第4話

「それでお前は、どうしてこの道を選んだの?」


「は?」




 怪訝な顔をして、豚は声の方へと振り返りました。金の髪を頭上高く結わえた少女が、豪奢な椅子の上で膝を組み、豚を眺めておりました。




「だからどうして、お前は真ん中の道を選んだの?」


「ああ、その話ですか」


「その話ですかも何も、今わたし達がしていたのはこの話でしょう」




 紅色の唇を尖らせる少女に豚は肩を竦めて答えました。




「目の前にあったからですよ」




 その道が、自分が立っていた場所から一番近かったからですよ、と豚は言いました。




「そんなものなの?」




 少女は豚に胡乱な目を向けました。




「何が仰りたいので?」


「だってお前は、豚なのよ?」


「はあ。豚ですが」




 豚であって豚でしかありませんので、そうとしか答えられません。しかし少女の望む答えではなかった様子で、少女はぴしりと長い指先を豚に向けました。




「お前は豚なのよ!」


「豚ですが、豚でも指さすのはよろしくないですよ」




 人を指さしてはいけません、と大人は言いますが、そこは豚だろうが狼だろうが面と向かって対話する相手に失礼なものです。




「それについてはごめんなさい。勢いあまったの。でもお前、豚なのよ」




 素直に謝ったものの、少女は豚、豚、と繰り返します。さすがに豚の方が困惑してきたころ、少女は焦れたように言いました。




「わからないの?豚ってとてもきれい好きで賢い生き物なんでしょう?」


「褒められてるんでしょうか。貶されてるんでしょうか」


「わたしは事実を言っているだけ。お前もきれい好きな豚じゃない」


「豚は大概きれい好きですよ」




 やれやれ、と豚はくるりと少女に背を向けました。豚の眼前には豚の背丈より倍はあろうかという書棚です。豚は腕に抱えた書物をひとつひとつ棚へ戻します。


 歴史、経済、文學、政治、天文学、その他諸々。豚がきちんと分類していることを少女は知っていました。




「お前が来てから、私の書斎は秩序に満ち溢れているわ」


「なんですか、それは」




 少女の奇妙な言い回しに豚は小さく笑いました。




「好きなだけですよ」


「わたしが?」


「掃除が」




 豚の即答に少女が頬を膨らませます。




「お前は一体いつになれば、わたしの求婚を受けるつもり?」


「あなたはどうして豚に求婚するんですか。行き倒れの豚ですよ」


「そうよ。お前は行き倒れ。拾ってあげたのは誰?」


「あなたです」


「そうよ。お前を拾ったのはわたし。そのわたしを、この砂の国の主にするのは誰?」


「あなたでしょう、それも」


「違うわ。お姉さま方が連れてきたどんな殿方の知恵よりお前の持っていた知恵が優れていたから」


「偶然ですよ」




 少女は豚を軽く睨み腕を組みました。しゃらりと銀の腕輪が涼し気な音をたてました。




「お父様は十三人の娘のうちで、一番優れた婿を連れてきた者を後継ぎとすると仰ったのよ。わたしは婿を探しに行って、お前を拾ってしまったけれど、お前は他の十二人より優れた知恵を持っていたじゃない」




 豚はため息を吐き、抱えていた最後の一冊をあるべき場所へ収めました。




「キノコにあたって行き倒れていた豚ですよ」




 今、豚が最も欲しい知識があるとすれば、それは少女の求婚を退ける術でした。なかなかに贅沢な悩みですが、豚も切実でした。


 何せこの豚は、非常に面倒事を嫌う性格でしたので。


 生まれてこの方、真面目ですが思い込んだら可笑しな方向へ走り出す兄と、無邪気なのか無神経なのか図りかねる弟とに挟まれ、苦労をしてきただけのことはあります。結局のところ、真ん中の道を選んだのも、あれこれ悩むのが面倒だったから、ということに尽きるのです。




「ねえ、お前、カエルの王女の話は知っている?」




 唐突に少女が豚に尋ねました。




「は?カエル?」




 何故にカエル。




「この国の、古い古い話よ。ある王に十三人の息子がいて、王は優れた妃を連れてきた息子に跡を継がせるというの。そして各々美しい娘を連れ帰るのだけれど、末息子だけが相手を見つけられず、旅先で出会ったカエルを連れて帰るの」


「カエルを連れ帰る……洒落ですか」


「お黙り」




 睨まれてしまい、豚は取りあえず黙りました。




「それで、まあ、なんやかんやあるのだけれど」




 「はしょりすぎでしょう」と言いたいところでしたが、豚は堪えました。黙れと言われていましたので。




「賢いカエルの知恵で、末子は難を退けるの。そしてカエルを妃にするのだけれど……」


「はあ。それまた物好きな」


「だからお黙り」


「……」


「カエルが言うの。『わたしを壁にぶつけてください』と。勿論末子は断るわ。だってカエルがつぶれて死んでしまうもの。けれどカエルが引き下がらないから、末子は泣く泣くカエルを投げる。どうなったと思う?」


「さあ」




 話が見えないので、豚は今日の夕食について思いを馳せ始めておりました。トウモロコシが食べたいなあ。



「壁にぶつけられたカエルは潰れ、そして美しい娘が現れるのよ。カエルは呪いを掛けられた姿。本当は美しくて賢い娘だったの。そして娘を妃に迎え、末子は素晴らしい王になった」




 最後のくだりはどこかうっとりとした目で語りつつ、少女はぱきりと指を鳴らしました。




「……あの。豚は壁に投げても豚ですよ?」




 呪いを掛けられた覚えのない豚は、恐る恐る少女に進言します。




「そんなのお前、やってみなければわからないじゃない」


「いや、生粋の、豚です。先祖代々由緒正しき豚です」




 じりじりと近付いてくる少女から距離を取り、豚は後退りました。その脳裏に、かつての母の声が聴こえた気がしました。




『狼には気をつけろ!』




 ああ、あれは比喩的な格言であったのだろうか。


 多分違いますが、豚にはどうでもよいことでした。




「遠慮しないで。試してみればいいことよ」


「嫌ですよ。窓から空を飛ぶなんて一回やれば十分ですよ」




 あの日兄弟たちと飛んだ空はひどく青かった……などと豚は走馬燈が過る思いでありました。何しろ少女はこの国でも指折りの武闘家でしたので。舞踏家でなかったのが豚の不幸です。




「まったくお前はわがままね」




 少女はため息を吐きましたが、また元の椅子へと腰を据えました。豚がホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもありません。が。




「仕方ないわ。呪いが掛かっていないなら、掛ける方向でいくしかないわね」


「……はい?」




 空耳であってほしいと豚は思いました。




「だってお前、言ったじゃない。豚だから、豚だからって」




 少女は至って真面目でした。




「だから呪いを掛けてあげる。お前はひとの子になるのよ」




 紅色の唇を吊り上げて、少女は笑います。




「だってお前はわたしが拾った豚なのだもの」




 遥か西の砂の国の、美しい女王様が、とっておきの魔術を使い、賢い豚の王子を婿にした、とかなんとか。そんな伝説が語り継がれることになろうとは、豚(本人)にも与り知らぬ先の話なのでした。


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