さよなら初恋またきて愛

@narasika

第1話

霧雨の下で、黒い傘が宙を舞った。強い風に吹かれて、気付けば手の中にあったはずのそれは夜の闇に紛れてあっという間に見えなくなる。それをぼんやりと眺め、けれどすぐに目を伏せた。自分のものではない、値の張るであろう傘だから普段なら慌てると思うが、今はそんなことはどうでも良い。


『ありがとう、託』


この傘を差し出せば、いつもそう言ってはにかんでくれた人がいた。逆にいつかこの傘を俺に差し出して、笑ってくれた人がいた。

──けれど、その人は、もう。


そう考えると痛烈に胸の奥がじりじりと焼けるように痛んだ。その痛みをやり過ごそうと奥歯を噛む。けれど、この痛みが一生涯付き纏うことを俺は誰よりもわかっていた。


だから。いや、それならば。


「ごめんなさい」


ちいさく、一つ謝った。あの人はきっと怒るだろう。嘆くだろう。泣いてしまうかもしれない。ああ、それだけは、嫌だな。


そんなことを思いながら、けれと迷いはなかった。だってあの人がいない世界に生きることに意味なんて一つも見出せない。


手すりに足をかけた。ぐっと力を込めて飛び乗って、そのまま躊躇いなく空へ身を乗り出す。落ちると分かっていながら、抵抗はしない。ただそっと目を瞑る。


「さよなら、だ」


天地がひっくり返った感覚。風が耳元でびゅうびゅう鳴っていた。



さよなら世界。


貴方のいない世界になど、もう、二度と。


──生まれてきてなど、やるものか。

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