第1話 父親の黒歴史

 *** 2055年 7月 某日(未来)***




「何なのこれ! ありえないわ!」

 雑誌の記事を手にした結海ゆうみが大きな声を張り上げた。


 その声は、開いていたドアの外まで響き渡って廊下を歩いていた者が皆一斉に振り返った。



「海原くん、一体どうしたんだ?」

 資料室の隣の編集長室にいた稲垣が驚いて部屋に飛び込んで来た。






「こんなのオカシイわ。もしかして、あの大喧嘩の原因はこのせいだったのかも……」




「何をぶつぶつ言ってるんだ? 先日頼んでおいた鍋職人の取材の原稿は出来上がってるのか?」

 稲垣は心配そうに結海に声をかけた。


「は? あ、編集長! あ、はい、そちらは大丈夫です! 取材を終えて昨日金沢から戻ってきたばかりですが、今、原稿の仕上げをしていますので、もう少しお待ちください」

 結海がやっと稲垣に気付きニコリと微笑んだ。




「うちは昔から日本の伝統文化を守るプロの職人さんたちを特集したり、古くから伝承されてきた日本独自の家屋や家具を紹介する専門誌中心の至極しごく真面目な出版社だ。


 どこぞやの芸能人や政治家のスキャンダルをフリーの記者から買いあさって記事にするようなチマチマしたとことは違うんだよ。


 やつらみたいにバカ売れはできないが、それでも品格と伝統を守って記事を書くのが俺たちのモットーだからね。

 まあ、結海くんはまだ一年目なのに取材も記事もなかなか頑張ってるから期待してるぞ。記事は明日中に仕上げてくれよ」




「はい、ありがとうございます! 実はその前にちょっと別件なんですが、芸能人のスキャンダル記事についてお聞きしたいことがあるんですけど、いいですか、編集長?」



「おいおい、今俺が言った事を聞いてなかったのか? せっかく伝統ある我らの仕事を誇りに思ってもらいたくて……」

「すみません、今回の取材の記事はしっかり仕上げておきますから。実はこの古い記事のことなんですけど……、これってうちの出版社の記事じゃなくてあの悪名高あくみょうたかき『週刊女の春』のなんですが、長い間まことしやかに書かれていますけど、この記事、ガセってことないですか? 絶対にありえない記事なんです!」



「ふうん? どれどれ……んん? こりゃ30年以上も前の記事じゃないか。どうした今更。

 ――ああ、そういうことか。これはお前の親父さんの記事だったな。それで興味があるわけだ」



「さっきここで他社の資料を調べていて見つけたんです。この記事、すごく如何いかがわしい内容ですけど、うちの父に限ってこんなことするはずはないんです! それに、この記事、初めて読みましたけど、随分と稚拙ちせつな内容って言いますか、ほぼ妄想で書かれていませんか?」





『人気ロックバンド、ラ・メールブルーのリーダー海原裕星(25)が火遊びから真剣不倫へ? 以前お見合い番組「独身貴族」で選ばれた婚約者Mさんを裏切る誠実な男の裏の顔』


『記者が掴んだ密会のお相手は、国内トップモデルの朝倉リン(28歳)。二人は2023年7月3日に別々に京都入り。翌4日、帰宅後すぐに都内の高級バーへ。さらに、あろうことか、一週間後7月10日には、婚約者と住む自宅マンションへ彼女の留守の間に連れ込もうとしたところを張り込みの記者が激写。写真一枚目は先週号で掲載した京都の神社での――――』〈週刊女の春〉






「ああ、君はこんな昔の噂までは知らなかっただろうなぁ。だけど、この時も本人からのコメントはなく、事実として認めたとされたんだ。週刊女の春によれば、当時ちゃんと取材した結果だと聞いたことがあるなあ。


 しかし、もういいじゃないか。当時は随分取材合戦が加熱して大騒ぎだったが、君の父親、つまり、ラ・メールブルーの海原くんは、それから7年後、君の母親、映画でも共演した天音美羽さんと無事結婚したんだから。

 そして翌年君が生まれた。海原くんも若かったせいもあるだろうし、今更穿ほじくり返す必要はないでしょう」


 稲垣は、やれやれといわんばかりに忙しそうに資料室の出口に向かいながら背中ごしに言った。




「いいえ! 問題ありです! こんなこと信じられません! それに、多分このことが原因だと思うんですけど、両親は今でもしょっちゅう言い争ったりしてるんです! 

 大恋愛の末に結婚した両親が熟年離婚しちゃうかもしれないんですよ! 私の家族の危機なんです! 

 こんなくだらないガセ記事のせいで、一生嘘の黒歴史が理不尽について回ってるんですよ!」


 結海は仁王立ちで腕組みしながら稲垣の後ろ姿に叫んだ。




「まあまあ、これがガセだったとしても、もう時効だろ? いつまでも覚えているやつはいないから気にするな。


 それよりもお前が生まれてからは、週刊誌のやつらは皆、二世のお前がどこに進学してどこに就職したか血眼になって探していたぞ。

 まあ、君は自分の意志でとうとう芸能界には入らず一般人のままだったから、経歴を知られても記事にされることはなかったけれどね。


 週刊誌というのは、ある意味著名人の裏の顔が見たい読者を満足させるものだからね。法に引っかからないギリギリを攻めるんだろう」



「ギリギリを攻めるんじゃなく、嘘をでっち上げて勝手に売り上げ伸ばしてるだけですよ! それに、何の根拠もないのに。

 この写真の女性、父に抱き上げられていますけど、顔も見えてないじゃないですか。誰だか分かってもないのに、結局、元モデルみたいな漠然とした書き方をして、どこかの売れないモデルを適当に当てはめただけじゃないですか! 

 それに、この朝倉ってモデルの宣材写真とこの記事の写真の女性は全く雰囲気が違いますよ!」


 烈火れっかのごとく怒っている結海をなだめるように、稲垣は渋々引き返すと結海に近寄り肩に手を置いた。


「結海くん、明日原稿が出来上がったら、ゆっくり話を聞くよ。

 今さらゴチャゴチャ言ってももう過ぎたことだ。タイムマシンでもない限り、昔のことはもうどうにもならんだろ、な?」


 ポンポンと結海の肩を叩いて、これ以上話し相手にされたくないか、逃げるように去って行ってしまったのだった。








 ――タイムマシンでもない限り? ふふん、なるほど、そうよね?



 結海は不敵ふてきな笑みを浮かべると、机の上のバッグをバサッとひったくるようにして資料室を急いで出たのだった。

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