年末の葬式(2)

 志帆から「たまには声を聞きたいな!」という連絡がきた。

 しかし、――康志夫婦が二階に、ばあさんとじいさんが台所の横の廊下の突き当たりに部屋を持っているとはいえ、話し声が聞こえてしまうことは避けられないのではないか。少なくとも、そのことを意識してしまい、会話を楽しむことはできないだろうと、信広は思った。


 夜はもちろん昼さえも、張りつめた静けさのせいで自分の声が強調されてしまう。だれかに話し声を聞かれかねない。でも、志帆からのお願いを突っぱね続けることで、彼女に愛想を尽かされてしまうのではないかという危惧もあり、今日こそはどうにかして通話をしたいと信広は考えていた。


「うん、ぼくも志帆の声を聞きたい」というような返事をした。もちろん、こうした問題をどのように解決し、何事にもおびえることなくふたりきりの時間を過ごすためのすべというものは、ひとつも思いついていない。外に出るという選択肢は、もしそれが見つかったときのことを考えるとおそろしいし、なによりあまりの寒さに一分いっぷんとそこにいることはできないだろう。


 なんの策も思いつかず、ベージュ色の薄手の毛布を腹にかけて、いままでの人生のことに思いを馳せていると、ストーブがピーピーと鳴った。


 丁度、母の死の日のことを考えていたときだった。

 その追憶は、自分の人生において降りかかってきたものは悲劇ばかりである、という妄想を引き起こし、自分は将来的に恩恵を受けるべき存在であるということを、信広は、祈らずにはいられなかった。


     ×     ×     ×


 信広は、灯油缶を持って、裏にあるもう一つの家へと向かった。が、ひさしの下まで吹雪いてくるなか、物置と化しているかの家に灯油缶を運んでいくことは、さきほどまで温もりのなかで横になっていた身には辛いものがあった。かじかんでいく手には手袋などなく、部屋着と靴下の間から冷気が入りこみ、下半身を凍えさせていく。


 引き戸を開けると、そこは車庫になっている。ポンプを使って油を補充しているあいだも、容赦なく打ちつけてくる風が、シャッターを破りそうなほどのけたたましい音を立てている。


 トラックの向こうには、二階へと続く階段があり、その上に、この家の物質的な歴史のほとんどが詰まっている。いま必要でないもののほとんどは、二十年ほど前に建てられたというこの家に追いやられている。


 信広はふと、夜にひっそりとこの家の二階で志帆と話すことができるのではないかと思った。外から見るに、二階の窓は鎧戸よろいどのせいで中が見えなくなっている。明かりをつけても気づかれる心配はないだろう。


 外へ出る音など、もし吹雪いていたとすれば気づかれない。この裏の家へと行くためには、ばあさんとじいさんの部屋の近くを通らなければならないが、眠っていれば悟られることはないであろう。


 ここの二階でなら、思う存分、蜜月の夜に耽ることができる。一階の電気を落としておけば、ここに入ったということには気づかれないだろう。


 悟られずにうまく外に抜け出すタイミングは、カーテンや引き戸の開閉などが聞こえないくらいの大風が吹いているときが一番だ。そしてこの家のみなが眠りに入っているときだ。そう、信広は考えを巡らした。


 しかしあまり遅すぎると、志帆が眠りに入ってしまう。

 ここに来てから観察するに、この家の人々は、だいたい十時過ぎには床についてしまう。しかし、時には、康志夫婦が遅くまで晩酌をしているときがある。だが、連日ということはない。よくても隔日のことである。


 信広は志帆に日時を三つほど提案した。幸いにも志帆は、今日か明日――くっついたふたつの日のどちらかが都合のいいとのことだった。


 そして、信広は、もうすぐクリスマスであるということを思い出した。すると、その日に離ればなれでいるしかないという事実に対しての寂しさが生まれ、それは猛烈な独占欲へと転化し、ストーブの熱気とともに胸中に拡がりはじめた。


     ×     ×     ×


 晩の食卓に、ばあさんの姿がなかった。熱が出たというのだ。いまはそれだけで済んでいるが、これから悪化してくると大事おおごとである。夫妻にとっては、この雪では市街地にある病院へ連れていけないこと、そしておそらく、救急車も来ることができないであろうということが、切実な心配事だった。


 除雪車が雪を歩道の方へとうずたかくけたあとに、また道路を塞いでいく雪によって、交通網はすっかりと麻痺してしまっていた。どうか晴れてほしいものだが、いまもカーテンの向こうでは、恐ろしいほどに風がうなっている。


 一方の信広は、患いだしたばあさんの看病のために、夫妻のどちらかが居間に床を取らなくてはならないのではないか、ということに不安を覚えていた。この仏間の隣に寝床をえられれば、裏の家へと忍んでいくわけにはいかない。


 しかし自分が夫妻に代わり、ばあさんの体調の急変を見張る役目を買って出るわけにはいかない。一時間ほどは、ここを空けてしまうからである。


 今日は、康志が一階に布団を敷くことに決まった。ばあさんには、なにかあったら動けるうちに伝えにくるようにと言い聞かせた。じいさんは、この家の庭を見下ろすことのできる、そして、裏の家の鎧戸がよく見える二階の部屋に移ることになった。


 信広は約束を反故ほごにしなければならないことで、志帆を怒らせてしまうのではないかということに不安を覚えた。


 志帆の「大丈夫だからね!また今度に!」というメッセージの背後にある彼女の真意を汲み取ろうとしてうずきだした、独占欲にまみれた彼の妄想は、冷酷な自己批判を引き起こし、縁側とは反対側にある机の椅子に、彼は長々と縛り付けられ続けた。

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