無詠唱使いが詠唱の声にこだわる理由

鳥花風星

第一章 帝都編

第1話 猛朱の魔導師

「あれを見ろ!」

 戦場で兵士が上空を指差す。


「女…がひとり?」

 その場の皆が指差す方向を見ると、そこには長く赤い髪をなびかせて薄く微笑む女がいた。

 その銀朱の髪は夕日を浴びて燃えるように輝いている。


『我が名はエルシュ、猛朱の魔導師。帝国の使者である。戦場にいる全ての者に継ぐ、今すぐ武器を捨て戦いを放棄しろ。さもなくばこの場所にあるもの全てが吹き飛ぶことになる』


 女は声高らかに宣言する。もちろん魔法を使ってその場にいる全ての人間に伝わるようにだ。


「ふん、魔導師ひとりが小賢しい」

 帝国へ侵略するべく軍を統率していた指揮官が馬上から小馬鹿にした顔で笑う。

「あんな言葉は気にするな、所詮は魔導師たったひとり。何ができるというのか。あっという間に蹴散らしてくれるわ」


「お待ちください」

 側近の魔導師が蒼白の顔で告げる。その顔はまるで信じられないものを見ているかのようで、その表情に指揮官も驚く。

「何をそんなに怯えているのだ」


「猛朱の魔導師、エルシュ。その名前に聞き覚えがあります。十数年前、海を越えた先にあるとある国が一瞬にして消え去ったと、その場にあったもの全ては消滅し地形すら変形してしまったそうです。そしてその時その場にいて国を消し去った者の名が確か…。まさかそんな」


「そんなもの噂話に過ぎんであろう、それにその名を語った詐欺師かもしれん。いちいちそんなものに怯えるな!」

「いえ、ですが、あの燃えるような朱い髪、美しい顔立ちと美しい声音…聞いた話と全く同じ…」



『戦いを好まずに仕方なく参加させられているものは私が詠唱してる間に退去しろ、退去するだけの時間は確保できる。ただし退去しないのであれば消えたいのだと判断する、容赦はしない』

 エルシュは美しい髪を風になびかせて宣言する。


「詠唱するだと?まさか詠唱魔法を使うのか」

「詠唱魔法だなんて時間がかかる上にたかが知れているじゃないか」

「詠唱の最中にこっちが無詠唱で攻撃してしまえばあっという間だろ」


 驚きと失笑の混じった地上の様子に、エルシュはやれやれとため息を一つついて苦笑した。

「さて、と。ちゃんと警告はしたわよ。始めますか」



『疾風の中で燃え盛る炎よ刃となれ。轟々と燃え盛る炎の中心に獣は宿る、汝地上に降り注ぎ火の海と成す。火の海を光に変えて消し去さらん』


 エルシュが詠唱を始めるとここぞとばかりに魔法攻撃が飛んでくる。

 だが、いつの間にかエルシュの周りに防御結界が貼られその攻撃は何一つ届かない。


「どういうことだ」

「防御魔法を詠唱しているわけでもないのに攻撃できないだと?!」

「近くに仲間がいるのか」

「いや、探知をかけてもどこにも仲間はいないようだぞ」


 騒めく地上をよそに、エルシュはまだ詠唱を続けている。その声は美しく、まるで歌うかのように唱え続けていた。


『地上を闇に、地上を光に。全てを無にし元ある場所へ還させよ。業火よその光の炎で全てを焼き尽くせ』


 片手を上空に向けて嬉しそうに詠唱する。


『フローガファンレブ・フリタガイム!』


 それは一瞬のことだった。

 上空に大きな風の渦が起こりその中から大きな炎が地上に向かって落ちていく。

落ちた炎は瞬く間に地上を焼き尽くし、その炎は光の粒になって弾けていった。

 そして、地上には本当に誰ひとりも何ひとつも無くなっていた。


「ん〜!終わった終わった。早く帰って報告しなくちゃ」

 一瞬にして目の前の全てを消し去ったというのになんてことない顔をしてエルシュは伸びをしながらつぶやく。


「今日の詠唱も我ながら惚れ惚れする出来だったわ!」


 エルシュ・ハウベル、猛朱の魔導師。

 過去に国を丸ごとひとつ消したことのある彼女にしてみれば、軍勢を消すことなどたわいもないことだった。


 無詠唱使いでありながら詠唱にこだわる理由は彼女の師の教えによるものであり、その師とそう遠くはない未来で対決することになることを彼女はまだ知らない。



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