MOMOTA

悪村押忍花

第1噺 おとぎ学園入学

私とともに世界征服をしましょう


 あらたあらた。

 桃太郎はとある教室にいました。

 椅子にちょこんと座っている。

 机はちょうどいい高さである。

 腰には、元気印のきび団子と大業物【鬼殺おにごろし】を帯刀していた。


 目線を起こすと、黒板の前には十二単で着飾った絶世の美女。

 頭頂には放射状に光を放つ王冠を載せていた。

 濃い緑の黒板をバックにどこからともなく後光が射し、光背を背負っている。


「あなたを、心よりお待ちしておりました」


 美女は唐突に言う。



「日本一の桃太郎さん」



 挨拶がてらに名前を呼ばれて、桃太郎は動揺する。

 そして尋ねた。


「あんた、誰じゃ? というかやー……ここはどこじゃ?」


 桃太郎は自前の『日本一』と書かれた旗以外、見慣れないものばかりに囲まれていた。

 黒板。チョーク。窓ガラス。ソプラノリコーダー。鍵盤ハーモニカ。教科書。鉛筆。筆箱。蛍光灯。定規。コンパス。水筒。ルンバ。バケツ。etc.

 桃太郎のおぼこい様子を見つめながら、美女は微笑んだ。


「私は太陽神の天照大御神あまてらすおおみかみ。このおとぎ学園の学園長・兼・クラス担任です」

「なんじゃそら」


 桃太郎は眉をへの字に曲げた。


「と申しましても、まだ開校したばかりなのですけれどね。そして、あなたがこの栄えあるおとぎ学園の生徒・第1号に選ばれました。ご入学おめでとうございます。パチパチパチ~」

「ありがとう……で、ええんか?」


 思わず、桃太郎はお礼を返してしまったけれども。

 そこで、ハタと気づく。


「ちょっと待て……。僕の家来のイヌ・サル・キジは? おじぃとおばぁは、どうなったんじゃ?」

「安心してください」


 アマテラスは悠々と答えた。


「ご無事です。あなたの元いた世界で、今も元気に暮らしています」

「はあ……? 僕の元いた世界?」


 じゃあここは、どこの誰の世界なんじゃ?

 桃太郎には、ちんぷんかんぷんだった。


「ではさっそく、簡単にざっくりとこの世界について説明しますね」


 アマテラスは白いチョークを握った。

 逆手で袖を摘まみながら、黒板にシィーと2つの丸い円を描いた。

 難儀な衣装である。


「右の円が桃太郎さんのいた旧世界――左の円がいま私たちのいる新世界です。現在進行形で新世界は膨張を続け、旧世界を飲み込み、支配しつつあります」


 桃太郎は背筋をピンと伸ばし、黙って授業を受けた。


「ここは隔絶された異世界。いわば、人間によって生み出された亜空間なのです」

「人間にそげーなことが……?」

「桃太郎さんにとっては遠い未来の話でしたけど、現代はそんな感じです」

「そんな感じなんか……」

「桃太郎さんが転生する際、身体機能は旧世界のまま引き継がれ、脳のほうもこの世界基準にバージョンアップされているはずです。なので、これから入学する生徒たちとも言語は問題なく通じると思います」

「入学する生徒……まだ他に誰か来るんか? アマテラスオオミカミ?」

「それにつきましてはおいおいわかることでしょう」


 アマテラスは含みを持たせて笑う。

 そして、自身の豊満な胸に手を当てた。


「それから、ここでは私のことはアマテラス先生とお呼びなさい」

「はあ。でもたしか、あんたは……アマテラス先生は『古事記』によりゃ神様なんじゃろう? それでええんか?」

「それが、ここでの私の役割ですから」


 日本の最高神がこんな学びで何をしよん。

 桃太郎は思うところがあった。

 一言でいやー、世知辛れぇ。


「言語レベルや科学の進み具合はその人物の登場した時代背景によってまちまちでしょうけれど――それが個性です。文化の違いを尊重し合いましょう。何かわからないことがあったらすべての過去未来現在を知っている私に聞いてください」

「ほんまに知ってるんか?」

「はい。あなたがそう疑うであろうことも、私は知っていました」

「まあええわ」


桃太郎はひとまず刀を鞘に収めた。

それよりも『レベル』という単語に桃太郎は聞き馴染みはなかったが、文脈から察することはできた。


「なぁに、授業内容は小学1年生でも解けるようなものばかりです。どうか、お気負わずに」


 アマテラス先生は子供っぽく笑った。


「いざとなれば、私が影分身の術を使って、マンツーマンで教えて差し上げます」

「……そげーな忍術も使えるんか」

「腐っても神様ですから」

「腐っとるちゅうか、熟しとるって感じやけどな」

「誰が熟女ですか」


 不本意だとばかりにアマテラス先生は声を低くした。

 実際問題アマテラス先生はいくつなのだろう。

 桃太郎が疑問に思っていると、アマテラス先生は改めて言う。


「なお、この世界で命を落としてしまわれると強制退学となりますので、どうかお気をつけください」

「そら死んだら終わりやろ。さっきから何を言いよん?」

「まあこの世界は休憩所というか、中継地みたいなものですから。平たく言えば、元の現実世界に戻ることになるということです。ちなみにコンティニューはできません」


 アマテラス先生は大仰に明かした。


「そして現在困ったことに、前述の方法以外で、元の世界、元の時代に帰りたくとも、残念ながらそれは叶いません。つまり、桃太郎さんはこの世界に閉じ込められているのです」


 そう告げられて、思いがけず、桃太郎はホッとしていた。


 元の世界に帰ったとて……合わせる顔がないんよ。

 イヌ・サル・キジの三獣士や、おじぃ、おばぁのことを、桃太郎は思い出していた。


 そしてもうひとり、大切な……。


 とそこで、桃太郎の第六感は不躾な視線を感じていた。

 まるで、心の中までのぞかれているような――


「疑心暗鬼にならずとも、ご安心を。ここでの会話は桃太郎さんと私だけの秘密ですから」


 アマテラス先生はサクランボのような唇に、人差し指をそっと添えた。

 その魅惑的な瞳に、桃太郎は一瞬心を奪われかけた。

 しかし、心を鬼にして自制する。

 そして、いいかげん聞かなければならないことを聞く。


「今までの会話がすべて真実だと仮定して、まだ重要な疑問が残っとるんよ。なぜ僕はここにいるんじゃ?」

「うふふ、目の付け所が鋭い。さすがは日本一の桃太郎さん」


 アマテラス先生はわざとらしく桃太郎を担いでから微笑みかけた。

 そして、この学園の掲げる真の卒業課程を発表した。



「私とともに、世界征服をしましょう」

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