一度目の彼
リス国の学園を去り、2つの国で遊学を終えてバリシネスに戻ったマーティンは、公爵の地位が与えられ王都に近い土地を貰い受けて領地運営と並行して事業を始めた。
中には損失が小さいうちに取りやめたものもあったが、既定路線で生きていく中で事業を展開していくことは楽しかった。
「おぉ!マーティン、元気にしていたか!」
同年代の他国の王族との付き合いで訪れた社交サロンのVIPルームは、お互いの身分を気にせずに意見交換が出来る貴重な場だった。
同じ立場の人間の意見を聞くことが出来る機会はそうあることではなく、彼らが滞在中の貴重さを考えて時間があればそこに通った。
そんな中で話題の一つに上がったのが、リス国のグワマン公爵家が金鉱山の掘削資金を集めているという話だった。
他国の王族に声をかける程の規模なのかと言えば未知数とのことだったが、金そのものの輸出ではなく、金細工にしての小売を考えているらしい。
どういうことなのかとすぐに話を掘り下げると、グワマン公爵家から思わず買い取ったという腕輪を見せられた。
「美しい」
何かを見て、ましてやアクセサリーの類に美しいと表現したのは初めてだったかもしれない。
均一な凹凸の細工も素晴らしいが、何より磨きあげられた光沢は金色の宝石が埋め込まれているかのように見えるほどだ。
「無理を言って買い取ったのも分かるだろう?彼女も苦笑いだった」
「彼女?もしかしてエリザベス・テイラー嬢のことか?」
「なんだ、知り合いなのか?グワマン公爵家の最近の事業は全て彼女が担当しているそうだ。金の採掘が始まれば職人はもう確保出来ていて、この技術だろ?例え小規模な金脈だったとしても元は取れるし、今後店舗を各地に作って採掘から販売まで一括で行うと言っていた。販売の優先権を利益に含み、還元率は低めに設定して強気だ。中々おもしろいだろう?」
企画からするに、既に優秀ではない金脈の可能性があるらしい。
それでも初期投資すれば金は出る。
職人の手腕によって価値が変わる恐れはあるが、現在はその価値は充分にあると思う。
もし金鉱山が思ったように動き出さなかったとしても、既に職人さえいれば事業としてはどうとでもカバーが出来る。
「彼女はリス国にいた時の同級生だ。俺も興味が湧いた」
そうして投資家として自ら名乗りをあげた事業は、早々に着手が決定した。
既に別ルートの金で加工は始められており、投資家達は早期にその恩恵に預かることができた。
金細工はコーヒーカップからアクセサリーに至るまで幅広く、すぐにいくつもの国の社交界で話題を攫った。
「手に入れたくても手に入らないのが辛いわ」
最初に話を聞いた時に名乗りをあげていなかったらその恩恵にはありつけなかっただろう。
投資家達だけの販売となっている現在でも、利益は相当あった。
最初は投資家達を顧客としているのが本当に滑稽に思えたが、それほどに素晴らしいということだった。
「マーティン殿下、久方ぶりでございます」
事業の投資家だけを招待したパーティは多くの国の貴族が集まって、人脈を作るには最適といえるようなものであったし、彼女の話はとても知性的でいて面白く、その場を和ませた。
その横にいた夫の存在は殆ど感じられなかった。
政略結婚とはいえ、幼馴染として育った2人にしては会話も少なく感じた。
彼女との会話はあいさつの範囲を超えることはない。
夫婦関係は家それぞれだから口を出すのも無粋だったが、彼女の完璧な笑顔とは裏腹に顔色が悪いことにはいつも気になっていた。
「エリザベス嬢、顔色が悪いようですが、少し座られてはどうですか?」
思わずそう提案するほどだ。
ひっきりなしに挨拶をしていれば疲れるのだろう。
「お気遣いいただきありがとうございます。少し疲れてしまったようですわ」
「エリー、少し失礼しようか」
エリー。そう彼女を呼んだ時に漸く学園時代の記憶が蘇った。
「エリザベス・テイラーの婚約者が彼女の妹と毎日いちゃついていて本当に不快だ」
友人がよくため息を漏らしていたのを思い出す。
婚約者の妹と?
最初はそう不思議に思った程度だったが、何度も2人を目撃すると、確かに不快だなと感じた。
聞けば彼は公爵家に婿に入る予定だという。
ーー婚約破棄だと彼女が言い出せば、彼の人生は終わるな。
そう思っていたが、そのまま結婚したらしい。
結婚前から不誠実だった相手を家に入れることを了承したことは素直に見れば不思議でならない。
自分の知らない利益があるのだろうか、それとも婚約破棄出来ないほどの負い目が公爵家にあってのことなのか。
しかし、相手は妹だった。
妹の方はあれだけ学園内で噂になっていたら家格に合う相手との縁談は来ないだろう。
妹の結婚は諦めて、姉に婿養子を迎えさせることにメリットはないように思う。
妹に婿養子を迎えさせて、姉を嫁に出すしかない状況だったはずなのだが、家の事情というのは理解を超えるものだ。
しがらみはどこの家にもある。
会う度に顔色の悪い彼女が心配になったが、事業は上手くいっているし、関わっていない事業も評判が良く上手く回しているようだった。
何か深い話をする仲でもなかったので、横目で彼女を追いながらも、いつもただの傍観者だった。
それが変わったのが彼女が死んでからだというのは自分が未熟だったことの証だ。
彼女の夫、ヘンリーから訪問の知らせを受けた時、彼女はついに体調を崩したのかと思ったが、まさか訃報を聞くことになるとは思ってもいなかった。
公爵家としての事業ではあるが、それでも葬儀には間に合わなくても、投資家は彼女に投資しているのと同義なのだから、しっかりと彼女の死は予め知らせるのが常識だ。
事業担当者の変更の挨拶のついでに伝えられるものではない。
ましてその口から出てきたのは、彼女は元気な子供を残してくれたなんていう出鱈目で、すぐに問い詰めるも押し黙るばかり。
3ヶ月前にはコルセットで締め上げたドレスを着ていた彼女が元気な子を産み残すなんてどう考えても不可能だ。
「黙ってないで説明をしろ!」
ガンッと机を叩いても気が治らない。
これが公爵家のやることかと頭に血が昇る。
こんなやつが事業を受け継いで上手くやっていけるわけがない。
すぐにヘンリーを追い出して王宮に向かった。
自分の資金が回収できるかの確認の為、という大義名分はあったが、家の為に潰されたのかもしれないと考えると、真相を突き止めたい衝動に駆られていた。
もっと早く声をかけていれば何か変わったのかもしれない。
そう思う気持ちが1秒でも早く王宮に行きたいと思わせた。
頼ったのは国王補佐として王宮に残った兄だった。
エリザベス・テイラーの売るアクセサリーを夫人が気に入り、追加で出資を願い出たほどだった。
交流は自分よりもあったはずなので、状況を共有しようといえば情報はあると思っていた。
「公爵家に生まれた子供の出生について調べるのは時間がかかる。確信しているなら記事にでもすれば勝手に調べる者が多くいるだろう」
兄にも面会の約束を取り付けていたらしく、同じように彼女の死は伝わっていなかった。
彼女の死は、リス国でもあまり取り上げられていないことが察せられる。
事業家でもある公爵家の跡取りが死んだのに不自然だ。
圧力をかけて記事を消した者がいるはずだ。
すぐにリス国の記者団を買収して複数紙で彼女の死の疑問を取り上げるように指示を出した。
渋ることがあれば金を積み上げるだけだ。
ヘンリーが帰国するよりも早く、疑惑が表に出るだろう。
一度疑惑が持ち上がれば、金を積み上げることもなく真相は暴かれていった。
当たり前のように信用を無くしたグワマン公爵家は、予想よりも早くお取り潰しとなる。
それを見ているだけで満足できなかったのは、パーティで彼女に会えるのを毎度楽しみにしていたことに今更ながらに気づいてしまったからだ。
軽く挨拶を交わす程度の女性を亡くしてこれ程の喪失感を味わうとは思ってもいなかった。
お取り潰しで幕を引こうとしたリス国相手に、お取り潰しにより回収出来なかった利益分を請求することにした。
それを聞きつけた他の貴族もこぞってリス国相手に損害賠償を求める。
「取り潰されなければ泥水を啜らせながら働かせて回収できたのにどうしてくれる」
そうやって強気に出れば、王家は公爵家の事業を解体して金を工面し始めた。
取り潰せば免れるようなものではない。
その主人が責任を取るのは当たり前のことだ。
お取り潰しにしてうまい汁だけ吸おうとすればすぐに叩かれることになる。
グワマン元公爵となった三人は拘束された。
表向きは公爵令嬢殺害と、出生書類の不正の罪だったが、他国に対して厳格な処罰をしたと公表しなければ、王家の面子を保てないと判断されて行われた裁判だった為、時間もかけずに判決が出た。
テイラー一家は早々に処刑された。
エリザベス・テイラーが囲っていた金細工職人達は、王家預かりから事業解体されることになった為に行き場を失った。
それを一人一人に声をかけて雇っていくまでに半年、彼女がしていた全ての事業の代替事業を成立させるのに三年かかった。
職人の育成にも力を入れ、長期ビジネスとして計画されていたものを同じように軌道にのせるのは王族の立場でも人脈を必要とした。
彼女の信じた者達を手元に置いて、彼女の事業を引き継ぐように同じ事業を始めるのは地形も違うこの土地では難しいことだったが、彼女が見ていた世界を見ているようでやめられなかった。
今は亡きエリザベス・テイラーの面影を追いながら歩んでいく人生は、まるでいつまでも夢の中を彷徨っているかのようだ。
誰かに恋に落ちることはないだろうと思っていたのに、思い出に恋をし続けることが出来るとは思わなかった。
愛とは何かと言われれば分からない。
愛を注げる対象はこの世には存在しないのだから、愛を知ることはなかった。
彼女に対する想いも、愛しいではなく、恋しいだと思う。
それから更に15年後には、エリザベス・テイラーと名付けた船の処女航海となる、お披露目クルーズが行われた。
もちろんその船の所有者には自分の名前が刻まれている。
自分一人で所有するクルーズ船だ。
そんなことに愉悦を覚えるのに、どこかの誰かを妻に迎えようとは考えられなかった。
彼女の名前の船は、数十人の予約枠が直ぐに埋まる人気だった。
彼女は船で旅する時代が来る事を予想していたのだろうか。
客室のある船はまだ数える程しかないが、その中でも豪華な内装を売りにした煌びやかさは、上級貴族向けであることの証だ。
処女航海の切符を見事に勝ち取った彼女の友人や、事業関係者だった者達は狙い通りに高位貴族達が中心で、何週間もかけて港までやって来ていた者もいた。
彼女の名前が再び社交の縁を結んでいくのを見ていれば、気分よくお酒が進んだ。
リス国と、海を挟んだ島国であるアーバンテ国との往復は2週間を予定していた。
歌い、ダンスをし、ボードゲームに耽りながら商売の話をして、夜は波の音を聞いた後に深い眠りについた。
雲行きが怪しくなってきたのは、往路の半ばまで来た時だった。
雨が激しくなってきて、船内は酷く揺れた。
夕日を見ながら夕食をとっていたのに、そろそろ寝ようかという時間になっての荒天には驚かされる。
それでも甲板にでなければ濡れることはないので、その揺れを楽しんでいる者もいたようだ。
ドアの外からは楽しそうな声が聞こえる。
しかし突然、ドーンという破裂音と同時に大きな衝撃が走った。
椅子が投げ出されて壁にぶつかるほどだ。
もうそこからは無我夢中だった。
とにかく部屋の外へ出ようとするが、どんどん室内が傾いていくのが分かる。
そうこうしているうちにヒビの入った床や壁から水が侵入してくる。
焦げ臭い匂いと突然の水、直ぐに先程まで開けようとしていたドアからも水が入ってくるのに気が付いた。
それでもドアを開けて客室から出ることに成功した。
そこにあるはずの並んだ客室は存在しなかった。
あるのは稲光に照らされた果てしない海だ。
その日、彼女と共に海に沈んだマーティンは彼女の名と共に、200年が経っても消えることのない歴史の中に名を刻んだ。
船の歴史を調べれば、エリザベスとマーティンの名は必ず登場する。
王族の一員だったマーティンに関する記述は数多く存在した。
それに興味を持った小説家ヘリオスが彼を主人公にして本を出版した。
その最後には、こう書かれている。
『沈みゆくマーティンの腕で、黄金の腕輪がそれはそれは美しく光っていた』と。
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