海をみていた午後

釜瑪秋摩

sideA

 海を眺めることが好きだった。

 砂浜に一人で腰をおろし、何時間でも黙って海を眺めていた。


 寄せる白い波も、響く潮騒も、私の中を通り過ぎていくような

 そんな感覚が好きだった。


 ただ、海にいくには少し遠いところに住んでいたから

 年に何度か、 数える程度にしか行くことができなかった。

 ある日、彼が言った。


「どこか行きたいところ、ある?」


「海が見たいな……」


 私は、ぽつりとつぶやくように返す。

 彼は私を車の助手席に乗せるとスピードを上げて走りだした。

 二時間ほど経ったころ、海のある街に着いた。

 彼が連れてきてくれたのは、私もよく訪れたことのある海岸だった。


 海岸沿いの国道にある、小さなレストランで食事をして

 散策がてら、街なかのおみやげ屋さんをひやかす。


 私は、そのあいだもずっと、響いてくる波の音を聞いていた。

 昼間はまだ人も多く、海岸はたくさんの人の声や雑踏が入り交じって

 賑やかな雰囲気だった。


 やがて、日が落ち始めるころには

 砂浜は人もまばらになり

 響く波の音と夕焼けに染まった金色の空が広がっていた。

 道路から砂浜へと続く階段に、彼と並んで腰をおろし、ただ、黙って海を眺めていた。


 私は立ち上がると、吸い寄せられるような気持で

 一人、波打ち際に向かった。

 

 夕焼けに染まる景色の中に

 同化してしまいそうなくらいの一体感をおぼえる。


 少しだけ、肌寒いだろうか?


 ふと、気持ちの奥に、ひんやりとした風が通り抜けた気がした。


「ねぇ!」


 後ろから彼が私を呼んだ。

 私は彼のほうを振り返った。


 突然、強く風が吹いた。


 巻き上げられた髪に手をあてて一瞬下を向き、もう一度、彼のほうを見たとき

 彼は駆け寄って来て、私を抱きしめた。


 そして、小さくため息をついた。


 二、三分、そうしていただろうか……

 短い時間が、やけに長く感じた。


 彼は黙ったまま、私の手を取ると車へと向かう。

 私たちはそのまま帰路についた。


 彼が車を走らせているあいだじゅう、私はぼんやりと、流れる景色を見ていた。

 彼は黙って車を走らせている。


 ふと、その横顔に目を向けた。


 海岸で、身体も気持ちも、冷え切ってしまいそうだった。

 駆け寄って、抱きしめてくれた彼のぬくもりが、やけに温かかった。

 握りしめてくれた手が大きくて、やっぱり温かかった。


 私には、傷がある。

 時々、不意に冷たい感覚に襲われる。

 彼がくれたぬくもりを、愛おしいと思った。


 彼と一緒にいたい……。


 素直にそう思った。


 海を見ていた午後……。

 私はかけがえのないものを、手に入れた。

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