もう一人の主人公

私は、お姉様が羨ましかった。



小さい頃から正しく教育を受け、公爵家を任されることも最初から決まっていた。

私がどれだけ努力してもそこには全く影響しないことを私は知っている。

公爵である父は別に母を心底愛しているわけでも無かった。

だが、私がうまく甘えることが出来れば、彼は私にとって最大の味方となる。

それを、何度も人生を繰り返すうちに学んだ。

私が生きるためには、父に媚を売って味方にするしか選択肢はなかった。



私は何十回いや、百回目も超えているかもしれないほど人生を繰り返している。




何度か生き残れはしたが、私はほとんどの人生で惨めに死んだ。

公爵家に相応しい立ち振る舞いや教養をきちんと受けて頑張ったこともあったが、嫁いだ先で殺されたり、策略に巻き込まれたり、最も最悪と呼ばれる死に方を繰り返した。



生き残れた人生も、決して幸せでは無かった。

この人生はうまく行くかもしれない。そう思っていても、私は庶子であることを理由に虐げられていた。



最初に姉の婚約者であるヘンリーと恋仲になったのは、もう何十回も前の人生だった。

ヘンリーとお姉様が破談になると私が死ぬことは分かっていた。

だけど、ただの気まぐれでヘンリーと形のない関係を続けた。

父に嫁に出されないように小さい頃から気を配り、姉とは不仲にならないように心掛ける。

そうしてその後の何度目かの人生で軌道修正しているうちに、私はヘンリーと幸せな老後を過ごすことが出来た。

結婚する事はない日陰者だったが、それでも、どの人生よりも幸せな人生だった。



その成功体験から、次の人生でも、その次の人生でもヘンリーを愛した。

それが間違いだったなんて、私には思えなかった。

そうしているうちに、最初はお姉様に抱いていた罪悪感もなくなり、ヘンリーといることが当然のように思えていた。

決してお姉様を嫌いになったこともなかったし、どちらかと言えば優しいお姉様のことは好ましく思っていた。

でも、惨めに死んでいく私の人生の裏で、いつもヘンリーと幸せそうに過ごすお姉様のことを、妬ましく思っている自分も少なからずいた。



「アリー、辛かったら帰って来ていいのよ?」



嫁に出た後もお姉様は私を心配してくれていたし、救い出してくれることもあった。

時には共に死ぬこともあったほどに、お姉様はいつも正しくお姉様として存在した。



それなのにこんな事をして申し訳ない。

そう思っていた頃が懐かしい。



私は死にたくもないし、不幸にもなりたくない。

何度も何度もヘンリーとの関係を続けていくうちに、感覚が麻痺していたのかもしれない。

それが影響して、どこかで何か間違った行動をしてしまったのか、私がいつものように息子を出産した日の夜、突然お姉様は死んでしまった。

お姉様はこのまま見て見ぬ振りをし続けて、私はヘンリーと幸せに暮らしていくはずだったのに、どこで間違ったのだろう?そう考えても答えは見つからなかった。



それから再び死と不幸のループだ。

私はもう、何をどうしたらいいのか分からなかった。

お姉様が自死することも、お姉様が逃げ出すことも、異国の王子と結婚することも今までに一度もなかったのだ。



お姉様とヘンリーが仲睦まじく幸せに暮らす姿を何度見て来たと思っているの?

そこから私が幸せになる道を見つけるのにどれだけの人生を繰り返したと思っているの?



何度も何度も軌道修正しようとした。

ヘンリーと結婚しても私は決して幸せにはなれない事はもう分かっている。

ヘンリーはお姉様と結婚をしないと私を愛し続けてはくれない。



何度繰り返してもお姉様は異国の王子と結婚してしまう。

私は再び別の幸せの道を見つける人生を繰り返すしかなかった。



お姉様が異国の王子と結婚するならば、ヘンリーとの結婚は避けなければならない。

姉はまだ子どものうちに連れ去られるようにして異国へと行ってしまうので、私の軌道修正は思ったように上手くいかなかった。



ーーねぇ、どうして私は幸せになれないの?



その答えを教えてくれる者はいなかった。

繰り返す人生に疲れて発狂すれば、父は私と母を捨て、公爵家に迎え入れられることすら叶わない。



だから私は発狂することも出来ず、正常なふりをしながら笑っていなければならなかった。



公爵家の跡取りとして生きていくのが既定路線となってしまったので、私は貴族らしい笑顔を貼り付けることも上手くなった。

知識は何度も繰り返していれば自然と身につくもので、何度目の人生からかは忘れたが、馬鹿なふりをしない人生では教養面は問題ない。



あれ程何度も愛したヘンリーから離れられない人生も、一歩間違えれば死と隣り合わせだ。

運良くヘンリーが私に恋しても、それは長く続く事はなかった。

そのまま結婚しても、彼は女と逃げ出したり、時には私を殺して息子に爵位を取らせることもあった。

その後はどうしたか知らないが、きっと後妻を迎えて領地の片隅に引っ込んだのだろう。

殺されるとわかっていながら過ごした日々は今思い出しても鳥肌が立つ。



「アリー」




そう呼ばれるたび、吐き気すらするようになったので、今の人生では誰からもアリーと呼ばれることはない。



「アリエル、僕たち結婚するのだから、もう少しお互いの事を知り合っていこうよ」



ヘンリーとの結婚は今回も決定事項になりそうだった。



「ヘンリー様、結婚すれば嫌というほど一緒にいるのです。時間は有意義に使いましょう」



お姉様はとっくの昔に異国へと旅立っている。

私はこの人生ではヘンリーととにかく距離をとっていた。

それでも婚約となるのは、侯爵家との繋がりが欲しいからだ。

私は今回の人生、どうやって死ぬのだろうと、そればかりが頭に浮かんでいた。



「アリエル!ちょっと待ってよ!」



腐っても私は公爵令嬢だった。この人生では庶子としてたまには馬鹿にされることもあったが、これまでの人生とはまるで別人のように公爵令嬢として扱われている。



次期当主としても認められているし、父も母も優秀な娘だと可愛がってくれている。



ーーねぇ、それなのに私はどうして幸せになれないの?



私はこの人生で初めてヘンリーと婚約破棄をした。

お金はたくさん払うことになったし、突然の婚約破棄に、新聞に大きく取り上げられるほど話題にもなった。

姉妹両方から婚約を破棄されたのだから当たり前だ。



婚約破棄で悪いイメージのあるまま出席することになった建国祭は、誰のエスコートもなしに父と母と共に出席することになった。

他人の目なんて今更気にならない。

私はお姉様の夫にまで手を出して来たのだ。

今更醜聞なんて気にならない。





「エリザベス様の妹のアリエル・テイラー様でございますか?」




一人でポツンと壁の花となってシャンパンを口にしていると、一人の男性が声をかけてきた。

婚約破棄をしたばかりの私に声をかけてくるなんて正気ではないだろう。



「エリザベスは私の姉ですが、どちら様ですか」



彼も別に正式に挨拶をしてきたわけでもなかったので、私もぶっきらぼうに答える。



「私はバチェスタ国の第五王子、ライオネル・バイスです。不躾にお声がけしてしまい申し訳ありません」



バチェスタ国といえば、お姉様がいつもこの時期に遊学と称して住むリーベアの街がある国だ。

公爵令嬢である私も、異国の王子と分かれば失礼な態度は取り続けられない。

彼も今の私の状況を知らずに話しかけているはずだ。



「こちらこそ失礼いたしました。グワマン公爵家の次女、アリエル・テイラーですわ」



「よかった。ベンブリックス公爵夫人からすごく優秀な妹がいるのだと聞いておりまして、リス国へ来た時は一度お会いしたいと思っていたのです」



お姉様はこの人生でも妹を大事にする完璧な姉のままだ。

いっそ嫌いになれたら、酷い仕打ちをしてくる姉だったら、憎むことも出来たかもしれないのに、いつもお姉様はそれを許してはくれないのだ。




「姉は元気にしておりますか?」


「えぇ。結婚式も招待出来なかったことを気にされておりましたが、社交界の中心でさまざまな国の方と積極的にお仕事をされております」


「姉が元気でいるのなら、寂しいだなんてわがままは言えませんわね」



何度もお姉様を蔑ろにしてきたのに、最近の人生では時折無性にお姉様に会いたくなる。

姉ならば、正しい道を示してくれるのではないかと、そんな資格もないのに縋りたくなってしまう。



「もし彼女に会ったら寂しがっていたと伝えておきますよ」


「えっ、それは困ります」



咄嗟に否定しまった私は、慌てすぎてシャンパンを持っていることも忘れて盛大にこぼしてしまう。

否定する理由なんてないのに、これまでの人生の後ろめたさが勝ってしまったのだ。



「白のシャンパンでよかった。もしホールから出るならエスコートさせてください」



ハンカチを差し出しながら、彼はニコリと笑った。

赤ワインだったら、その笑顔は決して見られなかっただろう。

少し水を含ませた布で叩けば、惨めにこのまま帰らなくてもいいはずだ。



「ありがとうございます。お願いしてもよろしいですか?」


 


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



「このままお待ちしていてもよろしいですか?」



そのまま侍女のいる控室までエスコートされた私は、彼にお礼を言って侍女と一緒に休憩室へと向かった。



侍女と歩き出した私に、ライオネル殿下が少し早口に声を掛けた。



「え?」



ホールへは戻るつもりだったが、彼とはここで別れるつもりだった。

きっともう話すこともないだろうと、そう思っていた。



「ご迷惑じゃなければ、私と一曲踊ってくださいませんか?」



驚いたことに、彼は誰のエスコートもせずに参加したのだという。



「私、婚約破棄したばかりなので、ご迷惑になると思います」



私といれば、彼にも良からぬ噂が立つかもしれない。

それを許容するほど、この人生では常識がないわけではなかった。




「迷惑だなんてとんでもない。恥ずかしながら存じ上げておらず申し訳ありませんでした。ですが、私のことは気にせず、踊っていただけたら幸いです」



彼とは一夜限りのダンスを踊ったが、そのパーティ後、彼はすぐに自国へと帰っていった。

でも、久しぶりにヘンリー以外と踊れた新鮮さが、私の鬱々とした心の霧を少しばかり晴らしてくれた。



思っても見ないことに、その後、ライオネルから何度か手紙が送られてきた。

その頻度は最近益々高くなっている。



「お嬢様、旦那様がお呼びです」



その日、私はライオネルから縁談の話があると報告を受けた。

彼は是非婿入りしたいと申し出たそうだ。



公爵家には他に縁談がこなかったわけではなかったが、全て断っていた。

ライオネルとなら結婚してもいいかもしれない。

手紙では些細な彼の日常や、私にまた会えたら何がしたいとか、そんな事が綴られていたし、好意はずっと感じていた。



バチェスタ国を巻き込んで、今度はどんな死に方をするのだろう。

そんな風に考えてしまう一方で、幸せになりたいと彼に期待してしまう自分がいる。



繰り返しの人生で、想像できない未来に恐怖を感じるようになっていた。

ヘンリーと内密に恋仲になっていた頃は、約束された幸せの中、いつも同じ人生をなぞる様に生きていかなければならなかった。

再び動き出してしまった人生は、どんな目に遭うのか本当に怖い。



「その縁談お受けしたいですわ」



そう父に言うのも勇気のいることだった。

ただ立ち止まっているのも怖い、でも動くことも怖いのだ。

ヘンリーと婚約破棄をしたことで、既定路線ではなくなったこの人生で私は大きな賭けに出てしまった。




明日は死ぬかもしれない。

明後日は死ぬかもしれない。

そうやって死に怯えてはいたが、私は少しずつ平穏を手に入れた。



ライオネルはいつも私を真っ直ぐに見る人だった。

横にいてくれるだけで安心できて、よく働いてくれた。

領地は少しずつ発展していて人口も増えている。



「アリエル、僕はキミと結婚できて幸せだよ」



そう言って笑った彼と、私は長い時を過ごしていた。



ーーもういつ死んでもいいわ



死なないために生きてきた私は、望んだ幸せの中で死にたいと願った。



もしこの先に待つのが破滅でも、例え壮絶な死でも、私は彼と最後まで生きたい。



病める時も、健やかなる時も、喜びの時も、悲しみの時も、私は彼と共にありたいと願った。





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