ハクジツセピア

黒宮ヒカル

01:最悪の誕生日(Ⅰ)


俺は目の前でうずくまる幼女に手を差し伸べるでもなくただ冷めた目で見下ろしていた。


幼女の髪は前も後ろも長く、床に長々と広がっている。

その様は癖と色もあいまって孔雀の尾羽が広がっているようだ。

髪から覗くのは青ざめているような白い肌。

目は長い睫毛に縁どられた紫だが、濁ったように光はない。


幼女は俺を見上げながら歪んだ笑みを浮かべる。

幼く何処か舌っ足らずな音が呪いを垂れ流す。


「いいわ、もっと泣いて、不幸になって?あははははっ」


否、きっとこの幼女には俺の姿など初めから映っていない。

これがこの世界の■なのか、こんなにも他者の不幸を望み呪いをまき散らし悲劇を楽しむこれが■でいいのか。


俺はずっと■■■■が苦しみ助けを求め藻掻いているのだと思っていた。

だが、現実は違った。

彼女はただこの世界の苦しみを眺め喜んでいた。



怒りすら湧いてこなかった。

ただ凪いだ心に浮かぶのは重みのない憐みだ。


(もう終わりだな)


俺は諦めた。

●●●として召喚されたが■■■■を救う事など不可能だ。

そもそもやりたいと思えなくなってしまった。


俺が今から行うのはこの世界への裏切り。

あいつが目指した叛逆はんぎゃくをなぞるに過ぎない。

だが、これが1番良い方法だと思った。

ずっと彼女の呪いに縛られ生かされ続けるよりひと時の自由を得て終わる方が。


「――これは俺の正義エゴだ」


覚悟を決めた俺は愛刀を■■■■へと振り下ろし■殺しの反動で人生に幕を下ろした。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「っ!?」


はっと目を覚ますと、教室内は夕暮れに包まれていて生徒の数もまばらだった。

近くではクラスメイトが談笑している声が聞こえる。

イマイチ状況が呑み込めず、視線を彷徨わせていると前の席に座っている緒方と佐藤と目が合った。


「おー、委員長起きたか」

「俺は……。……!まさか、居眠りしていた!?」

「そそ。ねーちゃんが可哀そうになって寝かせてるのとか初めて見たわー」


けらけら笑うが、委員長として学生として授業中に居眠りするなど言語道断だ。

ぐっと拳を握りしめると、書きかけの英語のノートが目に付いた。

黒板の内容を取っている途中で眠ってしまったようで大きく線が伸びている。


「くそっ、今の今まで学校を休んだことも授業をサボったこともなかったと云うのに!!俺は学生として、委員長として情けなくて仕方がない……!」

「委員長は真面目だよなー。今時居眠りとか普通だからそう落ち込むなって」

「そうだぞ。オレなんて毎度寝てんぜ!……で、委員長なんで居眠りなんかしてたんだ?さてはお前、今日誕生日だからってなんかしてたな!?」

「……そうだな。朝食の献立が気になって寝付けなかった」


佐藤の云う通り俺は今日17歳の誕生日を迎えた。

誕生日の日はいつも母が腕によりをかけ朝から好物の和食を作ってくれるから昨日は楽しみで寝付けなかったのだ。

そして、母が家族の誕生日を思いっきり祝ってくれるのは姉さんの事があった所為に思う。




僕がまだ5歳だった頃、世界はデビルズ・トリルとう名の兵器に震撼しんかんしていた。

ベリト・エリファス・レヴィ博士が生み出したその兵器はテロリストの手に渡り世界の各地に投下され、世界の人口は5/7にまで減った。

そして俺の姉――音羽とわ姉さんも首都に落とされたデビルズ・トリルの所為で死んだ。

部活の全国大会に出るために首都に行って……そして帰らぬ人となったのだ。


レヴィ博士は死んだと聞くが、実行犯のテロリストは潜伏していると聞く。

だから俺は将来公安になって、犯罪者を捕まえ必ず法の裁きを受けさせると誓った。

姉さんみたいに亡くなる方も、母さんたちみたいに嘆く人も減るように。

俺の手が届くのならば、悪意で誰かの幸せが踏みにじられないようにしたいのだ。


(だと云うのに、よりによって人を――幼女を殺す夢を見るだなんてな……)


何となく斬った感触が手に残っている感じがして握ったり開いたりして誤魔化す。

思えば今日は何かとついていなかった。

部活は剣道部で風邪が蔓延して休みになったし、昼飯は4つ下の弟のと入れ替わっていたらしく大嫌いなオムライスだったし、挙句の果てに居眠りにあの夢だ。


小さくため息を零すが『えぇ!?ただの食いしん坊かよ』『委員長は純粋だからな、お前みたいに邪じゃないんだよ佐藤』『ぐっ……』とじゃれあっている声で掻き消える。

今日は部活もないし書店でも寄ってから帰るかと立ち上がろうとした瞬間佐藤先生が入ってきた。


「げっ、ねーちゃ――いてっ!」

「学校でねーちゃんはやめて、佐藤先生って呼ぶようにって云ったわよね?……良かった音無おとなしくんまだ帰ってなくて。これ風祭かざまつりくんに渡してもらえるかな」


そう云って佐藤先生が出したのは採点を終えた課題のようだった。

プリントには筆記体で『Sou Kazamatsuri』と記されている。



風祭かざまつり そうと云うのは俺の小学校からの同級生で親友だ。

奴は世界的な天才で創薬を中心に活躍しノーベル賞に選ばれるものの辞退、その論文は有名な雑誌に取り上げられ国際的な学会に招待され講演を求められる。

今世紀最大の科学者、ヒポクラテスの生まれ変わりなど様々な云われをするが奴は間違いなく問題児だった。


まず上記のような理由から多忙を極めるアイツは出席日数が少ない。

その上天才だから高校生レベルの問題なんか簡単すぎるらしく、そんな時間があるなら研究したいとか云って学園長に掛け合った。

奴の功績ではくが付くと考えた大人の意見が合致しアイツは課題物の提出と定期テストで高得点を取る事によって目をつむられている。


それでも先生たちからすれば目の上のこぶだろうに、奴は喧嘩好きでもあった。

アイツから仕掛けることはないが因縁をつけられたら最後、防犯カメラや録音などによって正当防衛を『装って』完璧に伸し心を折る。


熱血な先生たちは想を指導しようと躍起になっていたが云い負かされ、漏れなく全員心をぽっきりと折られている。

英語担当の佐藤先生は熱血と云う訳ではないのだが、想が英語の答案にイギリス英語で記したものを間違いとして処理したためひと悶着あったのだ。

『英語と云えばアメリカ英語でしょ?授業に出ていないから、そんな事になるのよ』だの『そうやって発生国を蔑ろにする偏見もどうかと思うけどねぇ?』とか口論になり最終的に佐藤先生は云い負かされ、現在険悪な仲となっている。



というわけで、想の不況を買いたくない大人や険悪な仲となった大人、想を怖がる生徒から俺は小さい頃から窓口扱いされていた。

余計な火種は生みたくないため今日も謹んで受け取る。


「じゃあ、俺は想のところに行ってくる」

「お疲れ。……何って云うか、頑張れよ」


同情するとクラスメイトの表情に書いてあるがアイツは問題児なのは間違いないが、割と良い奴だ。

そんな風に見られるのがやや不快で、俺は第2科学実験室へと急いだ。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




第2科学実験室の扉には映画でよく見る『KEEP OUT』のテープが張られている。

こんなものがあっては授業で使えないと思われがちだが、第2科学実験室はそもそも存在していなかった教室だ。

元は吹奏楽部が使っていた物置だったらしいが、アイツの入学が決まったと同時に想用の実験室に改修されたらしい。

それ故にここがアイツに占拠されていても学校の運営上に問題はなく想もここから滅多に出てこない。


「想入るぞ」


断りを入れると同時に扉を開ける。

相変わらず黒板には何が何だか分からない言語と数式が殴り書きされており、気化した薬品が溜まらないようにしているのか換気扇が回っていた。

いくつか並行して行っている実験があるようで、それぞれのブースに実験器具が置いてあり、大抵そのどれかに居るのだが今日はいない。


珍しい。

始業前も授業中も昼休みも放課後も、なんならここに泊まって実験している事さえあると云うのに奴がいない。

どうしたものかと思ったがここに帰ってくるのは間違いないだろう。

アイツは自分が使いやすいように物の位置を的確に覚えているため、ずらしたり増えたりしていたら絶対に気が付く。

机の上に置いておき、念のため入り口にメモを張り付けておけばいいだろう。


そうと決めると鞄の中からポストイットを取り出す。

筆箱から気に入っている筆ペンを取り出しキャップを開けようとしたが、俺は1つため息を零すとペンを置いた。


「前も云っただろう。足音消して近づくな」

「あはっ、バレてたんだ。脅かそうと思ったのにさぁ」


背後からけたけたと笑う声が聞こえる。

呆れながら振り返ると見慣れた親友がそこに居た。

人工色だと一目でわかる淡緑たんりょく色の髪は少し長く、目には髪と同色のカラーコンタクトを入れている。

年中タートルネックに白衣を羽織っているため何かのキャラクターっぽくはあるのだが、色白な肌にハーフなのか西洋交じりの顔立ちのため浮いてはいない。


「はい、サプラーイズ。17歳の誕生日おめでとう、りん


そう云って想にしてはあっさりと背後から取り出したのは『ミカヅキ堂』と書かれた紙袋だった。

ミカヅキ堂の文字に思わず反射的に想の両手を握りしめる。


「ありがとう!!」

「あははっ、喜びすぎ。凜、ここの和菓子好きだもんねぇ」

「ああ!……開けてもいいか?」

「どうぞどうぞ」


受け取った俺は空いている机の上に出すと、菓子箱を包む包装紙を丁寧に剥がす。

包装紙はきちんとたたんだ後紙袋にしまい、重みのある菓子箱を手に取った。

菓子箱は月の満ち欠けと雲をモチーフにした和柄のデザインで

菊をデザインした水引で止められている。


「菊の水引なんて凝ってるな……」

「だって凜の誕生日って菊の節句でしょ?ほら早く開けて開けて」


確かに俺――音無おとなし 凛音りおんの誕生日は菊の節句、9月9日だ。

だからと云ってミカヅキ堂はその月に合わせて水引を変えないし、勿論面倒な菊の水引を使っているわけでもない。

そうなるとプレゼント用だからという理由に辿り着くがそんなサービスなどやっていなかったはずだ。

気にかかったが中身の方が気になったためうながされるまま水引を外して箱を開ける。

水引の留め具はやはり飾りだったのだろう、ふたを持ち上げるとしっかりとした摩擦を感じる。

自重でゆっくりと下がってきたところで引き抜くと中が見えた。


中に入っていたのは和菓子8つ。

1番右端の列は生菓子で、はさみで切りこんで作る針切り菊と赤い目のウサギだ。

残り6つは紅白の苺大福――俺の1番の好物だった。


「何で……。ミカヅキ堂はこの時期苺大福は売ってないはずだ」


ミカヅキ堂は老舗の和菓子店でこの地域では有名どころだ。

こだわりも強く季節によって材料を変えているし、勿論季節によって品ぞろえも変わる。

俺の大好物、苺大福もその1つで解禁日は11月下旬からのはずだ。


「そ。苺大福を作るのに適した苺が安定して手に入らないから作ってないんだって。だから、ミカヅキ堂のじっちゃんが納得する味の苺を年中収穫できるようにシステムの構築と品種改良を繰り返して、やっと作って貰えるようになったんだよねぇ。……と云う訳で!僕からの誕プレは年中苺大福を食べられるようになったことだよ。どう?嬉しい?」


奴は簡単に云ってのけるしやって見せたが、実際は大変だったはずだ。

想が得意とする分野は創薬。

苺の育成や収穫に関するシステムを構築したり、品種改良したりするのは分野から外れる。

その上苺を育成し続けてくれる農家を見つけたり、ミカヅキ堂の店主を説得したりと

高校生がやってのけたとは思えないほどの苦労が詰まっている。

嬉しいなんて簡単に済ませられるわけがない。


「想……。お前は神か」

「ははっ。手始めに来月の誕生日楽しみにしてるね」

「任せろ。地域限定カップラーメンだろうが、数量限定レモネードだろうが確保してやる」


『早起きは得意だ』と付け加えれば、何故か想がげらげらと笑い始めた。

想の代わりに早朝店に行ってご婦人やマニアの波を掻き分け確保するのだから、体を動かせるように柔軟した、最前列を確保したりするために早起きは大切だ。


「俺は何か妙なことを云ったか……?」

「いやっ、別に。……ぷふっ。凜はっ、そのまま純粋に育ってくれればいいよ!」

「訳が分からないんだが」


まだ笑い続ける想を横目でジトっと見てやってから苺大福を1つ取り出して食べる。

苺独特の甘酸っぱさに餡子あんこの優しく懐かしい甘さ。

その2つを包む大福の柔らかさが全てを調和させていた。


クラスメイトや先生には冷静で真面目だと云われる俺だが、よく知る人に直情馬鹿だの単純だのと評される。

やはり後者の意見の方が正しかったのか、あれほど憂鬱な気分にさせていた夢は親友のサプライズと苺大福の美味しさの前に何時の間にか消えていた。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




今日は俺の誕生日だし、きっと母さんも喜ぶからと想を夕飯に誘った。

でなければコイツはまたカップラーメンかよくてもファストフードだろう。


家庭料理を食べさせなくてはという使命感を抱く俺に最初は遠慮していたが、最終的に一緒に帰る事になった。

中等部の部活が終わった弟、紳音しおんとも合流して真っ直ぐ駅へ向かう。


ウチの学校は人工島に建てられた学校のうちの1つだ。

人工島にある他校は2つだがウチの学校と同じで保育園、小学校、中学、高校、大学とあるため、この島は超巨大な学園都市となっている。

その他にも提携している企業、学生やサラリーマンを狙った店、ショッピングモール、図書館、福利施設などもあり駅に近付くにつれ学生服以外の大人も目立ってきた。


駅に近くなると仕事帰りの大人や帰宅途中の学生を狙った飲食店が多くなる。

しかしそれは裏を返せば激戦区。

1年前にはあった筈の店は潰れ隣にあった古いビルも壊して今は新しい建物を立てているようだった。

噂に疎い俺には何を建てているのか全く知らないが、それでも分かる事はある。

ここは学生にとって誘惑が多い場所だと。

早く通り抜けなければと帰路を急ぐが――


「なぁなぁ、凛兄ちゃん。腹減ったよぉ~。ハンバーガー食べてから帰ろ~よお」


あと10分くらい歩けば駅という所で急に俺の腕が重くなった。

原因は全身で俺をファストフード店の方向に引きずり込もうとしている愚弟だ。

俺はいつものように力任せに腕を振りほどく。


「駄目だ。母さんが料理を作って待ってるんだぞ?お前毎回食べ過ぎて夕飯食べられなくなるだろ。絶対に駄目だ」

「凜兄ちゃんと風祭先輩と違って俺部活帰りで死にそうなんだって~!先輩も行きたいって思うよな?なっ!?」


不味い!奴がファストフード好きの想へと助けを求めた。

想は十中八九食べると云うだろう。

そして食べてしまえば腹が一杯になったからと云って学校に引き返して研究三昧に戻るに違いない。

駄目だっ!俺はコイツにちゃんとした栄養を与えあわよくば終電を逃させ、家に泊めてしっかりと睡眠をとらせる必要がある。

一瞬でそこまで判断した俺は愚弟の頭へ鉄拳を振り下ろした。


――ゴツッ!!

「い゛っ!!?ってぁああああ!!凜兄ちゃん何すんだよぉお!?」

「ジャンクフード馬鹿に縋るんじゃない!帰るぞ。俺はコイツに栄養素と睡眠をとらせる使命がある!」

「だからって殴ることないだろぉおお」

「お前が馬鹿なことをするから――っ!」


その光景を目撃したのは偶々だった。

何処から飛んできたのかは分からないが、大きく広がったブルーシートが下校中の初等部の子に当たる。

ブルーシートに子供があたったことに気が付いていない弟と、気が付いたが放って置くことを決めたらしい親友を放置して駆け寄った。

レジャーシートより大きく重いため小さい子にとって出るのは大変だろうし

何より怖かったに違いない。


「大丈夫か?怖かったな。怪我はないか?」

「う、うん……。だっ、だいじょうぶ……」

「そうか、偉いな」


心の中でうちの愚弟と大違いだと思いつつ念のため怪我がないか確認しつつ立たせる。

ランドセルを背負いなおして歩き始めたのを見届け、邪魔にならないようにブルーシートを畳んで片付けている時だった。


――ブッーーー!!

「「!!」」


突然の眩いライトとトラックの低く大きいクラクション。

はっと顔を上げた先には焦った顔の運転手が力いっぱいハンドルを回していて、かなりのスピードと急な左折にウィリー走行になっている。


――ガンッ!!

――ブッーーー!!


すれすれをすり抜けてトラックは電柱をへし折る形で停止した。

はっとした俺は運転席側を見る。

こんなに猛スピードで突っ込んで運転手は無事だろうか。

いや、その前に警察と救急車か?だがその前にもしガソリンに引火して爆発したら?

やはり運転手の無事を確認する方が大切だ。

俺は運転手の無事を確認しようと強張った体を動かす。


――人道のもと下した判断が、俺の誕生日を最悪なものにするなどと露ほども思わずに。


「凜ッ!!!」


突然想の鋭い声が俺を呼んだ。

その直後白衣が体ごと俺にぶつかってきて、その衝撃で俺は尻餅をついた後舗装された歩道へ頭を強く打ち付けた。

次第に暗くなっていく意識の中、想の上に落ちる鉄筋の雪崩が目に焼き付いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハクジツセピア 黒宮ヒカル @tokeiusagi-no-mayoiyado

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ