第32話 とあるミステリ研究会員の本当の願い【解決編】

 とある地方都市にある中高一貫銀杏いちょう学園。

 歴史があるといえば聞こえはいいが、ようはボロい旧校舎の二階の隅。家庭科準備室は窓からの夕日でオレンジ色に染まっていた。


 俺はコンロに小鍋と薬缶を置いて、棚に手を伸ばす。マグカップとティーカップを一つずつ。ティーポットもだして。そして、ココアと紅茶を取り出す。


 今日の紅茶はダージリン。折角だから爽やかな香りを楽しめるストレートで。


「あっ、お茶菓子、忘れた」


 ――まぁ、いいんじゃない?

 うわっ! ちょっと、いきなり話しかけないでよ。危ないでしょ!

 えぇ、折角だから豪勢にいきたかったのに。

 でも、まぁ、食べるより話をしたいし。ない方がよかったか。


 ――立花たちばな先輩、悪いことしたね。

 あっ、そこ、つっこむんだ。

 そうだね。サトシ達もついてきちゃったし。立花先輩、困らせてしまったよね。


 ――さすがにミカンの所まではいかなかったんだ。

 そりゃあね。って、今はその話、これ以上はやめようよ。ココアもできたし。


 ――わかった。ところであの本は?

 もちろん持ってきたよ。ちゃんとセッティングずみ。

 それにしても我ながら物持ちいいよね。あの本を買ってもらったのって、小学生の時だよ。


 ――小学校の図書室で何度も借りていたら、ご両親が買ってくれたんだっけ?

 うん。そんなに何度も借りたら他の子が読めないだろうって。探すの大変だったみたい。布張りの本なんて珍しいからね。


 俺はココアと紅茶をローテーブルに運ぶ。ローテーブルには緋色の表紙の本。そして。


「とっくに絶版になっていた本だったからね。出版社はもちろん、ネットショップや、大手の書店にも在庫がなくて。その上、君は古本ではなく新品をお望みだった。ご両親はずいぶんとご苦労をされただろうね」

「はいはい。もう驚きませんよ」


 俺はソファに座る先輩の前にココアを置く。そして、緋色の表紙の本を挟んで向かい側に座った。


「ありがとう」

 

 早速、マグカップを口に運ぶ先輩。榛色の目が嬉しそうに細められる。


「やっぱりモナミのココアは絶品だね。お茶菓子なんて、なくても全然問題ないよ」

「それはそれで複雑な気持ちです。お茶菓子も気合入れて作っていたんで」

「これは失礼。モナミのお茶菓子もココアに劣らず素晴らしいよ」


 わざとらしく不満そうな顔をしてみせた俺に、先輩が苦笑しながらこたえる。その姿に俺も笑ってしまう。


「先輩、俺、口にだしてませんよね? この本のことも、お茶菓子を忘れたことも」

「あぁ。そうだね」

「そして、先輩はエスパーではない」

「残念ながらね」


 先輩がココアを飲みながら俺に問いかける。

 

「さて、答えはでたかな?」

 

 榛色の目が俺を真っすぐに見つめる。静謐な光が俺を捕らえる。

 ティーカップを置いて、俺は一つ深呼吸をする。

 

「はい」

 

 コトリ。

 裁判官がカンカンって鳴らす木槌の音、あるでしょ?

 先輩がマグカップをローテーブルに置く音が、それに聞こえた気がした。

 どうやら緊張しているみたいだ。


「では、聞かせていただこう。モナミ、君が辿り着いた真実を」


 俺はもう一度深呼吸をすると、口を開いた。


「先輩、あなたは俺が作り出した妄想だ」


 先輩は何も言わない。俺はローテーブルに置かれた緋色の表紙の本に手を伸ばした。布張りの本には金色の題字。何度も読み返したそれは角の布がすり切れ、題字も少しくすんでいる。タイトルはもちろん、ミステリの女王の代表作。


「俺は名探偵じゃなくて助手になりたかったんです。ポンコツで、平凡で、でも、名探偵の唯一無二の存在で。探偵だけじゃない、依頼人とか、下手したら犯人にまで愛される。そんな誰からも愛される存在になりたかった」


 器用貧乏な自分が嫌いだった。やっとできたと思った友達ともすれ違った。

 自分の殻にこもった俺が作り出した存在。それが先輩。愛すべき名探偵。先輩がいてくれる限り、俺は平凡で愛すべき助手でいられた。

 でも、おせっかいな友達がこの妄想から俺を引きずりだしてくれた。もう、このままではいられない。


「モナミ、合格だ。君の見つけた真実とその勇気を、私は称賛するよ」


 そういって先輩がふわりとほほ笑む。

 大輪の花が咲き誇ったようなその笑顔、今にも散りそうなそれに俺はしばし見惚れる。

 そして、ローテーブルに隠れた拳を握り締める。


「先輩、前に言ってましたよね。ミステリ研究会の日々を存外気に入っているって。俺は存外どころじゃない。大好きです。先輩との日々がなかったら、俺はあのバレンタインデイを受け入れられなかった。だから」

「モナミ?」


 先輩の顔から微笑みが消える。怪訝そうな顔で俺をみつめる。榛色の目が揺れる。その目を俺は真っすぐに見返す。

 たかだか十年ちょっとの人生だけど、人生初の告白。一生分の勇気を振り絞る。


「俺はこれからも先輩といたいです。例え先輩が俺の作り出した妄想だとしても、構わない。俺には先輩が必要なんです」


 言った! 言ったぞ! もう、ヘタレなんて呼ばせないからな!

 言い切った俺は息をつめて先輩の返事を待つ。そんな俺の顔を見て、先輩は一瞬目を見開いた後で、少し困った顔でほほ笑んだ。


「モナミ、君ってやつは、いつも私の予想の斜め上を行くね」

「駄目ですか?」


 食い気味で先輩に迫る。ここが勝負、そう思ったのに。


「だがモナミ、前言撤回だよ。やはり君の灰色の脳細胞は年中お休みのようだね」


 マグカップを口元に運びながら先輩がニヤリと笑う。


「モナミ、私は君の先輩。つまり、今、高等部三年生。あと一ヶ月足らずで卒業なのだよ」

「えっ?」


 予想外の言葉に声が裏返る。

 いや、先輩って俺の妄想なんでしょ? そこはちょちょいとさ。ほら、ご都合主義とかあるじゃん。


「ご都合主義など現実にあるわけないだろう」

「だから、俺の考えを読むのやめてください!」


 呆れ顔で言う先輩についいつもの癖でつっこんでしまった。


「何を言うんだ。私は君の妄想の産物だよ。君の考えなんぞ、全てお見通しさ。私の容姿が君の好み、どストライクなこともね。それに」

「わ~! わ~! やめて~! けなげな青少年のメンタルは豆腐なんですよ!」

 

 これ以上、先輩に語らせてはいけない! 慌てて先輩の言葉を遮る。そんな俺を先輩が面白そうに見てくる。


「まぁ、とはいえ、この一年間で図らずも可愛い後輩ができてしまった。このままお別れでは、少し面白みに欠けるね」

「えっ?」

「たまにはOBとして遊びに来るくらいはしてあげようじゃないか」

「えっ?」

「モナミ、甚だ心許なくはあるが、ミステリ研究会は君に任せたよ。そして、家庭科準備室の名探偵の名もね」

「せ、先輩!」


 どういうこと? 妄想なのに先輩は卒業して、でも、OBとしてまた会いにきてくれる? また、先輩に会える?


「いつ会えますか? って言うか、卒業まではまだ会えるんですよね? 先輩! って、えっ?」


 矢継ぎ早に問い詰める俺の口を、先輩の細く白い指がそっと抑える。


「モナミ、君の灰色の脳細胞を働かせたまえ」


 そう言ってニヤリと先輩は笑う。そして。


「さて。では、そろそろ私は失礼するとしよう。モナミ、いつも美味しいココアをありがとう。次会う時も楽しみにしているからね」


 その言葉を最後に先輩は行ってしまった。いつもの放課後と同じように。

 

「あっ」


 どのくらい、そうしていただろう?

 最終下校を知らせる校内放送に俺はハッとする。

 一人ぼっちの家庭科準備室。慌てて帰り支度をしようとローテーブルのマグカップに手を伸ばした俺は、思わず驚きの声を上げた。


 手に取った先輩専用のマグカップ。その中身は、何故か空っぽだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る