鬼胎児

 むかしむかし。

 朝廷からの命を受け、桃太郎は鬼ヶ島に鬼を征伐しにやってきた。

 雨は土砂降り。雷は鳴り。海は大荒れ。

 そんななか、鬼ヶ島になんとか上陸した桃太郎一行は本丸の酒呑城しゅてんじょうを目指した。立ちはだかる鬼たちを次々と倒していった。

 イヌは鬼の足に噛みつき、サルは鬼の顔を引っ掻き、キジは鬼の目玉をつつき、桃太郎は鬼の心臓を愛刀で突き刺し、息の根を止める。


 するとそこで、桃太郎は酒呑城門前の岩陰からのぞく1匹の鬼に目が留まった。

 薄桃色の体色に白い和服。

 長いおさげ髪。

 隆起する純白の角。

 ハート型の瞳孔。

 目が合ってから慌てて逃げる鬼を桃太郎はひとりで追いかける。

 ついに荒波の崖まで追い込んだ桃太郎は逃げる鬼を背後からたちまち一刀のもとに斬り捨てた。


「戦場で背を向けるなや。阿呆が」


 薄桃色の鬼は赤い鮮血を吐いて虫の息となった。

 それを見て桃太郎は立ち去ろうとしたが、そこで鬼の表情が気にかかった。

 なぜか斬られたのにもかかわらず、その鬼の瞳には慈愛が浮かんでいたのである。


「……強うなったんじゃねー」


 なんとその鬼はもと言葉を喋った。


「私は人間を愛してしもうた鬼、名を温羅おんらいうんじゃね。父は鬼王きおう酒呑童子しゅてんどうじなんよ」


 なぜこの鬼は自分にそんな身の上話を語るのか、桃太郎にはさっぱりだった。

 しかし不思議と目が離せなかった。


 というか、今この鬼はなんと言うた?

 人間を愛してしまった鬼じゃと?


「今から言うことはすべて真実なんよ」


 温羅と名乗った薄桃色の鬼は正直に言った。


「私はあんたの実の母親……。あんたを産んですぐに桃の中に隠したんじゃね」

「な、なにぃーアホなこと抜かしよんなら?」


 頭が痛くなるほど桃太郎は理解不能だった。

 それはまるで頭から角でも生えそうなほどに。

 それでも構わず、自称母親は続ける。


「そしてあんたを海に流したんよ」

「海に?」

「あんたにゃ悪いことしたんじゃね。でも、鬼と人間の子供が見つかりゃ鬼の掟により問答無用で殺されるんよ」


 逆鬼ヶ島流しの棄児きじ

 鬼の居ぬ間に桃を流したじゃと?


「おめえ、ふざけるのも大概にせえ!」


 桃太郎はにわかには信じられなかった。

 すると温羅は信用させるためにあの日の詳細を語る。


「海に流す際、一緒にいわく付きの日本刀も送ったはずなんじゃね。その刀で桃を割りゃあ、赤子の鬼性きせいは刀に封印され【鬼殺し】は完成するんよ」

「ちょっと待てえ!」


 桃太郎はやっとこさ猛反論に転じる。


「鬼ヶ島は絶海の孤島のはずじゃ。桃に詰めて流したとして……よしんば、それで生きとったとしてじゃ。川を遡上する鮭じゃあるめーし川上から流れてくるわけなかろうが」

「ええ。そうじゃね。さすが、あんたは賢い子じゃね」


 今日初めて会うたばかりの鬼に褒められても……僕は嬉しくなんかねえど。

 桃太郎は素直になれずに強がってしまった。


「実は鬼ヶ島から流したんは桃と刀だけじゃないんね。一隻の舟とともに、私の使役する家来である――イヌ・サル・キジを遣わせたんじゃね」

「そん、な……」


 イヌ・サル・キジもグルだった。

 元々は鬼側の家臣じゃったとそういうことか。

 今回の鬼退治も、ある種の下剋上じゃったんか。

 たしかに、きび団子ひとつで鬼退治にお供するとは酔狂な奴らだと、気骨があるなと思うとったのに……。

 いま思い返せば、鬼ヶ島への舟の手配も船頭も道案内も初めて来たとは思えないほどに完璧だった。


「ということはじゃ。僕が川で拾われたことも……。おばぁが川で洗濯しているときに川上から運良く桃が流されてきたんも……。台所にあった手頃な日本刀も……」


 すべては仕込みじゃったんか。

 そもそも、おばぁが大きな桃を割るときに、その中の赤ん坊はなぜ傷つかんかったのか?

 答えは簡単じゃ。

 それが鬼の子ならなんも不思議じゃないんよ。

 きっと自慢の角なんかでもって受け止めたんじゃろう。


 そんなやつ日本一になれて当然じゃって。

 だって。

 鬼なんじゃけー。

 桃太郎のこれまで送ってきた人生という物語は、あらかじめ用意されていた御伽噺シナリオだった。


「いつの日か、私はあんたが鬼退治にやってくる思うてたんよ」


 言いながら、温羅は自嘲的に笑った。


「でも、神様はやっぱり見よるんじゃね。息子を捨てた罰が当たったんよ」

「…………」

「私はどこかでこんな結末を望んどったんかね。あんたは私のようにならんでね。お天道様に顔向けできるように生きるんよ」


 だいたいこの鬼はほんまのこと言ってるんか。

 僕を惑わそうとしよるだけじゃないんか。

 疑心暗鬼になる桃太郎だったが、温羅は誠実に続けた。


「あんたは鬼の血が半分流れよる半鬼なんじゃね」

「嘘つけえ!」


 桃太郎は即座に否定する。


「僕は桃から生まれた、日本一の桃太郎じゃ!」


 僕は人間のおじぃとおばぁに育てられたんじゃ。

 鬼から生まれた鬼太郎でもなけりゃあ、鬼の血など一滴も引いておらん。

 桃太郎はそう思いたかった。


「そうじゃね。今更こんなこと言われても困って当然なら。私が墓場まで持っていくべき話じゃったんかも……ごめんね。許してなんて、とても言えんのじゃけど」


 しかし、そんなことをのたまう鬼の顔が、桃太郎はひたすらに懐かしかった。

 赤の他人とは、赤の他鬼とは、どうしても思えなかった。

 そして、水たまりに映った薄桃色の髪に漆黒の2本の角の生えた化け物を見て、桃太郎は悟った。

 僕は、鬼じゃ。


「もうええ。わかった。僕はあんたを信じるんよ」


 桃太郎は鬼を信じた。


「でも、ほいたら僕のおとうはどこの誰なんよ?」

「あんたの父親は日本一の刀鍛冶――名を鬼鉄きてつというんじゃね。

「鬼鉄」

「そしてその【鬼殺し】を打ったのもあんたの父親なんじゃね」

「なんじゃって?」


 桃太郎が驚いていると温羅は懐かしむように語った。


「私は酒呑城に閉じ込められている箱入り娘だったんじゃね。父があの鬼王・酒呑童子なんじゃからしょうがないんやけど」


 酒呑童子。

 それは桃太郎ももちろん知っている鬼の権化ともいえる名前だった。

 ということはこの目の前の鬼は鬼の姫ということになる。

 そして今までの話が本当なら僕は鬼の王子なんか?

 いや正確には孫だけど。


「とある初夏の日、私が酒呑城をこっそり抜け出して海辺を散歩しよったら人間が舟もなしに漂着してるのを見つけたんよ。私は初めて見る生きた人間に当時はびっくりしたもんじゃったね。でもそれが鬼鉄くんで、それから私たちが仲良うなるのに時間は掛からんかった。私は鬼鉄くんから本土の面白いおとぎ話を聞かせてもらう代わりに、秘密の洞窟に匿って鬼ヶ島をこっそり案内してたんよ。こんときに私は日本語も教えてもろうたんじゃね」


 僕のおとうは命知らずじゃ。

 経緯を聞いて、桃太郎はほとほと呆れた。

 どこの馬の骨とも知れん男が王女姫に手を出したんじゃから、そら鬼でなくとも鬼にならぁ。

 いったいなにをしよん。


「そんな折、人間が島に上陸していることが鬼たちに勘付かれて鬼鉄くんが鬼ヶ島から脱出したんじゃね。それから幾月後に、あんたが産まれたんよ。じゃけー、あの人はあんたの存在を知ら――」


 ゴフッと言葉の途中で、温羅はなお一層吐血した。


「おかあっ!」


 気づけば、桃太郎はそう呼んで温羅に駆け寄って抱きかかえていた。

 口馴染みのない響きだったが、なんだか心地よかった。


「絶対死ぬんじゃねえど!」


 今のところ、僕はなんも返せとらん。

 そんなのってねえじゃろ。

 母親なら息子に恩返しくらいさせてから死ね。

 そこで桃太郎はお腰に付けたあるものを思い出した。


「そうじゃ! このきび団子を食え! 傷が完全回復するはずじゃ」

「いんや。そのきび団子には豆まき用の大豆が練り込まれよる。じゃから鬼には猛毒なんよ」

「そげーな馬鹿な……」


 腰巾着の紐から力無く手が離れる桃太郎。


「待っとれ。今助けを」


 イヌ・サル・キジもおかあの元家臣なんじゃけー協力してくれるはずじゃ。

 そう思って桃太郎が腰を浮かせかけると、温羅は息子の袖を掴み引き留めた。


「もう間に合わないんよ」


 そんなことは言われるまでもなく、斬った桃太郎自身が一番よくわかっていた。

 温羅の背中からは人間と同じ赤い血が止めどなく流れている。


「……でもやー」


 しかしなおも往生際の悪い息子に、


「私はあんたさえ生きとってくれりゃあ、それでええんよ」


 と、母親は笑った。


「こうして生きて出会えたゆうことは、ええ人間に巡り会えたんじゃね。良かった良かった」

「ああ。ぎょうさんの人たちと僕は出会えたんよ」


 おじぃ、おばぁ。イヌ・サル・キジ。

 昔から僕を可愛がってくれた町内の人々。

 たとえ、それが仕組まれたことじゃとしても……。


「みんながおったから、僕は生きてこられたんじゃ」


 桃太郎ひとりでは、けしてここまでたどり着けなかった。

 そして何よりも、おかあが生んでくれたからすべて叶ったことなんじゃ。


「桃太郎や。この世に生まれてきてくれてありがとう」


 母は子に感謝を述べた。


「私が言う資格はないかもしれんけど、私はあんたのことを日本一愛しとるんよ」


 それが。

 そんなものが。

 生き別れの息子に刺された母親の言葉なんか。

 鬼でも親。

 それこそが無償の愛だった。


「……これから僕はどうやって生きていきゃあええんじゃ」


 そんな弱気なことを言う桃太郎の頬に、温羅はやさしく触れた。


「なに言いよん」


 それはとても柔らかくて甘くて温かかった。


「死ぬ気で生きにゃ何になるんね」


 これがおかあの最期の言葉だった。

 ずるりと力なく滑り落ちる薄桃色の手を掴むと、桃太郎は泣いた。

 桃から生まれて以来、初めて泣いた。

 母親の胸の中で、初めて泣いた。

 人がなぜ涙を流して泣くのか、やっとわかった気がした。


 この日、僕のおかあは鬼籍に入った。

 桃太郎は母親の遺体を近場の洞窟に安置する。

 この洞窟はもしかしたらおかあとおとうが逢瀬を重ねていた場所なのかもしれない。

 しかし、それももうどうでもいいことだ。

 金銀財宝も積まずに引き返して、桃太郎はたったひとりで荒れ狂う大海原へと漕ぎ出した。

 ザッブーンと荒波に揉まれながら、遠ざかる鬼ヶ島を眺める。

 もうおじぃおばぁの元には帰らない。

 己が何者かを知ってしまった以上、帰ることはできない。

 さらば、みんな。

 この舟がどこに流れ着くのかわからないけど、もう迷わない。

 僕は死ぬ気で生きるんよ。

 心の中で、桃太郎は鬼に誓った。


『桃太郎』とは。

 鬼と人間の愛の物語。

 そして鬼と人との間に生まれ、残酷な運命に翻弄された――半鬼の御伽噺おとぎばなし


 しかれど、捨てる鬼あれば、拾う神あり。

 先ほどまで荒れに荒れ果てていた海は凪となり、神々しい光が一隻の舟を包み込んだ。

 気づけば、あらたあらた、桃太郎はとある教室にいました。

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