素人冒険家、迷宮に潜る

緑窓六角祭

[1] 迷宮

 迷宮の存在が世間に広く知られるようになったのはだいたい2018年頃の話だ。確かアメリカのどこかの大学が現在の科学技術では計測できない異空間のことを発表したのが最初で、それからほどなくして日本政府も同じような謎の空間が各地で発生していることを公式に認め、その空間を迷宮と呼んだ。

 それらのきちんとした発見より以前から、よくわからない場所に入り込んでしまった人の話というのはちょくちょく噂になっていて、けれども都市伝説にすぎないものだろうと大半の人は高をくくっていた。もちろん俺もその高をくくっていた大半の人の一人で、しょうもない与太話だと笑い飛ばしていた。


 ネットではいつごろからそのたぐいの話が増えたのか今これを書いているパソコンで調べてみる。およそ2015年ぐらいからぽつぽつあがってくるようになって、それから1年が一番盛り上がってた時期だったようだ。その後は真偽定かならぬ話が入り乱れて徐々に衰退していったが。

 もともと迷宮という呼称はネットで使われていたものでそれを政府が追認した形である。今さらなじみのない名称をひねり出すより、多少は広まっているものを使いまわした方が便利に違いない。ただしさっきも言ったようにその頃にはネットでの迷宮話ブームは下火になっていて、たいして盛り上がることはなかった。


 いやネットに限らずとももっとずっと前から似たような話はあった。いわゆる神隠しというやつ。それらの話の全部が全部、迷宮に関係があるとは言えないが、いくつかは迷宮へと誤って入り込んでしまった事例があるんじゃなかろうか。今となっては検証しようのない話だけれど。

 公式発表前に迷宮が存在していたのは明らかである。けれどもその出現頻度は現在と比べてぐっと小さかった。今と同じように迷宮が生まれていたとすれば昔からもっと話題になってないとおかしい。近年に至って迷宮の発生確率は急速に上昇したはずだ。

 なぜか? それはよくわからない。だいたいこっちは素人であって今までの推測も全然的外れかもしれない。専門家に聞いてみたら迷宮は昔からずっと一定の頻度で発生してきて、その存在は時の権力機構によって上手に隠されてきただけだ、なんて言われるのかもしれない。


 ――と2021年の俺はそんなようなことをぼんやり考えていたように思う。とにかく俺は素人で迷宮についてたいして詳しくなかったということだ。今も迷宮について何から何まで知ってると胸を張れるとは言えないが、あの頃よりは随分詳しくなったし、多分これを読んでいるほとんどの人より迷宮を知っているはずである。

 別段、迷宮に興味を持ってなくとも、ニュースを追っていれば多少その情報は入ってくる。状況は時が流れても大きく変化していない。もちろん発表当時の熱狂はすでに過去のものだが、その分身近になって一般の人にも迷宮が親しみやすくなってきたのはあるかもしれない。

 その頃の俺は特に迷宮に関する話が入ってきやすい状態にあった。理由は単純で宮原市に住んでいたからだ。日本政府が最初に公式に発表した迷宮、今もなお世界に誇る巨大な迷宮、その名も宮原大迷宮。そんなものが市内にあったわけだからローカルニュースは頻繁に迷宮のことを扱っていた。


 俺は冒険家を名乗っている。といっても積極的に自称したくはない肩書だ。なにやらよくわからないところに行ってそれを文章にして売り飛ばすことを生業にしている。そうした仕事を端的に表すならまあぎりぎり冒険家と言えなくもなくて、説明が楽だからそう名乗ることにしている。

 身体能力に特別に優れているということはなくて、プロの登山家の方々とは比べるまでもないし、毎日ジムで鍛えてますなんて人と比較しても落ちるだろう。まあ丈夫さに関してはそれなりの自信があるが、何か数値的な指標があるものでもないので勝手にそう思ってるだけかもしれない。

 だからできれば冒険家の前に素人をつけて名乗りたいが、それをするといちいち説明が増えて面倒なので、結局のところ単に冒険家と自称するところに落ち着いている。大概の人は深く追及してくることはないのでそれで問題ないわけだし。


 ちょうど海外をまわる仕事が終わってそれが本になってひと段落した時期だった。次の題材を探していてなんとなく迷宮のことがアンテナにひっかかったというわけだ。人が興味を持ってくれそうなネタだし、なにより俺自身が気になっていたことだった。

 正確に言えばこの時点ではこれがどの程度のネタになるかわかってなくて、とりあえず情報を集めてみようというような段階だった。まだまだ状況を整備しきれてなくて特別な許可がないと業界に深入りできない可能性はあった。ただし国内でどうにかなりそうだから最悪そんなに金はかからないだろうという打算もあった。


 手当たり次第に知り合いにメールを送ってみることから始める。昔から今と同じような冒険ごっこをつづけてるわけだから、同じ趣味を持ってる知り合いは結構いて、その中に迷宮関係者に案外つながっているかもしれないと考えたのだ。

 この線が切れてた場合、別の手を考えたか、それとも諦めたかどっちだろうか。当時はそこまで迷宮にはまってなかったから、多分まったく別のネタに手をつけてたと思う。幸いなことにそうはならなくて、都合よく知り合いから迷宮に関わる仕事をしてる人に1本だけ線がつながっていた。

 そうして思いついたその日の夜に早速、知り合いと知り合いの知り合いの3人で飲んで話をすることになった。

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