第4話 ダイヤモンドの心

「え?」


 仁は眉をひそめる。質問の意図が分からなかったらしい。


「少し質問の仕方を変えよう。傷もつかず、割れることもなかったら、ダイヤモンドは宝石になっただろうか?」


 考えた末、仁は「……ならない……と思います」と答えた。


「何故?」

「……ギラギラしたダイヤモンドの宝石は、『へきかい』……を利用されてカットされているから……?」

「そういうこと」


 深山は大きく頷いた。


「もしダイヤモンドが何にも傷つけられず、何にも割ることができなければ宝石にはならなかった。仁さんの『強い心』のことに話を戻すと、傷つくということは言い換えれば『加工できる』し、『磨ける』ということだ。傷つくことは辛いし、痛いよ。時には傷つきすぎて立ち直るのに時間がかかることもある。でも、傷つくってことは、人の痛みも分かるってこと。分かるからこそ、相手の痛みに気づくことができる。仁さんは、自分がされて嫌なことは人にはしないだろう?」


 すると仁は、自信なさげに小さな声で言った。


「……多分」


 仁のことだから、人が嫌がるようなことを好んですることはないだろう。だが、意図せず相手にそういう気持ちにさせることもあるだろうし、良いことだと思ってやったことが相手にとっては不愉快なことになることを、きっと知っているのだ。だから、「多分」と答えたのだ。


(俺が彼と同じ年のころは、平気で「しない」と答えていただろうな)


 深山はそう思って優しく笑うと、「素直でよろしい」と彼の正直な心を賞した。


「これは答えのないことで難しいことだけど、先生は傷つかない人は痛みの分からない人だと思うんだ。痛みが分かるというのは、人が人の世界で生きていくには、とても大切なことだと先生は思う」

「……そうかな」


 不安そうな表情を浮かべる仁に、深山は言った。


「考え方は人それぞれだから、世界中の人が同じように思うかは分からないけど、少なくとも先生はそう思うよ」

「だから、先生は『ダイヤモンドは硬いけど割れるのが完璧』って言ったんですか?」


 深山は満足そうに「うん」と頷いた。


「割れるからこそ宝石になれる。きっとそういう性質がなかったら、ダイヤモンドは扱いにくくて、見向きもされなかったと思うよ」


 すると仁は何か腑に落ちたものがあったのか、嚙みしめるように「そっか……。そっか……」と呟いた。


「俺、ダイヤモンドの心でいたいかも……」

「いいね。きっと仁さんなら、きらきら光るダイヤモンドになるよ」


「ギラギラ」ではなく「きらきら」と言い換え、良い意味で言ったつもりだったが、仁はちょっとだけ嫌そうな顔をした。


「あんまり光りすぎるのは嫌だけどね」

「まあ、それはカットの仕方にもよるよ……」


 するとそのとき、教室の戸をノックする音が聞こえた。深山はぱっと入り口を見た一方で、仁はびっくりして振り向く。そこには朝倉が立っていた。


「深山先生、何やっているんです?」

「理科の授業ですよ。火山と火成岩の話です」


 彼女はちらりと黒板を見て、「そうですか。でも、もう下校時間過ぎてますよ。君も、早く帰りなさい」と言った。


 教室に付いている時計を見ると、下校時刻から五分過ぎていた。


「はいっ」


 仁は机の脇に掛けられていた自分のカバンを掴むと、急いで背負って教室から出て行く――と思ったら、一度戻ってきて、「晶先生、ありがとう。じゃあ、また明日!」と言った。彼の顔は、話をする前よりも憂いが薄れ、明るくなったようである。


「うん。また明日」


 深山は軽く手を振り仁がいなくなったことを確認すると、黒板消しで板書したものをきれいに消していく。毎日、生徒が白い粉の跡がなくなるくらいに拭くので、元通りになるように丁寧に拭き始めた。


 その様子を見ていた朝倉が「手伝いましょうか?」と言ったので、深山は背の低い彼女をちらと見る。

 きりっとした紺色のビジネススーツに、毛先がそろったショートカットの髪。性格的に、自分に与えられた仕事はきっちりやり遂げたいと思っていて、小テストの丸付けが終わってここに来たのだろうが、全部自分でやろうとしずぎている。もう少し柔軟になればいいのに、と深山は思った。


「いいえ。それより朝倉先生、立ち聞きしていたでしょう?」


 すると彼女はちょっと驚いたようにして肩をぴくっと震わせた。しかし隠しても仕方がないと思ったのだろう。すぐに弁明した。


「……仕方ないじゃないですか。深山先生が一向に帰ってこないので、心配で様子を見に行ったのに、勉強を教えている声が聞こえて驚いたんですよ。戸も開いていましたし」

「まあ、別に聞かれても問題ないですけど……」


 深山があっさりと言うので、朝倉は先程話していた鉱物の話をし始めた。


「あの……ダイヤモンドって、硬いんですね。ダイヤモンドがダイヤモンドでしか磨けないというのも、初めて知りました」

「なんだ。そこから聞いていたんですか」

「すみません、つい面白かったもので……」


 一度弁明した朝倉はいさぎよい。深山はちょっと考えると、少し意地悪なことを言った。


「まあ、でも、ダイヤモンドはハンマーで叩くと粉々になりますよ」

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