第3話 とある天文部員の苦悩【問題編】①
とある地方都市にある中高一貫
歴史があるといえば聞こえはいいが、ようはボロい旧校舎の二階の隅。家庭科準備室で俺と先輩は今日も読書に勤しんでいた。
中庭では桜が青々とした葉を茂らせている。ちなみに窓は締め切ったまま。寒いからではない。つい数日前、風にのって毛虫が舞い込んできたからだ。
――そりゃ、災難だったね。
本当だよ。花びらならともかく毛虫だよ! って、だから人の回想にいきなり入ってこないで!
――ところで読む本変えたの?
えっ? あっ、いや、たまには別の本を読もうかなぁって。ほら、同じ本だと飽きるじゃん。
――それ漫画だよね?
うぐっ! あぁ、そうだよ! 悪かったな! 文字だけだと誰が誰だかわからなくなるんだよ。全くなんで海外の人名ってあんなに長いの? 覚えきれるわけがないじゃん。
――ところでなぜ二人きり? もう五月だよね? 新入生は?
入らなかったの! 見ればわかるでしょ!
――そんなこと言って、本当は先輩と二人きりが良くて勧誘しなかったんじゃないの?
そんなわけ無いでしょ! 俺は純粋に推理小説とこの静かな環境が好きなだけなの! そういう邪なことはこれっぽっちも。
「おや、それは残念。二人きりも悪くないと思っていたんだがな」
「ふぇっ?」
向かいに座る先輩から唐突に告げられた言葉に俺から変な声がでる。
「えっ? 先輩、それって?」
「まぁ、それはいいとして。さて、お客様のようだよ」
「はい?」
戸惑う俺を華麗にスルーして先輩が家庭科準備室のドアに目をやる。いや、全然よくない! そう言い返そうとした俺は、ドアを開けた人間を見てちょっと驚いた。
「あれ? ジュンジじゃん。どうしたの?」
ひょろりとした長身。ちょっと長めの前髪に隠れた目元は銀縁眼鏡。見るからにインドアっぽい彼の名前は
中等部の三年間と高等部一年生までは同じクラス。今年は別のクラスだけど隣同士。お互い理系選択ということもあって、結構仲良くしている。
ジュンジは天文部員。天文部の部室も旧校舎にあるけど、わざわざ訪ねてくるなんて珍しい。っていうか、初めてじゃない?
「珍しいね。うちにくるなんて。何? 天文部辞めてミステリ研に入りたくなった?」
「それはない」
入口に立ったまま動かないでいるジュンジに声をかけると即答されてしまった。でも、その後に続く言葉はない。
「ん~、とりあえず何か飲む? まぁ、座ったら?」
「あっ、いや。先客がいるならいいんだ」
ジュンジの言葉に俺は首を傾げる。家庭科準備室には俺と先輩しかいない。
「先客なんているわけないじゃん」
「えっ?」
「ほら、いいから、いいから」
戸惑うジュンジの手を引いてソファに座らせる。何かあるから来たんだろうし、このまま帰すわけにもいかないだろう。
「飲み物はコーヒー、ココア、紅茶の三種類。コーヒーはインスタント。前からここにあったものだけど、一応賞味期限内。ココアは小鍋できちんと練ったもの。白砂糖じゃなくて、きび砂糖で甘みをつけているのがポイント。紅茶はダージリン、アールグレイ、ちょっと変わったところでグレープフルーツのフレーバーティー。さぁ、どれにする?」
流れるような俺の説明にジュンジがフッと笑う。
「とりあえずコーヒーが好きじゃないことだけは伝わるな」
「そんなことないよ。インスタントを馬鹿にしてはいけない。忙しい日本人のニーズを良く捉えた商品だとは思うよ。さて、ちなみに今日のおすすめはグレープフルーツのフレーバーティーだよ。五月の爽やかな陽気にぴったり」
「ははっ、褒めてねぇ。じゃあ、グレープフルーツで」
声をあげて笑うジュンジにちょっとホッとする。随分と険しい顔をしていたから。
俺はジュンジに背を向けて、薬缶をコンロにかけた。棚から紅茶とティーポット、カップを取り出す。
「あのさ」
意を決したようにジュンジが声をかけてくる。俺はティーポットに茶葉をいれながら、ん? と努めて軽く返す。でも続く言葉がない。
まぁ、ジュンジのペースで話したいとき話してくれればいいや。別に暇だしね。うんうん、俺っていい友達だよなぁ。
また黙り込んだジュンジに、そんなことを思いながらティーポットにお湯を注いでいたのだけど。
「実は少し前に彼女ができたんだ」
「えぇ! ジュンジに彼女? 聞いてない!」
「おい! 危ないぞ!」
まさかの告白に薬缶を持ったまま振り返ってしまった。ジュンジが目を丸くして叫ぶ。慌てて薬缶をコンロに戻して一度深呼吸。もちろん火が消えていることも確認した。
「なにそれ! 彼女? いつ? ってか、俺たち友達だろ! 黙っているなんてひどい!」
「いや、だからこうして今言ってるだろ」
ソファへと詰め寄った俺にジュンジがのけぞる。
「誰? うちの学校? それとも他校? 馴れ初めは? ナンパか? まさか合コン? 俺を差し置いて合コンなんてしていたのか! この裏切り者!」
「質問多いな。ナンパでも、合コンでもないよ。ってか、誰かはともかく、なんで馴れ初めまでお前に報告しないといけないんだよ」
呆れ顔のジュンジが俺から少し距離を取る。
「いけないに決まってんだろ! 友達だと思っていたのに! 裏切り者!」
「だから、なぜ裏切り者? ちょっと話がわからないんですが」
ヒートアップする俺とは正反対にジュンジがどんどん引いていく。
「うるさい! どこの誰だよ! っていうか、彼女いるならこんな所にいないでさっさと帰って彼女とイチャイチャしろよ!」
「モナミ、こんな所というのは失礼じゃないか」
ずっと黙っていた先輩が呆れた顔で声をかける。いや、先輩、今大切なのはそこじゃない!
「なぁ、お茶、大丈夫なのか? 俺、渋いのは苦手なんだけど」
「あっ! そうだ! 紅茶!」
気が付けばソファの隅まで追い詰めていたジュンジの言葉に、俺はハッとコンロ脇に放置したままのティーポットに目を向ける。
しまった! すっかり忘れていた! 慌てて台所に向かう俺の背後で「騒々しい奴だな」「まぁ、モナミは友人想いなんだよ」と呆れた二人の声が聞こえる。
言い返したいのはやまやまだけど、今は紅茶が先だ。ティーポットの蓋を取るとグレープフルーツの爽やかな香りが立ち上る。水色も綺麗だ。ホッとした俺はティーポットとカップを持ってソファに戻る。
「本当にグレープフルーツの香りなんだな。いい香りだ」
「でしょ。甘くしたいなら蜂蜜がお勧めだよ」
紅茶をカップに注いで、一つはジュンジに。一緒に蜂蜜を置く。もう一つのカップを持ってジュンジの向かい側のソファに座る。ちなみに先輩はココア専門。まだマグカップは空になっていないので、お代わりはいらないだろう。
ジュンジはストレートで一口飲んだ後に、蜂蜜に手をのばす。いきなり蜂蜜をいれない所がいいよな、と、ふと思いながら俺もカップを口に運ぶ。うん、おいしい。って、ほっこりしている場合じゃなかった。
「おい、何くつろいでるんだよ! さぁ、彼女のことを洗いざらい喋れ!」
「あぁ、俺もそのつもりできたんだ。相談したいことがあってさ」
捲し立てる俺とは正反対に沈んだ声で答えるジュンジ。その様子はどう見ても彼女ができたばかりの浮かれた様子には見えなくて。俺と先輩は無言で顔を見合せたのだった。
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