エンカウント②

「柿崎さん。君、三年前に高城さんと千国さんと一緒によね?」

「…………」

「僕は君の当時の行いを咎めに来たわけじゃない。それは全てが終わってからの話だ。今はただ、君に危険が及ばないよう安全な場所で保護したい」


 嘘は言っていない。

 杉下は一旦莉佳を保護するつもりでここに来ていた。

 しかしその後、アザミ逮捕に力を貸してもらう気でもいた。


 果たして莉佳は杉下の申し出を承諾してくれるだろうか。

 もし受け入れてくれるのであれば、早々にここを立ち去りたい。

 そう思っていたところで杉下の背後から「莉佳!」と彼女を呼ぶ男の声が響く。


 莉佳はそちらに視線をやると、急に慌てた様子で杉下から離れようとした。


「私、警察署へは行きません。失礼します」

「待って! このままだと柿崎さん、本当に危険なんだよ!」

「私に構わないでください! それに、彼の前でその話はしないで!」


 莉佳はこの時はじめて杉下に対し声を荒げた。

 彼女の異変に気付いたのか、男がすぐに駆け寄ってきた。息は切れていない。


「莉佳? 大丈夫?」

「結斗君なんでここに?」

「さっきまひろちゃんが教えてくれたんだよ。莉佳が警察に声をかけられたって。莉佳の様子が変な感じがして心配だから見に行って欲しいって」


 どうやら先刻、先に帰って行った少女が近くにいた彼に事態を知らせたらしい。

 この様子だと二人は付き合っているのだろう。

 杉下は莉佳に寄り添う男性に視線を向ける。


 高校生、にしてはやや大人びている。

 かと言って社会人風の空気も纏っていない。

 平日のこの時間に外を出歩けるということは、午後のコマが空いている大学生の可能性が高い。

 随分彼女に惚れ込んでいるのか、心配するその態度はやや過保護にも見える。

 彼女に声をかけていた男は杉下を完全に警戒している。

 もしかすると、杉下が本当に警察官なのか疑っているのかもしれない。


 瞬時に簡易的な分析を済ませた杉下は、二人を刺激しないよう改めて警察手帳を提示し簡単な自己紹介を済ませた。

 杉下への警戒心は少し緩んだようだが、莉佳が変わらず帰りたがるため彼は彼女を連れて行ってしまった。


 本人が嫌がる以上、現時点では強引に引き止めることはできない。

 しかし、先ほどの莉佳の表情は何かを隠している顔だ。

 どうしたもんか、と考えあぐねる杉下に一本の電話。

 相手は塚田だった。


 杉下は昨夜、塚田に鵜鷹美結と柿崎莉佳についての調査を依頼した。

 しかし、柿崎の調査が終わったタイミングで運悪く傷害事件が起こり、二人はその対応にあたるため鵜鷹の調査をいったん保留にして出払ったのだ。


 そして塚田は今日、昨夜から保留になっていた鵜鷹についての調査を再開してくれている。

 この電話はおそらく調査結果の共有が目的だろう。

 杉下は通話ボタンをタップした。


 ──────────────


「お疲れ様です、杉下です」

「すまん、遅くなった。柿崎の方はどうなった?」

「すみません、同行は拒否されてしまいました……」

「そうか」

「かなり警戒していた様子でしたので、柿崎本人も自分の身に迫る危険に薄々勘付いているといった印象です。追いますか?」

「いや、いい。それより鵜鷹の方だがな……」

「どこに進学してました? 俺、行ける範囲ならこれからでも行って、当時の話を聞いてきますよ。話してくれるかは怪しいですが……」


 今すぐ行けるかどうかは別にして、杉下は鵜鷹に会って話がしたいと思っていた。

 アザミが男であることは間違いない。鵜鷹美結本人では絶対にない。

 ということは鵜鷹に依頼されて動いている可能性がある。

 そもそもアザミは当時のいじめに詳しすぎる。

 当事者である鵜鷹の話を聞いていないと、一連の事件事故を起こせない。


 逸る気持ちを抑えつつ、杉下は次の目的地の指示を待った。

 しかし塚田はその指示を杉下に与えなかった。

 いや、

 なぜなら───


「杉下、よく聞け。鵜鷹美結は二年前に死亡している」

「……え?」

「自殺だそうだ」


 杉下がこれから会おうとしていた人物は、すでにこの世にはいなかった。

 塚田は鵜鷹の転校後の経緯や家族構成を杉下に伝える。


「鵜鷹美結は中一の九月から不登校になり、中二の五月に県外の中学に転校した。が、転校先でも教室には通えず、保健室登校を続けていたそうだ。ただそれも数週間。美結はここでも不登校になり、八月に自殺している。パートから帰った母親が浴室で自傷箇所を水に浸けて倒れていた美結を発見。その時はまだ息があったが、搬送先の病院で死亡。自室からは家族に向けた謝罪を綴る遺書が発見されてる」


 罪のない子どもが他者からの悪意に耐え切れず、自ら死を選ぶなんて……。

 悔しくて、スマホを握る手に力が入る。


「美結の自殺後、父親は母親を責めた。母親は自分が美結から目を離したせいだと責任を感じ精神を病んでいる。関係修復は難しいだろう、ほどなくして離婚している」

「では、その父親が娘のかたき討ちで犯行を繰り返しているのでは⁉」


 言いながら杉下は、いや待てよ、と思う。


 最初の事件が起きた時、桐坂健吾は犯人を「一〇代後半から二〇前半に見えた」と言っていた。

 仮に父親が二〇歳の時に美結が生まれていたとしても、現在三十六歳。

 充分な大人が、そんな若者に見られるような外見や話し方ができるだろうか。

 杉下は、自身の気持ちが焦りすぎていることを自覚する。

 それを察した塚田は電話越しに杉下をなだめる。


「まぁ落ち着け。アザミの目星はもうついてる」

「っ!」

「美結には三歳上の兄がいる。現在十九歳」


 桐坂の証言にピッタリ当てはまっている。

 妹の死を受け入れられず、兄が復讐に走る。

 ありえなくはない話だ。というか、現状それが一番シックリ来る。


「ただな、この兄貴、高校卒業後の足取りが分からんのだ」

「え?」

「進学も就職もしていない。高校卒業と同時に家を出て、両親共にどこに住んでいるか知らないそうだ」

「そんな……」


 杉下は考える。

 アザミはこれまで緑山中の近辺でしか犯行に及んでいない。

 何故ならターゲットが全員緑山中の近くに住んでいるからだ。

 となると、次に狙われるであろう莉佳の家の近くに現れる可能性が高い。


「俺、緑山中の方に行って調べてみます。ここからタクシーなら……一時間位で行けるかと」

「分かった、こっちももう少し調べてみる。美結の兄貴の名前だがな、■■■■だ」

「え、だって苗字が……」

「離婚後、兄貴は母親について行ってる。旧姓に戻したんだよ」


 この瞬間杉下は、やられた、と思った。

 先ほど強引にでも莉佳を保護しなかったことを強く後悔する。

 電話の向こうでまだ話している塚田を遮り、若手はベテランに向かって依頼という名目の指示を出した。


「塚田さん! すみません、いますぐ柿崎莉佳の自宅へ向かってもらえませんか!」

「あ?」

「俺、この辺りで柿崎を探しますがもし見つけられず自宅に戻った場合、保護をお願いします!」

「おいっ、すぎし」


 ──────────────


 今悠長に話している余裕はない。

 杉下は一方的に電話を切り、すぐに莉佳が歩いて行った方へ走る。

 塚田への無礼は改めてしっかりと謝罪しようと心に決めて。


 一方で塚田は、杉下のただならぬ態度に緊急性を認めた。

 頭がカチカチに凝り固まった上司であれば、杉下の言動はただの叱責対象だろう。

 しかし杉下が人一倍礼儀をわきまえる人間であることを知っている塚田はこれを不問とし、すぐに柿崎莉佳の自宅へ向かう準備に取り掛かった。


 これが一見近寄りがたい塚田が、実は多くの部下から慕われている所以だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る