第44話 お別れとその後
すっかりパリに行く気持ちでしたが、すみません。ちょっと最後にみんなバラバラになったのですが…書くことを忘れていたトゥールのメンバーのお話を。
まだトゥールに残る日本人もいたけれど、Sさんは怖いマダムと最後は仲良くなれて、お別れをしてポルトガルとか周辺国の旅行を予定していた。
途中でマダムがどうしても苦手でホームステイを辞めた外語大生はニースの学校へ移って行った。ヤスは日本人のお嬢様と付き合って、まだトゥールに残る予定だった。
オーストラリア人の陽気なおじさんは奥さんが帰国前に来て、一緒に少しフランスを旅行して帰ると言っていた。
Sさんは「絶対、奥さんは大人しい人だと思う。旦那があれだけうるさいんだから」と言っていたが、私は「いや、絶対、奥さんの方が元気で、旦那さんは羽を伸ばしているだけだよ」と言った。
果たして語学学校まで現れた奥さんは明るかった。すごい笑い声が聞こえると思って、振り返ると、そこにはオーストラリアの旦那さんが小さく座っていて、隣に豪快に座りながら笑っている奥さんがいた。
「ほらね」と私は思った。
なんだかいつも大きな声で笑って、楽しそうに過ごしていたおじさんが小さくなっている。
でもきっと良い夫婦なんだろうな…(多分)と思った。
Sさんは「絶対おとなしい人だと思ってたのに」と言っていたが、私は当たっていたので得意げになっていた。
アメリカ人のガールズとも仲良く写真をとり、親切な神父さんの奥さんともお別れの抱擁をした。まだ息子さんのことがはっきりしないので、結局、帰国はもう少し後になるとのことだった。
韓国人の二人ともお別れをする。私と歳が近い外交官の娘さんの方は恋人とイギリス旅行に行って「私、彼と結婚することに決めた」と私に言った。
彼女はおとなしそうな黒髪で、白い肌の女性だけれど、恋バナを聞いたところによると、恋多き女性だった。
「そっか。よかったね。おめでとう」と私はお祝いを言った。
タイ人たちは揉めていたけれど、仲が良かったスパカーニャだけには挨拶をした。いつも彼氏と一緒にいて、本当に可愛らしい女の子だったけれど、利発だし、気持ちのいい子だった。まだしばらくトゥールで勉強すると言っていたので、きっと語学も上達しただろう。
結局、トゥールの語学学校は語学については、最高の学習環境であったと思うし、先生たちのレベルもすごく良かった。(二十年前の話です)
でもどうしてもホームステイに関しては思うところもあったし、部屋の斡旋に関しても思うところはあった。(二十年前の話なので、もう…あ…)
半年、語学学校に行くと大きな壁にぶつかる。ある程度の日常会話が出来てしまうが、そこからのフランス語はなかなかに厳しい壁になる。
そこを半年で越えれるのか、自分の能力、年齢、資金の限界、それによる滞在日数、そして帰国後、フランス語の仕事があるのか…色々悩んで、パリでは二週間の語学学校の後、絵画の学校へ行くことを決めた。
私は美術系大学を卒業していたし、高校の美術の非常勤講師としても働いていたことがあった。
フランスの絵画ってどんなものか…少し気になっていた。パリの芸術大学にも興味があったが、何も用意していない状態で入るのは難しい。
日本で絵を描いていても、なんだか閉塞感を感じていた。絵の素晴らしさじゃなくて、コネじゃない? 某芸能人が受かる展覧会を見ていて、あるいは教授に気に入られた子が受かるのを見て、絵の評価なんてグレーなところがあるから、それこそ絶対評価はあり得ない。
私は大学で絵を習って、ものすごくため息をついて、絵に対して諦めを持った。その話をうすーく下地にした小説が「東のひつじ雲 西の太陽」なんだけれど。まぁ、それは置いておいて。
本当はパリのソルボンヌ大学の語学コースに申し込みをしていたが、まだ料金は払っていなかった。ソルボンヌ大学の申し込み受諾の書類で滞在ビザが取れていたので、そのまま学校だけ変えることにした。
パリで語学を諦めて、絵画の学校へ通うことになる。
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