第11話 pray《後》

 彼の首を切ろうとした凶刃を、その柄を引いて止める。

「何するんだよ?」

 むっとした表情で、親友がこちらを睨む。自殺を止められたことが不服なようだ。

 自分にも、この行動が理解できなかった。何故殺そうとしている相手が死のうとするのを止める? 自分の手を煩わすことなく、結果を得られるのなら、願ってもないことじゃないか。

 しかし、頭はほどなく冷静に答えを導いた。──そういう[結果]は不本意だ。

「君を殺すのが、今回の依頼だよ。勝手に死なれるのは気に食わない」

「大した天使だ」

 親友のその一言には、多分に侮蔑が込められていた。

 どう言われようと構いはしない。ただ、自分の意志に従っただけ。冷徹な石頭はその奥に潜む感情すら理解していないくせに、それらしい結論を出し、納得した。

「本当に君って、人間じゃないみたい。まあ、殺し屋やってる時点で、人間として、半ば踏み外してるようなもんだけどさ」

 続けた親友の言葉に耳を傾ける。

「君のこと、親友……っていうのはおこがましいかもしれないけど、友人くらいには、想っていたんだよ? だから、[殺し屋の天使を殺せ]って依頼だって、即決で断った。なのに、君は躊躇いなく、僕を殺せって依頼を受けて、殺そうとしている」

 返す言葉を見つけられなかった。そのまま場に沈黙が漂う。重々しい空気が息苦しく、煩わしかった。

 その沈黙を破ったのは、彼の方だった。


「僕を、殺すんだろう?」


 静かに、もの悲しげに放たれた一言が、凍っていた塊を押し退けた。


「それは! ──が、[自分で死ぬ]っていうくらいなら、いう、くらい、ならっ……!」


 殺してあげようと思って。

 それは自分なりの優しさのつもりだった。けれどエゴでもあった。殺し屋としてではなく、親友としての気持ちだった。

 標的に自死されるのが殺し屋として不本意というのは合っている。けれどそれだけじゃない。こっちだって、親友だと思っているよ。だから殺したくない、にはならない。だって仕事だもの。君が狙われる、君を殺す依頼が来るっていうことはさ、君はもう殺し屋世界にとってお払い箱で、こっちがその依頼を蹴ったとしても、君は誰かに狙われ続けるわけで、狙われ続けていれば、いつか誰かに殺されてしまうかもしれない。そんなのは嫌だ。

 それなら、自分の手で君を殺す。その方が何倍もましだ。他の誰かに奪われるくらいなら、ずっと自分の手中にあるように──


 続けようとした言葉は、なかなか出てこない。普段なら、さらりと言ってしまえるのに。何故、何故──?


「なら、早く殺してよ」


 親友の、全てを諦めきった瞳が促す。

 そこで、何かが

「うああぁぁっ!!」

 ぷつりと切れた。

 泣き叫びながら、短刀を彼の胸に突き立てた。

 躊躇いなんてなかった。どこを刺せば死ぬかわかる。殺し屋を長いことやっているんだ。短刀を武器にする自分は脳が腐敗してもおかしくないレベルで何度も何度も繰り返してきた光景だ。失血死なんてそんな苦しいことはさせない。だって君は悪くない。悪くないんだもの。せめてこの手で終わらせるなら、苦しませたくなかった。だから、一瞬で息の根を止めてあげるね。

 自分でそう望んで、刃を突き立てて、親友が呼吸をしなくなるのを、潰した心臓が間違っても鼓動しなくなるのを見届けた。頬につう、と透明な何かが伝うのを感じる。

 いつの間に涙なんて流していたんだろう? とか、何故こんなに苦しいんだろう? とか、色々な疑問が頭の中を飛び交った。

 どうして殺しているんだろう? とか。


 どこから、間違っていたんだろう。

 どこから、やり直せばいいんだろうね?

 わからない。

「けど、安心して」

 もう二度と開かない親友の瞳に語りかけた。その胸から引き抜いた血みどろの刃を、今度は自分の胸に立てる。

「すぐ、逝くから」

 ふう、と一つ深呼吸をして、目を閉じながら、体に冷たい異物が刺さってくるのを、もう痛みも感じずに、受け入れていた。


 そうして今、ここにいる。

 輪廻の道。再び人の世界に戻るための[転生]を賭けて戦う世界。

 今、目の前にいる彼の言うとおり、自分はあのとき、[天使]としての役目を全うし、彼を殺すことを選んだ。その後すぐ、その選択を後悔し、後悔を払拭しようと自ら死を選んだ。

「思い出したよ」

 親友に告げる。言われた方は、そう、と興味なさげに呟いた。

「やっと、思い出したんだ」

 さして嬉しくもなさそうに言う。こちらが記憶を取り戻すよう、誘導しているように見えたのに。

「じゃあ、真面目に戦ってよ。そのエゴのために」

 今一度、方天牙戟を構える親友に。

「うん」

 頷きながらも、未だ形を変えない灰色の砕器を構えた。



 灰色の砕器はどう足掻いても変形しない。もうこれはどうしようもないと諦め、そのまま駆け出す。

 親友の言うように、彼と戦いたくないという思いも、結局のところはエゴなのだ。もう殺したくないなんて、自分の独りよがりな願いは。

 これまでさんざん殺してきたくせに、今更よく言えたもんだ。我が事ながら、苦笑いが込み上げてくる。

 何人殺したかなんて、数えきれない。生前でもここでも、自分以外の人間を容赦なく殺した。少し、楽しみながら。

 その時点で最早、自分は人の道を外れている。だからこれ以上を求めるのは、あまりにも欲が過ぎる。

 罪を背負うのは嫌だ。けれど、今のこの現状は積み重ねてきた業の果てだ。避けて通れるはずもない。

 ならば、切り伏せるのみ。

 傷をつける刃も重みもない砕器を携え、親友の方へ突き出す。

 突き出された灰色の棒を彼は片手でいなし、もう片方の手に持った方天牙戟をくるくると回し、先端に近い部分に持ち変えると、こちらの脳天めがけて突く。

 前につんのめるようにしてそれを避け、そのまま低い姿勢から相手の鳩尾に拳を入れる。当たる寸前に、手首をがっしり掴まれた。そのまま力任せに引き摺られ、投げられる。背中を強かに打ちつけた。

 咳き込むこちらをよそに、彼は投げる際に手放した得物を取りに戻る。足で蹴り上げ手にした長柄を一回転、今度は刃のない方を突き出す。それは先程刺された肩の傷口に命中。痛みに呻きながら倒れる。

 仰向けに倒され、地面に押しつけられた状態で、傷口を抉るように、柄がぐりぐりとめり込んでくる。痛みが頭まで突き抜け、手足は言うことを聞かない。そこへ畳み掛けるように相手がのしかかってきた。白く冷たい指が首にかかり、喘ぐ間もなく、締め付けてくる。

 久々に真剣に、命の危険を感じる。他人に殺されるという危機感。意識が遠のいていく。死ぬ、という感覚──


 死ぬ? 殺される?

 死にたいのか?


 朦朧とした意識の中で瞬く思考。

 妙に研ぎ澄まされた聴覚に、からんと砕器が手から滑り落ちる音が聞こえた。


 まだだ。


「ぐっ、あああああっ!!」

 叫びながら起き上がる。馬乗りになっていた相手を払いのけ、自由を手に入れた。しかし、立ち上がると肩に刺さったままだった方天牙戟の柄が抜け、激痛に腕が痺れる。それに顔を歪めながらも、ゆらりと立ち、相手と対峙した。

 親友は冷たい瞳でこちらを見上げている。静かに落ちた方天牙戟を拾った。眼差しは冷たいものの、そこに宿る闘志は消えることのない業火の如く燃え盛っている。

 ここまでの戦闘で一切息を乱していない親友と、肩で息をしている自分。どちらが優勢かなんて、火を見るより明らかだ。

 それでも、砕器を握りしめる。それ以外にできることはない。

 思考回路はほとんど麻痺していた。余裕などない。今自分の中にあるのは、殺意でできた闘志だけ。


 死にたくない。


 この期に及んでそんな風に思う、浅ましさだけ。



 灰色の砕器を拾い上げ、短刀のつもりで構える。

 それを見、彼はこちらにくるりと刃の方を向けた。じり、と片足を前に出す。

 その瞬間にこちらから一足飛びで懐に入る。姿勢を低く、低く。下から砕器を突き上げる。狙いは顎。

 がっ

 命中。……かと思ったが、相手は束の間の一瞬でこちらの動きを見抜き、動きを合わせて威力を殺いだ。掠りはしたようだが、ダメージは薄い。

 上を向くことでこちらの攻撃をいなした相手は、そのまま間合いを取ろうと後ろに退くが、そうは簡単に狙いどおりにはさせない。相手の得意な間合いで戦わせるほど、伊達に殺し屋やってたわけじゃない。──伊達に親友やってたわけじゃ、ない。

 思い切り地面を蹴る。親友の体が急速に近づいてきた。いや、こちらが接近しているんだ。

 その華奢にも思える胸板にぶつかる。彼が小さく息を飲んだ。感覚が研ぎ澄まされているのか、色々な音がよく聞こえる。親友が柄を振るう音、長柄が空を切る音、彼の呼吸、静かに刻まれる心音──

 紡がれた、言葉。


「ほら、やっぱり殺すんだ」


 その囁きに顔を上げる。

 そこには逃がすまいと思って首筋めがけて突き出した砕器。それはとてもよく見慣れた短い切っ先の、けれど人の命を刈り取るには充分な刃を持つ武器だった。

 真っ直ぐ、親友の首筋に向かって、鈍色の輝きが突き進んでいく。その少し上方には、親友の、笑顔。

 彼は笑っていた。

「やっぱり、君は君だね。安心した」

 彼は、笑っていた。

「…………ぃ……?」

 掠れた声でその名を呼んだそのとき、どうしようもない一瞬が、逃れられない一時が、やってくる。

 短刀に変貌した砕器が、その切っ先で躊躇いなく親友の喉を、貫いた。


「……ぁ……」

 視界を宙に散らばる紅が彩る。モノトーンの景色の中にその色はやたらと映えた。

 とさり。親友の体が黒い地面の上に落ちる。短い白髪が広がる。目元を微かに痙攣させて、うっすらと瞼を開くのを見るまで、動けなかった。

「っ……ぃっ……!」

 名前を呼ぶけれど、声にならない。それでも彼は聞き取って、こちらを向いてくれた。

 何かを言おうとして、口を開く彼。だが、零れるのは、血の塊。こぽり、と音を立てて、その口から紅が零れていく。

 喉を切ったのだ。もう喋ることなど叶わない。しかし、彼は懲りることなく口を動かす。こぽり、こぽりと紅い塊が流れていく。

 その原因となっている喉の方へ目を向ける。白い肌がさっくりと切り裂かれ、傷口とその付近に紅が散らばっている。紅が広がり、白い肌と白い髪を汚していく。

「なんで」

 自分のものとは思えないほどか細い声が出る。

「なんで、こうなった?」

 視線を落とし、自分の砕器を見る。灰色の棒から、頑なに変化しなかった砕器が、手に馴染みのある短刀に姿を変えていた。

「なんで、こうしてしまった?」

 なんでだ。もう二度と、こいつを殺したくないと願って、ずっと祈っていたから、変わることはないと思っていたのに。


「やっぱり殺すんだ」


 こいつの呟きが耳に蘇る。責めるでもなく、嘲るでもなく、放たれた一言。だからこそ、響く。じくじくと胸を浸蝕していく。

 なんでこうなった? こいつを殺したくなんてなかった。その思いに偽りなんてなかったはずだ。それなのに何故、砕器が変化した? なんで刃が現れたんだ!?

 それとも。


 それとも、[殺したくない]という思いすら、本当は嘘なのか?

 殺意に簡単に凌駕される程度の願いだったのか?


 だとしたら、


 だとしたら自分は、人でなしだ……




 はは。

 ははは、何を言っているんだろう? 人でなし? 何を今更。

 生きていた頃から、[人間]という枠組みから八割方踏み外していたような自分が、人でなしなんて今更だ。

 笑える。

 だから彼も笑っている。


 こぽり、こぽり、と笑っている。

 ああ、気持ち悪い。この音、気持ち悪い。でも、聞かなきゃ。聞いてあげなきゃ。最後まで、漏らすことなく、聞き届けなきゃ。それが今唯一できる贖罪だ。

 許されない? そんなこと知っている。好きにさせてよ。

 許されなくたって、贖罪するくらい、いいだろう?

 他にどうしたらいいか、わからないんだ。自分の愚かしさを語り尽くしたところで、現状が変わるわけでもない。全てをやり直せるわけでもない。

「ほんと、なんでこうなったんだろう? これからどうしたらいいだろう? ねぇ、教えてよ」

 親友の笑顔に問いかける。その名を呼ぼうとしたとき、かつん、と足音がした。

 そちらに振り向くと、白髪をこめかみから三編みにした黒羽の天使がいた。

 その名を呼ぶ。


「レイ……」


 ずっと声にならなかった、親友の名だった。



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