探偵社バラウル 【各章完結ver】月水金で更新中

万珠沙華

客の来ない探偵事務所

客が来ない探偵事務所 1

いつの間に眠ってしまったのだろう。

雨粒が窓を叩く音で重い瞼をあけ窓の外を見る。

先程まで雲の合間に日差しが見えていたというのに、眠っている間にすっかり曇天の空へと変わり強い雨が降り注いでいた。


今日こそは晴れる。

そう思ったのに最近続くこの長雨はどうやら期待に答える気がないらしい。

頭の重みでつぶれた本を閉じ、すっかり変わってしまった雨空を鬱陶しいと見ながら立ち上がった。


「今日はもうこねーかな。」


エドワード・ヴァンヘルシング。

俺は探偵社『バラウル』の店主である。

この町唯一の探偵だから絶対に客足に困ることはないだろうと思っていた。

それに『バラウル』なんて特徴的でかっこいい名前は他にはない。一際目立つ自信はあった。

だというのに残念ながら開業以来、依頼は一件もない。

それどころか相談しようという人が一人も現れないのだ。


今日一日が雨だと言わんばかりの分厚い雨雲をみて、「また今日もだめだったか」と溜息をついた。

人が出歩こうという時でさえ依頼人が来ないのだ。

こんな雨天にわざわざ依頼に来ようなんて奇特な人間はまずいないだろう。


客入りを諦め扉の前に立てかけたwelcomeボードを下げに外に出る。

思った以上の雨量だ。

既にボードは木枠が変色するくらい水浸しになっていた。

水浸しになったボードを玄関ポーチに持っていき、嫌々カビが生えないように拭きあげる。

ふと、人の視線を感じその手を止めた。


振り返ると雨の中こちらの様子を伺う人が見えた。

真っ赤な傘に真っ赤なレインブーツの女性だった。

目が合っても視線を反らさず、女性は微かに微笑みはするが全くこちらに話しかける様子もない。

とうとう気まずくなり、その女性に声をかけた。


「どうかされましたか?」


強くなってきた雨に打ち消されないように大声で聞いた。

だが女性は問いに答えるつもりはないらしい。

無言のままゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

何か用事があるのだろうと様子を伺うが、その歩みは『バラウル』の門前でピタリと止まってしまう。

先程まで微笑んでいたというのに急に女性は心底嫌そうな表情を浮かべた。

そして、ぽつりとなにか言ったのだ。

だがその声はあまりに小さい。

いくら店の門まで近寄ってきてくれたとはいえ、雨音に打ち消され何一つ聞くことが出来なかった。


「よければ中で聞きます。こちらへどうぞ。」


雨に負けない声でそういい、念のためにドアの中を指す。

声は届いたようだ。女性は頷いた。

依頼かは分からないが、来客だ。

手早くwelcomeボードを雨の当たらない端に寄せ、初めての来客に『バラウル』の扉を開けた。


先にバラウルへ入り、外に出る前に仕掛けておいた淹れたてのコーヒーを今まで使うことがなかった来客用の真新しいカップに注ぐ。

外を見ると女性が先程までさしていた真っ赤な傘を畳んでいた。

その傘を玄関ポーチの手摺にかけるとようやく開けっ放しにしていた扉から入った。


「こちらへどうぞ。」


入口正面の囲炉裏に用意したコーヒーを置く。

席を案内したが女性は首を横に振り長居するつもりはないと短く答えた。


「分かりました。私に何か御用でしょうか?」


「ここは探偵事務所だと伺ったのですけど。」


先程まで雨に打ち消されていた女性の声が部屋に入り、ようやく聞き取ることができた。

どうやら先程まで聞こえなかったのは雨だけが原因ではなく、女性の声自体が小さかったようだ。

雨だから今日も依頼は諦めていた。

突然の初依頼に嬉しさのあまりなんども頷いた。


「はい、こちらは探偵事務所です。なにかご依頼でしょうか?」


未だ聞き取りにくい女性の声。

聞こうと女性の所へ寄るが、一歩寄るごとに女性は一歩下がっていった。

二歩、三歩と続き、女性は依頼内容を話すことなく怯えるように帰ると言い出してしまった。


「やはり結構です。ここへ来るべきではなかったわ。」


長らく待った『バラウル』初めての客であるのに、初回でしかも何一つ聞けていないのに「ここへ来るべきではなかったわ」などと言われ、頭を鈍器で殴られたかのような強い衝撃に襲われた。


雑誌で特集されていた流行の喫茶店を真似た居心地の良い空間。

接客態度も自身のビジュアルも全て完璧だとは思う。

それにカフェにも負けないコーヒーの味にも自信があった。

だというのに、ずっと客が来なかっただけでなく初めて来た客にすら帰りたいと言われるだなんて。

笑顔のまま硬直し悶々と『バラウル』の何がだめなんだと悩んでしまった。


当然女性は帰るのだろうと思っていたが、目の前の女性は「来るべきではなかった」と言っていたものの立ち去るわけではないらしい。

帰るわけでもなく、話始めるわけでもなく、ただ無言でこちらを見続けていた。

まるで話を切り出されるのを待っているかのようだ。

ようやく女性の視線に気付き、帰るつもりがないことに安心するも何を話せばいいのか分からない。

次になにか気に障ったら本当に最初の依頼が頓挫してしまう。

どうしたものか迷った末に依頼の内容ではなく気になっていた先程の理由について尋ねることにした。


「良ければ、今後の参考のために来るべきでないと感じた理由を聞かせてもらってもいいでしょうか?」


警戒心が強い女性だということは先程十分分かった。

もう近づくつもりはないと行動で示すために、女性が立つ扉から少し離れた場所にある囲炉裏の席に先に座って女性がアクションを起こすのを待った。


10分程沈黙が続き、その間店内にある壁時計だけがコツコツと音をたてて時を刻んでいた。

話す気がないのではないのだろうか?

自分用に用意したコーヒーを飲みながら気がないのなら帰ってくれないかと思い始めた頃、眩い閃光の光が開けっ放しの扉から入り女性を照らした。

そして同時に沈黙を切り裂くような雷鳴が鳴り響いた。

開けっ放しの扉をせめて扉を閉めようと腰を浮かせた時、先ほどの音に急かされでもしたかのように沈黙を貫いていた女性は、ようやくその固く閉ざした口を開いた。


「人に話しても信じてもらえないかもしれないわ。」


先程までの蚊の鳴くような小さな声とは違い、女性ははっきりそう言った。

そう言った直後、女性は己の口を両手で塞いだ。

女性は狼狽え、その様子はまるで言ってはいけないことを言ってしまったようだった。

落ち着かせるようゆっくりと安心させる口調で女性の言葉に返した。


「大丈夫です。信じる信じないは問題ではありません。

ただ私は探偵として依頼主の話を聞くだけです。もちろん守秘義務があるので他言はいたしません。

お悩みがあるのであれば、是非聞かせては貰えませんか?」


足を組み利き手ではない方の手でカップをとる。

優雅な動作でコーヒーを飲み、これが理想の紳士像だと言わんばかりの動作や言動に対し心の中で自分を褒め、「依頼はもらった」とガッツポーズをとった。

近頃の女性はこういうシチュエーションに弱いと聞くのだ。

きっと心を閉ざしたこの女性にも通用するはずだ。

だが巷の噂というのはあてにならないものだったらしい。

完璧だと思った動作に目もくれず、目の前の女性はただ怯えた表情のまま立ち尽くしていた。

せめて笑ってもらえたら気も楽になったというものだ。

笑うどころか完全に見えなかったこととされ、きまったと調子に乗った心をえぐった。


「では、依頼を。信じていただかなくて結構です。

どうかあの女を殺してください。」


よりにもよって記念すべき最初の客が依頼するのが殺しの依頼だなんて誰が予想できただろうか。

『バラウル』は探偵社としての最初の一歩を早くも踏み外したようだ。

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