3/鍛錬(魔力器官)
裏庭は殺風景で、数本木が立っているだけ。地面には小さな花がいくつか咲いているけれど、綺麗に整備されているわけではない。
生活棟と教会の間にある中庭は整備されているのに、裏庭を綺麗にしようとするニンゲンはいないらしい。
まあ、この殺風景さが好きではあるし、今更綺麗に手入れされても落ち着かないのだけれど。
この教会は街の最奥にある、らしい。
裏庭はその最奥にある教会のさらに奥。生活棟の裏側。誰の目にも入らない場所にある。すぐ前はもう崖のようになっていて、下には草原が広がっているのが見えた。
とてもじゃないけれど飛び降りられる高さじゃない。……別に、ここから出て行く気なんてないけれど。
わたしが知っているステラの景色は生活棟や教会の表から見えるムメイの街と、この裏庭の下に広がっている草原だけだ。
「さて、今日の稽古を始めるぞ」
ぴょんと肩からテイルが飛び降りる。
そう。この正体不明の黒猫もどきがわたしの魔法の先生なのだ。
「ほら、とっとと杖を出せ」
「うん」
息を吸って、吐いて。呼吸を整えて、ついでに姿勢も整える。
右手を前に出して、眠っていた魔力器官を起こす。目覚めた魔力器官は魔力を生成。身体の中で作られた魔力は差し出した右手から外へと排出され、自身の魔力を操るための魔道具を編み上げる。
魔道具は魔力行使を行えるものが持つ、自分専用の武器のようなものだ。杖の形をしていることが多いが、ヒトによってその形は様々。また、うまく魔力を操ることで自分の望む形に変えることもできるらしい。
完成した魔道具を手に取る。
わたしの魔道具は銀色の杖。杖の先は小さな檻のように変形しており、その中には蒼い宝石のようなものが入れられている。
「よし、それじゃあ始めよう」
テイルの言葉に頷いて、いつも通り魔道具に魔力を通して魔力行使を行う。
魔道具は魔力器官……身体の中にある魔力を生成したり操ったりするための臓器のようなもの……と深く結びついており、これに魔力を通すことで魔力行使を安定して行いやすくなる。
別に魔道具自体は魔力を操るのに必須ではないけれど、あった方が魔力行使の成功確率が上がる、より正確に魔法を発動させることができる、というものらしい。
魔道具の創造は基礎中の基礎で、とりあえず魔法使いならば最低限できなければならない魔力行使なのだそうだ。
——魔法使い。もしくは魔力器官持ち。
それが、魔力器官を持って生まれたニンゲンの正しい呼び名らしい。
魔力器官は誰しもが持つものではない。ニンゲンは普通、そんな臓器を持って生まれることはない。だがごく稀に、そのあり得ないはずの臓器を持って生まれるニンゲンがいる。
血筋ではなく、偶然に。
それは何年にヒトリの可能性もあれば、何百年にヒトリ、何千年にヒトリの可能性もある。
まあ、正直どのくらいの確率で生まれてくるのか分からない、という話。
テイルが知っているには、五十年前にはフタリ存在していたらしい。
そんな魔力器官持ちにはいくつかの特徴がある。
一つ。これは当たり前と言えば当たり前のことだけれど、魔法が使えること。
二つ。不老であること。
魔力器官がどう作用しているのかは不明だが、とにかく魔力器官持ちは老けないそうだ。成長しないわけではない。だがある一定の年齢、そのニンゲンの旬、そのニンゲンの全盛期まで育つと肉体はそこで固定されてしまうらしい。
三つ。長寿であること。
普通のニンゲンが大体七十歳くらいまで生きるところを、魔力器官持ちは百……いや、それどころか千年近く生きることも可能らしい。
だがカレらは不死ではない。
生命力が強いために多少の怪我や病気では生き残るし、治癒魔法を使うことで致命傷すら治してしまうこともある。けれど、それでも絶対に死なないわけではない。
何かの拍子に死んでしまうことはもちろんあるので、千年近く生きるというのは魔力器官持ちとしてもごく稀なケースである、という話だ。
四つ。これは身体的な特徴であり、また絶対にそうなるというものでもないらしい。瞳の色、もしくは髪の色が普通のニンゲンとは異なっている。
例えばわたし。わたしが普通のニンゲンとは異なっているのは髪の色だ。
多くのニンゲンは金や茶色、黒のところ、わたしの髪の毛の色は空色。
教会のヒトビトは最初にわたしを見た時に、とにかく髪の色に驚いたらしい。空色の髪の毛をしたニンゲンなんて見たことがない、と。
さて、魔力とは生命力のようなものでもあるのだが、これには大きく二つの種類がある。
一つは自然に存在するもの。
世界のありとあらゆるところに存在しており、この空気中にももちろん漂っている。
もう一つは個人が生成、所有するもの。
魔力は生命力のようなものであると先ほど言ったが、生命力自体は普通のニンゲンからそれ以外の動物まで、全ての存在が保有している。生命力を魔力の代わりに使うことは可能で、他者の生命力を利用して行う魔力行使ももちろん存在するらしい。
逆に、魔力を生命力の代わりに流し込む、生命力の代わりに魔力を利用して生物を生かす、ということも可能なのだそうだ。
なのでこの二つは、まあ、同じようなものであると言って問題ない、というのがテイルの言葉だ。
個人が所有できる、一日に生成できる魔力量には限度がある。そのため個人で、自分自身の力だけで行う魔力行使には限界がある。
そこで、自然に存在する魔力の出番だ。
魔力器官は世界に存在する魔力を個人が利用する魔力に変換する働きも持つ。もちろんそれには負荷がかかる。当然だろう。自分の中に、自分とは違うモノを流し込んで使用するのだから。
自然に存在する魔力と個人が生成する魔力。その質に大きな違いはない。
だが量。これだけは大きく違う。
個人が所有する魔力器官の質にもよるが、自然に存在する魔力を扱えればどんな魔法でも使用できる。際限なく魔力を使用できるのだから……というのはあくまで理論上の話。
実際には強大な魔力行使、重い負荷に耐えきれずに魔力器官が破損してしまうらしいが。
テイル曰く、わたしの魔力器官の質は中の中。凡人の中の凡人。
世界に存在する魔力を使用することはもちろん可能だけれど、そんなに大量に変換、消費することはできない。
個人で一日に生成できる魔力量も、貯めておける魔力の量もそれほど多くない。
そんな凡人の中の凡人であるわたしにも、もちろん扱える魔法はある。
個人がどのような魔法を扱えるのかは、その存在の性質と属性によって変わるらしい。基本的に魔法使いならば誰もが使えるという魔法もあるが、それもまた個人の性質や属性によって質や形が変わってくるそうだ。
——お前の性質は変質、幻、侵食、維持。属性は海だな。
魔法の練習の一番最初に、テイルが教えてくれたことの一つだ。
それがどのような魔力行使を得意とするのかまではよく分からない。
ただ現時点で言えるのは、基礎中の基礎である簡単な治癒魔法と、一時的に身体能力や物の強度を上げる強化の魔法。それから水や氷を操る魔法だけは使えるということで——。
「はい、ストップ。モルガーナ、余計なことを考えているだろう。魔力行使が安定していない」
テイルの指摘にはっとして、杖に魔力を流し込むのを止める。
目の前には氷の刃が刺さった的。残念ながら、的の中央には一つも刺さっていなかった。
行っていたのは戦闘用の魔法の練習。氷の刃を作ってそれを射出するだけのもの。
的に当たるようになっただけでも成長した方だとは思うのだが、まだまだ完璧には程遠い。
「そら、集中してもう一回やってみろ」
「うん」
改めて杖を握りなおす。
「——魔力固定」
自身の周りに魔力を集めて、氷の刃を形成する。
「——
今度はきちんと、的の中央を狙って。
魔法を使うのに、詠唱は必ずしも必要というわけではない。たが、詠唱があれば魔力行使が安定する。この程度の魔力行使であれば本来不要なのだが、半人前のわたしには必要なものであった。
「——
固定した魔力の塊を発射する。
氷の刃は勢いよく的へと向かい、その中央へと突き刺さった。
「ん、よろしい。まったく、できないわけじゃないんだからきちんとやれよな。集中すれば、気をつければできるんだから」
凡人ではあるけれど、未熟者ではあるけれど、全く才能がないわけではない。というのがテイルからわたしへの評価であった。
だけど、救世主さまと呼ばれるには絶対的に才能も技術も、努力も足りていない。
礼拝堂にいたシスターたちの冷たい目を思い出す。期待なんてない。信頼なんてない。あるのは諦めとか蔑みとか、そういう負の感情だ。
この教会に来たばかりの頃はそんなことなかった。心の底から救世主さまが来たのだと、喜びや期待、尊敬の感情を向けられていた。
けれどもわたしは、みんなが思うようなニンゲンではなかった。
記憶もない。信仰心もない。おまけに大した魔法も使えない。
救世主さまという呼び名が上っ面だけのものになるのに、そう時間はかからなかった。
実際、自分でもわたしは救世主さまなんかじゃないって思ってる。分かってる、そんなこと。
別に救世主さまになりたいわけでもない。
けどそれでも、わたしに尊敬の眼差しを向けてくれるヒトがいる。わたしのことを救世主さまなんだって思ってくれているヒトがいる。
その期待を、裏切りたくはない。
だからこうしてテイルに魔法の稽古をしてもらっている。
無駄かもしれないけれど、無理かもしれないけれど。それでもたったヒトリ、慕ってくれるメロンがいるから。
だから、偽物でも救世主さまらしく在りたい。
ただ一番の問題は、救世主さまというのがどのような存在なのかが分からないということで。
「別にな、無理してなる必要はないんだ」
ぽつりと、テイルがなんでもないことを話すように口を開いた。
「救世主なんて、あんなものなる必要ない。だって何を救うんだ。救うべきものがあったとして、それを救ってどうなるんだ。どうせみんなに使い潰されて終わるだけだ。大勢を救う、大きな何かを救う時には、結局自分は犠牲にならなきゃいけなくなる。そんなもの、なる必要なんてないんだ」
わたしが救世主さまについて考えるたび、テイルはそう繰り返す。
けれど、それでもやっぱり。
「でも、求められたのならその気持ちには応えたいかな」
わたしの中に、救世主さまの在り方の答えはまだない。本当ならきっと探す必要もないそれを、ぼんやりと考えるのがこの一年間のわたしの習慣だった。
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