第10話 狐の罠 ②

「あの悪ガキ四人組まで一体どこへ消えたんだ……!」




雑木林の中奥に、東郷の怒声が響き渡る。



「おそらくは千理君が責任を感じて柴狐君を探しにここへ来たんだろう。それで、その千理君が学校に来ていなかったから今度は彼のことを心配した悠真くんたちもやって来た、という流れだろうね」




くだんの落とし穴を見下ろしながらそう話すのは目黒である。彼の足元辺りには少年たちのものだと思われる足跡がいくつも残っていた。



「で、仲良く妖鬼に攫われたかもしれないとはな!」


「そう怒らないでやろう、東郷。千理君も悠真君たちも、何も好奇心でここへ来たわけではないだろうから」




目黒の言葉を聞きつつ、東郷は手で顔面を覆うようにして両顳顬を抑えた。そして同時に、盛大なため息を吐き出す。



「はあ、だろうな。……そもそも、元はと言えば俺のせいか」




そうだった。今朝一番に花梨崎の家へ電話をかけたのは自分だった、と東郷は思った。


別に千理を咎めるつもりはなかったのだが、そもそも千理と柴狐が雑木林の中になど入らなければ事の次第は起こらなかった、と思うと少々皮肉を言いたくなってしまったのも事実だった。だが。



「あいつは "すみません" しか言わなかったな」


「千理君は言い訳をしない、男らしい子だからね。女の子たちにも紳士的だし」




目黒が東郷をチラリと見やる。



「それに比べて、東郷は女性と接することを避けるよね。君はもてるし、見合い話もたくさん来ているだろうに」


「カゲロウのこともある故、今は仕事を優先したいだけだ。……人の血肉を喰らう妖など、この世から全て消し去ってやる」


「……そうか。そうだったね」




東郷は両手拳を握りしめる。すると、そんな東郷の肩に目黒がそっと手を置いた。



「だが、今の俺が成すべき仕事は、あの五人を無事に連れ帰ることだ」




東郷が落とし穴の底に目を凝らしていると、僅かだが表面がうごめき出す。それはまるで、人肉の匂いを察知し、それが落ちてくるのを今か今かと待ち構えているかのようだ。



「目黒、署に連絡を頼めるか?」


「応援部隊ならもう頼んである。三十分後に到着するみたいだ」


「助かる。だが部隊が来ても、目黒たちは地上で待機していてくれ。地下から地上へ妖鬼らが移動する可能性もある」


「承知した」




目黒と互いに頷き合った後、東郷は穴底へと飛び降りた。すると案の定、女のうめき声と共に、青白い "手" たちが土の中から生え出した。そしてそれらは東郷の足を掴み、彼を地中へと引き摺り込んでいく。



「……花梨崎 千理。お前に会ったら真っ先に説教を食らわせてやるからな。覚悟しておけ」




東郷の脳裏には、皮肉な笑みを浮かべながら己を見据える、あの美しい少年の姿が在った。





------




「は……はっくしゅん!」





うーん、地中に潜る時に、土が少し鼻に入ったのだろうか? 鼻下を少しばかり腕でこすりつつ、私は荒野を駆けて行く。



『キェェェェ!』




柴狐の攻撃をかわしながら。



(妖魔の柴狐さん、結構良い動きするなぁ。爪 さばきも足捌きも俊敏だし、攻撃力も中級妖魔程度はある)




人が妖に変化へんげする方法は二つある。


一つは、何かに対する恨み辛みが非常に大きい状態で死を迎えること。いわゆる "怨念" が実体化したものが、妖魔と呼ばれる存在になるのだ。


もう一つは、"妖の血を飲む" こと。しかし、これは一時的に妖魔に変化しているに過ぎない。



(柴狐さんは妖魔の元に何日もいたわけじゃないから、まだそんなに血を飲んでないはず)




私は柴狐の攻撃を避けながら、一体どうやって彼を元に戻そうかと思考を巡らせる。ちなみに柴狐が後者だと判断できるのは、彼の身体からはまだ、生者の "気" が感じられるから。



(陰花は薄桃色、陽土は黒灰こくばい色。一般の気は薄紫色。これが妖魔になると低級上級問わず、真っ黒になる)




柴狐は現在妖魔になりかけているが、まだ気の色は薄い紫色をしていた。



(奴がこんなに動けるのは、血を与えた例の御母堂が、いわゆる "三大悪妖"《さんだいあくよう》" のうちの一種だからだろうな)




三大悪妖とは、妖鬼の中でも最上級の霊力を誇る種族たちのことを指す。



妖狐ようこ、天狗。そして 、鬼)




その種は古より存在し、一個体の霊力が低級妖魔のそれの一万体分にも値すると言われている。



(柴狐さんもそうだけど、女の低級霊もみんな狐の姿をしてる。つまりこの集団のボス、御母堂っていうのは、十中八九 "妖狐" だろうな)




そんな予測を立てていた時、



「わああっ! ぼ、僕ちゃんと戦えてるーー?!」


「い、いけてるいけてる! 俺ら、やれば出来るじゃねーかっ……!」


「油断大敵! 一体一体確実に仕留めていくぞ!」




悠真たちのそんな声が聞こえてきたので、私は柴狐から一時的に距離を取り、友人たちの視界にはまだ入っていない女狐たちを一気に片付けていく。



『ひ、ひぃっ、この匂い! この者が陽土か……!』


『こやつ、身体は細く弱々しいというのに……! これほどにまでに強豪とは、まるで噂に聞く、"あやつ" のようではないか!』




心の中で「その通り」と呟きながら。



『い、命ばかりは助けておくれ!』


わらわたちは誰それ構わず殺生していた訳ではなく、死亡志願者を喰ろうていただけじゃ!」




慈悲を求めるそんな声が聞こえてくるが、私は斬り付ける手を止めない。



(志願者だろうが関係ない。人間を食べてることがアウトなんだよ)



 

義父によると、妖鬼たちは人間を殺し、その血肉を食べて霊力を上げていくようだ。



(陰花の気を持つ人の血肉は極上に美味な上、霊力も通常の人間を食べるより百倍は上がるって聞くし)




そのため、姉兄は幼い頃から常に危険と隣り合わせだったようだ。初めて会った時も、彼らは武装した大勢の大人たちに取り囲まれていた。



(……でも。もし、私も陽土じゃなかったら、この妖魔たちみたいに殺されてたんだろうな。まあ私の場合は親族に、なんだけど)




思わず、口元に力が入る。


花梨崎の家に引き取られた直後は、妾筋だの淫婦の孫だの、暴言暴力は日常茶飯事だったし、その他の生活面でも散々な扱われようだった。その度に義父がなだめ、姉兄が泣きついて、皆を止めてくれてはいたが。



(お義祖母ばあ様は死ぬ直前まで、私のことを憎んでたな。というか、私にその "淫婦" って人を重ねてたんだろうけど。そんなに似てたのかな)




死んだ母とは瓜二つだと言われていた記憶があるが、祖母のことまでは知らない。



私は小さく息を吐いた。

過去の、決して良いとは言えない記憶が頭の中を占領してしまったため、ほんの少しだけ目前の戦闘への思考が止まってしまっていた。






「わあああっ、せ、千理ーーっ!!」




だが、すぐさま我に返り、叫び声が聞こえた方へと目をやる。



「?! 悠真!」




顳顬からぶわりと汗が吹き出した。視界に飛び込んできたのは、柴狐に首元を掴まれている彼の姿。



(しまった! 油断した……!)




次の瞬間、柴狐はその鋭い爪を、悠真の心臓目掛けて容赦なく振り下ろした。


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