救世主ならどうするだろうか。アステールを倒した後の世界を、統治するのだろうか。

 ……それが自然な気はする。


「…………今ならまだやめられる。何の覚悟もなく、封印を解くなよ」


 テイルが、いつになく真剣な声色で言った。


「封印を解けばアステールを倒すことになる。その責任は、アステールを倒した後に降りかかってくるだろうよ」

「倒した後に?」


 封印を解いたその瞬間ではなく?


「ま、今のお前に選択肢はないんだけどな。ここで封印を解いて、救世主としてメルリヌスと共に旅立つ。そうしなければ、星教派のニンゲンに襲われて殺されるだろう。ここでずっと暮らすなんて選択肢は、この教会が襲われた時点で消え去ったのだから」


 テイルの言う通りだ。

 覚悟があろうとなかろうと、今のわたしには選択肢がない。それに自分が本物の救世主さまなのかどうかも、この封印を解けばはっきりする。

 今はとにかく、やってみるしかない。


「——うん。やろう」


 杖を編み上げ、魔法陣の中心に立つ。

 封印を解く魔法なんて習ったことはない。詠唱も魔力の廻し方も知らない。

 それでも杖を魔法陣の中央に突き立てると、自然に言葉は紡がれた。


「魔力器官、接続」


 魔法陣に、自身の魔力器官を繋げる。


「回路、起動——認証。我は空の瞳を持つもの。この身体は星の幻。この星の行く末を決める者」


 実際に魔法陣に触れて、分かったことがある。

 どうやらこの魔法陣は使用者が限られているらしい。メルリヌスさんの言った通り、救世主……そうでなくとも、相応しい魔力の持ち主……でなければこの魔法陣を使用することはできない。この封印を解くことはできない。

 自身の魔力を鍵として、魔法陣内に存在する鍵穴に嵌め込む。鍵はすんなりと開けられ、魔法陣内に貯められていた魔力がじわじわと外へ溢れ出す。

 魔法陣はぼんやりと、淡い空色の光を放っていた。

 魔法陣内に存在する鍵を開け続けていると、魔法陣の奥深くにたどり着いた感触が身体に伝わる。そこには一際頑丈に閉ざされた扉が、しっかりと施錠された扉があった。

 封印を解くとはおそらく、この扉を開くということだろう。


「——確定セット。接続者名、モルガーナ・トン・蜃気楼アステリオン。我が声に応え、扉を開けよ。ムメイの守護よ。その役目を手放し、深く眠る星の心臓を現せ————!」


 ——手応えがあった。

 魔法陣はそのままに、内部に留まっていた魔力が解き放たれていく。開けられた扉から、ずるずると勢いよく魔力が這い出していく。

 ……なんとなく。なんとなく、その魔力の色はわたしの魔力と近い気がした。

 魔法陣から杖を引き抜く。

 もう魔法陣に魔力は残されていない。封印は解かれた、と思って問題はないだろう。


「……本当に、わたしが」


 解いてしまった。解けてしまった。

 それはつまり、わたしが正真正銘予言の救世主さまということで。


「星の蜃気楼、か。なるほどね」


 わざとらしく足音を鳴らしながら、メルリヌスさんがわたしの隣にやって来た。


「うん。ボクの思った通り、キミが本物の救世主さまだ。一つ目の封印も解かれたし、証拠もバッチリ」


 にっこりと、満足そうに微笑むメルリヌスさん。


「これから先、キミがどんな救世主になるのか楽しみにさせてもらうよ。さて、それじゃあ戻ろう。もうここに用はない。そうだろう、テイル」


 メルリヌスさんに呼びかけられたテイルは、普段よりも幾分低い声で、ああ、と肯定の返事をした。


「今日はお疲れ様、モルガーナ。疲れているだろうからゆっくり戻っておいで。ボクは先に戻って、夕食の用意と寝床の準備をしておくから」


 ひらひらと手を振って、メルリヌスさんは一足先に小部屋から出て行ってしまった。

 それを見送って、その後ろ姿が完全に消えたのを確認して、へたりと床に座り込む。

 うん。正直とっても疲れた。疲れたけど、早く戻ってみんなを埋葬してあげなきゃいけない。


「ふん。大方、慣れない魔力の使い方をしたから疲れたんだろう」


 肩から降りたテイルがわたしの顔を覗き込む。


「封印解除、魔力行使のキャンセルなんて教えていなかったからな。ま、普通はそんなの必要ないんだが」

「必要ないってどうして」

「相手の魔力行使を解除したければ、より強い魔力で洗い流してしまえばいいからだよ。お前の性質を考えるに、そういうのも得意そうだけどな。けど今回の、星の心臓を守る封印を解除するのにはそうはいかない。あれは魔力で洗い流すことのできない術式だしな」


 そう言って、テイルは床に広がる魔法陣を見渡した。


「これはメルリヌスの言う通り救世主……救世主という呼び方は関係ないんだが……にしか解除できないものなんだ。適切な魔力の持ち主。適切な鍵の持ち主にしか扱えない。それは、お前にも分かっただろう」


 それは、まあ。感覚的にはよく分かった。


「これはメルリヌスには解除できない。だからあいつはお前を探していた。封印解くために、あいつにはお前が必要なんだよ」


 テイルが何を言いたいのかを理解できず、首を傾げる。すると、テイルは呆れたようにため息を吐いた。


「だからな、あいつのことはあまり信用するな。嘘はついていないかもしれない。けれど、だからといって信用していい存在じゃない。とにかく気をつけろ、ってことだ」


 テイルなりに、わたしのことを心配しての発言なのだろう。その忠告は、ありがたく受け取っておかなければ。けれどどうしても、わたしはメルリヌスさんを疑いたいとは思えなかった。そういう風に思うことは、そもそも難しいことなのかもしれないけれど。

 それに今は、自分が本物の救世主さまであったことの方が、辛い。何もできなかったくせに、ダレも助けることができなかったくせに、それでもわたしが本物の救世主さまであるという証明がなされてしまった。

 そう在りたいとは願った。けれども実際にそうであるということが分かって、ああ、それは抱えきれない。わたしには、その責任は重たすぎる。

 だからだろう。

 その責任の重さに怯えているから、心細いと感じているから、メルリヌスさんのことを疑う気にはなれない。むしろ、テイルに忠告されたばかりだと言うのに、わたしはカノジョを信用したいとさえ思っていた。

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