冴えない精神科医は女子高生と幽霊を見たい

有田よよ

第1話 腐乱死体は日常の片隅に

 ゴミが山のように積まれ、薄暗い室内には腐乱死体があった。

排水溝に詰まった大量の髪の毛……それを見る時の不快感を何百倍にもしたような怖気。


「きゃああああああああああああああああああああああああああああ」


 腰が抜けて、倒れこむ。そこにはごみが大量にあり、私の背中を汚したがそんなことはもうどうでもいい。

少しでも目の前のこの恐怖から離れたくて、後ずさりする。

ゴミ袋の中から蛆虫がはい出て、手の上にのる。


「ひっ!!!」


 混沌とする部屋の中で、私は逃げ出そうとする。

高校の制服がゴミから滴る液体で汚れていく。


「どうしたんですか? 何かおかしなことでもありました?」

そんな場所で平然としている男……その男の顔はどこかで見覚えがあった。

確実に知っているはずなのに思い出せない……なぜならこれは夢の中だからだ。


 夢の中で夢だと自覚したとたん、目を覚ます。

目を覚ます直前に見た、平凡でどこにでもいそうな人のなんでもないような笑顔は恐ろしかった。



※※※




「おはようございます、おめざめですか? 本日の予定は結婚記念日です」

目を覚ますと、AIスピーカーがけたたましく音楽を流し、

情緒もなく、今日のリマインドを伝えてきた。


 そうだ、今日は結婚記念日だ。当然忘れてななどいない。

なぜなら今日が1回目の結婚記念日……新婚なのだから。


 さすがに1回目も忘れるようじゃ、嫁に愛想つかされると思い、

オレはスケジュールを入れておいたんだった。


 〇月×日がオレたちの結婚記念日……ん、頭がぼんやりとしている。

今日は何日だっけ……

どうやら寝ぼけているようだ。まずは顔を洗わないと。


 洗面所に行くと、ちょうどタイミング悪く洗顔フォームが切れていた。

スカスカと音がするチューブを棚に戻し、水で顔を洗う。


「あなたー! 早くしないとトーストが冷めるわよ!」


 嫁の声が後ろから聞こえる。今日は洋食を作ってくれていたのか。

オレたちは共働きをしているので、朝ごはんと昼の弁当は妻が担当、

夕食がオレの担当だ。

テーブルに昨日の夜の残りがまだ乗っていた。

最悪なことにハエが止まっている。もったいないが捨てなくては。


「おいおい、このパン。もう冷めてるぞ?」


 冷めているせいで、バターがうまく溶けずぐずぐずに表面に固まっていく。

のんびり顔を洗いすぎて、冷めてしまったものは仕方ない。

流し込むように食べ、テレビをつける。ニュース番組をだらだら流すが、

特にとりたてて目立った内容もない。いや……ぼんやりとしているので内容など入ってきてはいないのだが。


 手からグラスが滑り落ち、ガシャンと激しい音がする。

しまった……グラスを割ってしまった。水が床にこぼれる。


「ああ、気にしないで。そのままにしといていいわよ。後で片付けるから」

にこり、と笑って妻はオレをとがめないでくれた。それどころか、ドジなんだからとくすくす面白がっている。

そんな、心の広いところと優しい笑顔がいいんだよな。

なんてのろけてしまう。


 その時、マンションの隣の部屋が開く。

オレはその音に合わせて出かける準備をする。

このマンションに引っ越してから約3か月。こんないい部屋が偶然空いていてよかった。

唯一難点は隣の家がうるさいことくらいか。


「じゃあ、行ってくるよ」

「今日の晩御飯は……」

「分かってるって、いつもより豪華なものを作るから楽しみにお腹を空かせてくれよな」


 玄関から出ようとすると、ハエが顔の前にまとわりついてきた。

最近、虫がわきやすいみたいだ。帰りに殺虫剤を買ってこなければ。

外に出ると、隣の家の子供が友達らしき女の子とマンションの前の道で大声であいさつをしている。


「朝から元気だなあ……」



 元気な子供たちとは対照的に、オレは背中を丸めながら出社する。

マンションを出た後に見上げる空はどんよりとしており、

新婚生活を送っている愛の巣もどこか暗く見える。

さっきまでは初めての結婚記念日にわくわくしていたはずなのに。

人間の心というものは、なんと単純なのだろうか。


 満員の通勤電車にのり、会社の仕事もいつもと同じようにこなす。

仕事といっても、誰でもできるような事務書類を作るだけだ。

人とのかかわりもなく、ただ時間が過ぎて帰宅の時間になる。


 帰り道、今日はケーキを買って帰ろうとするが、

店員からじろじろと不審者のように見られ、どうにも居づらく

何も買わずに帰ってしまった。


 男がケーキを買うのが何かおかしいだろうか?

嫌な店員だな……仕方がない……とスーパーマーケットで売っていた安いケーキを買って帰ろう……

としたが、残念なことに売り場には1つしか残っていなかった。

せめて、と思い豪華な料理を作る材料を買う。


 今日はついてない……家へと帰る足は重く、頭もぼんやりとしている。

ミスが多いな……すこし鬱ぽいのかもしれない。病院にいかないとな……

いまは気を引き締めないと。料理まで失敗したら妻に申し訳ない。


「ただいま! 今から晩御飯作るから、そっちは部屋の片づけしといてくれないか?」

「はいはい、じゃあ任せるね」


 腕まくりをして、台所の前に立つ。学生のころから一人暮らしをしているので料理には自信がある。

手際よくトントンと進めていく。


「いてっ!」


 にんじんを剥いていると刃が滑って指を切ってしまった。

絆創膏を貼る。どうやら最近ぼんやりしている頻度が多いようだ。

この前も切ってしまい、指に絆創膏が増えてしまった。


 なんとか、料理を作り終わってテーブルに並べる。

ケーキは買えなかったけれども……と嫁に言葉を濁しながら椅子に座るよう促す。


「私は別に甘いもの、そこまで好きじゃないから気にしなくていいのに」


 オレの気を使ってくれているのだろうか、本当に済まないことをしたものだ。

けれども、その気遣いで食卓が暗くならずに助かった。なんていい人なんだろう。


 結婚記念日だからと普段は禁酒している酒も今日は大盤振る舞いしてくれている。

おいしい料理、特別な酒と、楽しい会話。

最後にはいい気持ちで眠りにつけそうだ……


「お休み……あなた」

「ああ、おやすみ……」


 転がる酒瓶、家の中にむせ返る料理の匂い。

ああ……部屋を片付けないといけないのに……そう思いながらも酒が回ってオレはソファーで眠ってしまった。




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