第8話

明らかにお客さんが減ってきている。

売上台帳とにらめっこをしながら、いつの間にか渋面で腕組をしていた。年齢の割に老け顔と言われがちなので、どこかの親方のような印象を受けるのかもしれない。

某感染症が流行し、外食から中食シフトへ拍車がかかった。これを商機とし、近隣の食品スーパーの惣菜開発を活性化させた。その恩恵もあってか、「惣菜の金剛」もいつも以上のお客さんが訪れてくれたという自負があった。

だけど、規模も人員も費用も個人店は違いがありすぎる。広見がテスト期間などには頼るわけにもいかず、何となく覗いてくれた新規のお客さんにも注文数の惣菜をすぐに提供出来ずにがっかりされてしまったこともある。昔からのお客さんは父の味をまた食べられることに喜んでくれて来てくれるが、そう毎日買いに来るわけではないので日によって売り上げのばらつきがある。

惣菜を購入する理由としては、自分で作るよりも美味しいものを食べたい、食事にすぐに取り掛かりたい、調理する手間を省きたいなどが多く挙げられると思う。なので、なるべく出来立てなものを提供したいし、早くお客さんに商品を提供したいという思いは強い。やはりからあげやコロッケなどの揚げ物の売り上げは高いが、最近では高齢者でも若者でも揚げ物と一緒にポテトサラダやきんぴらごぼう、野菜のお浸しなども一緒に購入しているのが顕著になってきている。健康志向な方向性が見受けられる。そういう僕も、揚げ物の試作ばかりしていたら、少し下腹に肉がついてきてしまった気がする。

今後は既存の揚げ物や野菜関係以外にも、品ぞろえを父のように増やしていきたいと思っている。だけど、既存の商品も満足に提供出来ないという致命的な問題を解決していかなければ次の段階に進めるわけもない。まずは人員を増やさないとこの問題は解決できそうもない。

僕の一存で店を切り盛りすることに喜んでいたら、事は簡単には済まなそうだ。


面接の約束を取り付けて、次の日の午後に女性がやってきた。

自宅のキッチンテーブルで向かい合わせに座った。昨日来た時には長い黒髪を下ろしていたが、今日は後ろで一つに結んでいるようだった。

「ええと、手塚、駒さんですか?」

「そうです。駒、なんて猫にでもつけそうな名前ですよね。父が競馬が好きだったので。流石に競走馬の名前を付けるわけにはいかなかったんですけど」

「あ、そうなんですね。手塚さんは、今はこの辺りに住んでいるんですか?」

「一人暮らしをしています。大学には通っていますが、一年と二年の内にほとんどの単位は取得してしまったので、毎日行かなくても大丈夫です。なので、週三日くらい午前中から入れると思います」

「午前中から?それは有難いです」

履歴書から顔を上げると、駒さんはキッチンに置かれた家族写真を眺めていた。まだ僕が小学校高学年くらいで、広見に至ってはまだ二歳くらいだ。だが、広見はあまりイヤイヤ期らしいものもなく、僕の傍で落ち着き払って立っている。多聞と母は相変わらず何が気に食わないのか二人とも仏頂面だ。父は楽しそうににこにこと笑みを浮かべている。確か、レインボー商店街の菊地写真館さんが店頭に飾りたいからと写真を撮るのを引き受けたんだった。多分、家族写真らしい家族写真はこれくらいしか残されていない。

「この小さな子は、昨日一緒に店番をしていた子ですよね。あ、さらにご兄弟がいらっしゃるんですね?」

「昨日僕と一緒に店番をしていたのは三男の広見です。次男の多聞は今はちょっと違うことをしているので一緒に住んでいないんです」

「……お父様とお母様は一緒にお店をやられていないんですか?」

「父は先月亡くなりました。母はすぐに古い友人とルームシェアをするとかで家を出てしまったんですけど」

ふと駒さんを見やると、写真を見ながら驚いたように目を見開いている。

「亡くなったんですか……」

「ええ、まだ58とかだったんですけど脳卒中であっという間に。祖父も60代とかでくも膜下出血かなにかで亡くなったので、脳関係で亡くなる傾向が強いのかもしれません」

気づくと駒さんは俯きがちになり互いの手を組んでぎゅっと握りしめていた。何かとてつもない悲しみや苦しみに必死に耐えているようだった。何か不安にさせるようなことを口にしただろうか、と思ったが家族の近況を話しただけで思い当たる節は全くなかった。

「ええと、手塚さんは駅前のファーストフード店でも働いているんですね。大学にダブルワークでかなり忙しいとは思うんですけど、大丈夫ですか?」

「あ、はい、それは大丈夫です。ファーストフードの方は土日中心にシフトを入れているので問題ないです」

先ほどの違和感を払拭させるように、駒さんはにっこりと笑みを浮かべて答えた。僕はほっと胸を撫で下ろした。

「それじゃあ、明日から早速来てもらって大丈夫ですか?」

「はい、よろしくお願いします」

駒さんは机に額をぶつけそうなくらいに深々と頭を下げた。


「惣菜の金剛」は午前11時に開店する。開店前には一通りの惣菜をショーケースに並べておかなければならない。

そして作業できる人間は僕一人しかいないため、朝早い時間帯には厨房に入る。前日にメンチカツやコロッケ、鶏のから揚げの下ごしらえはしてあるのでパン粉をつける作業に入る。また食材のカットや調味料の計量なども済ませてあるので、定番のポテトサラダや高野豆腐煮、なすの南蛮漬け、多聞の好きなほうれん草の白和えなど人気の副菜の用意をする。そして、昨日広見と話し合って決めた新商品、ピーマンとツナの塩炒めも作る。子供のピーマン嫌いに悩んでいるお客さんの要望に答える形で考案し、何度も試作を重ねて昨日出来上がったばかりのものだ。ピーマン特有の苦さがほとんど感じず、これなら子供でもパクパク食べてくれるんじゃないかと思っている。僕が一人でお店を切り盛りし始めてから初めての新作だ。売れ行きも気になるが、まずはお客さんが気に入ってくれるかどうか気になっている。

「……おはよう」

眠気眼の広見が起きてきたようだ。後頭部の毛が触角のようにぴょんと伸びている。

「おはよう。ご飯はそこのお釜に入ってるからよそってくれる?あといくつか唐揚げ上がってるからそれと、あと新作の副菜も作ったから弁当に詰めていって」

「あ、ピーマンとツナの塩炒め?今日から販売するんだ?」

顔を洗って大分さっぱりとした顔の広見が厨房にひょっこりと顔を出した。

「うん、ピーマンが大分主張している副菜だから、お客さんが手に取ってくれるか不安だけどね」

「あれだけ試作したんだし、大丈夫だよ。あ、それとテレビの脇のところに簡単にPOP作ったやつ置いてあるから、それをショーケースのところに貼ってみてよ」

「POP?」

僕は手を止めて、テレビの脇の小物入れに近づいた。黄色の画用紙を星形に切り抜いて【新作です、おススメ!】と仏像の吹き出しで書かれていた。

「へぇ、こんなの作ってくれてたんだ。ありがとう。これならいちいち宣伝しなくても目視ですぐ分かるね」

「時間があるときに宣伝媒体を俺が作るから、任せてよ」

広見は弁当箱にご飯を詰めながら楽しそうにそう言った。わが弟ながら、とても頼りになる。

広見が家を出ると、僕は簡単に朝食をとった。お釜のご飯を塩握りにして昨夜の残りの肉じゃがを食べる。一人で朝食をとるこの時間が一番ほっとして、それでいて家族が誰もいないことに少しだけ寂しくも感じる。父や母がいた時は早朝から母の怒号で始まり、三兄弟ともご飯も味わっている時間もなく、追い出される形で学校に通っていた。学校から帰ってくるとパートの安岡さんが笑顔で迎えてくれて、家から持ってきてくれた大学芋やかりんとうなんかをおやつに出してくれた。誰かが待っててくれていることは、やはり心強かった。

朝食の片づけを終えると、僕は一階の奥にある和室に移動した。そこには父の骨が置かれている。正座をして、そのまま今日のお店の成功を祈った。そして、壁に掛かったカレンダーを見て思い出す。そろそろ父の四十九日にあたる日だ。お店のことで頭がいっぱいですっかり忘れていたが、母は四十九日には戻ってくると話していた。どこかの会場で取り行うと思うが、母は予約などしているのだろうか。

色々と悩んでいる内に時間が無くなってしまい、僕は慌てて厨房へ向かった。


「おはようございます」

午前九時に駒さんが来てくれた。

「手塚さん、今日からよろしくお願いします。今、揚げ物の準備をしているので副菜の準備をお願いできますか?パックはそこにありますので」

「わかりました」

駒さんは赤い生地に白のボーダーが入ったエプロンを身に着けた。

駒さんが手早く副菜の準備をしている内に、コロッケ、メンチカツ、唐揚げなどの揚げ物に取り掛かる。三種の揚げ物と選べる副菜の弁当は開店と同時に飛ぶように売れるため、たくさん準備をしておく必要がある。あとは鮭、昆布、明太子、たらこの四種のお握りも用意しなければならない。やることがたくさんある。

だけど、一人で行うのと駒さんと二人で行うのでは消費者(お客さん)からすると明らかにコストパフォーマンスが高いと思う。

現に、11時開店時に常連客がひっきりなしに訪れるといつもはてんてこ舞いになってしまっていたところがスムーズに商品を提供できた。新商品にも気づいてくれて、お弁当の副菜に選んでくれたお客さんも多かった。あとはどれだけリピートしてくれるかによって人気度がはっきりとしてくるだろう。

1時過ぎに少しお客さんの来店が落ち着くと、僕と駒さんは休憩に入った。

「手塚さん、初日から非の打ちどころのない働き、驚きました」

「そんな大したものじゃないですよ。店長さんが的確な指示をしてくれたからです」

店長、という呼称に慣れない僕は思わず頭をかいた。

「あまり言われ慣れていないので、良かったら良知さんって呼んでください」

「そうですか?それじゃあ、良知さんも苗字じゃなくて名前で呼んでください」

「え、名前でですか?」

「そうですよ。フェアで行きましょう」

駒さんはにっこりと笑ってそう言った。女性を名前で呼んだことなんて、多分ほとんどない。雇い主と従業員でお互い名前を呼ぶっていいのだろうか、と煩悶している時に「すみませーん」と声が掛かった。

「あ、はい。駒、さん、僕が行きますね」

咥えていたお握りを急いで飲み込むと、僕は急いでショーケースに向かった。

「はい、いらっしゃいませ」

「ごめんなさいねぇ、休憩中に」

おっとりとした柔和な笑みを浮かべた初老の女性がそう言った。

「お勧めは何かしら?」

「はい、今は3種の揚げ物と副菜、ポテトサラダ、きんぴらごぼう、高野豆腐煮、なすの南蛮漬け、ほうれん草の白和え、そして今日からの新商品のピーマンとツナの塩炒めの中から2種類お選びいただけるお弁当がお勧めです」

「あらーどれも美味しそうじゃない。迷っちゃうわねーほら、眞純ちゃん、言いたいことがあるんでしょうー」

女性はくんっと手を引っ張ると、不満そうに口をへの字にした女性が姿を現した。

「―――母さん?」

「久しぶり、何とかやれてるそうじゃない」

「……どうしたのさ、いきなり」

「そろそろあの人の四十九日やるから、話をしに来たのよ。来週の日曜に駅前の東郷セレモニーホールに10時にやるから、空けておいて」

「え、あ、うん。分かった」

「あ、こちら今一緒に暮らしている早苗ちゃん」

「こんにちはー初めましてー」

早苗さんは小さくぺこりと頭を下げた。母と違って空気が柔らかい女性だと思った。

「多聞は、相変わらずこっちには顔を出していないのね。来週日曜には参加するよう連絡しといて。あと広見にもね」

母は少し屈んでショーケースを端から端までゆっくりと見やると、懐かしそうに小さく笑った。

「揚げ物も副菜もあの人と同じように作られてるわね。流石、良知ね……」

ほとんど母に褒められた記憶のなかった僕は、その言葉で胸を打つものがあった。

母と早苗さんは弁当を二つ買って去っていった。





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