Route NC1:Full Throttle

菊池玲生

EP.1 “邂逅”

都市の喧騒というのはいつ何時でも絶えず地面を揺らしていた。2045年、東京都新渋谷区、深夜。新都環を爆走する2台のスポーツカーと、それをサイレンで威嚇しながら追い立てるパトカーの縦列。


先頭を走る一台は、流線形が優美な純白のFD3S RX-7。今や骨董品レベルの旧車だが、至る所に手が加えられ、量産性を重視するばかりで個性を忘れた新型車よりもクルマとして完成されていた。40年経ってもロータリーエンジンの精神は健在だった。


それに追従するのはブラックのインプレッサS204。「鷹目」のヘッドライトと航空機にインスパイアされたというフロントグリルは、車全体を鋭くかつスポーティに仕上げている。こちらもFDと同年代くらいの古兵だが、こちらもやはり重度の改造によって、かつてのWRCで培われてきたインプレッサの個性を殺すことなく性能を底上げしている。


インプレッサの運転席、額に汗を浮かべながらステアリングを握る1人の若い女性が座っていた。鍛えられた体に端正な顔つき。渚カエデ。界隈じゃ女王的存在のストリートレーサーで、「漆黒のS204に喧嘩を売ってはいけない」と言われるくらいだった。


『渚!何してるんだ、もう時間がないぞ!』


時代遅れのトランシーバーから流れる男の声がカエデの神経を逆撫でする。


「五月蝿い。ブツをあのセブン野郎に取られちまったんだしょうがないだろう!」


カエデはストリートレースで稼ぐ裏で、さらに非合法な仕事をしていた。今回の仕事は依頼主と敵対状態にあるグループの取引現場を襲撃、物資を強奪し逃げるという彼女にとって簡単なものだった。しかし、同じ物質を狙う第三者がいるという想定はしていなかったのだ。十数メートル先を走るRX-7、あのドライバーに先を越された。


『なら奪い返せ。でなけりゃストリートの女王の名が廃るぞ!』

「クソッタレが」


2台はエキゾーストノートを奏でながらさらにスピードを上げた。クラシック音楽も時速200Kmで置き去りにする、最新の自動車では味わえない高揚感と疾走感。


急カーブが迫ることを告げる矢印表記を通り過ぎた。この先はきつい急勾配の左へ下るコーナーで、減速しなければオーバースピードで曲がりきれず壁に激突する。しかし、2台は減速することはなかった。

RX-7は短いブレーキとともに急ハンドルを切り、後輪を空転させながらコーナーに侵入した。的確にインを突く完璧なドリフト。

対してカエデはアウトからインへ入るようにしてコーナーへ進入しようとした。そして一瞬、進行方向とは逆の右へハンドルを切った。


直ちにブレーキ、荷重が車体の前方に移動する。

ハンドルを戻しそのまま左へ切る。横滑り状態になった瞬間ブレーキを離しアクセル。

後輪が空転。横滑り状態のままRX-7に追従してコーナーを高速で滑っていく。


本来、四輪駆動のインプレッサS204ではドリフトは困難だ。それは、四輪駆動の特性上グリップが高くタイヤが滑りにくいところにある。しかし自分の相棒の性格を熟知する彼女にとって、この程度のフェイントモーションドリフトなんて造作もなかった。


「速い……!東京のストリートレーサーでも指折りの猛者だ」


新渋谷区で負け無しの彼女とここまで渡り合えるのだから、名のある、それこそ彼女が知っているようなドライバーのはずだった。だが今となっても、彼女はあのRX-7のドライバーが誰なのか推測できなかった。白のFDに乗るストリートレーサーなんていくらでもいたが、ここまで異次元に速いのは初めてだった。


その時、RX-7がふと、進行方向を変えた。新都環から降り、市街地へ入る態勢になる。この瞬間、彼女は勝利を確信した。ひたすらに直線の高速道路では平行線なだけだが、ストリートとなれば話は別だ。数多に新渋谷市街地を走り抜け勝ち抜いてきた彼女にとって、ストリートは「女王の城」だった。


RX-7は上手く一般車を避けながら蛇行運転し、カエデと差をつけようとしていた。RX-7はよく曲がる。しかし、それはカエデのインプレッサも同じだった。


「吠えまくれ!」


いつの間にかカエデは、柄にもなく熱くなっていた。まるで、インプレッサを受け継ぎ初めてエンジンをかけたあの時のような。思えば、ここまで心臓昂るレースも久方ぶりかもしれない。


その瞬間、視線の先の交差点で、トラックが横断しようとしているのが見えた。のろのろとまるで2台を阻む壁のごとく。おそらく突っ切ることはできない。このままだと、2台もろとも追い込まれる。


どこかで反対車線に飛び込むか?いや、それではセブンに積まれている物資は奪還できずサツに押収される。


しかし、前を走るRX-7は、減速するそぶりすら見せなかった。


「無理だ」


間に合う筈がない。

ただ、カエデは見たくなった。敵無しだった女王に喧嘩を売ってここまで振り回し、堂々と逃げ仰せようとするこのRX-7ドライバーが、一体どんな賭けに出るのかを。


気付けばカエデは急ブレーキを踏み車を停め、RX-7の背中を見つめていた。

刹那、カエデはまるで彼女の意識とRX-7のドライバーの意識がシンクロしたかのような感覚を覚えた。

このドライバーが何を考え、どうRX-7を操作しているのかが、自分自身がRX-7を操作しているかのように理解できた。


アクセル全開で交差点に飛び込もうとするRX-7。もう道はトラックで阻まれており、通れる隙間などなかった。


たった一箇所を除いて。

1ミリでもズレるようなら、時速180Kmでトラックに激突し潰される。


深呼吸。


パドルシフトを押し、シフトダウン。

減速した瞬間に、右に軽くハンドルを切る。


すぐに左へ急ハンドル。


シフトダウンによる急減速を利用したフェイントモーションドリフトで、滑り込むようにしてトラックの荷台の、地面との僅かな隙間を潜り抜けた。


……負けた。


RX-7の完全勝利だった。カエデはまるで魔法が解けたような感覚を覚えた。


負けたんだ。私のインプレッサが。

いや、違う。負けたのはあたしだ。あたしが、弱かったから。


カエデはインプレッサのステアリングを撫でた。初めての敗北だった。自分が、相棒に敗北を味わせてしまった。

パトカーはすでに追いついていて、中から出てきた警察官がインプレッサとカエデを取り囲んでいた。


促されるままカエデは車を出て、1人の警察官に組み伏せられた。手錠の冷たさを感じる。

ふと、ロータリーサウンドが耳を通り抜けた。


音の方向を見ると、ついさっき完璧なドライビングスキルをカエデに見せつけ勝利した、純白のRX-7が徐行状態で警察隊に近付いていた。1人の警察官がRX-7の存在に気付くと運転席の窓に駆け寄り、一言二言会話を交わした後敬礼した。運転席に座るドライバーの顔はよく見えなかったが、敬礼に軽く応えるとステアリングを握りRX-7を走らせ去っていった。


RX-7は警察の協力者なのか?


訳がわからずカエデは思考を巡らせたが、カエデを拘束した警察官が彼女を護送者へ乱暴に押し込んだことで全て終結した。

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