殲滅公と毒の花

星 高目

第1話

 薄暗い廊下に一つの人影があった。

 夜の帳が空を包んでから長い時間が経ち、草木も寝静まるころのことだった。

 窓からは月明り一つ差すこともなく、ただ点々とともされた燭台の明かりだけがその姿を映し出している。

 夜の闇と同化するような黒い外套に身を包んだ人影の背丈は小さく、廊下の窓からようやく頭が覗く程度だ。

 目深に被られたフードにより、その表情をうかがい知ることはできない。

 音もなく石造りの廊下に敷き詰められたカーペットの上を歩くその影は、やがてある扉の前で立ち止まる。

 深紅の扉を彩るは燃え盛る炎を模した黄金の装飾、白亜の縁取り。

 ほかの扉にはないその意匠は、ここが特別な部屋であることを意味している。

 影が扉に触れ、静かに開いていく。

 部屋に薄く明かりが差し込む。

 影は部屋の様子を注意深く観察する。

 部屋の中央に置かれた大きな寝台には、男が一人寝息を立てて眠っている。

 他に人はおらず、忍び込む好機と見えた。


 影は無造作に、しかし静かに男に近づいていく。

 懐からすっと何かを取り出し、右手に構える。

 やがて影は男の隣に辿り着いたが、男は起きる気配がない。


 影が右手を振り上げ、一拍の後に振り下ろした。

 しかし次の瞬間、影は宙を舞いそのまま壁に叩きつけられていた。

 影が漏らした苦悶の声は小鳥の悲鳴に近い。

 そして影が立ち直るより早く、男がその上に馬乗りとなり影の両手を抑えつけた。

 

炎よフラム


 短く低い声で唱えられたのは、単純な炎の魔法を呼び出す一節。

 影を抑えていない男の左手にこぶし大の炎が呼び起こされる。


「子どもだと?」


 炎が映し出したのは幼い少女の姿だった。

 外套のフードが外れたことで露わになったのは肩先まで伸びた黒い髪。

 炎を映す紫色の瞳は、ガラスのように無機質だ。

 そこに恐怖の色はなく、ただ男を見つめていた。


 男は燃え盛るような赤髪を短くそろえた体格の良い人間だ。

 いくらか若さを感じさせるとはいえ、少女より遥かに背は高く、力が強い。

 そのような人間に馬乗りになられて両手の動きを封じられている状況でなお恐れが見えない少女を男は警戒した。


 床にちらりと目をやれば、刃が黒く塗りつぶされた短刀が転がっている。

 先ほど振り下ろされようとしていた凶器は、暗殺に特化した代物であることを認識する。

 少女に再び目を向けたとき、そこに少女の姿はなかった。

 少女に触れていた手の感触もあやふやとなっている。

 目を離した一瞬で、少女は消えていた。

 だが男の表情には微かな動揺も浮かんでいなかった。

 

(幻覚か)


 左手の炎を操り、己の肌を軽く焼く。

 じゅうっという音とともに、肉が焦げる嫌な香りがする。

 だが男はそれを気にも留めない。

 男の視界には再び少女の姿が浮かびあがっていた。

 先ほどまでと同じ、男に抵抗を封じられた姿。

 ただ違うのは、今まさに口から何かを吹きだそうとしていることだ。

 男はとっさに首を傾げる。

 少女の口から吹き出されたそれは一瞬炎を反射してきらめくと、空を切って消えていく。

 軽い金属音がきゃらきゃらと空しく響いた。


「毒針を口に仕込んでいたか。それで?これで終わりか?」


 男は笑うこともなく尋ねる。対する少女はじいっと男を見つめている。

 少女は現状を分析していた。

 男は警戒を緩めていない。奥の手も切った上での不意打ちを躱された以上、他に何か手があるだろうか。

 まだ暗器はあるものの……。

 どれを出したところで、この男の命に届く気がしない。


 数秒の後、少女はあきらめて首を横に振った。


「そうか」


 男の手刀が少女の頭に振り下ろされ、そして少女の視界は暗く染まった。




 次に少女が目覚めたとき、真っ白な天井が視界に映った。

 手でまだぼんやりとしている目をこすろうとすれば、がしゃりと音が鳴り腕を引っ張られる。

 動かそうとした腕は手錠で繋がれており、手錠から伸びた鎖がベッドの柱に巻き付けられている。

 腕を押し引きして抜け出せないか試してみるが、がしゃがしゃと耳障りな音が増すばかりで少女の力ではどうも抜け出せそうにない。

 諦めて体の力を抜けば、柔らかいベッドに体を包まれる。

 生まれて初めての感覚だった。

 身をゆだねてこれからのことを思えば、これが生まれて初めてで、そして最後の贅沢かもしれないと思う。

 ――私は暗殺に失敗した。捕らえられた暗殺者は、情報を絞り出すために手ひどく拷問されるものだと教わった――

 鎖に繋がれた掌を見る。

 ――拷問されても、何も吐くつもりはない。吐かなければ殺されるだろうが、吐いたところで用済みとしてここで殺されるか、ご主人様に殺されるかの違いしかないと思う――

 掌に、今まで殺してきた人間の生暖かい血の感触が蘇る。

 ――死ぬって、怖いことだ。死にたくない。けど、死なないためにどうすればいい?――

 懸命に考える。けれど考えれば考えるほど、死を逃れえないように思えてくる。

 ――これまでは仲間たちが消えてきた。ついに私の番が回ってきただけのことなのかな――

 

 少女の思考を打ち切ったのは、廊下から響く硬質な靴音だった。


「入るぞ」


 そういうなり部屋に入ってきたのは先ほど少女が殺そうとしていた男だった。

 剣呑な視線で少女のことを睨みつけている。

 ヴォルフ・フォン・フルスト公爵という男だと、少女はご主人様から教えられていた。

 ヴォルフはベッドの横に置かれた椅子に腰かけ、足を組む。

「誰の差し金だ」

 少女は答えない。答えようにも、自分のご主人様の正体や依頼主など知らない。

「どうやってここに忍び込んだ」

 少女は答えない。しかしその目はじっとヴォルフを見つめている。

 ヴォルフは他にいくつか質問をしたが、少女は一切答えなかった。


 やがてヴォルフは少し瞑目すると、腰の剣に手を掛けた。

「死にたいか?」

 少女はぴくりと反応し、ふるふると首を横に振った。

「なら俺の道具になれ。俺に忠誠を誓い、俺のためにその命を使え」

 少女は頷いた。生き延びたい一心もあるが、それ以上にヴォルフの有無を言わさぬ口調に気圧されていた。

「そうか。名をなんという?」

 少女はやや迷う。世間一般でいうような名前は自分にはない。名前より先に親に捨てられ、ご主人様に育てられてきたからだ。

 あるのは仕事で使う暗号のようなもののみだ。

 けれど少女にはそれしかないから、そのまま名乗ることにした。

「アコナイト。ご主人様にはそう呼ばれていた」

 ヴォルフはそれを聞いて微かに笑った。

 アコナイトは毒の花だ。なるほど暗殺者につけるにはそれらしい。

 そして今から自分がすることは、果たして毒となるか薬となるか。

「ならばアコナイト、お前は今日から俺の嫁だ」

「……嫁?」

 アコナイトはぽかんと間の抜けた表情を浮かべた。

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