第15話 クリュウ様

 僕は渋々だけど姿を現したよ。


「おおっ、ハル殿であったか。万が一を考えて結界を張ってくれて有難う。お陰で安心して奴らを打ち据える事が出来たよ。それで、隠者様はご一緒じゃないのかな?」 


 クリュウ様が僕を見て笑顔でそう言ったよ。やっぱり気づかれてたか。師匠やマリーナ姉さんならクリュウ様といえど、気づかれずに結界を張っただろうけどね。僕はまだまだ未熟だね。

 僕は辺境伯様への礼儀として、その場で片膝をついてご挨拶したんだ。


「お久しぶりです、クリュウ様。我が師は僕が一人前になったと言って遠くへと旅立ちました。これよりこのタスの湯殿は姉弟子マリーナと僕で、師がしてきたように提携商品を卸し続けていく所存です」


 僕の挨拶にクリュウ様が慌てて御者席から飛び降りて僕の両脇に手を入れて無理やり僕を立たせたんだ。


「ハル殿、止めてくれ! 俺がこうして王家の圧力を気にせずに行動出来るのも全て、魔鏡の森の隠者様とマリーナ様、ハル殿のお陰なのだから! そのような挨拶は俺には不要だ! それにしてもそうか、ハル殿も十二歳になったか…… 隠者様は旅に出られたんだな。それで、ハル殿はここで骨休めでもしていたのか?」


 僕はクリュウ様にそう話しかけられたけど、そこで女将が助けを出してくれたよ。


「さあさあ、クリュウ様、こんな表でするお話ではありませんでしょう。それに、こちらのご令嬢の事もございますし。いつものお部屋をご用意しておりますので、お話ならばそちらでどうぞ。ハルちゃんもそれでいいかしら?」


 と、そこで若女将から脇腹をつつかれる女将。


「あっ!? そうだったわ。ハルさんも成人したんだから、私も本日からは娘と同じようにハルさんと呼ぶようにしますね」


 言葉まで丁寧語になってしまい残念に思った僕は女将に言ったよ。


「いや、ネーメさん。僕はこれまで通りでも構いませんよ。成人したとはいえネーメさんから見ると若輩者でしょうし。ネーメさんからハルちゃんと呼ばれるのはイヤじゃありませんから」


 そう、僕は前世でも父子家庭だったし、今世でも師匠が親代わりだったから父子家庭と同じ感じだったから。六歳頃からネーメさんにハルちゃんと呼ばれると、知らなかった母の温もりを感じてしまうんだ。まあ、僕の勝手な思い込みなんだけどね。

 因みにマリーナ姉さんには母性を欠片も感じた事は無いよ。だって鬼教官だし……


 僕の言葉に勝ち誇ったような顔をしたネーメさんは自分の娘であるネルさんに言う。


「ほら、ハルちゃんはこう言ってくれてるでしょう。私の言った通りじゃない。それじゃ、これまで通りにハルちゃんって呼ばせて貰うわね」


 僕はその言葉に頷いた。それよりもナーガさんがさっきから困惑顔で僕を見ているよ。うん、説明はクリュウ様からしてもらって下さいね。


「よし、それではナーガよ。一緒に俺と泊まろう。めとるとは言ったが、嫌なら嫌と言ってくれよ。無理強いはする気は無いからな。他に好きな男が居るならその男の元にちゃんと送ってやるぞ」


 クリュウ様がナーガさんにそう声をかけてるスキに僕はまた気配遮断と結界で姿を消して離れに向かったよ。僕が成人したと知ったクリュウ様はこれ幸いと酒盛りを始めようとするに違いないからね。いつも何かしら理由をつけて師匠と酒盛りしてたから僕にはわかるんだ。

 そうしてコソッとその場を後にした僕は自分の泊まっている小屋に戻る。小屋の前では温泉から出たメイビー嬢とマリアさんが立って待っていた。


「どうしたんですか? お二人とも」


 僕がそう声をかけると、マリアさんが


「表の方から声が聞こえたからこっそりと様子を確認してみたら、王太子バカの腰巾着が来ていたから慌ててメイビーに知らせてハルと一緒に直ぐにここから逃げないとって思ってたの。でも、ハルが居なかったからここでメイビーと二人で待っていたのよ」


 そう説明してくれたよ。あ、そうか二人とも温泉に入っていたから僕も声をかけずに表に向かったからね。


「すみません、外から声をかけておけば良かったですね。でも安心して下さい。ジステン伯爵はちょうどここに宿泊にいらした辺境伯様によって領地に逃げ帰りました。それと、僕もこの場所に結界を張っていたので、伯爵がコチラに来る事は無かったですからね」


 僕の言葉にホッとした顔をする二人。そして、メイビー嬢が、


「辺境伯様という事はクリュウ様がいらしてるのよね。ご挨拶しても大丈夫かしら?」


「メイビー様はクリュウ様とお会いした事があるんですか?」


 僕はそう聞いてみた。


「ええ、父と母が存命の頃は良く領地に来られてましたわ。私も良く遊んでいただきましたの」


「私も覚えている。私に戦闘術を教えて下さったのはクリュウ様付の侍女でベルニカ様という。もしも師匠も来られているならばご挨拶したいな」


 嬉しそうに、そして懐かしそうにそう言うメイビー嬢とマリアさんを見て、僕は酒盛りから逃げられないと諦めつつ、二人に言ったよ。

 それにしてもマリアさんの戦闘術の師匠がベルニカさんだったとは…… どおりでマリアさんから強者つわものの気配を感じる訳だよ。


「分かりました。それじゃあご案内しますから今から向かいましょう」 


 その時の僕はすっかりナーガ嬢の事を忘れてしまっていたんだ。僕らは離れから本館に向かう従業員用の通路を使って本館に入った。こちらから入ると他の宿泊してるお客と出会わずにクリュウ様の泊まられてる部屋に行けるからね。


 クリュウ様の部屋に着いた僕らだけど、そこで女性が泣いている声が聞こえてきたんだ。その時になって僕はやっとナーガさんの事を思い出したんだよ。


「えっと…… どうやらお取り込み中みたいですからご挨拶するのは後からにしますか?」


 僕は二人にそう確認してみたけど、二人とも首を横に振る。えっ、何で?

 

「クリュウ様は少年の頃から女性をたくさん泣かせた聞いております。また、女性を泣かせているのでしたら、私は世間的には罪人扱いではありますが、淑女レディとしてクリュウ様をおいさめしなくては!」


 メイビー嬢が決意を込めてそう言うと、マリアさんまで、


「師匠が居ながら何故に女性を泣かせたままにしているのか? 私も師匠を問いたださないと!」


 なんて事を言い出したよ。仕方なく僕は扉をノックしたんだ。扉からの『ワシを叩くとはっ!?』の声はもちろん無視だよ。

 中からベルニカさんの声で


「はい、どちら様でしょうか? ただいま取り込み中ですので後ほどにしていただければ有り難いのですが」


 と聞こえてきたよ。僕が躊躇っていたらメイビー嬢に背中をツンツンとつつかれたよ。はあ〜、仕方ないか……


「ハルです、ベルニカさん。僕の雇い主がクリュウ様にご挨拶を申し上げたいと言っているのですが、後からの方が良いですよね?」


 けれども僕の期待とは裏腹に扉は直ぐに開かれた。


「ハル様でしたら話は別でございます。どうぞ、お部屋にお入り下さいませ。って、アラ、マリア様じゃないですか? そちらはメイビー様ですね。お久しぶりでございます。という事はハル様の雇い主様とはこのお二人の事でしょうか?」

  

 ベルニカさんがそう言うので素直に頷く僕。するとベルニカさんがメイビー嬢とマリアさんに言う。


「お二人ともご存知ないようですので申し伝えておきます。ハル様は魔鏡の森の隠者様の直弟子でございます。ハル様は王国を超えて、この世界全ての為政者いせいしゃよりそのお立場たちばを認められております。勿論そのお立場はお二人よりも上になりますので、そのようなお方をお雇いするなんてとても不敬な行いでございます。メイビー様、今のお立場は承知しておりますが、それは冤罪であると王国の全ての者がわかっております。が、ハル様を雇っているなどと他の国の為政者に知られると、場合によっては即死罪の可能性もございますよ……」


「いや、待って、ベルニカさん。ほら、メイビー嬢もマリアさんも驚愕してるじゃないですか!? 偉いのは師匠やマリーナ姉さんであって、僕はそんな立場になった覚えはありませんからね。ド平民ですからね。だから、メイビー様もマリアさんもそんな畏れ多いみたいな顔は止めて下さい。今まで通りでお願いします」


 僕がそう言うとベルニカさんも


「まあ、ハル様ご本人がそう仰るのなら……」


 と、納得はしてないけど了承はしてくれたみたいだよ。本当に止めて下さいね、ベルニカさん。メイビー嬢もマリアさんもまだ顔が固いけど、僕は必死で説得したよ。まあ、また後でちゃんと話をしようと思うけどね。


 そうしてベルニカさんの案内で部屋に入った僕たちは熱い抱擁とキスを交わすクリュウ様とナーガさんの姿を見てしまったのだった……

 


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