ダイヤモンドの心

彩霞

第1話 仁の問い

 季節は冬に近い秋の頃。暦でいえば十一月。


 中学一年生は中学生活に馴染んだころであり、二年生は生徒会や部活で先輩が抜け、自分たちが主体になる時期。そして三年生は高校受験に向けて、より一層勉強に集中し始めるときである。


 その日、深山みやまは下校時間が近づいていたので、暗がりの教室を一つずつ回りながら、生徒が残っていないかを確認していた。


 まずは四階にある、音楽室や理科室などの特別教室の施錠せじょうを確認し、三階へ降りると一年生と二年生の教室を見る。


 さすがにどの教室も真っ暗だ。

 だが、「窓が開いていないか」「エアコンは止まっているか」などの確認もあるし、生徒が隠れていることも無きにしもあらずなので、手は抜けない。


 この地域は生徒数が少ないので、どの学年も二クラスずつしかないが、この見回りすらも嫌がる教師もいる。ただでさえ教員の人数が減っているのに、やることは増えているので時間が惜しいのだ。


 今日の見回りの当番は深山ではなく、二年生の担任である朝倉依子よりこだったが、小テストの丸付けが終わらず、頭を抱えていたので代わることにした。


 彼女は昨年に大学を卒業してすぐに教諭になり、クラスの担任を任されている。とても優秀なのだろう。


 だが、社会人になったばかりの若者が、自分が思っていた以上の重い責任を背負わされ、密のスケジュールをこなすのはさすがに大変だろうなと思う。


 深山は講師であるし、朝倉よりも四歳年上の二十七歳の男。それでも精神的にも体力的にきついと感じることがしばしばなのだから、この仕事は男、女関係なく大変すぎる。


 抜本的な見直しをしない限り、どんなにこころざしがあっても優秀な教師ほどやめていってしまうだろう。


 深山も自分のことだけで精一杯なので、できることは少ない。


 だが、いい教師が、一人でも多く未来に残ってくれたらいいなと思わずにはいられないので、特に自分よりも年下の教師の雑用は、手が空いたときに代われるようにしていた。


(あとは三年のクラスを見れば終わり、っと)


 三階の確認が済んだので、深山は突っ掛けのサンダルを履いていながら、タタタタッと軽快に二階へ降りる。

 すると、階段から降りた目の前にある、一番東側の教室に明かりが灯っていた。


(電気の消し忘れか? それとも誰かが残っているのか……)


 教室をのぞいてみると、男子生徒が一人残っていた。風が冷たいというのに、構わず窓を開けて空をぼんやりと眺めている。「黄昏たそがれている」と言ってもいい。


 深山は三学年の理科の授業を担当しているので、彼が誰だか分かる。清野せいのじんだ。


 すらりとした細身の体格で色白。柔らかく優しい顔立ちをしているが、どこか憂いげなところがある少年。


 担任から彼の家庭事情を聞いたことがあるのだが、少し家のなかが上手くいっていないらしい。それも両親が不仲というわけではなく、嫁と姑の関係がこじれているというのだ。父親にとっては「実の母親」と「妻」ゆえに、二人の間を取り持とうとしないようで、長男の仁が愚痴を聞かされているらしい。


 学校では穏やかなところしか見せない、仁のうれいを帯びた表情は、きっとそういうものを隠しているからなのかもしれないと深山は思う。


(家に帰りたくないのかもなぁ。でも、帰さないと)


 深山は意を決すると、「じんさん」と声を掛けた。すると、仁はゆっくりと振り返り、ちょっと笑って「あきら先生」と言った。


「晶」とは深山の下の名前である。親しい人以外からその名を呼ばれるのが好きではなかったので、赴任したばかりのときは「苗字で呼んでください」とお願いしていた。


 しかし、一部の生徒が「格好いい!」だの「アニメの名前と同じ!」と騒いで収まらなかったため、訂正するのを諦めた。それは訂正しようとすると、注意することに時間がとられてしまうからだ。


 仁は悪乗りするタイプではないが、周囲が言っているのに合わせようとしているのか、深山のことを「晶先生」と呼ぶ。


「下校時間になるので、帰りましょう」


 すると仁は窓を閉めつつも嫌がった。


「えー」

「先生も帰るし、学校も閉めるから」

「俺の家から学校が見えるから知っているんですけど、遅くまで明かり付いていることもあるじゃないですか。先生がいるんですよね?」


 その通りである。教職の現場ははっきり言ってブラックだ。そのため、教諭が九時すぎまで仕事をしていることがザラである。しかし、正直なことはいえないので、深山は嘘をついた。


「それはね、幽霊が勝手に電気付けて遊んでんの」


 すると仁はさすがに引いた顔をする。


「先生、それ本気で言ってます? 小学生に言うなら分かるけど……」


 深山はふざけた様子でむっとした表情を作り「悪かったな」というと、同じ階にある職員室の方に体を向けて言った。


「とにかく帰ること。あと十分で下校時間だよ」


 そう言って引っ込もうとしたときだった。思いがけず仁が深山を引き留めた。


「あっ、先生、ちょっと待って」

「どうした?」


 聞くと、彼は戸惑いつつも深山に質問をした。


「あの……、どうやったら強い心って手に入りますか……?」


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