冥界の夢
……………………
──冥界の夢
「ここだ。入っていいぞ」
アレステアは保安官事務所に案内された。
保安官事務所は鉄筋コンクリート造りの建物でちょっとした一軒家ぐらいの広さがある。だが、ここで勤務している保安官はひとりだけだ。
1階は受付と事務所、居住区になっている。2階には寝室。地下には留置所があるが、滅多に犯罪が起きないこの村では必要もなく、物置になっていた。
「昼に買ったソーセージとパンがある。好きに食ってくれ。チーズとバターもな」
「ありがとうございます」
「酒は……まだ早いか」
1階の居住区にある食卓に保安官が村で作っているソーセージを茹でたもの山盛りにした皿と同じく村で焼いている白パンを並べ、アレステアにはコーヒーを淹れ、保安官は自分に冷蔵庫から買い置きの缶ビールを出した。
「で、どうして帝都で墓守をやってたのに田舎に戻って来た?」
この村で栽培された香草で味付けされたソーセージでビールを飲みながら保安官がそうアレステアに尋ねてくる。
「……死体窃盗の疑いをかけられて……」
アレステアはことのいきさつを保安官に話した。
「そいつは妙だぞ。死体窃盗は必ず警察機関に報告する必要のある事件だ。司祭が訴える訴えないの話じゃない。殺人事件と同じで国家憲兵隊なり保安官なりが正式に捜査を行って、立件する代物だ。親告罪じゃない」
「でも、司祭様は僕を訴えない代わりに出て行けって言いましたよ」
「どうも臭いな。教会の不祥事隠しに利用されたんじゃないか? お前がこの手のことに無知なのをいいことにして」
保安官がそう疑る。
「言っておくが俺は無神論者じゃないし、悪魔崇拝者でもないから神聖契約教会そのものを否定はしないぞ。だが、教会は最近不祥事が多い。教会銀行が犯罪組織の資金洗浄に関与していたり、聖職者の児童に対する性的虐待だったり」
保安官がそう言いながら肩をすくめた。
「教会にだってこの村の孤児院の婆さんだとかいい連中がいるのは知ってる。だけどな、人間ってのは悪いことが起きるとその仲間を同一視しちまう。細かく区別できるほど器用じゃない。俺にも同じことがあったから分かる」
「え? そうなんですか?」
「昔の話だが。お前は小さいころから俺がここにいたから知らないだろうが、俺は保安官として別の街にいたんだ。ここよりもマシな場所さ。国境付近の街だ」
「そこで何かあったんですか?」
「同僚が保安官の立場を利用して違法薬物の密輸を手伝ってた。そのことで自治省の監査が入って、俺も疑わしきは罰するってことでここに飛ばされた。家内は納得してくれたが、息子は反発して出ていったよ」
「そうだったんですか……。僕がいたときには保安官さんはもういたから、てっきり最初からこの村にいたのかと思ってました」
「違うんだよ。息子は都会に出ていった。それからは一度も会ってない。今、どこでどういう暮らしをしているのかも分からん。息子がいなくても家内がいればいいと思っていたが、家内はガンで死んじまった」
アレステアが意外そうな顔をするのに保安官が寂し気に語った。
「坊主。お前はまだ若い。家族を作り、それを大事にしろよ。ひとりで暮らすってのは思っている以上に堪える。お前も孤児だから分かるだろうとは思うが」
「ええ。分かります」
孤児だったときにも、教会に墓守に雇用されて帝都に初めて行ったときにもアレステアは孤独を味わった。
アレステアという名。これは孤児院のシスターが言うにはアレステアとともに包まれていたアレステアの親からの手紙に記されていたそうだ。だが、アレステアはその手紙を見せてもらったことはない。
大陸のほぼ全土を統治する帝国は広大で一部の地方にはアレステアのようなアルビノを不幸を招くとして忌み嫌う場所もあるそうだ。きっとアレステアはそうやって嫌われて捨てられたのだろう。
今となっては手紙の話はシスターの優しい嘘だと分かっている。
「さ、飯は食ったな。腹は膨れたか?」
「はい。ありがとうございます」
「気にするな。誰かと飯を食うのはいいものだ」
アレステアが食事に礼を言うのに保安官はそう言って缶ビールの空き缶を潰した。
「シャワーを浴びて、2階のベッドで寝るといい。ベッドは空いている」
「では、失礼します」
アレステアは保安官事務所のシャワー室に入った。保安官が使っているためか髭剃りに使うシェービングローションの匂いがする。
アレステアはシャツとハーフパンツという服を脱ぐ。教会の死者の眠る地下で過ごしたために、そこで焚かれている香の匂いが少しばかり移っていた。
「ふう」
アレステアは長旅の疲れとともに汗を流し、さっぱりしてシャワー室を出た。
そして、2階に上がり、空いているベッドに横になった。使われていないベッドのためか古い布がちょっと硬かったが、眠れないことはない。
アレステアは長い鉄道での旅の疲れから眠りに落ちた。
眠りに落ち、夢が始まる。
「……アレステア……。……アレステア・ブラックドッグ……」
アレステアが自分を呼ぶ女性の声を聞いて目を開く。
「誰ですか……?」
アレステアは自分が夢の中にいると判断できることなく、呼びかけに応じた。
「アレステア・ブラックドッグ。私の方を見ろ」
「……!? あなたは……!」
アレステアの前に現れたのは巨大なドラゴンだった。
黒い鱗をしており、その瞳は黄金の色。そして、途轍もなく大きいドラゴンが、洞窟のように薄暗い空間に佇んでいた。
「私はゲヘナ。墓守であるならば知っているだろう。冥界の竜神たる私のことは」
「知っています。僕たち墓守はあなたを信仰していますから。ですが、どうして僕をお呼びになったのですか?」
巨大なドラゴン──冥界の竜神のゲヘナが問うのにアレステアが慌てて頷く。
「お前に降りかかった不幸は私も把握している。ここに来た死者たちが私に語ったのだ。お前は死者たちによくしてくれた。恩を抱いている死者たちは多い。そのものたちがお前の窮状を知らせ、世界の危機を知らせた」
「世界の……危機……?」
「アレステアよ。お前が私の信徒であるならば、死者たちが48日間眠る理由は当然知っているな?」
「はい。死者がゲヘナ様が治める冥界に向かう前の別れの時間。かつて英雄神テセウスが友との別れの時間が欲しいとゲヘナ様に願い、ゲヘナ様は48日の時間をお与えになられた。そうですよね?」
死者の眠り。
このミッドランにおいて死者は生理的な死を迎えた後、48日間の眠りの時期という経過を経て、魂が抜け冥界に向かう完全な死に至る。
墓守たちの仕事はその死者の眠りを、それを妨げるものたちから守ること。
「その通りだ。生命の死については神々が協定を結んでいる。生命の肉体が健全である間はそれを治めるのは地上の神々であり、死後は等しく私の冥界において治められる。その協定が勝手に破られたどうする?」
「良くないことだと思います。協定は約束ですから、ちゃんと守るべきです」
「お前はよき墓守だ、アレステア。私の教えを守り、それに従ってきた。しかし、地上には約束を守らぬものがいるのだ。死者の眠りを妨げ、その魂を拘束し、肉体に偽の生を与え、その生命の尊厳を踏みにじって使役するものたちが」
「……死霊術師、ですね」
死霊術師。忌み嫌われる異端の魔術師たち。神々に逆らう悪魔崇拝者。
「そうだ。お前のいた教会で起きたことも、また死霊術師の仕業」
「え……。帝都教区に死霊術師が……」
ゲヘナが告げるのにアレステアがただただ驚き、呆然とした。
「世界の理に歯向かい、破壊しようとする忌まわしきものども。死霊術師どもが地上に増え始めている。これは死者たちにとっての危機であり、世界にとっての危機だ」
「そうですね。ですが、僕に何かお手伝いできることはあるのでしょうか?」
「大いにある。お前には力がある。お前自身でも分かっていることだ。お前は眠っている死者と会話することができる。そうだろう?」
「……ええ。眠っている死者たちの言葉を聞きます。彼らが望んでいることを代わりに果たすこともあります。思い残したことがある方はいろいろといますから。僕は墓守として彼らが安らかに眠れるようにと」
アレステアが墓守という仕事を敢えて選んだのは、アレステアには眠っている死者の声を聞くことができたからだ。孤児院にいたときに教会に安置されている死者たちの声を聞いてそれを知った。
「だから、お前を選んだ。私のために、世界のために戦うものとして。神の眷属としてお前を選んだ。だが、聞こう。お前に覚悟はあるか? 悪しき死霊術師たちと戦う覚悟はあるか?」
ゲヘナがアレステアを見つめてそう尋ねる。
「僕には大した力もありません。誰かと戦ったことなどありません。ですが、ゲヘナ様が戦えと仰るのであれば、あなたを信仰する身として戦います」
アレステアがそうはっきりと宣言した。
「よろしい。それでこそだ。私がお前に力を授けよう。だが、心せよ。お前は神のために戦う眷属となるのだ。その身は常に神のためにあらねばならぬ。それは決してたやすいことではないぞ」
「はい。覚悟しております」
神のために戦った戦士たちの話は孤児院で昔話として聞かされていた。神のために戦ったからと言って報われるわけではなく、むしろ不幸になることすらあるという話は。神と人間の価値観が異なるが故に。
神にとっての名誉が、人間にとっての幸せとは限らないのだ。
「お前はよい墓守だな、アレステア。お前が目覚めたとき、お前は力を得る。そして、私のために戦うのだ。世界の理を乱すものたちと戦うのだ」
ゲヘナが頷くながらそう語る。
「今は眠るがいい。私はお前の目覚めを待とう。眠れ、アレステアよ」
優し気なゲヘナの声が響き、アレステアの意識は再び眠りに沈んだ。
そして、時が過ぎていき、朝が近づく。アレステアの目覚めが近づく。
「ん……」
アレステアが長旅の疲れで落ちた深い眠りから目覚め、重い瞼をゆっくりと開いた。
「目覚めたか?」
少女の声がし、アレステアが目をこすりながら声の方を向いた。
「わっ!」
声の方向にいたのは全裸の少女だった。
濡れ羽色の長髪を背中に流し、黄金色の瞳をした16歳ほどの少女。背丈はアレステアよりも高く、少女らしい可愛らしさと凛々しさがともにある。
「あ、あなたは……?」
「私はゲヘナの化身。この姿は地上における仮の姿である。お前に力を与えるために地上にこうして現れたのだ。だが、どうして私から顔を逸らしている、アレステアよ?」
「あの、服を着てください……」
「ああ。そうだったな。人間は服を纏うのであった」
ゲヘナの化身がそう言うと一瞬で服が構成された。簡素な白いワンピースだ。
「これでいいか?」
「はい。ゲヘナ様なのですね」
アレステアは改めてゲヘナの化身を名乗る少女を見た。
「お前に力を与える。死霊術師たちと戦うための力だ」
ゲヘナの化身はそう言い、アレステアにその手を向ける。
「死は私の治めるもの。故に死を超越させることもできる。人間から死を失わせ、どのようなことがあろうとも生き続けさせることもできるのだ」
「つまり、不死身に?」
「そうだ。しかし、私にできるのは死なないということだけだ。傷を負えば痛みを感じるし、死という状況から再び生に戻るというのは想像を絶する苦痛だ。それに耐えなければならない」
「分かりました」
ゲヘナの化身の言葉にアレステアが頷く。
「そして、戦うための力を与える。これを受け取るがいい」
ゲヘナの化身が右手をかざすとその手に虚空から剣が現れた。黒く輝く金属という不思議なもので構築され、刀身には古代の文字が赤い色で刻まれている。
「これは“月華”。私の力で顕現させた魔剣だ。あらゆるものを引き裂くもの。そして、使い手を導く力を有している。お前の戦いを支え、お前に力を与えるだろう」
ゲヘナの化身がそう言って“月華”を両手でアレステアに差し出し、アレステアは恐る恐るその剣を受け取った。
「これは」
次の瞬間、アレステアの身体に何かが入ったような感触があり、“月華”が姿を消す。そのことにアレステアは首を傾げた。
「“月華”はこれでお前が望めば現れるようになった。もはやお前の力のひとつだ」
「ありがとうござます、ゲヘナ様。大事に使います」
「そうするがよい」
アレステアが頭を下げるのにゲヘナの化身が頷く。
「おい。アレステアの坊主。起きてるか? ……って、おい! 誰だ、そいつは?」
保安官が起きていてアレステアの寝室を覗くとゲヘナの化身を見て驚いた。
「えっと。ゲヘナ様です」
「人間よ。これを見るがいい」
アレステアが紹介し、ゲヘナの化身が右手の甲を保安官に向ける。そこにはゲヘナを信仰するものたちの紋章が刻まれており、そこからホログラムのように冥界にいるゲヘナ本体たる黒いドラゴンの姿が浮かび上がる。
「おお。これは、これは。ゲヘナ様ですか。神々の化身とお会いできるとは光栄です」
基本的に人々は神々を尊敬している。神々の力はミッドランに暮らす生き物たちの生活に密着しており、どのような神も信仰を受けているのだ。墓守がゲヘナを特に信仰するように職業によって崇める神も存在する。
「だが、どうしてゲヘナ様が?」
「僕が死霊術師と戦うためです。ゲヘナ様は地上で死霊術師たちが死者を苦しめていることを案じておられ、死霊術師たちを倒すように僕に命じられました」
「つまり、神々の眷属になったのか。それは……」
「分かっています。簡単な道ではないことは」
神の眷属となるのは名誉であるが、苦痛と困難とともに生きることを意味する。そのことは歴史を学んだものたちは誰もが知っている。
「そうか。そこまで覚悟しているなら俺が言うことはない。だが、一体これから──」
保安官が頷きながらそう言ったとき、保安官事務所の1階が騒がしくなった。
「何だ?」
「事件ですか?」
「かもしれん」
保安官が先に1階に降り、アレステアとゲヘナの化身が続く。
……………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます