12 父と子

(……で、どうしろと……)

 ブラウと並んで湯船につかりながらエーリックは内心ため息をついた。


 この家のすぐ脇にある温泉はエーリックとヒナノが使うためのもので、二人で入れる大きさに作ったのだ。

 だが、まさかヒナノよりも先に父親らしき男と入ることになるとは。

 自分の父親が魔物だとは確信していた。けれどこうやって実際に会うとは思っていなかった。

(……なんの感慨もないな)

 子供の頃は会いたいと思ったこともあるし、どうして自分は魔族の血を引くのだと恨んだこともある。

 だが、今は気まずさしかない。

(話すこともない)

 母親とのことなど、聞きたいと思わなくもないが。今更だ。


「――確かに不思議だな、この温泉というものは」

 ブラウが口を開いた。

「疲れといったものが消えていくだけでなく、心も軽くなるようだ」

(……ああ、そうか)

 それまで血や呪いのせいで、恨みや諦めといった負の感情に縛られていたのが消えたのは、この温泉に入ったからなのだとエーリックは気づいた。


「あのヒナノという娘はお前の番か」

「……ああ」

「だがまだ印をつけていないのだな」

「印?」

「契りを交わすと匂いが移り、他の魔物たちにこれはもう番がいるのだと分かるようになる」

「……そういうものなのか」

「なぜまだ契りを交わさない?」

「……タイミングが合わない」

 ヒナノはすぐに寝てしまうので、そこまで辿り着けないのだ。


「とまどっているわけではないのか」

「とまどう?」

「番を得るということは、その代償についての覚悟が必要だからな」

「代償……」

「気づいているだろうが、魔物にとって番は愛しい存在であると共に『喰らってしまいたい』という欲を抱く存在でもある」

 ブラウはエーリックと視線を合わせた。

「お前もヒナノを喰い殺す可能性があるということだ」


「……俺の母親は喰わなかったのか」

「喰い殺す前に手放した」

 ブラウはそう答えると、視線を逸らせた。

「……喉元にかみついたことがある。それ以来会わなかったが、まさか子供が宿っていたとは」

「どうして止めた?」

「お前の母親は抵抗しなかった。……そうすることでしか人間と魔物は一緒になれないと思ったのだろう。あの時の、全てを受け入れた顔を見て踏みとどまった」

 ブラウは息を吐いた。

「我らが番に出会う可能性は低いし、その番と添い遂げるのも難しい」

「……番というのは一人だけなのか」

「ああ、唯一だ」

 そう言った横顔は、懐かしそうな表情をしていた。


「――母は、誰にも父親のことを言わなかった」

 エーリックは言った。

「死ぬ間際、俺の顔を見てうれしそうに『あのひとにとてもよく似ている』と言った。……多分、最後まであんたのことが好きだったんだろう」

「そうか」

 遠くを見つめるような眼差しと、口元に小さく笑みを浮かべてうなずいたその顔は、あのときの母親の表情とよく似ていた。

「お前は半分人間だからまた違うのかもしれないが。欲のままに番を喰い殺したあとの魔物は自ら命を絶つことが多いそうだ」

「……それは、後悔で?」

「後悔と失望と孤独と。手放すのもまた苦しいものだがな」


「俺は、ヒナノを喰わないし手放しもしない」

 父親の横顔をみつめてエーリックは言った。



「嬢ちゃんは、ブラウの息子の番なのか?」

 夕飯の支度をしていると、手持ち無沙汰そうなアルバンさんが聞いてきた。

「……そうみたいです」

「だが匂いはしないな」

「匂い?」

「番になって契りを交わすとな、匂いがつくんだ。そうすると他の魔物は手を出せなくなる」

 契りを交わすって……つまり、エッチなことをするってことだよね!?


「……それはまだ……」

「嬢ちゃんはまだ子供だから早いか」

「子供じゃないです!」

「そうなのか? あの兄ちゃんは父親に似て我慢強いんだな」

「我慢強い?」

「俺は出会ったことがないが、番ってのは好きすぎて喰い尽くしたくなって仕方がないんだと。相手が弱い人間の場合は本当に喰い殺してしまう。魔王も若い頃に人間の番を殺してしまったそうだ」

 好きすぎて喰い殺す……?


 魔物って……人間と変わらないと思ってたけど、そういうところは違うんだ。……というか、人間が魔物を敵視するのって、もしかしてそれが理由のひとつ?

「我慢できないの?」

「難しいらしいぜ、本能からくるものだからな。それでもブラウはなんとか堪えて番と別れたんだと」

「……それがエーリックのお母さん?」

「ああ。その息子だし半分人間だから喰い殺されることはないかもしれんが。気をつけろよ」

 気をつけるって、どうやって!?


「……アルバンさんは番が欲しいと思うの?」

「いや、俺は嫁と子供がいるからな。今更現れても困る」

「番じゃない奥さんがいるの!?」

「番てのは滅多に会えないし、子ができることも難しいからな。嫁というのはそれとは別だ」

「……そうなんだ」

 何だか……色々大変そうなのね。

「ちなみに、アルバンさんたちはどういう所に住んでるの?」

「ブラウは魔王の城に住んでいる。おれはその近くだな、人間の家とそう変わらない」

「……お城ってどこにあるの?」

「ここから遠くて近い場所だ」

「遠くて近い……?」

「距離はある。だが俺たちは飛べるからすぐに移動できる」

「……飛ぶのにも時間がかかるんじゃないの?」

 飛行機だってそれなりの時間がかかるし。


「ああ、飛ぶと言っても鳥のように空を移動するわけではない。目的地までは一瞬だが」

「瞬間移動? 魔法なの?」

「そうだな」

 へえ、すごい。

「でもアルバンさん、この間翼で飛んでたよね」

「あの飛び方は体力がいるが魔力を使わない。移動魔法はそんなに得意じゃないから俺は飛んだ方が楽なんだ」

「なるほど……」


 アルバンさんに色々聞いていると、エーリックとブラウさんが戻ってきた。

「おかえり、ご飯できたよ」

 食事は人間と同じものを食べられるというので、四人分……いや、アルバンさんはたくさん食べそうなので六人分作った。

 キノコ汁にお肉を焼いたものと、野菜サラダだ。


「温泉はどうでしたか」

「ああ、確かに効果がある」

 食事をしながらブラウさんに聞くと、笑顔でうなずいた。

「身体だけでなく、心にも効くようだ」

「そうですね、温泉は心もほぐれるんです」

 それが温泉なのよ!

「また入りにきてもいいだろうか」

「はい、是非」

「今度は魔王も連れてきてやれよ」

 アルバンさんが言った。

「あのひとも最近いら立ってるみたいだから」

「そうだな」

 ブラウさんが苦笑するように笑みを浮かべた。

 ……え、魔王?

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