表裏の結界
森本 晃次
第1話 マイナンバー
この物語に出てくる国家(団体)や個人は完全にフィクションです。あくまでも架空の存在ですので、類似している団体、個人とはまったく関係ありませんので、ご了承ください。
「人間が国家から支配されるというのは恐ろしいことだ」
と言っている政治研究者がいた。
彼の意見は少数派で、あまり世間一般に受け入れられるものではなかったが、討論番組ではいくつもレギュラーを持っていて、テレビの世界では結構売れていると言ってもいいのではないだろうか。
討論番組などでは、正論を話す人と、それに対して反対意見を言う人がいないと成立しない。言い方は悪いが、まるで「仮想敵」のようなものだ。
彼の名前は山本教授。国立のK大学に勤務している。最初はK大学出身だからということでのオファーだったが、彼の発言の過激さが、意外と視聴者の印象に止まった。反対意見をいう専門家をテレビ局も探している関係で、彼がレギュラーになるまでに、何ら障害はなく、とんとん拍子にレギュラー出演が決まった。
彼がレギュラーになってから、視聴率も上がった。放送局からすればありがたいことだったが、彼の性格はテレビ出演そのものだった。彼は素でテレビに出ていたのだ。
そういう意味ではテレビ局内では異様な雰囲気を醸し出していた。彼の世話をするスタッフも困惑していて、ちょっとでも気に入らないことをすれあ、逆鱗に触れたかのようにいきなり怒り出すこともしばしばだ。彼のせいでテレビ局を辞めたスタッフもいるくらいだった。
放送局の問題児の彼であったが、視聴率を考えると、彼を外すという選択肢は考えられない。何とかスタッフで宥めすかして番組の延命を図っていた。
――こんな番組、早く終わればいいのに――
という編成には関係のない下っ端社員は、そう思っていただろう。
しかし、そんな番組に限って、なかなか終わらない。むしろ視聴率は上がり、放送局の看板番組になった。山本教授はレギュラー番組以外でも、いくつもの報道番組でゲストに呼ばれ、大学にいる時と放送局にいる時のどちらの時間の方が長いか、分からないほどになっていた。
彼のような評論家を「論客」とでもいうのだろうか。大学の専門とは違った分野にまで口を出すようになり、彼の素で通すスタイルは、ますます視聴者の関心を買った。
彼の発言は、とにかく過激だった。ジェスチャーやリアクションも大きく、それでいて、なぜかわざとらしさを感じさせない。何しろそれが素なのだから当たり前のことだが、テレビを見ている人にはそこまで分からない。
もっともテレビを見ているどれだけの人が、出演者の性格分析までしながら見ているというのだろう。少し関心を持ったくらいで分かるほど、彼の性格は簡単ではない。
ただ、簡単ではないが単純であった。そこに分かりやすさがあることで、余計に視聴者の関心を買う。
「こんな人を友達には持ちたくない」
と思いながらも、テレビを通してなので、単純に面白く見ることができる。それだけ視聴者というのも、いい加減なものなのかも知れない。
放送局のスタッフの中には、視聴者をいい加減なものだと思って、少し舐めている人もいる。しかし、山本教授にはそんなことはなかった。
「視聴者の意見は真摯に受け止めなければいけない」
という考えを持っていて、討論番組でヒートアップしながらも、まわりを冷静に見ていた。きっと、一緒に出演している人も騙される人もいるかも知れない。むしろ一緒に出演しているからこそ間近で接することで、騙されてしまうのかも知れない。
実はそれも山本教授の計算だった。
だが、彼は冷静な性格ではあったが、冷徹ではない。過激な発言を繰り返しながら、その奥では、自分の想定外にヒートアップしないように、気を遣いながら、場をコントロールしていた。
――正論を語っている相手に主人公の座を明け渡しながら、主導権は自分が握っている――
そんな状況に彼は持って行っていた。
酔っていたと言ってもいいかも知れない。まわりがそんな自分のやり方に気づいていないと思っていたようだが、分かる人が見ればすぐに分かる。そのあたりが、冷静ではありながらまだまだ人間臭いところが残っている山本教授だったのだ。
山本教授が、
「国家から支配される」
という件の話を始めた討論会は、数年前のことだった。
以前から、国民の名簿のようなものを作り、番号管理をすることで、行政機関の業務軽減につなげることを国家の命題としてていた。そして紆余曲折の末に法案化されたのが、
「マイナンバー」
というシステムだ。
医療は、会社の給与、人事に関することまでマイナンバーを使って処理できることで、法案が実現した。もちろん、紆余曲折の結果なので、それなりに工夫はされていることだろう。もちろん、国民のほとんどがどれだけのことを理解しているのか分からない。名前だけで、ほとんど何も知らない人が多いだろう。
「へえ、そんな便利な使い方もあるんだ」
と思う人もいるに違いない。
しかし、山本教授はそのマイナンバーを前に苦言を呈しているのだ。
誰もが、
「また始まった」
と思ったことだろう。
山本教授得意の反対弁論である。本当は正論が正しいと思っているのかも知れないが、いかにして反対意見を言うかというのが彼の真骨頂だと思っている。それだけ山本教授は冷静で、悪い言い方をすれば、自分の意見に思い入れはないと思われていた。
特に普段からリアクションもジェスチャーも過激なのだ。少々の思い入れを込めたとしても、それは、
「いつものことだ」
と思われて、終わりになってしまう。
以前の山本教授は、それでいいと思っていた。それが彼のスタイルであり、テレビ局で生き残るすべだったのだ。
大学教授という立派な肩書があるので、論客という肩書がなくなったくらい大したことではないように思われるが、彼の中ではそうではなかった。
「研究は研究。論客は論客」
それが彼の持論である。
そんな持論を口にする人に限って、
「論客がダメでも教授の椅子がある」
と思っているのだが、彼は違った。
他の人は、それぞれを生活のリズムの中での違う時間という程度にしか考えていないから、別にどちらかが残ればそれでいいと思っているのだろうが、山本教授の場合は、口にした言葉そのままに、
――まったく別の世界だ――
と感じていたのだ。
実際に、
「教授は広義の時間と、テレビ出演の時とでは、まるで顔が違う」
と、彼の講義を専攻している学生からは思われていた。
「そういう意味では、俺は教授の授業を受けているというのは、なんか他の人に自慢できるような気がするんだ」
と一人の学生がいうと、
「何言ってるんだ。教授はテレビ界では異端児のように言われているんだぜ。まるで俺たちまで同類に思われるじゃないか」
「そんなことはない。講義室の演台で、当たり前のことを当たり前に教えている教授を知っているのは俺たちだけなんだ。これってすごいって思わないか」
「なるほど」
どこに説得力があるのか分からない会話だが、最後には納得させられる。山本教授という人間は、そんな存在なのだ。
山本教授が論客になってから、今までに何度もいろいろな反対意見を述べてきた。まるで国会における野党のようだが、山本教授の意見は、その野党とも違っていた。
国会という場所では、あくまでも国民中心の話の中で、いかに政府の考え方が間違っているかということを、もっともらしく口にしなければならない。そのためには、スキャンダルや各議員の発言の細かいところを、まるで針の穴をも通すような小さな点から大きなしこりにしてしまおうと躍起である。
見ていて面白い時もあるが、どうにもしっくりと来ない。人のプライバシーを暴いたりするのは、それこそ憲法違反ではないかと思うほどのギリギリの討論が繰り広げられることもあった。
そんな状況にうんざりしている人から見れば、山本教授の発言はスッキリさせられることだろう。まるで、
「竹を割ったような切り口」
と言える斬新な言い方は、ストレートなだけに、スッキリとした気分にさせられる。
さらに彼のいいところは、決して個人攻撃をしないことだった。政府のやり方や政策に対しての批判はするが、個人的な攻撃はしない。だから、攻撃される方も反論ができないのだ。
「彼の反論は、一種の正論でもある」
反対意見の正論という発想は、彼の出現によって成立した。
彼のような論客がそれ以降も出てきたが、すぐに消えていった。二番煎じでは絶対にパイオニアには勝てない。彼はそれだけ洗練されたパイオニアだったのだ。
ただ、最初は結構嫌われた。前例のないものなので、どうしても革命的なことをすると、保守的な連中は身構えてしまう。しかも、それが過激な内容ともなると、注目を浴びるのも当然で、ダーティなイメージがついてしまった。
しかし、正論を言っていることと、彼の姿勢が一定していて、初志貫徹していることで、まわりの見方も少しずつ変わっていった。
元々革命的なことを好む連中が、彼のことを絶賛し、それをマスコミが報道すると、彼への見方も変わっていった。
特に討論番組というのが、夜中にやっていて、ゴールデンタイムにはなかった頃、視聴者には偏りがあった。一般論を聞くだけでは面白くないと思っている連中が多かったことも、山本教授の知名度を上げる理由になった。年配の長老とも言えるような政治家を相手に一歩も引かない山本教授の姿は、彼らは楽しみにしていたのだ。
「逆も真なり」
という言葉があるが、正論に対して真っ向から立ち向かう姿は、普段人に言えないことを心の奥に燻らせている人にとってはスカッとさせられるものだった。人間誰しも正論に逆らった考えを持っているものだ。それを口にすることは世間一般の大衆を敵に回すことになるので、どうしても口に出すことはできなくなる。
それがストレスになって欲求不満をためてしまった人には、彼が自分の代わりにズバッと言ってくれることで、ストレスの解消にもなっていた。
政治、経済、文化、風俗に至るまで、深夜枠ということもあって、きわどい話もなされていたが、教授はどんな場面でも、自分の立場を変えることなく、反論に徹していた。
「さすがに、この正論に対して反対意見を述べるということは難しいだろう」
と言われるようなことでも、教授は何としてでも正論の穴を探して、そこを追及する。それはまるで、証拠が完全に揃っている被告を、何としてでも助けようとする弁護士のようだ。
一時期、そんな教授を、
「正義の救世主」
という見方で見る傾向があった。
それまでのダーティなイメージではなく、ヒーローのイメージだった。しかし、それでも教授の態度が変わることはなかった。むしろ、
「自分を正義のヒーローのように言われるのは迷惑だ
と発言したことから、彼を正義の救世主として見ていた人の態度が一変、
「何を言っているんだあの男は。せっかく持ち上げてやったのにあの態度は……。一体何様のつもりなんだ」
と、一斉にバッシングを受けた。
確かに言葉尻だけを掴めば、彼の言動は世間を舐めているように思われる。異端児であっても、それは番組の中でのこと、普段は紳士な一介の教授だと思われていたことだろう。彼はそんな風に見ていた人たちの思いすら裏切ってしまった。これで、教授は本当のダーティイメージしか残らない、ヒーローなどという言葉からは縁を切った存在になってしまったのだ。
だが、それはそれで教授の考え方だった。
教授はいつも反論を重ねることと、今回の暴挙のような発言で、
「冷静さの欠片もない男だ。テレビの態度は、あれは見せかけなんだ」
と思われるようになったが、本当は彼ほど冷静で、先を見越している人はいないのではないだろうか。
しかも、冷静なだけではなく、行動力もあるのだろう。考えたことをまわりに悟られず、うまく欺きながら自分の考えを突き進むということは、かなり難しいことのはずだ。
彼の考えは少しでも悟られてしまうと、テレビ界で生き残ることはできないだろう。欺瞞というレッテルを貼られてしまうと、復帰は絶望的だ。それも分かっていることだった。
だが、もし彼の考えを看破できる人がいたとしても、その人は彼の考えをまわりに話して、彼を糾弾できる至ることは難しい。何しろ、その人の発想でしかないからだ。
その発想は、理屈では理解できても、簡単に行動に移せるかどうかを考えると疑問符がつく。それを思うと、たった一人が気づいた程度では、彼の立場を脅かすことは不可能なのだ。
山本教授の考えは、
――もしあの時、救世主などという言葉に踊らされていれば、一時期は売れるだろう。しかし、一度ついてしまったヒーローというイメージは、その行動範囲を極端に狭めてしまう。まるでアイドルのようではないか――
というものだった。
アイドルというと、極端なほど行動が制限されている。ファンに対しては、アイドル以外の面を見せてはいけないし、いつでも笑顔でなければいけない。さらには恋愛禁止などというプロダクションもあるくらいだ。
山本教授が論客を務め始めた頃は、アイドルもバラエティに出演することは少なく、ゲストとして出ている程度だった。今のように、アイドルのバラエティ番組などもなかった時代。アイドルは擬人化されたフィギアのように感じている人も多かっただろう。
教授もそこまで極端ではなかったが、もし自分がヒーロー扱いされてしまうと、今後の活動は完全に制限されるのは分かっている。
「ファンに対して誤解を受けるような行動は慎んでくださいね」
といわれるのは目に見えていた。
今は、
「先生のキャラクターは自由に自分の道を行くというのがスタイルですので、人間として最低限のことさえ守っていただけでば、自由に行動してください」
と、ほとんど放任主義だった。
おかげで自分の意見を言いたいように言えた。しかもそれで視聴者の心象もよくなるのであれば、それに越したことはない。教授とすれば、視聴者や他人がどう思おうと関係ない。自分の意見を貫徹できればそれでいいのだ。しかし、たまに正論が明らかに間違っていて、このままでは国家の存亡にまで影響しそうな時は、教授は困惑していた。
なぜなら、いつも反対意見を言う人間が、反対意見こそ、本当の正論である場合、それを必死に訴えても、決まってしまっている構図を変えることはできない。まわりは、教授を意見を、
「正論に対しての反対意見」
としてしか見ていないだろう。
それでは困るのだ。
本当は、教授の意見に賛同する人が蜂起して、正論に立ち向かう集団という力を持たなければならないのに、肝心の訴えが今まで同様に反対意見としてしか扱われないのは、これほど腹立たしいことはない。
そこで、教授は自分の弟子を持つことを視野に入れていた。
それは、正論に対して反対意見を述べる教授に対して、さらに反対意見を言う人間の存在である。
その人は、反対意見に対しての反対意見なので、普通考えると、正論をいう人のように思えるが、決してそうではない。
時には正論に戻ることもあるが、第三の意見を言う人を作るということだ。
これであれば、教授が本当に訴えたいことを、彼が代弁してくれる。教授の本当の狙いはそこにあるのだ。
そして、その人間は、正論をいう人間でも、教授のような人間でもない。討論番組での論客の会話は、冷静さを何とか保ちながら、相手を屈服させるような熱い討論が不可欠だった。しかし、教授が作った、
「第三の論客」
は、決してヒートアップすることのない冷静な人間でなければならない。
教授は密かにそんな人間を自分だけで作り上げた。
元々自分のゼミから大学院に進み、自分の助手をしていてくれた人なのだが、彼には一度、暇を与え、そしてテレビ局に売り込んだのだ。
プロデューサーも、かなり乗り気だった。今までにない論客の登場は、そろそろマンネリ化してきた討論番組に一石を投じるという意味でありがたがられたのである。
彼は、テレビ局の期待も、教授の期待もどちらも満たしてくれた。
普段はほとんど討論に参加しないが、教授への反対意見を時折ズバッと指摘する。教授も明らかに動揺したような素振りを見せることで、他の論客にも、視聴者にも、一目置かれるようになった。
彼のことが話題になり、マスコミが彼の過去を探った。そこで見つけたのが、教授とのつながりだった。
「新しい論客は、元教授の教え子。刺客となって再登場か?」
とウワサされた。
しかも、彼は教授の研究室からクビのような形で辞めることになったのだ。世間の注目は最高潮だった。
教授が一度自ら自体した、
「正義の救世主」
まさしく彼にはこの言葉がピッタリだった。
世間もそんな目で彼を見るし、彼もそれをまんざらでもなく感じていた。
「彼が俺のしもべであるということも知らずに」
と、自分と彼しか知らない事実を、教授はほくそ笑んで見ていた。ただ、番組では敵同士、普段の地を出すだけのことだったのだが、他の人に悟られないようにしようという思いをなるべく持たないようにした。いつもストレートな自分に雑念が入ると、ろくなことはないからだ。
教授はこれで自分が本当に言いたいことに対して、さらに反対意見を言ってくれる人間を確保できた。
教授は今まで通り、自分の言いたいことを言うだけだ。しかし、それに対して反対意見を言う彼の考えは、決して反対意見ではない。教授の考えにプラスアルファを付加するだけだった。
「冷静さ」
これがキーワードなのだが、冷静さには重さがある。
いくら熱く語っても、重たさがなければ説得力はない。今までの教授は熱くは語るが、説得力は二の次だった。
――別に視聴者が自分の意見に賛同してくれても、自ら何か行動を起こすわけではないんだ――
という思いがあり、それでよかったのだ。
しかし、正論では明らかにこの国の行く末に影があることが分かっているのに、黙って放っておくわけにはいかない。そう思った教授の作戦は、功を奏したのだ。
今回のマイナンバーに関したは、元々教授はあまり乗り気ではなかった。
マイナンバーに至るまでのいくつかの案が出されたが、どれにも賛同できない。なぜなら、
「国民を番号で管理するなんて、まるで囚人のようではないか」
という発想から生まれた。
番号で管理するということは、そこに感情や理性は存在しない。誰もが平等なのだろうが、一人一人事情が違うものを一絡げにしてしまおうというのだから、考えてみれば乱暴な発想だ。
確かに、国とすれば、予算削減に繋がることだろう。国民としても、役所でかなりの時間待たされていたものが一瞬で済むことになるかも知れない手続き問題の解消になるのだから、ありがたいと思うに違いない。
しかし、教授には恐ろしい危惧があった。
「まるで核戦争のようだ」
と、マイナンバーの話をインタビューしてきた記者に、そう答えた。
「どういうことですか?」
と聞かれたので、
「ボタンに手を掛けている人が、もし何かの手違いで押してしまったら、って怖い話だよね」
もちろん、核のボタンがそんなに簡単に押すことのできないものであることは分かっている。いくつもの暗号のようなものがあって、決してすぐに押せなくなっているのだろう。よほど偶然が幾重にも重ならない限りである。
しかし、考え方としては、あり得ることだった。
質問した記者は一瞬固まった。
――この男分かっているのかも知れないな――
と思ったので、教授は含み笑いを浮かべたが、次の瞬間、記者はゾッとしたように身体が震えたことで、教授の勘が当たっていることを示していた。
「いや、ありがとうございました。ちょっと奇抜で危険な発想だったので、私もビックリしてしまって、何も言えなくなりました」
と言って、彼は去って行った。
インタビューの内容が記事になることはなかった。
当然といえば当然だ。インタビューと言っても、質問に一言答えただけで、会話になっていないのだから、記事にしようがないというものだ。だが、マイナンバーに対しての考えは、この一言で十分だった。
――本当は、記事になってほしかったんだがな――
と思ったが、文字よりも声に出した方が説得力がある。
いずれは討論番組でマイナンバーの話が論議される時が来るに違いないと思い、その時を待っていた。
言いたいことはたくさんあるのだろうが、討論番組なので、相手の反応によって場面は刻一刻に変わってくる。それを思うと、その場にいないのに、勝手な想像をするのは時間の無駄だった。
「捕らぬ狸の皮算用」
という言葉があるではないか、まさしくその通りである。
それでも教授の考えた通りの流れがやってきた。定められた流れというのは、想像した人がどんな人物であれ、逆らうことはできないのだ。
それは想像した人にも言えることで、想像したことを後になって後悔しても、それは運命なので逆らうことができない。仕方のないことなのに、人によっては、後悔が自分を苦しめることになる人もいる。実に嘆かわしいことだ。
しかし、教授にそんなことはなかった。
「やっと私の時代が来たんだ」
と言わんばかりに目はギラギラと輝いていたのだが、そんな時に限ってやってきた流れに、運命を感じることはなかった。
自分の力だという大それた考えでもなかったのだが、発想したことが的中したことに、素直に喜んでいただけだった。
それよりも、これから自分がどう評論していくかということの方が大切である。少なくとも政治家のように、制度を作り出す立場の人間のように一方から見ているわけではないので、柔軟な発想ができる。それが自分の強みだと思っていた。
マイナンバーの実用化が閣議決定されて、実際に国民に公表されたが、あまり国民には関心がないようだった。マスコミは大いに煽ったが、世論調査などでは、あまり関心のない人の意見の方が多かった。
もっとも、まだ実用化されていない机上の空論に対してピンとくる人などそんなにいるはずもなく、
「興味はありますが、まだピンときませんね」
という意見がほとんどで、皆がまだ他人事だった。
それも当然のこと、そんな国民の意識をいかに興味を持たせるかということが政治家の責任であり、マスコミや評論家の使命である。
他人事ではあるが、この問題は国民一人一人の問題であり、誰一人欠いても存在しないものである。
もし、国民のほとんどが他人事となり、せっかくの制度が有名無実になってしまうと、予算削減どころか、別の対策を考えなければならず、余計に予算や時間を費やしてしまうことになる。それだけは避けなければならないことだった。
閣議決定してからのニュースは、この問題を大きく取り上げた。評論番組でも同じように大々的に取り上げられ、大いに山本教授の活躍は目立った。
いろいろな番組に出演し、朝のニュースや夕方のニュースはもちろん、深夜の討論番組でも当然のように出演していた。彼の意見はもっぱらマイナンバーへの警告がほとんどで、考えられる危険性をいろいろな方向から分析しての意見を述べる。
政治家やマイナンバー肯定派の人たちも、彼の警告をある程度は想像していたことだろう。しかし、どうしても作る側からの意見なので、批判に対してはなかなか分析できないでいた。もっぱら反対意見に対しては、いかにマイナンバーという制度が効率がよく、いいものなのかということを宣伝するに終始するしかなかった。
教授とすれば、そんなことも分かっているので、反論に対しての意見も用意している。それに対しての相手は完全に防戦一方だ。
討論番組での教授の優位は揺るぎなかった。しかも視聴者の意見というのは、反論者が強い立場にいる方が気分的に盛り上がる。当たり前のことを当然のごとく言われるのは、先生や上司から受ける教育や指導ですでにうんざりしているのだろう。
国民のほとんどは、今の政治をこのままでいいとは決して思っていない。腐敗した政治や政府に嫌気も差している。
「誰か他にいい人がいれば」
と願い、救世主の登場を待ちかねている。
保守、改革派という言葉だけでは言い表せない感情が、国民一人一人の中にあるのだ。特にニュースを見ていて、
「怒りしか覚えない」
という人もいれば、
「面白い話だと思って見ています」
という本当に他人事にしか思えない人も多い。
そんな危機的な状況を、政府やマスコミは分かっているのだろうか。
そんな中で持ち上がったマイナンバー、内容としては、
「国民を番号で管理する」
という、まるで個人を軽視したような制度なのだから、もっと国民の間から批判が上がってもいいのだろうが、
「どうせ国民一人が何を言っても」
という諦めの心境や、
「政治家なんて誰がなっても同じ」
と、政治に興味を持つことすら時間の無駄だと思っている人も意外と少なくはない。
ここに一人の男性がいるのだが、彼は政府と民間の中間のようなところに所属している。政府の政策を管理しているところでもあれば、民間の企業を推進する場所でもあった。
三年前に、長年一党独裁だったこの国に起こった政権交代。それによって新たに設けられた施設だった。
独裁を長年続けていた政府にも、この発想はあったのだが、あくまでも少数派。大多数はこの制度に反対していた。この制度をやることで、自分たちが民間企業と癒着していた事実が、国民に暴露されるのを恐れていたからだ。
しかし、政権交代が起こる前、政府と一部民間企業の癒着が問題になった。
民間企業と政府の癒着は、昔から噂はあった。あれだけい頻繁に、政治家とカネの問題がニュースを賑わし、スキャンダルなどと一緒に問題となることで、退陣に追い込まれ、内閣解散などということがあったりした。しかし、一党があまりにも権力を集中させていたので、同じ党の別の派閥から政府が出来上がるだけで、根本的な解決にはなっていない。つまりは、
「トカゲの尻尾切り」
で終わってしまうのだった。
彼が所属する「フロンティア研究室」は、研究室という名前の下、元々は電機メーカーの開発研究室だった。かなりの大手の会社だったが、折からの不況に上層部の不正が露呈し、それを見かねた同業他社が、この会社を吸収合併したのだ。
本当は、
「元々の会社の倒産の原因は、吸収した側の会社にある」
と囁かれたことがあったが、これはあくまでウワサであり、
「限りなく黒に近いグレー」
として、当時影では大きな問題になったのだが、いつの間にか忘れ去られていた。それだけ吸収合併までの手順が素早かったことで、関心は今後の展開に移行したからだ。一時期噂を週刊誌で報道した出版社もそれ以降そのニュースを取り上げることもなくなった。本当は圧力がかかったのだが、そこに証拠は何もなかった。
マスコミが煽りかけたウワサを、マスコミ自身で封印したのだから、それ以上ウワサが広がることもなかった。
「人の噂も七十五日」
と言われるが、そんなに長くもない、
「駆け抜けて行ったウワサ」
だったのだ。
元々、「フロンティア研究所」には曰くがあった。親会社の倒産とともに、最初は合併された会社の所属になったが、いつの間にか売却されることが決定していた。その会社は新しくできた会社であり、まったくの未知数だった。社員や研究員はそのまま元の会社から引き継ぐということで人の入れ替わりはなかったが、監視役として数人の取締役が就任した。
彼らはどこの会社に所属していたのか、あるいは元の経歴などはまったくの不明だった。公表もされないし、非常勤ということで、本当に影のような存在だった。普通の会社で非常勤の取締役など誰も気にすることはないのだろうが、どうしても気になってしまう社員が数人だけいた。
その中の一人に、片倉和人という人がいた。
彼は、視聴関係の製品研究者で、テレビやレコーダー、記憶装置などの研究をしていた。ただ、それは表向きであり、裏ではタイムマシンの研究も行っていた。
誰かに言えば、
「そんなバカな」
と一蹴されるのがオチだが、この研究所では誰もが、タイムマシンも開発は可能だと思っていた。
しかし、それはあくまでも機械の開発というだけの意味で、SFなどで問題になる、
「パラドックス」
「パラレルワールド」
などと言った問題は、どうしても残ってしまう。
また、この研究所では別部署でロボットの開発も行われていた。それは意志を持ったロボット、つまりはサイボーグやアンドロイドの開発だった。
しかし、これもロボット開発の上で、かつて半世紀以上も前にアメリカで提唱されるようになった「ロボット工学三原則」に抵触しないかという問題も残っている。
タイムマシンもロボット開発も、どちらも機械レベルでの開発は想定できても、それに伴った問題に対しての解決策は暗中模索だった。機械レベルの開発は、
「出発点に立っただけなのかも知れない」
と思われることだろう。
和人も、それを百も承知で開発していた。
「俺がいくらタイムマシンの原型を作っても、パラドックスが解決しなければ、ただの箱なんだ」
と分かっている。
頭の中では、
「タイムマシンなんてできっこないんだ」
という思いを持っていて、それは世間一般の人が考えているよりも、かなり強く感じていたに違いない。世間一般の人は、機械レベルでの発想しか抱いていないからだ。
「そんなことは俺がいくらでも開発してやる」
と思いながらも、それ以上の大きな結界に、和人は諦めの境地しか持っていなかった。
それでも、会社の方針は絶対だった。
「こんな会社、すぐに潰れるぞ」
と、口に出すことはなかったが、そう考えていた。
おそらく、研究員のほとんどがそう思っていたに違いない。
「俺たち、まるで囚人だな」
研究室という牢屋の中に閉じ込められて、意味がないとしか思えない研究を続けている。思わず頭に浮かんだのは、檻の中にある輪の上を、果てしなく走りまわっているハツカネズミの姿だった。
「俺たちは、ハツカネズミか」
と和人が言うと、誰もが何も言わずに頷いている。
もう、心の中にストレスを感じることもなくなったほど、神経がマヒしているように思われた。そんな時、親会社の倒産のニュースが飛び込んできた。本当なら解放されたことの喜びが最初に出てくるのだろうが、彼らは急に不安に襲われた。
「檻の中に閉じ込められていた俺たち。真っ暗な世界に急に明るい日差しが差し込んでくるんだ。まともに見てしまうと、目を潰してしまうぞ」
という思いがあったのだ。
感覚がマヒしているとはいえ、彼らも研究員の端くれ。考え方を論理的に組み立てると、まずは自分たちの置かれている立場を冷静に考えるだろう。すると湧いてくる思いは、不安しかなかったのだ。
「ペットが、急に飼い主がいなくなったことで野に放たれるようなものだよな」
という人もいたが、これももっともの話であり、急に表に放り出されても、ここでの生活しか知らない自分たち、すでに俗世間から隔離されてから久しい。
一か月でも精神に異常をきたすに違いない。それを乗り越えるとやってくるのは、隔離された中での感覚のマヒである。研究に没頭することで、余計なことは削ぎ落され、不安はあったとしても、狭い世界の中だけのことだ。
「俺たち、どうなっちゃうんだろう?」
漠然とした不安の中で、
「君たちは今まで通り、ここにとどまってもいいです。もちろん、出て行きたい人は出てもかまいません」
という、
「慈悲深い」
言葉をもらったが、もちろん、ここから出ていく人たちがいるはずもない。
そんなことは、向こうも百も承知だ。
「どうせ、誰も出て行く人などいるわけはない。路頭に迷うだけだからな」
ご丁寧に、当座の生活費は支給するとまで言っていたのだが、当座の生活費という言葉が却って、彼らの気持ちを固まらせた。
「当座の生活費とくれると言っても、その間に身の振り方が決まらなければ、後は知らないと言われているのと一緒だよな」
もちろん、その通りだ。
生活費を使い果たしたからと言って、泣きついてきても、手を差し伸べることはないだろう。
「あの時あなたが選んだんですよね」
と言われて終わりである。
もし、研究室への復帰を求めても、
「今は違う研究をしているし、人員は足りているので、いりません」
と言われるはずだ。
「そら見たことか」
とほくそ笑んでいる顔が浮かんできて、妙に苛立たしい。
和人はこれまで通りの研究をすることを選んだ。ここでは今までの生活と変わらないという保証だけはされていたからだ。
研究所に残る人間は半数くらいだった。半数という人数が多いのか少ないのか、和人には見当がつかなかった。和人以外の他の人も、それぞれ感じ方が違っているはずなので、見当がつくわけもない。
「他人がどのように考えている」
と思った時点で、見当をつけるなどということは不可能だったのだ。
研究所は以前と違う組織になったことで、かなりの部分、様変わりしてしまった。元々完全民間だったところに、公営が入り込んできたのだから、それも当然のことである。しかも、公営の中でも政府の介入がそこにはあったのだ。秘密保持を最優先とする部署もあり、同じ敷地内で、まったく違った組織が存在することになった。
和人がいる部署でも、次第に民間経営から公営としての色彩が少しずつ増してくるのが分かった。完全秘密主義というわけではないが、セキュリティだけではなく、警備もまるでSP並みだった。それでも、和人たち元民間からの職員には、そこまで厳重な監視がついているわけではない。外出も比較的自由だったし、外部との連絡も、それほど厳しくはなかった。
実は、それだけこの研究所の警備は完璧で、彼らには、情報漏洩されることはないという自信があった。もし、何かの情報を掴んだとして、それを他の組織に話をしたとしても、その情報はウソである。簡単に民間人が探りを入れられるような状況ではないし、もし何らかの手を使って掴むことができたとしても、それはフェイクである。真相は幾重にも階層された幹の中にあり、決して辿り着くことのできない迷路のようになっていた。
この研究所は研究する機関とは別に、機密や個人情報の保管場所でもあった。さすがにトップシークレットと呼ばれるものが存在しているわけではないが、この施設から機密情報が洩れてしまえば、一つのことだけでも、公営組織の一つくらいは機能が完全にマヒしてしまうくらいの情報が存在していた。その中でも大きなものとしては、やっと国会審議を通過し、法案として可決が決まったマイナンバーの情報が存在していた。
もちろん、そんな大事なことを知っているのは、この施設の最高責任者を始めとした数人で、政府内でも、一部にしか知られていない最重要機密だった。
国会審議を通過しただけでこれからの法案なのに、マイナンバーとしての個人情報は、ここではほとんど完成していた。
各市町村の体制が整ってさえいれば、ここの情報はすべての官庁で共有できるくらいのものである。データベースとしては、完全なものだった。
もしこんなことが露呈されると、国家を揺るがす大問題だ。野党の追及は最高潮に達し、国民の怒りも爆発、内閣不信任案は簡単に通り、総辞職となるだろう。
そうなると、総選挙が行われ、今までの一党独裁に終わりがくるのは目に見えている。それなのに、敢えてマイナンバーの情報収集が極秘に行われた。一歩間違えれば政府転覆の大惨事になりかねないのにである。
どこまで信憑性があるのか分からず、全貌は闇の中なのだが、一部の秘密を知っている人の間で感じていることというのは、
「今の内閣を延命させる」
ということだった。
今の内閣は何もしなければ、同じ政党の別派閥に潰されてしまう。
今の内閣というのは、予算を通すための一時的な内閣と世間では思われているが、本当は外交上、どうしても必要な内閣だった。それを分かっている連中が延命を必死になって行っている。
「潰そうとしている連中に今の国家運営は任せられない」
という考えだった。
今の内閣は、完全に秘密主義で、表に出ているのは仮の姿。いかにも潰れそうな弱小内閣というイメージを国民に与え、党内でもそう思わせていたのだ。実際に閣僚の面々や総理の人柄や人脈からは、とても、長年の国家運営を任せられる器には見えなかった。
それに比べて潰そうとしている派閥は、党内でも最大派閥で、政府としての座を淡々と狙っていた。
本当は今の政府ではなく、最大派閥が新しい内閣を組織するものだと思っていた人が多かったのだが、なぜか総裁選に、最大派閥の首領は出てくることはなかった。
「どうして立候補されないんですか?」
「今のこの国を救えるのは、最大派閥のあなたしかいませんよ」
と、マスコミに囲まれながら言われ続けてきた首領だったが、
「いやいや、私はまだ早いですよ」
と言って、余裕の笑顔を浮かべていた。
きっと何かを企んでいるのは分かっていたが、他の派閥には分からない。いや、同じ派閥の中でも首領の本当の考えを理解している人がどれほどいただろう。その証拠に、前の内閣が総辞職した時、首領が総裁選に立候補しない意志を固めた時、
「その考えに共鳴できない」
として、数名の議員が、派閥を去った経緯もあるくらいだった。
それでも、首領は余裕の笑みを浮かべている。誰が見ても、今の内閣には政治運営は任せられないことが分かっているので、
「いずれは私が」
という余裕の笑みなのだろうと思っていた。
総裁選という皆同じスタートラインに立つというよりも、政府が自滅して、その後に救世主のように現れる方が格好もいいし、大義名分に適っている。その一石二鳥のやり方を貫こうとしているのではないかというのが大衆の意見だったが、果たしてそんな単純なものなのだろうか。国民はおろか、ほとんどの議員も、そこに今回のマイナンバーというシステムが大きく影響していることに気づいている人はいなかったのだ。
繋ぎと思われている今の政府は必死でマイナンバーシステムの構築に全力を注いでいる。元々短命覚悟の内閣なので、国民も政治評論家の意見も、
「短い間の内閣ではあるが、何か重大な仕事を残したという実績を作りたいんだ」
というものだった。
誰もが短命で終わると思っている内閣なので、ある意味気は楽だ。後の連中に何かを残すなどということは考えなくてもいい。ただ、予算を通すだけの内閣なのだ。
ただ、この予算を通すということが政府で一番大変で難しい仕事もない。
しかも、予算通過を達成してしまうと、その時点で内閣の終わりが来るという可能性は非常に高い。内閣の中にもそう思っている人もいるだろう。それだけ今の内閣は弱小だったのだ。
和人は、政治に対して興味などまったくなかった。研究に没頭する毎日で、政治に対して関心を持つ必要もなければ、まわりの環境も研究一筋だった。精神的に追い詰められることもあったが、慣れというのは恐ろしいもの。気が付けば研究だけしか自分には残っていないことを思い知らされていた。
だが、それでよかった。元々、人間嫌いで、人と会話したり、一緒に行動することが嫌だった。特に人ごみの中にいると、それだけで酔ってしまう。一人コツコツと研究を重ねている自分を客観的に眺めている自分が好きだったのだ。
もちろん、彼女などいない。しかし、なぜか彼は学生の頃から女性にはモテた。ストイックな雰囲気は、まわりの軽薄な学生にうんざりしていた女性から見れば、新鮮だったに違いない。大学時代に一度女の子と付き合ったことがあったが、すぐに別れてしまった。
和人の方から別れを告げたのだと他の誰もが思っているのだろうが、実はふられたのは和人の方だった。
「あなたにはついていけないわ。じゃあね」
あまりにもあっけらかんとしたものだったが、本当は彼女も別れたいと思って別れたわけではない。その証拠に和人と離れてからもずっと好きだった。実は大学卒業してからずっと会っていないにも関わらず、今でも好きなのだ。
彼女の名前は新宮千尋。
千尋は今でも和人のことが好きであると同時に、彼のことを忘れられないと思っている自分をずっと感じていた。
そんな和人は今年三十歳になっていた。もちろん、同い年の千尋も三十歳だった。千尋は和人のことが忘れられないということもあり、いまだに独身だ。彼氏を作ろうという意識もない。同僚や後輩からは、
「あなたのように大人の女性。男性が放っておかないと思うんですけど」
と、よく言われた。
千尋は、大学を卒業し、銀行に入社した。端正な顔立ちに成績も優秀。
「天は二物を与えずっていうのに、どうしてあなたばっかり」
誉め言葉の中に皮肉たっぷりな笑みを浮かべて、誰もが千尋を羨んだ。
ちょうど二人が社会人になり、会うことがなくなった頃、政府の中でマイナンバーという発想が現実化していくことになったのだが、それはただの偶然だったのだろうか。
当時の現首相は、当時官房長官をしていた。
よくテレビに出ていて、新聞記者の質問に的確に答えていた印象があった。その頃の和人はまだ政治にも少なからずの関心を持っていた。実はまだ一般には知られていなかったマイナンバーというシステムを、
「近い将来制度化すればいいのに」
という意見を持っていたのも、和人だった。
そういう意味でも和人はマイナンバーというシステムに最初から関りがあったと言っても過言ではないだろう。
官房長官をしていた首相は、
「もし私が首相になることができれば、マイナンバーを制度化させたいな」
と、派閥の人に話をしたことがあったが、当時の彼が首相になるなど、現実的に難しいと思っていたまわりの人の中で、その言葉を覚えている人がどれだけいるだろう。
実は、最大派閥の首領である時期首相と見込まれている人も、ちょうど同じ頃、
「マイナンバーはこの私の手で」
と公言していた。
彼の方が、当時から首相の椅子には圧倒的に近いところにいた。最大派閥という後ろ盾もあり、政治家として一番充実した人生をこれから歩んでいこうという彼には、前途は洋々だったのだ。
だから彼のセリフを覚えている人はたくさんいた。今でも忘れていないことだろう。しかし、なぜか彼は総裁選に出馬しなかった。ここに何かの考えがあると思っている人も少なくない。
不気味に感じているのは、今の政府の方だった。
最大派閥からの立候補がなかったことで、いくら予算通過のための繋ぎの内閣だと言われているとしても、後ろに控えている人物の大きさを考えると、不気味に感じないわけにはいかない。
今回の予算通過の問題の中に、マイナンバーの問題もあった。
もっとも、この問題は一番の問題ではなかった。あくまでも、マイナンバーを成立させたからと言って、本来の予算通過を達成させたとは言えないのだ。
マスコミもそのことはよく分かっている。
「今回のマイナンバー法案の通過は、予算通過の第一関門として位置付けられるでしょう」
と、ニュースや週刊誌で報道された。
だが、首相はこの法案通過を最大の目標と掲げていたこともあって、かなり安堵していた。
マイナンバーの国家運営に関しては、あまり公開されていない。最低限の情報が公開されただけだが、マスコミも他の政治家もそれで納得した。通過するまではいろいろ騒がれた法案だったが、通過してしまえば、そこから先は形式に乗っ取った運営に任されると誰もが思ったからだ。
実際に法案を通過した後のマイナンバーの普及は、それほど素早いものではなかった。
「無理のない設計と運用で、このシステムを確立させます」
という首相の一言は説得力があった。
確かに国民としては、自分たちが番号で管理されることはあまり気持ちのいいことではないのだが、それも法案が通過するまでにどれだけ審議が行われるかというところが注目であって、最低限ではあったが、審議を重ねることで確立された法案は、国民も認めざる負えないものだった。
通過してしまった法案に、国民はさほど関心を示すことはない。それだけ審議しなければならない法案は山積みだったからだ。
しかも政府はマイナンバーシステムが構築されていく途中経過を、惜しみなく公表していた。ただそれが本当に今行われていることであれば問題ないのだが、すでに確立されていた途中経過を、あたかも今行っているかのように言うのは、簡単なことだった。
元官房長官を務めていたことも幸いした。マスコミや他の政党、派閥に対しての説得力も、質問に対しての的確な回答もしっかりできていた。何しろ二歩も三歩も先に進んでいるのだから、二歩前の状況を説明するくらいは朝飯前だ。
ただ、自分たちが進めていることが単独での独走だということは不安であった。それでも、
「自分たちがしなければいけない使命」
としての責任を負った内閣であるという自覚だけは持っていた。
しかもそこに国民を欺く秘策が隠されているのだから、大変なことである。
「どうしてここまでしなければいけないんだ」
ということで辞任した下級官僚もいたが、彼に対しての政府の制裁はなかった。
事を荒立てることを嫌ったのである。彼らにとって法案が通過した時点で、すでに引き返すことのできないところまで来てしまっていた。
内閣の延命は、そのために必要であり、逆に内閣の延命を目的としての今回のやり方だった。つまりは、どちらかに障害が生じれば、この体制は音を立てて崩れていくという問題でもあったのだ。
これは最高級の国家機密なのだが、このことは当時の首相すら知らないことだった。この国にはまだまだかつての「院政」であったり、明治政府のような国のトップの裏に、さらに元老のような連中が幅を利かせていた。これも一部の政府高官しか知らないことで、知っていたとしても、公言はタブーだった。
マイナンバーの制度化をどうして政府が躍起になって進めているのか、真意に関しては首相すらハッキリとは分からなかった。ただ、元老の連中がマイナンバー制度について、
「政府の最優先課題だ」
として位置付けてしまったことで、すべての法案に優先することになったのだ。
マイナンバー制度は先進国ではいくつかの国で実施されていた。最近では、試験的に実施される国もあり、そんな国は、世界の大国と言われている国の支援を受けて制度化されていた。
しかし、そのやり方は多少なりとも強引なところがあった。
国によっては、マイナンバー制度導入に当たり、国民がストライキを起こしたり、暴動を起こすところもあった。特にかつては内乱で明け暮れていた国とすれば、自由を求める気風が高いことからか、完全管理されてしまうマイナンバーシステムの導入には、賛否両論があったのだ。
それでも、マイナンバーを導入することで、内乱が起こる危険はなくなるだろう。そういう意味では保守的な連中にはありがたいことでもあったのだ。
結論として、マイナンバーは導入された。やはり内乱が続き、疲弊した国家では、これ以上の揉め事には国民もウンザリしていたことだろう。
暴動を起こしていた連中も少数派でしかないので、警察が出動することで、簡単に鎮圧された。問題は暴動の規模ではなく、
「暴動が起きてしまった」
という事実なのだ。
世界的にはマイナンバー導入に関しては、賛否は真っ二つだった。
発展途上の国に対し、試験的な導入を試みるというのも、かなりの冒険だったに違いない。それでも、他国が介入することなく自国だけで解決することを世界に示すことも大切なことであり、
「反対派は少数派だ」
ということが分かりきっていることで、首長国も介入せずとも成立することは分かっていた。
成立してからは、完全に国家の管理の元に統制される。しかもその国家のバックには、世界の大国が控えているのだから、一旦成立してしまった制度を壊すことは不可能だったのだ。
世界でそんなことが繰り広げられているということは、この国ではさほど大きなニュースになっていなかった。ワイドショーなどでは、
「世界でのマイナンバーへの評価は、賛否両論」
あるいは、
「先進国の一部は導入しているが、まだまだこれからの国が多く、一部の発展途上の国では試験的に制度化された」
というニュースが流れる程度だった。
それよりも、自分の国の動向の方が問題で、世界情勢はあくまでも、参考程度でしかなかったのだ。
発展途上の国に対して少しでも精神国が介入していれば、マスコミの見方も変わっていただろう。
「マイナンバーの導入に対し、他の国が介入するほどの大変なことなんだ」
というニュースが流れ、もし、自国の導入に対し、少しでも動乱が起これば、他の国から介入されかねないという恐れを感じなければいけなかった。
それだけは政府としては、どうしても避けなければならなかった。
この国が半世紀以上も前に、ある強大国と安全保障を結んだ際に、国は大いに荒れた。反乱が各地で起こり、警察が介入しても簡単に解決することではなかった。そのため、業を煮やした強大国は、痺れを切らし、軍隊を派遣してきたのだ。
軍隊が一般市民を傷つけるということはなかったが、鎮圧に当たる警察の後ろに盾となって立ちふさがっている。暴動を起こした一般市民はおろか、警察もビクビクものだった。それが功を奏したのか、暴動はすぐに治まったが、結局、安全保障は成立してしまった。完全に強大国の属国のようになってしまった。
表向きは、
「同盟国」
しかし、強大国に守られているのも事実で、安全保障は平和の代名詞のようになっていた。
しかし、強大国のこの国に対しての影響力は、軍事にとどまることはなく、経済圏という意味でも大きな影響力を示していた。
さらに、強大国のライバルである国に対しての牽制の役を、この国は地理的な意味合いもあって担っていた。体制の違う国から見れば、どう見ても、「属国」と見られるのは明らかだった。
ライバル国の脅威がなくなってからは、平衡していた世界のバランスが崩れ、不安定な時代に入った。明らかな敵はいなくなったのだが、水面下で暗躍している国が現れては消えるという不気味な時代に入っていた。
「やはり、我々は安全保障なくしての平和などありえないのだ」
というのが、この国の生きる道だった。
現在は、国家間の争いも、次なる段階に入っていた。
もちろん、以前からのように、破壊兵器に依存している体制もあるが、今は、
「ハイテク戦争」
と言われる時代になってきた。
コンピュータやネットの力を利用して、いわゆる、
「サイバー攻撃」
を、相手に与えるのだ。
破壊兵器も、コンピュータ制御の下で作られている。それを使う前に、相手国のコンピュータに潜入することで、使用不能にしてしまうというやり方だ。使おうとしてボタンを押しても何も起こらない。誤作動を起こして、自爆してしまうかも知れない。そんな研究が水面下で進められている。今は、すべてがコンピュータとネットなくしては考えられない世界となっていた。
この国では、長年戦争をしていない。戦争経験のある人は、もういないくらい過去の話になっていた。そういう意味では世界情勢には国民のほとんどが疎い。ニュースは見ても、実感としては湧かないのだ。
自分に大きな危険が迫っているわけではないので、政治に対しての関心もほとんどなく、国民の知らないところで、無限と言えるほどの不正が行われているのかも知れない。ニュースでは毎日のように不正を伝えているが、それも氷山の一角だろう。
「こんな国に一体誰がしたんだ」
と思っている人もいるだろうが、ほとんどの人は、他人事である。
この国の基本は資本主義、自由競争が国を反映させてきた。世界的にもモデルになった国というだけあって、昔の好景気は世界でナンバーワンに君臨していた時代もあったくらいだ。
しかし、経済が豊かになり、成長してくると、国民は自分のことしか考えなくなる。
「隣は何をする人ぞ」
と言われる世界となり、家族であっても、干渉しない世界が出来上がってしまっていた。
一時期ではあったが、国民は皆疑心暗鬼に駆られ、誰も信用できないという時期を迎えた。企業は軒並み利益を落とし、経済は停滞してしまった。個人が金を使うこともなくなり、貯蓄に走り出したのだ。
それまで投資していた投資家も、ある程度の蓄えを凍結することで、完全に経済はマヒしてしまった。
国は危機感に見舞われ、何とか国民に金を使わせることを推進したが、なかなか使わない。インフラを犠牲にしてでも、経済の活発化を推進した。
鉄道も定期券の購入者には、普通に利用するよりも、十分の一くらいの破格の値段で売り出した。高速道路もすべて無料。実に思い切った政策を打ち出した。
さらに土地代も破格の値段にすることで、投資家に土地を買わせようと考えた。
それでもなかなか金を使わないようにしていた投資家だけが見るようなサイトに、
「このまま経済の停滞が続くと、いずれ預貯金も国家の支配の中に入り、個人資産が凍結されてしまう恐れがある」
というデマまで流させるほどの深刻さだった。
さすがに、国家から個人資産の凍結までされてしまっては、投資家としては溜まらない。「デマかも知れない」
と思いながらも、半信半疑の中、信じるしかなかった。
次第に土地を買う資産家が増えてきて、経済は回復してきた。
さらに土地を買った資産家が、資産運営にと、破格の値段で買った土地にテーマパークや博物館、ショッピングセンターへの誘致にと活用し始めた。
これが功を奏し、国民は郊外へ出かけることが増えた。インフラが安いのだから、誰もが出かけるだろう。国が経済活性化対策に休日を増やしたことも影響し、週の半分近くは、都心部に閑古鳥が鳴いていた。
経済は完全に回復した。
「こんなに短期間に経済が回復するなんて」
政府もビックリするほどだったが、この短期間が実は曲者だった。
さらに時間が経つと、国民は経済がマヒしていた時代を忘れてしまったのだ。
しかも記憶にあるのは、政府高官がニュースで口にしていた、
「こんなに短期間で経済が回復したのは奇跡としかいいようがありませんが、それもこれも国民の皆様のおかげです。ありがとう」
という言葉だった。
つまりは、
「また何かあっても、自分たちがいれば、簡単に回復できる」
という楽観的な考えだけだった。
これは実に危険である。
苦しかった時代を忘れてしまい、記憶にあるのは、政府が国民にお礼を言ったという事実だけ、そこに危機感という感覚は皆無だったのだ。
幸いなことに、それから経済が深刻な問題に直面することはなくなったが、年を追うごとに、国民の関心は失せてきた。政治経済に対してはすべてが他人事で、まわりの人に対して興味を示すこともなく、すべてが他人事。完全な個人主義になっていた。
政治に対しても経済に対しても関心がない。政治家の不正はそんな時代に蔓延した。国民の血税は誰にも知られることもなく、無駄に使われ、しかもその保障に、一部の政治家や資産家に流れていた。それを誰も追及する人もいない。野党と言っても、追及しようにも、証拠を掴むことができないのだ。
国民が少しでも政治経済に関心があれば、
「まわりの目」
が、戒めとなって、抑止力になるはずだった。
しかし、それがないので、不正のまわりは完全に彼らの手下で守られていて、証拠など掴めるはずもなかった。
ただ、このままではこの国は崩壊の道をまっしぐらであった。それを何とか抑止したのが、、
「同盟国」
の存在だった。
同盟国という名の首長国は、政府がこの問題に介入してきた。ただ、この国の政府を通してではなく、腐敗している政治家個人に対して接触してくる。
彼らは、自分たちが国家に雇われていることを隠し、首長国の一企業の同盟を装った。彼らの目的は不正を重ねている政治家の撲滅ではない。利用しようというのが目的だったのだ。
「不正を重ねる政治家を糾弾しても、数が多すぎてどうなるものでもない。それよりも手なずけて、しかも、彼らの儲けを吸い取ることができれば、一石二鳥だ」
と目論んでいたのだ。
送り込まれた連中も、軍隊と同じような専門集団である。ボロを出すことはなかった。しかも、近づかれた政治家や資産家は、自分たちには向かうところ敵はないと思っているのだ。そんな連中を丸め込むなど、彼らからすれば、赤子の手をひねるかのようなものだった。
そうやって、この国は影でも首長国が裏から操作する国に成り下がってしまった。経済的には完全にこの国のものではなかった。
「知らない間に侵略されて、植民地になってしまった」
まさにそんな感じである。
しかし、政治的には、まだまだ同盟国だった。
さすがに政治ともなれば、経済のように影だけで何とかなるものではない。大っぴらな動きをすることはできない。せめて、
「相談役」
という程度の立場で受け入れるくらいのもので、完全な独立国として君臨している国としての体裁を整えながらの行動にしかならない。
ただ、国民の関心のなさにはさすがに首長国も平衡していた。
「簡単にいいなりにできると思ったが、ここまで国民が政治に興味がないと、却って難しい部分もある」
という意見もあった。
それでも経済での成功に気をよくしているので、政治も何とかなると思っていた。いろいろな政策が協議され、国家機密として案が保留となった。
一体彼らは、この国をどのようにしようというのか、腐敗しかけている国の誰も知る由もなかった。
もちろん、この国の全員が全員、感覚がマヒしているわけではない。討論番組が成立していて、山本教授のような人もいた。ただ、放送局とすれば、討論番組をまるでショーのように考えていたのも当たり前のことだ。政治家も、
「しょせんは政治に興味もない連中が見るんだから、適当にいなしていればいい」
と思っていたことだろう。
また「フロンティア研究所」のようなところは、この国の発想だけでできるものではない。同盟国から派遣された連中の指導の下に作られたところだった。
この国には、一般国民のように、まったく政治経済に縁のないところと、指導の下に作られたプロフェッショナルの集団の施設が共存するという、一種異様な雰囲気を醸し出す世界が存在していたのだ。
ただそれも、この国の地理的な問題が大きく影響していたこともあった。
この国は列島国家で、元々鎖国主義を唱えていた。他の国が植民地化されていく中で、この国は独立国家として歩みを進めてきたのだが、その状態は薄氷を踏む思いだった。
大陸にある隣国が、先進国から植民地化され、腐敗していく姿を目の当たりにし、政府は、どうしても自国だけでの生存は無理だと判断していた。そのため先進国に頼って国の体裁を整えながら、国家運営を行っていかなければならない。本来なら国民主権を憲法で謳っているのだから、表向きは国民が政治に参加することになっていて、選挙権も先進国並みの制度が整っていたが、実際には裏で政府は先進国と繋がっていた。
経済危機の時は、さすがに先進国も手を焼いたが、何とか乗り切ることができ、今は元のように、先進国にすがって生きる国に逆戻りしていた。
この国の歴史は、単純なものではない。
「表があれば裏がある。裏があれば表がある」
というような多重構造の政治が繰り広げられてきたのだ。
ただ、先進国ではあまり見られないが、発展途上の国では、よくあることだ。体裁としては独立国家として先進国の仲間入りをしているが、その実、今でも先進国の中の大国の傘の元に入っていたのだ。
そのことが今回のマイナンバー制度導入においての問題と重なってくるのだが、それにより一人の人間の運命が変わっていく。これはそんなお話なのだ……。
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