少年のおおきな嘘

「えっ、なになに? 暗くてよく見えないんですけど……」


 言いながら、シンデレラはスマホとにらめっこする。


「ほんなら、まずスマホ越しにのぞくのをやめえ……」


 そんなんじゃからほんまに大事なものを見落とすんよ。

 そうモモタが呆れていると、オオカミ少年は観念したように大きなため息を吐く。それから真一文字に閉ざしていた大きな口を訥々と開いた。


「ぼくの名前はハスキー。お父さんは立派なオオカミ男、お母さんは立派な人間だった。ぼくたち一家は人里を離れて静かに暮らしていたんだ」

「オオカミ男と人間の混血ってことじゃな?」

「そうなんだ」


 モモタの問いにオオカミ少年のハスキーは頷いた。


「そしてぼくが5歳のとき、お母さんのおなかの中にはもうひとつの生命が宿っていた。これがのちの赤ずきんなんだ」

「ってことはモモタの言っていたことを本当なの?」

「ああ」


 爽やかなハスキーの答えを聞いてシンデレラは驚いていた。

 一転ハスキーは悲しそうに呟く。


「でも、ぼくのお母さんは赤ずきんを産んでからすぐにこの世を去ってしまった。それからというもの、ぼくたちオオカミ一家に対する村人からの迫害はさらに酷くなった。『お母さんが亡くなったのはオオカミ男が食べたからだ。そうに違いない』と、何の証拠もなく誹謗中傷された。ひとたび、ぼくも街に繰り出せば村人に石を投げつけられた」

「なんてひどいの……村人A」


 カメラマンのシンデレラは涙ぐんだ。

 スマホ片手のせいで、でーれー嘘臭いが……。

 モモタは嘆息した。


「結局、その10年後におばあさんと妹を置いて、ぼくとお父さんは家を出ることになった。おばあさんは足が悪くて外出をほとんどしなかったから村人たちはその存在を知らなかったし、そして、生まれたばかりの妹も人目に触れさせず匿って人間として育てた。これから先、人間社会でも生きていけるように……。もちろん、ぼくとお父さんとおばあさんを人間だと信じ込ませて」


 不幸中の幸いというか、妹はお母さん似だったから……。


 と、ハスキーは懐かしむように鋭い歯をこぼした。

 しかし突如としてその瞳が狂気に染まる。


「そして実家を出てから2年後のある日、お父さんはとある猟師に殺された」

「そんな……」


 シンデレラはショックを隠しきれない。


「でも、ぼくは……ぼくは……逃げた。……逃げるしかなかった」


 ハスキーはおのれの力量不足を呪った。


「その父の死をきっかけにぼくは実家に戻ることにした。なんだか無性に胸騒ぎというか、不吉な予感がしたんだ。妹の誕生日が近いことも重なって会いに戻ってきた。いや、それは単なる言い訳で……本当は一匹狼になって孤独を感じていたのかもしれない」


 その家族に会いたいという気持ちを誰が否定できよう。

 それに元来、オオカミは群れる生き物である。


「帰郷する道すがら、ぼくは赤ずきんに贈る花を摘んでいると、向こうから誰かが歩いてくるのが見えた。それは約2年ぶりに再会する妹だった。でも、たった2年――それだけの間に赤ずきんは変貌していた。妹から見れば、もはやぼくは兄ではなかった」

「兄じゃないって……」


 頑として、シンデレラはスマホ撮影に腐心ふしんする。


「赤ずきんは、ぼくやお父さんのことをすっかり忘れていた。どころか、村人たちからオオカミの悪い噂を聞くうちに、赤ずきんはオオカミのことが大嫌いになってしまったんだ。出会った途端、ぼくは赤ずきんに本能的に拒絶された」


 その物語はあまりにも悲しい結末だった。


「もちろん、ぼくに赤ずきんを責める権利はない。赤ずきんの記憶に齟齬そごが生じたのは、家族ぐるみで騙していたぼくらの責任だと思う。虚言はオオカミの血筋ってことなのかな。自業自得と責められて当然。そしてまたこれで良かったんだとも、ぼくは思った」

「何がよかったって言うのよ?」


 シンデレラが不憫に思いながら問うと、ハスキーは正直に答えた。


「赤ずきんのその反応は、人間としては間違っていなかったからだよ」

「…………」


 そんな兄の覚悟に言葉を差し挟める者などいなかった。


「嫌われ者のオオカミを嫌う人間――何も間違ってはいない。しっかりと人間ができていた」


 哀しいまでに、人間が出来上がっていた。

 赤ずきんは完全に人間の少女になりすませていた。


「だから、ぼくは一緒に暮らすのを諦めて、赤ずきんを陰ながら見守ろうと思った」


 そんな矢先だ。

 と、ハスキーは言う。


「おばあさんは亡くなった。老衰だったんだ。しかも、それは赤ずきんの誕生日の朝、要するに今日、赤ずきんが家を出た直後のことだった。赤ずきんのいない時間を狙っておばあさんと会うつもりだったんだけど……遅かった」


 モモタは「ご愁傷様」と黙祷を捧げた。

 ご冥福をお祈りいたす。


「……でもどうやら、おばあさんは自らの死期を悟っていたふうだったよ。亡くなる直前、ぼくはおばあさんから赤ずきんにプレゼントを渡してくれと頼まれたんだ」


 つまり、これがおばあさんの真の遺書ダイイングメッセージ

 しかし運命のいたずらか、また嘘の連鎖は繋がってしまう。


「そんなおばあさんの後押しもあって、ぼくはこれを機に赤ずきんに真実を打ち明けてからプレゼントを渡そうと大樹の森を駆けた。そして、そこで見てしまった。聞いてしまった。赤ずきんを『誘拐しに来た』という、金髪の奇怪な人間を――」

「ほえっ?」


 露骨にシンデレラは動揺した。

 思わぬところから矢が飛んできたのだった。

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