ゴン太vs魔カラス
アンナの葬儀が済んで一週間、相変わらずゴン太は殆ど姿を現さず、応援に来たはずの
今日は琴音が知事のお供で会議へ、みのりと史人は県民何でも相談会へと出かけており、部屋には遠山とメグしかいない。何やら真剣にパソコンに向かっている遠山とは殆ど会話もなく、昼食後ともなると自然と瞼が重くなってくる。
そんな穏やかとしか言いようのない午後を一変させる出来事は、コーヒーでも淹れようとメグが立ち上がったその瞬間に始まった。
突然窓が割れ、何か黒いものが部屋に飛び込んできたのだ。よろけて壁に肩を打ち付けたメグと椅子から転げ落ちた遠山が見たのは、ソファの反対側の、史人お気に入りの観葉植物にとまる大きなカラスだった。その目は爛々と金色に輝いている。
あの時の使い魔だ!
途端にメグの足が竦んでその場にしゃがみ込んだ。山小屋で味わった絶望的な気分が鮮明に呼び起こされ体が震える。
「な、なんだお前はっ」
机にしがみつき体を半分隠した遠山が叫んだ。
「ゴン太はいるか?」
「ゴン太?」
メグの言葉に遠山が反応する。
「え、あれはゴン太君を捜しているのかい」
「そうみたいです」
机の陰に身を寄せてメグは答えた。あの時同様、少しも頭が回らず何をしていいのかわからない。
魔カラスは羽を広げてバサバサと羽ばたいた。巻き起こった風は尋常ではなく、部屋中の書類という書類が舞い上がり、棚からはファイルや植木鉢が落ちた。
遠山はメグに目配せすると、机の陰を這いつくばってドアの方に移動し始めた。しかし、ドアの前数メートルは身を隠すものが何もなくてそれ以上は進めない。その時、ノブをガチャガチャ回す音が聞こえた。続けてドアをドンドン叩く音がする。
「おい! どうした! 何の音だ? 開けろ!」
騒ぎを聞きつけた誰かが駆け付けたようで複数の声がする。しかし、鍵のかかっていないはずのドアが開くことはなかった。
「使い魔の襲撃です! 魔法課の職員を誰か、早く!」
遠山が精一杯の叫び声を上げるが、それが届いたのかどうかわからない。
ゴン太! 助けて!
不意にメグの目の前にゴン太が現れた。腕を組み、机の上に仁王立ちになっている。
「やっと来たか」
嵐のような風が止み、室内が急に静かになった。ゴン太はゆっくり部屋の中を見回すと大きなため息をついた。
「よおまあ散らかしてくれたなあ。お前、あとでちゃんと片付けなあかんで」
いつにも増してドスのきいたおっさん声だ。普段は腹立たしいその声が、今はとてつもなく頼もしく聞こえる。
「で、わしに何の用や?」
その言葉が終わるか終わらないうちに、魔カラスは大きく羽を広げると凄まじいスピードで振り下ろした。すると数え切れないほどの黒い羽が矢のようにゴン太に降り注いだ。思わず首を引っ込め目をつむるメグ。バラバラと何かが落ちる音がして恐る恐る目を開けると、ゴン太の前に黒い羽が山積みになっていた。その羽の先は太い針のように研ぎ澄まされている。メグは背筋が寒くなった。
「さすが、魔界でその名を知らぬ者はいないと言われただけのことはあるな」
魔カラスはどこか嬉しそうに言った。
「お前に褒められてもちっとも嬉しないわ」
魔カラスはフンッと鼻を鳴らすと、再び羽を広げようとした。その時、突然遠山が机の陰からカラスに向かってモップを突き上げた。カラスは一瞬怯んでよろめいたが、すぐさま体制を立て直した。
「どけ、おっさん!」
ゴン太が叫ぶ。
「どくもんか。ここは僕の大切な職場だ。メグ君のことは僕が守ってみせる!」
そう言うと遠山はモップを振り回して果敢にカラスに立ち向かった。カラスはさも煩そうに天井近くを右へ左へ避けている。遠山は机に飛び乗ってゴン太に並んだ。
「どけ言うとるやないか! 邪魔や!」
ゴン太の言うことなどお構い無く遠山は闇雲にモップを振り回した。必死なあまり、ゴン太の言葉など耳に届かないようだ。
あっ! 課長はゴン太の言葉がわからないんだった!
そう気づいたメグが叫んだ。
「課長、危ないから下がってください!」
その時だった。遠山がバランスを崩し机から落ちそうになった。咄嗟に手を差し伸べるゴン太。そこへ間髪入れず羽を閉じ、ドリルのように突っ込むカラス。全員が机の向こう側へと消えた。
「ゴン太!」
「グワアアアアッ!」
その瞬間、誰のものともわからない叫びと共に目も眩むような閃光に視界を奪われ、更には爆風のような激しい風に煽られてメグは尻餅をついた。舞い上がった書類やカラスの羽がバラバラと容赦なく降り注ぐ。メグは近くにあったファイルで頭を覆って凌いだ。全て落ち切ると、部屋の中はシンと静まり返った。
ファイルを捨て、机につかまって立ち上がろうとしたメグの耳に、クワクワという音が近づいてくるのが聞こえた。徐々に音量が増してくる。カラスの声だ。一羽が割れた窓から飛び込んでくると、それに続いて次々と入ってきた。咄嗟に頭を引っ込めたメグには目もくれず、机の向こう側に固まってクワクワと鳴いている。そしてそのまま団子状になって再び窓から出て行った。それを呆然と見送ったメグだったが、ふと我に返って声を上げた。
「ゴン太? 課長?」
立ち上がり机を回り込むと、ゴン太と遠山が床に倒れていた。ふたりともピクリとも動かない。
「ゴン太!」
メグは駆け寄ってゴン太を抱き起こした。ぐったりとして、顔を近づけても息をしているのかどうかすらわからない。
ゴン太……
突然メリメリとドアが凍り始め、すぐさま粉となって崩れ落ちた。その向こうにいたのは
「何これ、どういうことなの」
琴音はツカツカと部屋に入って来ると遠山に近づき首に触れた。くるりと振り向き、部屋の前で立ち尽くす職員たちに向かって「誰か救急車呼んで」と叫んだ。それから呆然と座り込んでいるメグの横にしゃがんだ。
「ゴン太は?」
「動かない……」
メグの目から見る間に涙が溢れた。琴音が手を伸ばそうとしたその時、ゴン太の体からムクムクと白い煙が立ち上り、植樹祭で見せた美少年へと姿を変えた。
「なにやってんの! こんな時に魔力の無駄遣いするんじゃないわよ」
琴音が冷たく言い放つ。ゴン太が薄目を開けた。
「最期くらいええかっこしたいやんか」
浅い呼吸の下からゴン太が言った。その時メグは、ゴン太の輪郭が次第に薄くなっていることに気づいた。
「待って、ゴン太! 体が消えかけてる!」
「大丈夫や」
「大丈夫じゃないでしょ」
琴音が呪文を唱え始めると、その両手から金色の光が溢れゴン太を包んだ。メグはゴン太を抱く腕に力を込めて離すまいとしたが、まるで綿を掴むような感触だった。既に重さも感じない。
「ゴン太! 冗談はやめて!」
「メグ、ありがとう……」
言葉まで消え入りそうだ。
「やだ、ゴン太! 逝かないで! デブでもおやじでもいいからそばにいて!」
ゴン太は一瞬苦笑いを浮かべたが、すぐさま真顔に戻った。
「すまん……堪忍、や、で……」
「ゴン太!」
次の瞬間、シュワッと空気が弾けて、メグの腕は空になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます