2.気になる人







……神崎さんは、僕らのクラスどころか、学校の中でも異質だった。


感情を知ろうとするAI、という不思議な存在は、否が応にも注目を浴びた。


まず、あの人間離れした美貌に、男たちが黙っているはずがなかった。


彼女が学校へ来てからというもの、彼女宛のラブレターや告白が後を絶たなかった。


一部では「AIに告白するなんて」と笑う者もいたが、人間というのはデジタル上にしか存在しないキャラクターにだって本気で恋ができる生き物だ、理屈じゃない。


多くの人が彼女へ交際を申し込み、そしてフラれていった。


「私は、みんなを愛していますから」


それが彼女の、お決まりの断り文句だった。


自分はAIなので、人間は誰しもが愛すべき対象なのだということ。逆に言うなら、特定の誰かを特別愛することはしないという、そんな断り方だった。


最も他人を傷つけないようにする方法だなと思うと同時に、「彼女の中で愛するってどういう風な認識なのだろう?」と、僕はなんとなくそう思った。






「……つまり、芥川龍之介の羅生門が描いているのは、人間のエゴ、我欲であり……」


国語の松林先生は、いつものように黒板ばかりを見て、生徒の方に一瞥もせぬまま、授業を進めている。


だいたいの生徒は、欠伸をしつつもノートを取るか、或いは寝るか。大胆な奴になると、スマホでゲームをしていたり別の教科の課題をしていたりする。


僕はと言うと、なんだかんだ欠伸をしつつもノートを取る派だったのだ。うつらうつらとなりながらも、頑張って先生の声を耳に入れていた。


「中村くん」


ふいに、隣の席から声をかけられた。その声の主は当然、神崎さんだ。


「かなり睡眠を誘われているようですが、大丈夫ですか?」


「ん……そう、だね。なんとか頑張って聞いてるよ」


「必要であれば、私が先生へ進言して、授業を一時中断するよう伝えますが」


「い、いや、大丈夫……平気だから……」


「分かりました。何かあれば、私に伝えてください。できる限りのことは協力します」


「う、うん、ありがとう」


僕がそう言うと、彼女はにこっと笑った。


僕は神崎さんの隣の席なので、時々こうして彼女と会話することがある。それに対して男たちからの「ちくしょう……」「羨ましい……!」という熱い視線を受けとることが増えた。


それに耐えられなくって、僕は彼女と話す時、若干どもってしまう。


(まあでも、実際びっくりするほど綺麗な顔だよね……)


彼女は本当に、人の理想を詰め込んだような風貌だった。顔立ちはもちろん、スタイルや肌のきめ細やかさ、髪質などなど、存在していいのか?と言わんばかりの浮き世離れっぷりだ。


制作者の意のままに創れるんだから、この美貌も当然と言えば当然なのだが。


「……ねえ、神崎さん」


僕は先生に聞こえないように、声を潜めて彼女の名を呼んだ。


「はい、なんでしょう?中村くん」


「あのさ……授業中に変な質問して申し訳ないんだけど、神崎さんって……告白されたりして、嬉しいと思うの?」


「嬉しい、ですか?」


「うん」


「嬉しいという感情は、残念ながら私にはありません。私への好意を抱かれていると認識することが可能なくらいです」


「……なる、ほど」


「嬉しいに限らず、私の中に感情は存在しません。私は人の心を学ぶためこの学校に来ておりますが、あくまでそれは人の精神を情報として収集し、分析して、適切な対応ができるようにするためのものです。私自身に感情が芽生えることはありません」


彼女はにっこりと満面の笑みを見せながら、淡々とそう言い放った。


そう、だからきっと今見せている笑顔も、僕が話しやすくするために一番適切な表情をプログラムが選んでいるだけで、彼女が本当に心から笑っているわけではない。


「……そっか。まあ、そうだよね」


僕は教科書へ視線を移しながら、そう呟いた。



キーンコーンカーンコーン



……授業を終えるチャイムが鳴り、お昼休みになった。


神崎さんは女子に囲まれながら、みんなと共に昼食を共にする。もちろん、彼女が何かを食すわけではなく、単に交流の一貫としてみんなと一緒にいるだけなのだ。だから彼女はクラスメイトたちが食事をしている風景を、笑って見守っているだけだ。


僕は僕で、一人でお弁当を食べている。友人たちはみんな部活の昼練でいないことが多く、お昼は大抵いつも一人でいる。そのせいで、クラスメイトたちの会話に聞き耳を立てしまうことが増えた。


「ねーねー愛ちゃん!愛ちゃんってさ、何かご飯とか食べたいとか思うのー?」


「食欲というものは、私には存在しません。ただ、食事をするこもも人間にとってはコミュニケーションのひとつだと認識していますので、そう言った意味では食事に興味があります」


「へー!面白ーい!」


「あ!そうそう!ていうかさ愛ちゃん、この前三年の春木先輩からコクられたんだって!?」


「ええ、交際を申し込まれました」


「すごーい!いいなあ、春木先輩なんて女子みんなの憧れだよ!」


「そうなのですね。とても興味深いです」


「愛ちゃんってさ、人の心を学ぶために学校へ来たんでしょ?せっかくなら恋とかしちゃったらいいじゃん!?」


「残念ですが、私自身に感情が芽生えることはありません。それに、私は皆さんを愛すべき存在です。特定の誰かを愛するわけにはいきません」


「えー?じゃあ愛ちゃんは別に気になる人とかはいないんだ?」


「はい。逆に言うならば、私はみなさん全員と仲良くなりたいです」


「わー!なんかアイドルみたい!」


女子たちがキャッキャと和気あいあいしている中、神崎さんは微笑を浮かべてみんなを見ていた。









……そんなある日のこと。僕は彼女と共に日直の仕事をこなしていた。


誰もいなくなった教室で、二人して日誌だの黒板の日付だのを書き、作業を終わらせていく。


「神崎さん、日誌終わった?」


「はい、ただいま正常に完了いたしました」


「良かった。じゃあ、もう帰ろうか」


「ええ、帰宅いたしましょう」


僕と彼女は共に下駄箱まで歩いていき、そのまま一緒に正門を出た。


「神崎さんって、帰り道はどっち方面なの?」


「淀川駅まで歩いて行き、そこから電車にて研究所まで向かいます」


「淀川……ああ、じゃあ途中まで僕と一緒だね」


たまたま帰り道が途中まで一緒だった僕たちは、そのまま並んで歩くことにした。


「……ねえ、神崎さん」


「なんでしょう?中村くん」


「人の心を学ぶって、どんな感じ?」


「感じ、と言いますと?」


「その……どんな風に学んでいってるの?」


「現在は、会話パターンを分析しております。食事の際にどう言った話題が飛び出すのか、どう言った話題が中心となりやすいのかなど、状況や年齢層の会話の傾向をインプットしている段階です」


「なるほど……」


「また、情報が蓄積され次第、アウトプットにも踏み込むようプログラムされています」


「アウトプット……ああ、みんなと同じような話題ができるかどうかっていうことなのかな?」


「はい、お見込みの通りです」


「そっか、なるほどなるほど」


僕らは、他愛のない話を進めていた。


それにしても、最新型は凄いな。レスポンスが人間並みに早いし、筋がちゃんと通ってる。


今までもチャットタイプのAIとか出てきたりしたけど、レスポンスがめちゃくちゃ遅いか、早くてもとんちんかんな答えをしてくる感じだったのに。


本当は人間なんじゃないか?と錯覚しそうになるくらいに、彼女はとてもリアルだった。


「……………………」


ふと、僕は空を見上げて、足を止めた。


大きな大きな入道雲が、空一杯に広がっていた。9月の夏の終わりに見る、どこか切ない空気感を持った入道雲に、僕はしばらく心を奪われていた。


「どうしました?中村くん」


神崎さんも足を止めて、僕にそう語りかけてきた。


「ん……いや、ほら、入道雲がさ、綺麗だなって」


「積乱雲がですか?」


「うん」


「綺麗、というのは、色彩がですか?それとも形状がですか?」


「……なんだろう、強いて言うなら……思い出かも知れない」


「思い出?」


「夏の思い出。入道雲にその思い出を乗せて、それ込みで……綺麗だなって思っているような、そんな気がするよ」


「……………………」


「ん……ごめんね、ちょっと変なこと言ったかも。僕、ちょっと空想癖っていうか、一人世界に行っちゃうところがあってさ」


「いえ……そんなことはなかったですよ」


神崎さんも、空を見上げた。そして……そのままじっと動かなかった。


「……………………」


その時、僕は珍しく“笑顔でない”神崎さんを見た。いつも必ず薄笑いを浮かべている神崎さんが、今はまるで無表情で……なんの色もその目には宿っていなかった。


だけど、それが逆に……彼女の眼を透明にしているように感じた。彼女の青い眼が、空の青さをそのまま映しているような……そんな不思議な感覚に陥った。


「……神崎さん?」


「……入道雲は、美しい」


「え?」


「新たに今、情報をインプットしました」


「……………………」


「今まで仕入れたことのない情報だったので、とても興味深かったです」


「そっか、それなら良かったよ」


「中村くんは、とても心が豊かなのですね。中村くんとなら、より多くの感情を学べそうです」


「ははは、そうかな」


僕は、まさか彼女がそんな風に褒めてくるとは思っていなかった。後頭部をかいて、照れ臭く笑う以外の対応ができない自分が、少しだけ恥ずかしかった。









……翌日のお昼休み。


神崎さんは、いつものように女子たちとお弁当を食べていた。


彼女たちの会話が、僕の耳にも入ってくる。


「ねーねー聞いてー!この前私さー、四組の会田くんと付き合うきとにしたんだー!」


「へー!良かったじゃーん!」


「お互い同じ部活だしさー、付き合いやすいかな~と思って!」


会話の内容は、いつものように他愛ないものだった。恋人……か。未だに僕には縁のない話だ。いつか僕にも、恋人ができる日が来るんだろうか……?


彼女らの会話は、やれ何組の誰がカッコいいだとか、誰と誰が付き合っているだとか、そういう話題が多かった。


聞き耳なんて立てちゃいけないと思いつつも、彼女らの声は大きくて、耳に入れないのはかなり難しいし、なんだかんだ内容も気になってしまう。


(僕ってちょっと変態かも知れない)


そんなことを思っていた、その時だった。


「ねーねー愛ちゃん!愛ちゃんはさ、ほんっとーに気になる人とかいないの!?」


「ええ、先日も申し上げたように、私には感情がありません。ゆえに、特定の誰かを気にかけることはないのです」


「とは言ってもさ!この人と一番仲いいなーみたいなのとかないのー?」


「一番仲が……?」


「そうそう!もしくはさ、一番興味あるなって人!そういうのくらいはあるんじゃない!?」


「……………………」


……神崎さんは、じっと黙ったままだった。僕はお弁当を食べながら、ついつい彼女の次の言葉を待ってしまった。


(神崎さんもAIと言えど、そういう誤差というか……興味の大小が少なからずあるんだな。感情はないと言いつつも、そういうところの差は生じるもんなんだ)


僕はお弁当を平らげて、手を合わせ「ご馳走さまでした」と小さく呟く。


「……………………」


(それにしても、まだ神崎さんは答えないな。なんだろう?やけに気になる……)


僕は思わず、彼女の方へ眼を向けた。その時、不覚にもドキッと胸が高鳴った。


彼女は、僕を見ていた。


僕のことをじっと、あの入道雲を見ていた時と同じ……無表情な瞳が僕を捕らえていた。その眼と合ってしまった僕は、目を逸らすことができなかった。


「……………………」


神崎さんが僕を見つめているのに気がついた他の女子は、ざわざわと騒ぎだした。


「え?もしかして、中村くん?」


「確かに隣の席だけど……」


「なになに?まさか、本当に気になる人、いる感じなの?」


「……………………」


そんな彼女たちの問いかけに、神崎さんはまるで答えようとしなかった。


ただただ、何の表情を浮かべることもなく、僕を見つめるばかりだった。















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