覚醒

 遠山の指のリングが呼応するようにエメラルドグリーンに光り始め、するりと抜けて真っ直ぐメグの元に戻りその指に収まった。今やメグは巨大な緑の炎に包まれている。遠山はぽかんと口を開けその場で固まった。


 メグは無言のまま左腕を前に突き出すと、遠山の手元を指差した。


「熱っ!」


 遠山が放り投げた拳銃は真っ赤にただれその場で蒸発して消えた。


「ひいっ」


 自分の置かれている状況を理解した遠山はじりじりと後退りし始めた。そして右奥のドアに向かって駆け出した瞬間、作り付けの棚が凄まじい音を立てて倒れ大量の埃が舞い上がった。遠山が逃げ出すつもりだったドアはドロドロに溶けて崩れ、近くの水道からはあらぬ方向に水が吹き出した。行く手を阻まれ壁際に追い詰められた遠山は脂汗をかいて震えている。その姿を見てもメグは表情ひとつ変えず、今度はゆっくりと左手を天に向けた。遠山の頭上で一斉に電球が弾け飛び、更には遠山めがけて部屋中の本がバサバサと飛んできた。


「助けてっ」


 遠山は両腕で頭を庇いながら叫んだ。それを合図にぴたりと物の動きが止まったが、既に遠山の体は半ば本に埋もれていた。その姿をメグを覆うエメラルドグリーンの光とマギアドームの放つ光が怪しげに浮かび上がらせていた。


 メグは機械仕掛けの人形のように再び動き出しジリジリと遠山に近づいた。


「望月さん、落ち着いて。もう十分よ」


 紫苑しおんがメグに駆け寄ったが、エメラルドグリーンの炎に阻まれて近づくことすらできない。紫苑はすぐさまメグと遠山の間に幾重にもバリケードを築いたが、メグの炎はそれらを難なく溶かして道を作った。


 その時、階段から駆け下りる足音が響き、みのり、琴音ことね史人ふみひととリリアが駆け込んできた。遠山が顔を上げ目を見開いた。


「何だ、なぜお前たちが」


 三人は一様に驚きの表情を浮かべていたが、すぐさま紫苑のもとに駆けつけメグを囲んだ。


「外まで被害が出てます」


 琴音が紫苑に告げた。紫苑の顔が歪む。


「もう限界よ、レオ」


 紫苑が指を鳴らすと、バリケードが消え、中からゴン太が現れた。遠山が素っ頓狂な声を上げる。


「ゴン太! 何故だ! 何故まだ生きてる!」


 ゴン太に行く手を阻まれてメグの動きが止まった。ゴン太は遠山を振り向きもせず言った。


「言うたやないか、わしには銃は効かへんてな」


「そんなはずは」


「そんなもこんなもあらへんがな。お前さんはこの部屋では魔法は使えへん言うてたけどな、最初から最後までちゃんと魔法は使えとったで。それもわからん奴が魔法使いになるとかならんとかちゃんちゃらおかしいて屁が出るわ」


「僕を馬鹿にするなって言ってるだろ!」


「お前の相手してる暇ないねん。わしがメグを止めな、お前殺されるかもわからへんで」


 バタバタと暴れていた遠山がぴたりと止まった。ゴン太がメグに向かって静かに語りかける。


「メグ、わしが遠山なんぞにやられるわけないやろ。この通りピンピンしとるで。だからもうお仕置きは終いや。お前の怒りは尤もやし、わしだって腹が立つ。せやけどな、こんな奴やっつけたかて何もええことないで。それにな、こいつかてずっと魔法のせいで苦しんできたんや。ある意味お前やオリガと同じ魔法の被害者や。こいつはもうお前の敵やあらへん。後は法律に任せたらどないや」


 聞いているのかいないのか、メグは表情を変えることなくじっとゴン太を見つめていた。その場の全員が固唾を呑んで見守る中、

メグが再び動き出した。ゴン太はやれやれと道を譲った。遠山はもう目の前だ。


 あわあわと声にならない遠山に、メグは左手を向けた。遠山が両手で顔を覆い、泣きながら命乞いをした。


「ごめんなさい、ごめんなさい! もう魔法使いになりたいなんて言いません! 許してください!」


 遠山の絶叫が響きわたった。紫苑たちは成すすべもなく見守るしかなかった。痛いほどの静寂が広がる。しかしいくら経っても遠山に鉄槌は下らなかった。遠山が恐る恐る目を開けた時、メグはマギアドームの方を向いていた。遠山から悲鳴が上がった。


「待て、やめてくれ、それだけは……」


 その言葉が終わらないうちに、メグは左手を強く強く握り締めた。ミシミシと軋む音を響かせて、マギアドームは徐々に小さくなっていった。そしてピンポン玉ほどの大きさにまで縮むと、ポンと音を立ててシャボン玉のように弾けた。遠山のこの世のものとも思えぬ絶叫と同時にメグを包んでいたエメラルドグリーンの光は消え、メグはその場に倒れた。すんでのところで紫苑がその体を魔法で支え、史人が綿のクッションを創り出して包み込んだ。


「あ、あ、僕の、僕のマギアドームが……」


「まだそんなこと言うてんのか」


「お前に何がわかる。どんな魔法も自在に操るお前に僕の気持ちがわかってたまるか」


「ああ、わからへんな。わかりたくもないわ。魔法使いてな、お前が思うほどええもんちゃうで。例えばコルバや」


「コルバ? 何を言う、あれは使い魔だ」


「そう思っとるんはお前だけで、あれは人間や。人間の魔法使いが使い魔のふりしてただけや」


「そんな馬鹿な」


「馬鹿はお前や。年端もいかん子どもを使い魔と勘違いして使つこうてたんやからな。コルバはまだ十二やで? 山に捨てさせてほんまに死んどったら、お前さん殺人犯や」


「嘘だ。せっかく魔法使いに生まれたのに、格下の使い魔のふりなんかするわけない」


 遠山は頑として自分を曲げなかった。


「ほんまにお前は何もわかってへんな。コルバは魔法使いでいるんが辛かったんや。魔法使いはな、生まれながらにいろんなものを背負わされるんや。それはええことばかりやない。むしろ、辛いことの方が多いかもしれへん。まあ、魔法使いやないお前さんには本当の意味でその辛さはわからへんやろ。それよりもうすぐお迎えが来るさかい、まずはこの始末をきっちりつけてもらわんとな」


 遠山はがっくりと項垂うなだれた。


「レ……オ」


 いずこからともなく声が聞こえた。と同時に 不意にメグの指輪から紫色の煙が上がり、それがニメートル程の大きさになったとき、中に薄っすらと人影が現れた。


「オリガか」


 ゴン太の言葉にその場の全員が驚愕の表情を浮かべた。


「随分と久しぶりやのによう出てこれたな」


 人影は笑っているようだ。


「これが最初で最後よ。指輪の枷が外れたら一度だけ繋がるようにしておいたの。まさかこんなに早くその日が来るなんて思わなかったわ。メグは寝ちゃったのね」


「完全なオーバーワークや。暫くは起きへんやろ」


「その言葉遣い、面白い」


「せやろ?」


「ふふっ、ありがとう、レオ。メグをあなたに託して良かったわ。紫苑もありがとう。そこにいる皆さんも、ありがとう。これからもメグをよろしくお願いしますね」


 皆が頷いた。紫苑は涙を流している。


「メグはどないしよ?」


「こうなった以上あなたに任せるわ」


「そない言われてもなあ」


「そろそろ時間だわ。レオ、アンナに会えたわよ。あなたによろしくって。じゃ、またね」


「わしもじきにそっちに行くさかい待っててや」


 その言葉が終わらぬうちに、音もなく煙は消えた。

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